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三四郎外伝「ダンスパーテイの夜」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 7月16日(月)16時25分6秒
返信・引用 編集済
  生涯現役、

こういう言葉が胸にジンジン響く年になった。

会社の定年も、人生にも同じ事が起こる、

時が来れば去らなければならないのだ。

年を取るにしたがって、好きだった映画俳優が次々に亡くなっていく、

淋しいものだ、

いやでも次は自分に順番が回って来る、恐いか恐くないかと自問すれば

不思議な事に若い時ほどの恐さは薄れている、50代よりも60代の方が恐くなくなる、

70代になればほぼ恐さとは距離ができてくる、自然現象として受け入れる風邪をひく

ような感覚になって来る、80代になればもう悟りに近く、半分は死の世界を覗きながら

半分は現世で世間と関っているだけだ。幽界と現世との間の細い糸の上にいるような感じ

じゃないかと想像する。

死ぬまで人と関っていたいと思うのは自然だ、だが世間は年を取れば取るほど

年寄りを子供と同列に扱い始める。

病院などでも、若い看護士に幼子をあやすように大切に手を引かれ噛んで含めるように

くどくどと何回も説明をしてくれる、最後は赤ん坊に戻るというのは正しいようだ。

だが、人間には意思がある、

体は弱っても世の中や人と関って生きたいと願う気持ちはどんな人も持ち続けるだろうが、

世間が「後期高齢者」という枠に嵌めて、別格扱いを始める。

悪気では無いはずだが、本人に取っては免許証が3年になって教習を受けるようになれば

嫌でも年を自覚する、教習所の教官はどう見てもそこに集うお年寄りよりは遥かに若いから。

この間、親しくしているある教習所の教官とお茶を飲んで話した、

彼が言うには「お年の方も大勢来られます、人間って免許証返納には抵抗感があるようですね」

彼の話しによると、ある時、個人タクシーの運転手さんが免許の更新にみえたそうだ、

もちろん、運転歴数十年の大ベテランだ、お年は83歳だったという。

実技試験の時には四五人が一塊で順番にコースを回るそうだ、その個人タクシーの運転手

さんの番になった時、ちょうどお茶を飲んだ彼が試験官だった、

その人の番になった、

エンジンをかけ、ギアをいれて、バックで教習所内の路上に出る、

そしてコースを何週か、坂道があり信号がある、その個人タクシーの運転手さんは

きっといい所を見せようとなさったのでしょう、とその人は言った。

カーブにかなりのスピードで突っ込んで片手ハンドルで縁石に乗り上げ車は大きく傾いた、

「大丈夫ですか」と彼が声をかけると、「なーに、大丈夫ですよ」とそのベテランは今度は

工事中のしるしのコーンをなぎ倒し、信号が黄色点滅の時に猛スピードで突っ込んで真ん中で

急ブレーキを踏んだそうだ。

「あの、すみません、黄色は黄色点滅は止まれなんです、昔は注意して徐行だったのですが」

と言うと、「えっ、そうなの、黄色は行けるんじゃないのか」と怒鳴り始めたそうだ。

結局、認知症の傾向があったが、彼の生活がかかっていると思って、注意事項を書いて

教習所は合格として判断は免許センターに任せるという但し書きをつけて彼はまた3年の

免許を更新したらしい。

「お爺ちゃん、おしっこ大丈夫ですか?」と若い看護士や付き添いに聞かれたら、

「うるせえ、おめえがオシメをしている頃から俺は小便を自分でしてるんだ」と怒鳴り返す、

それがもう賞味期限切れなんですよと心の中で思っても勢いに押されてみんな黙ってしまう。


年を取ると気が短くなるそうだ、

それは体のストレス機能に余裕がなくなり、ストッパーがきかなくなるからだと言う、

すぐ怒鳴る、大声を出す、一つには耳が遠いので自分に聞こえるくらいの大声、外の人には

犬が啼くくらいの騒音に聞こえるらしい。


年寄りが切れるのは、血管の柔軟性が失われて外部のストレスとか変化を吸収できなく

なるかららしい、

大概の人は「俺はまだ若い奴等と一緒に酒を飲めるしゴルフも出来る、まだまだ若いぞ」

と思い込む、とたんに階段から転げ落ちて寝たきりになる。

年を取るとは、残酷なものだ、俺たちが日本の高度成長を支えてきたんだという自負、

だが、そんな人に限って「晩節を汚す」断末魔を迎える。

文科省の裏口入学の贈収賄事件も、都知事の何とかさんのように地位に溺れて首になり

外を歩けば、世間から「こらーっ、xx金返せ」と怒鳴られたり、大概が呼び捨てにされて

夏でも帽子とマスクは外せない晩節に陥る、

妙なのは、お年寄りにあと何年生きたいかと聞くと、「まあ、20年かな」と異口同音に

答が返ってくる、それは60代でも70代でも80代でもほぼ同じだ。

「20年」みんな生きたいのだ、私も生きたい、だけど明日の朝は目が覚めないままかも

知れないという覚悟は必要じゃないだろうか。


「♪赤いドレスが よくにあう

  君とはじめて 会ったのは

  ダンスパーテイの夜だった

  踊りつかれて 二人で

  ビルのテラスに 出てみれば

  星が綺麗な 夜だった」

「♪熱い涙を ためながら

  君が別れを 告げたのも

  ダンスパーテイの 夜だった

  はかない夢と あきらめて

  忘れましょうと 言った君

  星がつめたい 夜だった」

人生の悲哀はこの歌にすべて込められている、必ず別れが訪れるのだ、

恋人に、この世に、地球が逆転しない限り、地球の自転と共に別れは近づいて来る。

私は幾度も辛い別れを経験してきた、父と母と姉と、そして親しかった仲間と、

次は自分の番だと言い聞かせても何の整理もつかないままただ「無為徒食」の状態で

息をしている。

ある有名な僧侶の説教を聴きに行った、

「夢を持ち続けなさい、夢を持つ事が明日への一歩ですぞ」

僧侶は厳かに諭した、夢か、宝くじ?若返り? 何があるほかには?

みんな実現性に乏しい夢だ、だから夢というのなら僧侶の話も辻褄が合う。

秀吉の辞世に

「露と落ち 露と生まれし・・・浪花のことも夢のまた夢」というのがある、

結局夢とは未来への一歩では無く、終りの言葉に近いのじゃないかと感じた。

原点はやっぱり「川は流れる」だなあ。

「想い出の 橋のたもとに

 錆び付いた 夢の数々・・」

若かったあの頃、ただ夜布団を被って泣けばまた明日が来た、母の手紙を抱いて泣けば

明日は確実に訪れた、その頃の夢と、

年取ってからの夢は意味が違う、

「♪熱い涙を ためながら

  気が別れを 告げたのも

  ダンスパーテイの 夜だった

  はかない夢と あきらめて

  忘れましょうと 言った君

  星がつめたい 夜だった」

生涯現役など不可能なスローガンだ、どこかで区切りをつけながら静かに去るしか無い。

夢を見たって、実現する動力が無い、誰も老人の夢に投資はしてくれない、

作家か、作詞家の才能があれば、生涯現役も夢ではないだろう、だが凡人が牛のように

啼いても蛙のように駄々をこねても世間は素通りしていくだけだ。

山のようなサプリを飲んでも頓死する時はコロリと逝く、ゴキブリホイホイをかけられたと

同じようにひっくり返ってそれきりだ。サプリは気休めに過ぎないが金があるならどんどん通販の

商品を買い捲るがいい、精神的に安心するのもサプリの効用の一つだろう。

生涯現役は

がみがみ親父の大声老人でいる間だけだ、世の中の役になんか全く無関係だ、被災地へのボランテイア

に参加できる体力があるか、炎天下、コロリと倒れて逆に迷惑をかけるだけだ。

出来る事は限られている、ネットで政治や外交に口を出すくらいだ、全く効果はないけれど、

人と関りたくても相手が嫌がる、それに気づくまでずいぶん長い時間がかかる。

「ああ、世間の人は自分なんか対等目線では見ていてくれないのだな」と気がつくまでの時間が

ずいぶんかかる、だから上に書いたタクシー運転手の叔父さんのように、現役だと主張したくても

縁石に乗り上げて車中の人を恐怖に陥れるだけの効果しかない。

生涯現役、虚偽のタイトルに惑わされる老人の悲哀、自分もその中の一人だと気づくのが数年

遅かった。

もう止めろよ、シミケンの歌では無いがもう止せよ、もう静かに藪の中で往生しなさい、

自分に言い聞かせて私は昼寝をする。
 

三四郎外伝「やっと逢えたね」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 7月16日(月)00時01分2秒
返信・引用 編集済
  女性を恋するという気持ちは幾つになっても変わらないものだ、

ただ自分の年を考え、みっとも無い、もう止せよ

と自分をたしなめて恋心をそっと棚に乗せて唇を噛む、若きときは失敗の連続で

分別のある年になったら、滾る思いを恥かしいと感じて封印をする。

人生って奔放に生きるなんてとうてい無理な話だ、自分の周りには世間という見えない

壁がある、越えられない壁がある、そして老人は諦めるという事を学んでいく。

胸の中だけにある恋する思いは年を取れば休火山が息を吹き返したように突然鳴動する、

だが「年」という不条理な掟にしばられて、瞑目し首をふり心に蓋をする。

「♪さがしたよ 黄昏の東京

  気づいたよ 悪いのは俺だと

  肩に手をかけ 抱きしめた

  細いからだが きしむほど

  逢えたね 逢えたね やっと逢えたね」

「♪馬鹿だった おまえしかいないのに

  辛かった 今日までの長い日

  想いだすのは その瞳

  二度とこの手は はなさない

  逢えたね 逢えたね やっと逢えたね」

「♪風邪ひくよ 木枯しの東京

  帰ろうか あの部屋にふたりで

  遠くからでも わかるよに

  いつも灯は つけてある

  逢えたね 逢えたね やっと逢えたね」

本当に逢ってはいけない人だ、逢えたね 逢えたね 胸のうちで。

スポーツジムの着替えのロッカー前で、「さがしたよ、どうしていたのか」

と声をかけられた、「やっと逢えたね」とそのおっさんは私に微笑む、

顔は知っているが例によって名も職業も生業も知らない、

「さがしたよ、どうしていたの」とおっさんは私の手を握らんばかりに近づく、

「どうって、今までどおりですよ、貴方はお元気そうですね」

「逢えたね 逢えたね やっと逢えたね」おっさんは私に頷きながら言う、

「どこの人だろう」私はいぶかる、

「良かった、逢えて」とおっさんはさらに笑顔を向ける、

「それじゃ お先に」とバックを担いで靴を履く、

うしろから、「さがしたよ、本当に、良かった、逢えて」とおっさんが来る。

おっさんも靴を履き、良かった、元気そうで、と私の肩をさわり、腕を触る、

まだ一線は超えてない、黙って力なく笑い返す、

「良かった、逢えて」おっさんは、さらに私の体に触ってくる、

どうするべきか、・・実に下らん展開になった、小太りのおっさんは常に私の手や肩や腕を

触る、そして笑いかける。

悪意はなさそうだが、誰か皆目見当がつかない、

「この近くに美味しい寿司屋がありますけど、どうでしょうご一緒に」

とおっさんが言う、この人と飯を食う時間も無いし話も無い、丁寧にお断わりする、

振り返るとついて来る、路地を曲がったら蹴り倒そうかと考えていたら、ふっと見えなく

なった、とんでもない出来事だった。

「♪さがしたよ 黄昏の東京

  気づいたよ 悪いのは俺だと・・」

実は心に秘めたある人がいる、どうしているだろうか、電話をしようか、もう電話番号は消そうか、

指がためらい、まだ残している電話番号、「年」だから、もう止せよ、

自戒して振り切るように家路に向う、

男の人生、波風ばかり高くして、夢中で泳いで力つきる、

この頃、夢を見る、良く無い寝覚めの悪い夢を見る、

怖い夢を見る、ハットして目が覚める、どこか体調が悪いのか、

猛暑の東京、いつもの並木道を散歩する、暑い日差しは木陰で遮られているが、

地面の照り返しが猛烈に暑い、

「これって、ハマユウの花かしら」どこかの女性がしゃがんで写真を撮っている、

ハマユウか、ついぞ知らなかった花だ、気がつくと頭上にはもう青い栗の実がたくさんなっている、

ハマユウの花の香に、昔の君の名はの主題歌にあった、映画は見ていないが、

織井茂子の歌だった、海女は真珠の涙ほろほろ、戦後の名残がまだあった時代の歌だ、

私は良く戦争の話をする、

行った事もない戦場、体験した事も無い悲惨な負け戦、

だが占守島の守備隊は押し寄せるソ連軍に一歩も引かずに海岸べりまでソ連軍を追い詰めたという
北方領土どころか北海道侵攻まで食い止めた帝国陸軍の守備隊は強かったが、武装解除の命令で
強大な砲と武器をソ連軍に手渡したそうだ。、

中野信子も言う、「日本軍は強かったですから」

夏になると思い出す、

50歳を過ぎた復員の父が五右衛門風呂で大声で歌っていた、

「♪ああ あの顔で あの声で

  手柄頼むと 妻や子が

  ちぎれるほどに 振った旗

  遠い雲間に また浮かぶ」


「♪ああ 堂々の輸送船

  さらば祖国よ 栄あれ

  遥かに拝む 宮城の

  空似誓った この決意」


「♪ああ あのあの山も この川も

  赤い忠義の 血がにじむ

  故国まで 届け 暁に

  あげる興亜の この凱歌」

幼かった私もこの歌だけは覚えている、同じ歌ばかりが風呂の窓から聞こえてきた、

父は私を見つけると手招きして私を風呂に入れた、

風呂の中で肩車をしてさらに歌った、

「♪わが大君に 召されたる

  生命栄えある 朝ぼらけ

  讃えて送る 一億の

  歓呼の声は 天を衝く

  いざ征け つわもの

  日本男児」


いざ征け つわもの 日本男児、

そして父は物心もつかない私を置いて部隊長の下へ旅立った、

階級は正当な幼年、陸士、卒では無いが、曹長だった、技術屋で連合軍に長く取り調べを受けて
年取ってから復員した、父は国民党軍には親切にされ厚遇されたそうだ、
ただビルマの関係で英軍が航空関係の技術者という事で準BC級戦犯扱いをされたと聞いた。

父の一生には悔いは無いようだった、父は本気で死後は靖国でみんなと酒が飲めると

信じていたようだった、

「逢えたね 逢えたね やっと逢えたね」

今私の年は父を遥かに超えた、まだ恋している、女性に、大日本帝国に、父に、

「逢えたね 逢えたね やっと逢えたね」

 

三四郎外伝「アメジスト」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 7月12日(木)01時15分42秒
返信・引用 編集済
  アメジストというのはパワーの出るストーン(石)です、ギリシャあたりが
原産で装飾にも使われます、綺麗な色の石です。

清水健太郎という歌手、俳優をご存知ですか、

私はずっと彼のフアンでした、ちょうど私と同じ年くらいでしょう、
博多の生れでスカウトされて東映に入った彼は間もなく「失恋レストラン」で
ブレークします。

いい男です、演技も上手い、声もいい、
歩く姿も格好いい、

この彼がシリーズで撮ったVシネマ「雀鬼シリーズ」の終りにかかるかなり
レベルの高い曲がこの「アメジスト」という歌です、

彼の人生を知る人はこの歌に何かを重ねて聞き惚れるでしょう、
演歌ではありませんが、私は好きな歌です。

この俳優がなぜ勿体無い人生を送ったのか、多くのフアンが彼を惜しんでいます、
人の一生は自分のものでしょう、だけど彼に夢を重ねた多くの人はどれほど哀しみ
がっかりしたでしょう、

「アメジスト」

「♪今二人 歩きだす

  風の中 身を任せ・・・

  もう 止しなよ

  あいつの事を これ以上責めても

  悲しくなるだけ・・・

  今 あいつは 疲れた体

  耐え切れない ぬくもりに包まれ

  眠っている・・・

  さよならの 言葉 ないままに終わった

  お前の初めての 恋

  悲しくて 切なくて」

「♪もうー 眠れよ

  すべてを忘れて

  明日になれば またきっと

  出会う愛があるさ・・・

  とまらない涙 肩を抱いて

  泣いて お前の

  全てをこの胸に 抱きしめて 守りたくて

  もう 眠れよ すべてを 忘れて

  明日になれば 又きっと出会う 愛があるさ・・・」

清水健太郎の良さは、形だ、

若い時より少し太った後半の方に 彼の味があった。

彼の魅力は 歩く姿、後ろ姿、声、

そして眼の力だ、

九州と言うところは いい俳優を輩出する、

もう 眠れよ・・ 明日になれば 又出会う

愛があるさ・・

タバコの煙、横向きに食うラーメンのシーン、

彼に70年代の新宿歌舞伎町を演じさせたら まずひとかどの俳優だったと真から

思っている。

どうしても 彼は裏世界のドラマやVシネマや映画に起用される事が多かった、

イメージはその方面に強く残る。

俳優は味だ、雰囲気だ、顔の美醜では無い、

そこにいるだけで ある雰囲気をかもし出す、タバコを取り出し、

口にくわえて歩き出す、独特の左手をズボンのポケットに入れ、のっしのっしと歩く、

肩で風切る歩き方をする、そんな役どころがドンピシャリはまった俳優が清水健太郎

通称、シミケンだ。

私は彼の映像に自分の若かった70年代を重ねる、町の風景、喫茶店の名前、

みんな記憶にある新宿の町、映画のシリーズで彼がラーメン以外の食べ物を食べている

シーンは見た事が無い、そういえば自分も若い体でラーメンの汁まで飲み干して

タバコを吹かして、これといった病気も気にしなかった、

私の机の中から 86年〇月〇日と日にちが入った写真がたくさん出てきた、

バブル絶好調、香港は返還が10年に迫って移民ブーム、まだ中国との商売など

考えなかった、

香港の英国国旗の下で十分に会社は発展した、その頃の自分の写真、

あの顔、あの女性、あの社員、笑って映っている、

86年と言えば、今から約30年昔だ、それでも30年という歳月は大きい、

自分の顔の若い事、体つきのしなやかな事、

会社は全盛時代、パーテイの写真がたくさん出てきた、

あれから30年、時代は変わった、私の顔も見事に弛んでいる、

その前の70年代にはさらに精悍な顔で映っている、時の流れと諸行無常。

せめて帰らぬ日々をシミケンのフィルムと歌声に没頭して薄い涙を流すだけだ。

「もう止しなよ あいつの事を これ以上

 責めても 悲しくなるだけ・・」

だから

「もう 眠れよ

 すべてを わすれて

 明日になれば 又きっと出会う愛があるさ・・」

ある女性から電話があった、

「〇ちゃんなの、わたしの事覚えていますか、ふふふ・・

 元気ですか、元気なら もう一度 奈良へ旅行にでも行きませんか、わたしと・・」

「ああ、君か、どうしていた 電話番号もわからないしメールもわからないし

 どうしたのかな、もう誰かと平凡でも幸せになったかと心配していたよ」

「本当なの、本当に心配してくれていたの?」

「そりゃ心配するだろう、誰だって昔の人が不幸になるのを願う奴はいないでしょう」

「〇ちゃんは」

「うん、会社を閉めようと思ってそう動いている、終活だよ、一種の」

「そうね、〇ちゃん幾つになったの」

「女性じゃないけど、年の話はしたくないよ、だけど、計算したらわかるでしょう、

 君とは30年近く逢っていないでしょう、その時から足し算30年だよ」

「良く私ってすぐわかったわね」

「まだ呆けてはいないから、わかるさ」

「結婚はしたの」

「うん 君は」

「私は一人ぼっちです」

「たしか君は俺よりも一回り以上年下だったな、そうすると・・」

「止めてよ 私の年を計算するのは」

「そうだな」

「ねえ、奈良 どう思う」

「どうした 突然に奈良って、君と一度行ったな奈良に」

「実はね、立原正秋って作家知っているでしょう」

「うん、有名な純文学作家だから知っているよ」

「その人の書いた、春の鐘って知っています?」

「映画を見たよ、何度も繰り返して」

「良かったと思いますか」

「良かった、今でも美しい奈良の四季と二人の憧れるような恋愛が
 有名なお寺やお堂を巡りながら 官能的に描かれていた、覚えているよ」

「小手川祐子と北王路欣也だったでしょう、三田佳子も」

「あの春の鐘、の筋書き通りに奈良を散策してみない」

「行きたいね」

「そう、でも暑いでしょうね」

「そうだな、夏は奈良に適しているかどうかわからないが行きたいね、春の鐘」

「メルアド教えて頂戴、旅館とか調べてみるから、こちらから連絡します」

「うん、楽しみだな」

「奥様は大丈夫なの」

「大丈夫じゃないかも知れないな、何といって一週間消えるか、問題だな」

「考えて、私はもう一度〇ちゃんの匂いを嗅ぎたいわ」

「もう爺さまだよ、びっくりするんじゃないか」

「いいわ、それでも」

もう 眠れよ 全てをわすれて

明日になれば 又きっと出会う愛があるさ・・

 
 

三四郎外伝「清水の次郎長」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 7月 5日(木)23時27分41秒
返信・引用 編集済
  私が子供の頃から映画などで馴染があったのは、宮本武蔵でも無く新撰組でも
なかった。

幕末の明治に移行する寸前にあった清水一家の物語に夢を託した、
何の夢か、単なる少年の強いものへの憧れだったが、深く胸に残っている。

人間は死ぬものだと幼心にも感じたのは父の早すぎる死だった、
ぼんやりと死ぬとはどういう事なのか気にかかっていた。

父は「死とは大君に召される栄誉だ」と常々家の中で村の人を集めて話していた、
私は父と村の人々がドブロクを飲みながら戦争の話と命のはかなさを語る声を今でも
覚えている。

母に「母さん、死ぬってどうなったら死ぬの」という意味の解らぬ質問をしたりした、
母は「お前はそんな事を考えなくてもいいの、これから生きる事を考えるのよ」と
諭された。

清水一家の映画を村祭りで母と姉に手を引かれて見に行った、
田圃の中に銀幕を張り、野外で虫の飛び交う中で見た清水一家の映画、
一巻終わるごとに巻き戻して第二巻にかかる、その手間の間、アイスキャンデーを
舐めながら、眠い目をこすりながら見た。

「清水一家は鬼より恐い、大政小政の声がする」

「清水一家の28人衆、吉良の仁吉、後々まで記憶にこびりついていた」

「旅行けば 駿河の道に茶の香り 名所古跡の多いとこ・・」

「♪富士を背にした 東海渡世(くらし)

  清水港は 男で明ける

  向こう行くのは 次郎長どんか

  義理と人情を 道連れに

  今日も前向け 三度笠」

「♪縞の合羽に 桜の吹雪

  男伊達なら 二十と八つ

  惚れて預けた 命じゃないか

  守りぬきたい 夢みこし

  グイとにらんだ 富士の山」

清水の28人衆とは、

大政、小政、大瀬の半五郎(関東綱五郎)森の石松、訪印の大五郎、小松村の七五郎、

桶屋の鬼吉、次郎長の兄弟分の吉良の仁吉。

「石松は宿屋の倅だったらしいが、縁あって清水一家に、

 ♪遠州森町 良い茶の出どこ 娘やりたや お茶詰みに・・」

これが次郎長一家のヒーローとなる、ご存知森の石松。

秋葉の火祭りの増川の仙衛門、都鳥一家と追分の三五郎、などと歯切れのいい名前が続くが、

追分の三五朗は石松の敵討ちで非常にいい役どころだが、
架空の人物らしい、外はは全員実在で後年の写真も残っている

考えてみれば、渡世人が白昼長ドスを差して街道を闊歩するとはまさにアメリカの
西部のガンマンと同じであったろう。

憧れて夢神輿、

幼い頃の憧れと広がる夢、

だが人生には晩年と死というものが必ず待っている、

私達はみんなその「死」を怖れる、なぜ怖れるのだろうかと考えた、、
単純だ、それが未知の世界だからだ、

宗教であの世、極楽、地獄、いろいろ言われる、世界中で宗教は生まれ変わりや
あの世と精神は生きつづけると教える。

あり得ないだろう。

「死」が恐いかと聞かれれば「恐い」と答えるだろう、
未知の世界でもあるし、誰も「死」を経験して戻ってきて、あっちはな、こうなんだよ、
と話してくれる人もいない。

隣のおっさんが、二三ヶ月死んでから、戻ってきて「いやあ、参った参った」と
頭をかいてあの世の話しをするような例はまだ無い。

要するに自分の死は、自分が最初に体験するしか方法が無いから恐いのだ、

ある人は「死が恐いのは、生への未練があるからだ」と説く、

簡単に言えば、「未練」があるから恐いのだ、

未練とは、愛する人との別れ、友人との別れ、慣れ親しんだ生活との別れ、
それを無にするという恐怖が未練であり、恐怖の根本であろう。

この世に未練を残さないなど、普通人には不可能だ、

若い時、40代、50代までは死を直接具体的なものとは考えない、恐らく誰でもそうだ、
不慮の死以外は、死を意識して静かに瞑想するなど俗人にできるわけが無い。

だが、不思議な事に年を取ると、人間は自然に死が日常のどこかに近づいて来るし
考えもしない不可思議なことでは無くなるから不思議だ。

60代になると、ひょっとすると俺は死ぬのかなあ、と一瞬考えが過ぎるときもある、
頭を振り払えば、なーに、まだまだ死ぬものかと元気になる。

ちょうど男性の勃起、朝立ちのようなもので、それがある間は死などは縁遠いものだ、
あくまでも自然死、病死の場合だが、

ところが、私にも覚えがあるが、40代にはまだ朝のギンギンの勃起は日常だった、
外で女に触れられるとジャンプ傘のようにドンと立つ、これがある間は死はまだ遥か
彼方だ、

60代の半ばを超すと立ったり、立たなかったり、ある時は全然駄目だったり、
まず朝の勃起行事が無くなる、70代になると薬の世話にならなければ男では無くなる、

この頃はもう死と隣り合わせだが、まだ人はそれを否定したがる、

80代になると死が恐くなくなるという、既に半分幽界にあり半分現世にある年齢
だからだろうか、ゆらりゆらりと傾きながら、死と現世の間を足が出たり入ったりし始める、

テレビなでで見る映画俳優の名前が浮かんでこなくなるのもこの頃だ、これは死と密接な
関係があると医学者は言う。

解らないが、武さんの映画に「先なし、金なし、恐いものなし」という映画があった、
爺様が大暴れするコミックだが、先なし、金なし、本当に恐いものなしだろう。

こんな夜は、また例のかび臭いスナックへ足を運ぶ、

幽体が泳ぐような集団が集まっている、ここで歌い終わって無事家まで帰れる保証は無い、
そんな御老体がひと時の浮世を忘れる鬼気迫る歌がガラスを揺らす。

ちょうど、ミミズのおっさんに出会った、

「やあ」と言えば「おう」と答える、相変わらずミミズの粉をテーブルに置き、
人生訓を垂れる、

「元気そうですね」「あなた、私が元気そうだと思いますか」「だってそうでしょう、
ここに来ているんだから」「そう思いますか」

「さあ、そこまでは詳しく知りませんが、元気じゃないのですか」

「貴方ともお別れかも知れません」「どっかへ行くのですか」

「行くのです」「どちらへ」

「良く解らないのですが、長のお払いになると思います」

「ふーん、そうですか、いつ頃お帰りですか」

「多分、盆の13日には・・」

「いい話じゃないですね」「いや、本当です」

「いよいよですか」「いよいよです」

「だってミミズを食っているじゃないですか、不老不死の」

「向うへ行ったら、必ず貴方には逢いに戻ってきます」

「別にいいですよ、行ったらそれっきりで」

「そうはいきませんよ、戻りますよ」

「何しに戻るんですか」

「貴方とアタシの仲じゃないですか」

「仲っていっても貴方のお名前も住所もお年も何も知らないのに、どういう仲なんですか」

「ここで、ほら、こうして逢っている仲なんです」

「行ったらそれきりでいいじゃないですか」

「アタシはね、遣り残した事があるのです」

「何ですか」「それは今は言えません」「今は言えないって、長のお払いになるんでしょう」

「それが苦しいところです」

「もう死ぬのなら苦しくも無いでしょう」

「お別れでいいんですか」

「いいに決まってるでしょう、呼んだわけでもないのに、その汚いミミズの瓶を
 テーブルに置かないで、あっちへ行って下さい」

「後悔しますよ」

「阿呆か、盆でもどこでも行きさらせ」

「うらめしいです」

「ミミズに頭を下げろ、一体何匹殺したんだ意味も無くミミズの家庭を壊して」

「悲しいです」

「何が悲しい、あんたはミミズで死ねば本望だろう、死は苦しくはないそうだよ、
 行きなさい、長のお払いに」

清水次郎長の歌を歌おうと思ったら、あのタクシーのおっちゃんが、
縞の合羽に三度笠で私のリクエストした曲を歌いだした、

悪いものを見た、どたどたと舞台を走り回る、ぐっとミラーボールを睨んで首を回して
目を白目にして痙攣をする、この人、長生きするだろうな。

三州吉良の港、仁吉と荒神山、
新妻に三行半、男が立つか立たぬかの境目に仁吉は命を散らした、

森の石松も全身向かい傷で息絶えていたそうだ、

「♪縞の合羽に 桜の吹雪

  男伊達なら 二十と八つ・・」

歌いながら家路につく、人生、店仕舞いの用意、

未練、あるなあ、俗人には断ち切れぬ未練が、

また一つ年を取る、ミミズのおっさんじゃないけど、長のお払い満更当たってないことも
ないような、救われぬ衆生とはこんな私の事だろうか。
 

三四郎外伝「あばれ太鼓」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月30日(土)00時48分12秒
返信・引用 編集済
  博多のお話が出たついでに、

福岡県にはもうひとつ重要な場所があります、
律令時代には豊前の国、その後関が原を生き延び細川氏の管轄になり
近代では一大軍需工業都市として日本の軍部と密接な関係を持っていた、

それが小倉市であり、現在は門司、若松、八幡、などと合併し北九州市となっている、
政令指定都市であり福岡県には博多(福岡市)と北九州市という二大都市が存在している。

小倉は二次大戦時に米軍の重要な標的になっており、原子爆弾は長崎では無く
広島に続く軍事拠点の小倉を狙っていたのだ。たまたま八幡製鉄所の空襲と天候の
影響で視界が悪く、急遽、海軍の拠点である長崎を叩く事に決まったものだ。

このようにしてみると、九州というのは律令時代から平安時代に続いて、
非常に重要な場所であり、京都と密接な繫がりを持っていた事が解る。

京都ー博多(大宰府)-小倉、の線は東国の藤原氏の平泉と合わせて
後白河天皇時代、ちょうど平家の滅亡が近い頃、

京都ー北九州ー平泉という軍事的、文化的な最重要地点であった事がわかる、
平家打倒の旗を上げた源氏の棟梁源義友の平治の乱、その敗戦の遺児であった
頼朝、義経の兄弟とその確執は京都ー九州ー平泉の三角形が重要な意味を持ってくる、

このお話は横道にそれるので、又にしますが、

小倉には有名な「小倉祇園太鼓」というものがあり、あの無法松の舞台になった
場所でもあります。ここでも「祇園」が出てきます。

ちょうどバブルの最盛期、坂本冬実という歌手が猪俣公章の直弟子となります、
そこで出したヒット曲が「あばれ太鼓」です。

私はこの頃、ちょうど30歳を少し過ぎた絶好調の頃であり、
関西の某有力電器メーカーとの直取引ができるようになり、彼らのヒット商品に
使われた電子部品を大阪にL/Cを開き直接買い付けることに成功していた。

カラオケに使う、エコーを響かせる効果のあるICや、当時のラジカセなどに多く使用されたLEDや
小さくても重要なトランジスターを大量に買い付け、香港経由で中国に台湾に
売りさばき、シンガポールからはマレーシア、中近東へ、最後は例のアメリカの会社と
直取引までこぎつけた。

忙しかった、後に体を壊す原因になった暴飲暴食がこの時代の私の日常の生活だった、
成田空港から毎週のように各地へ飛んだ、JAL Cathy(香港) Sinngapore Air(SQ)
Air France, British Air, Royal Air Mrocco, Malta Air, China Air(台湾),
ほぼあらゆる国の飛行機に乗った、ビジネスは活況を呈していた。

アジア各地にアパート、マンションを借り上げ、メイドを常駐させ、車も各地に置いていた、
F君とばったり思わぬ空港の乗りかえでであったり、とにかく忙しかった、

そんな時代に、今は会社をストップさせる決断が迫られようとは思いもしなかった、
国内も大手との取引ができ、F君は「〇君、上場しようじゃないか」などと本気で私に
せっついた。

だが、私は本能的に山高ければ谷深しという格言に気がついていた、当時やはり成功して
高級車に運転手つきで豪遊している好きになれないタイプの男も知っていたが、
彼もいつの間にか消息を絶ち、消えていた、

私はある意味、自分にはケチだった、
秘書から体面があるから海外だけはベンツを購入してくださいと何度も言われた、

ゴルフはステイータスです、是非ゴルフと会員権は手に入れてくださいと相談役からも
ほかの取引先からも社内からも言われた。

だが、私はゴルフは嫌いだと絶対にその方向には進まなかった、得意先の接待はF君やS君に
任せてゴルフのクラブを握ったことも無かった、

私は海外では移動に不便だから日本車の小型を買って置いていただけだった、
決してベンツが欲しいとは思わなかったし興味も無かった。

国内ではある筋から手にいれたBMWと国産車を二台会社の社用車として保有していた、
事実運転は好きで左ハンドルも何の苦労も無かった、だが、運転手を雇って後部座席に
ふんぞり返る趣味は私には無かった。

会社は儲かった、儲けは社員に還元した、自分は綺麗事を言うようだが、貧乏育ちの
癖にそれほど金に執着はしなかった、銀座に飲みに行くくらいで少し配当で溜まった金も
F君にポンと「これ上げるよ」と彼の家の資金にするように手渡した、

もっと若い頃に千雪が誰かの子供を宿し、逃げるように私を見て走り去った東京駅、
その頃は安月給と初ボーナスだったが、「千雪、これ持っていけ」「要らないわ」
「いいから、持っていけ、お前苦労するぞ、これを持っていけ」といって汽車の発車の
ベルの響く中で彼女に押し与えた事もあった、私は常に熱燗屋くらいしか行く余裕が
無かった、長いこと。

あの狂乱のビジネスアップの時にもっとしぶとくお金と財産を残すべきだと思ったが、
叔父に盗られた田舎の土地家屋をケンさんたちに取り戻してもらってからは、家というもの
にあまり欲が無かった、貯金と言う意識もそれほど無かった、

早紀子と知り合い、結婚しようかという頃に、彼女にコンコンと意見された事があった、
「〇ちゃん、貴方って変わり者の中の大の変わり者だわ、どうして裏切られてばかりなのに
 本来自分で囲い込むべきお金を深く考えもしないでポンと人に与えてしまうの、
 相手の人は本当に〇ちゃんに感謝しているとは思えないわ、いいわ、これからは
 私が〇ちゃんのお金の出し入れを管理します、いいわね、これが結婚の条件よ」

そこから私の蓄財が少しずつ出来てきた、だが私は自分でそれを人に与える癖は直らなかった、
いま会社をたたむ時になって、早紀子は「〇ちゃん、会社を終わるならそれでもいいわ、
でも、今貴方は反省すべきよ、人は誰も助けてはくれない、それが〇ちゃんの哲学だった
はずよ、いま貴方がもっと地道に動いてくれていたら、悔しいわ、あのFさんの資産は
遥かに〇ちゃんを上まわっているはずよ、

それもみんな〇ちゃんが考え無しにポンと差し出した苦労の果実じゃなかったの」

「愚痴をいうな、何とかして俺達の生活は維持していこう」

「千雪さんにはどうするの、ねえ、〇ちゃん、馬鹿、馬鹿、〇ちゃんの馬鹿、
 こんな良い会社を・・・」

「そう言われても・・」

「BMWの車だって、鉄さんとか言う人にポンと上げてしまうなんて、
 貴方は禁治産者よ、後見人がいなければ何も出来ない人なんだわ」

「悪かったよ」

「ごめんなさい、女だからつい愚痴っぽくなって、〇ちゃん、私は貴方のそんな
 ところが本当は好きなのよ、いつまでも元気でいてね」

「すまない」

「♪どうせ死ぬときゃ 裸じゃないか

  あれも夢なら これも夢

  愚痴はいうまい 玄海そだち

  男、命を 情けにかけて

  たたく太鼓の 暴れ打ち」

「♪やぐら太鼓の 灯(あかし)が揺れて

  揃い浴衣の 夏がゆく

  ばちのさばきは 人には負けぬ

  なんでさばけぬ 男の心

  小倉名代は 無法松」

九州か。人生劇場、青春の門、

あと何年生きられるか、二年か、五年か、もっとか、
時の流れが速過ぎた、あの田舎の谷から出て来て、母の手紙を読んでは涙の
後を残して眠った、ケンさんが、両親にいくばくかの金を私に託して九段坂を
猛スピードで新宿方面へ、彼の自動拳銃が不発だった、

私は三四郎さんたちとケンさんの遺骸を見て、大声で泣いた、

それも夢、これも夢、

人間ドックでも行って見ようか、早紀子に薦められてそう思った、

私は人間、60の半ばを過ぎたら、もう抵抗力はがた落ちなのを実感している、
それを癌が襲う、悔やんでも仕方が無い、もう一度生まれ変われるならまた同じ
両親から生まれたい、そして貧乏でもいい、また同じ人生を歩いてみたい。

みんな良い人ばかりだった、嫌いな人には最初から近づかないから良い人ばっかりなのは
当たり前だが、

「どうせ死ぬときゃ 裸じゃないか

 あれも夢なら これも夢」

 

三四郎外伝「ダイナマイトが百五十屯」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月27日(水)22時43分54秒
返信・引用 編集済
  小林旭というスターが日活に誕生した、そのきっかけの映画が二本ある、
元々は「夜霧の第二国道」という映画の中でアキラが見せた切れのあるアクションが
大監督枡田利雄監督の目を引いた。

枡田監督は後に東映に移るがこの頃は日活で、裕次郎の「錆びたナイフ」を見事に
歌をなぞって映画化し大ヒットさせた監督だ。

この頃のアキラは裕次郎の何かをなぞっている、役柄もボクサー、ドラマー、バーテンダー、
似ている、だがアキラの持つ演技力はどこか違っていた、

ちょうど昭和33年、34年の頃だ、私はまだまだ映画を理解できる年では無かった、
アキラが裕次郎のタフガイに対抗して日活は新しいスターにと的を絞った、

マイトガイがアキラのニックネームに採用された。

この頃の日活映画に無くてはならない器用な女優が浅丘ルリ子と吉永小百合だった、
あの赤木圭一郎が無事だったらひょっとしたらアキラの誕生は無かったかも知れない
これがいわゆる運というものだろう。

「女を忘れろ」は白黒映画で初めてアキラの歌う独特の声の主題歌が街に流れた、
この映画は後の日活を決めるほどの話題作で、ラストシーンの見事さは観客に小林旭という
新しいスターを強烈に印象づけた。

この映画の中では元ボクサーで今はキャバレーでドラムを叩いているアキラ
彼が掘れる女がお嬢様の浅丘ルリ子、アキラに惚れる南田洋子、そして黒い影のある男と
純真無垢なお嬢様の恋という設定で、例によって金子信雄が裏世界の案内人になる。

ラストシーンは、
雪が降る夜日本を離れる最後の夜、アキラはバンコックへ旅立つ直前、、
最後の夜、雪が吹き付ける公衆電話ボックスからアキラが浅丘に電話をかける。

日活らしいのは、
浅丘ルリ子の実家がアパート建設を巡ってヤクサとのトラブルに巻き込まれるが、
若いアキラには助ける手段が無い、逆にヤクザに徹底的に叩きのめされ階段から転げ落ちる、

そこに金子信雄が登場し、浅丘ルリ子親子のトラブルを解決してやる代わりにある国の
諜報員になれという、実に人を食った日活らしい荒唐無稽なストーリーが展開する、

勿論アキラはそれを飲まざるを得なかった、日本を離れる最後の夜のラストシーンが
上に書いた雪の公衆電話ボックスだ。

電話でルリ子の弾んだ声を聞き涙ぐむアキラ、黙って煙草の火を差し出す金子信雄、

そのシーンに被さるように「女を忘れろ」という主題歌が流れる、

これこそが「南国土佐を後にして」から
渡り鳥、小林旭が大スターになる原点の映画である、ダイス転がせ ドラムを叩け・・

「♪ダイス転がせ ドラムを叩け

  やけにしんみりする夜だ

  忘れろ 忘れろ 鼻で笑ってヨ

  あきらめ切るのが 男だろ

  あとはドラムに 聞いてくれ」

そしてアキラは「ニ連銃の鉄」という映画の中でバーのカウンターで歌う、
「ダイナマイトが百五十屯」というパンチの効いた主題歌をヒットさせ、
「南国土佐」から渡り鳥、流れ者シリーズとして裕次郎との棲み分けを明確にする。

「♪烏の野郎 どいていな

  とんびの間抜けめ 気をつけろ

  しゃくなこの世の カンシャク玉だ

  ダイナマイトがヨ ダイナマイトが百五十屯

  畜生 恋なんて ぶっ飛ばせ」

「♪惚れても無駄さ あきらめな

  どっこい涙は 禁物さ

  胸につかえた カンシャク玉だ

  ダイナマイトがヨ ダイナマイトが百五十屯

  スカッと器用に 吼えてみろ」


この歌は、昇さんが、酔うと歌っていたので覚えている、

「いくぜ兄弟 カンシャク玉だ

 ダイナマイトがヨ ダイナマイトが百五十屯

 カックン ショックだ ダムの月」

「夜霧の第二国道」-「女を忘れろ」-「ニ連銃の鉄」-「南国土佐を後にして」

「ギターを持った渡り鳥」-「海から来た流れ者」

渡り鳥と流れ者ではアキラの得意のコブシのきいた民謡調の歌が夜の酒場に流れた、
私はアキラの存在は物心つくまで知らなかった、

田舎で裕次郎だけがスターだった、「女を忘れろ」「ダイナマイトが百五十屯」の
頃はまだ子供だった、南国土佐も良く覚えていない、

だが私は日活映画が好きだった、ストーリーの軽さ、いい加減さがある意味私には
ストレス解消だった、

会社を閉めるについて、最後まで残って手伝いますと申し出てくれた女性が三人、
男性が二人いた。

閉めると決めたらビジネスの流れは止まる、ガランとした事務所の中に様々な想い出が
飛び回る、あの人、この人、あんな事、こんな事、そしてやっぱり最後は「川は流れる」
を歌って諦めた。

窓から見える、お堀の水は物悲しかった、

「〇ちゃん、やっぱり仕事に未練があるのでしょう」と早紀子が側に来て言った。

「あるさ、あるに決まっている、ここから始まって一生を燃やし尽くした、
 あの市ヶ谷の橋も釣り堀も未練たっぷりだよ」

「この結果で良かったの?」

「いいさ、欲を出したら、下手に頑張ったら破滅する、俺はそれをいろんな経験で
 知っている」

「ここで下手に頑張ったら、大借金で首吊りになっただろうよ、見切る事が出来ない
 人間はいつか運を使い果たしてすっからかん、オケラ街道をとぼとぼ歩く羽目になる」

「運ってあるのかしら」

「あるさ、運が8分に努力が2分だ、その反対は無い、ノーベル賞の学者も発見のきっかけは
 運だ、発明のきっかけはそういう研究環境が自分に来たか、自らアメリカなどへ渡り
 才能に運を乗せたから完成したのだ」

「我武者羅に努力をしても啄木じゃないけど、働けど働けど・・じっと手を見る
 で終わるよ」

「努力って意味ないの?」

「そんな事はないさ、努力しない奴は運を抱きかかえられない、運も逃げていく、
 だけど、肝心なのは運が懐に飛び込んで来たら猛然と努力をしなければ成功なんか
 ゼロから始める人には微笑みもしてくれないよ、運だよ、運」

「これから、どうするの」

「どうせ、無一文から始めた東京生活だ、何とか俺達の老後の生活費くらいは
 あるだろう」

「でも・・・」

「早紀子、バラ色のワインカラーの日々は忘れろ、
 それを吹っ切らないと全てを失って借金で終わるぞ、まだだ、まだだ、
 と頑張るのは、自殺行為だよ。土壇場で頑張って命を繋いだ人は数えるほどだ、
 大概の人間はピークが過ぎたと思った瞬間ブレーキを踏むのが正しいのだ

 早紀子、俺は天才でも何でもないよ、大学も碌に通学できなかった土方の青春から
 社長、物産の相談役、三四郎さん、Dさん、彼らの助けを受けてある所まで駆け上った、

 だが、今回の急角度の売り上げ減は、頑張る問題じゃないよ、経営者ならブレーキを踏み
 借金が無いように見切るのが才覚だと思うよ、ここで止まれない奴はどんな運が来ても
 俺は不幸だったと不平を言うだけの、つまらない奴だよ。

 恋人同士、夫婦でも同じだろう、くっつくのは容易だ、だが別れるのは勇気と強い決意が
 いる、ずるずる引き延ばすのは短い人生では、厳禁だと俺は小さい頃から見切り時を
 知っていた

 貧乏は辛いよ、散々舐めてきたから、君を巻き込んで意地をはって見得で会社を回転させて
 最後は君を崖から突き落とすようなエンデイングだけは避けようと思ったのだ、聞き分けてくれ」

「決めたんだ、口を切ったのだ、閉めると外に向って言った以上
 その道を行く、おさらばだよ、

 未練は山のようにある、だけどサヨナラは人生の柱だ、
 いつかはサヨナラしなきゃいけない、見切り時があるよ、勘弁してくれ早紀子」

「解ったわ、貴方、良くここまで会社を大きく頑張ったわね」

「ありがとう、担保金が返ってきたら、山でも行ってみるか、それとも奈良でも」

「どこでもいいわ、貴方と一緒なら、貴方にありがとう、想い出を沢山くれたわ」

「ダイス転がせ、ドラムをたたけ

 やけにしんみりする夜だ、

 忘れろ 忘れろ・・」

マイトガイの原点、日活のヒーローはこの映画から始まったのだ、

私はお堀の向こうとこっちで人生の坂道を登った、田舎者には過ぎた夢、無我夢中だった、
通り過ぎて行った人、心からありがとうと言おう。

千雪と早紀子、

「俺に惚れるなよ、俺に明日は無いからな」と言いながら、
明日にはちゃんと登場してくる不死身の日活のエースさん、ありがとう俺を勇気づけてくれた。







 

三四郎外伝「ギターを持った渡り鳥」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月23日(土)15時59分18秒
返信・引用
  人間に疲れたら、人は遠くへ行きたいと思ったり、
現実を逃避しようと考える。

賛成だ、脳を休める為にどろどろした現実にしがみ付くよりも荒唐無稽な世界に
自分を置き換える事も必要なストレス社会だ。

うってつけの歌がある。

「♪赤い夕陽よ 燃えおちて

  海を流れて どこへ行く

  ギターかかえて あてもなく

  夜にまぎれて 消えて行く

  俺と似ているよ

  赤い夕陽」

「♪汐の匂いの する町が

  どこも俺には ふるさとさ

  ひとりぼっちの さみしさも

  ギターお前を つま弾けば

  指にからむよ

  汐の匂い」

ストレスを抱える皆さん、出かけましょう、

馬に跨り都心をゆったりと背中にギター、腰にニ丁拳銃、歌をうたいながら
馬に跨ったままで酒場に入りましょう。

頼まれもしないのに、舞台でいきなり歌いましょう、
「自動車ショーカ」「ツーレロ節」警察が来る前に拳銃を二発天井に打ち込み、
馬に乗って立ち去りましょう。

これこそ日活が送り出したストレス解消の社会貢献でした、
波止場と霧笛、流れ者と渡り鳥、明日はどこやら旅の空、

着替えも持たずに、いつもこざっぱりとし、何を生活の糧にしているのか不明だが、
恐らくストレスは無いだろう。

あのスナックの股旅叔父さんといい勝負の現実離れ、これは今の世に必要かもしれない、
一人一頭の馬、車は廃止、馬で通勤する、書類は持たない、背中のギターが俺の友だと
笑いながら拳銃をぶっ放す、

一種のキチガイだが、ストレスは無いだろう。

「♪別れ波止場の 止まり木の

  夢よさよなら 渡り鳥

  俺もあの娘も 若いから

  胸の涙も すぐかわく

  風がそよぐよ

  別れ波止場」

渡り鳥と流れ者の境目は判然としない、どちらもある日連絡船でいきなり訪れる、
歌は上手い、荷物は何も無いのに毎回こざっぱりしたなりで金もふんだんに持っている、

どこの波止場にもどこの街にも可愛い娘が待っている、浅丘ルリ子そっくりの、
そして流れ者は渡り鳥となって突然去っていく、遠くなる連絡船を目にいっぱいの涙を
浮かべて見送る女、何故かアンコ姿だ、昨日はバスガイドだったはずだが、

そんな詮索はしてはいけない、いつ惚れあったのか、どこに寝泊りしているのか、
それも詮索してはいけない。

商店街に馬に乗って入ってくる、馬の背中でギターを爪弾き歌うこともある、
道路交通法など気にしない、警官の姿も見た事も無い。

「赤い夕陽よ 燃え落ちて

 海を流れて どこへゆく・・」

今の殺伐たる世の中、人間関係など日活にかかれば綺麗に治療してくれた、

裕次郎がいて、アキラがいて、赤木圭一郎がいて、吉永小百合がいて、浅丘ルリ子が
揃えば何にも要らない、霧笛がボウーッと鳴ればいい。

決して結ばれる事の無い恋物語、男は必ず1時間半経つと去ってゆく、

「♪逢いはせなんだか 小島のカモメ

  可愛いあの娘の 泣き顔に・・」

朗々と響く歌声を乗せて連絡船が行く、

私も時には人間嫌いが極度に高まる、何の為の人生だと打ち沈む事がある、
だが渡り鳥はまるで人間関係を無視して拳銃をぶっぱなし、歌を歌い、
霧の中でそっとあの娘の肩を抱く「俺に惚れるなよ」「どうして」「明日が無いからさ」

でも翌日にはちゃんと一緒に食事をしている、明日はあるのだと気がつく、

「俺もあの娘も 若いから

 胸の涙も すぐかわく

 風がそよぐよ

 別れ波止場」

そんな事を考えていたら、いきなり現実に引き戻された、

「今月の売り上げが少ないの、このままだと赤字で手持ちの預金がなくなるわ」

早紀子の叫びに我に返る、ここでギターを取り出し拳銃をぶっ放せばすべて解決という
訳にはいかないのが現実だ。

「どうする、この年で銀行借り入れはしたくない、思い切って会社を閉めるか」

「仕方が無いわね、親しいお得意先にどう説明するの」

「ありのままを言うしか無いだろう、無理と強制的な希望は墓穴を掘る、
 見切り千両というだろう、ここが見切り時かもしれない。

 今会社を閉めればどれだけの金が残る?それとも何も残らないか?」

「仕入先に預けてある保証金と担保金は残るわ、今決断すれば」

「どれくらい保証金が入っているんだ、A社とB社に」

「30年以上だから毎月それに積み立てをしているし、相手側も0.5%を乗せてくれて
 いるわ、うちは毎月の仕入れ額の1%を相手側の口座にきちんと送っているから、
 かなり大きいと思います」

「そう、これからの売り上げの見通しはあのインケツ野郎の予定表に引っかかって
 ずいぶん毎月の経費がマイナス負担になったと思う、利益が出ないと会社はあっという間だ、
 見切り時かな」

「私も残念ですが、そう思います」早紀子がきっぱりと言った。

「じゃ、A社とB社に会社の解散の意思を伝えてくる、売り先のDさんのところや他の
 有料会社は他の代理店に肩代わりしてもらうしかない、これも相手のある事だ、
 まず仕入先に俺が今日の午後から話をしてくる」

「銀行は」

「別に何もしないでいい、借りてもいないし、預金があるだけだろう、
 会社清算の直前に銀行口座の解約をしなければならないが、仕入先と売り先の方が
 重大事だ」

私は車庫から馬を出して跨った、それは嘘だが、車で大きい金額のA社にアポを取り、
そちらに向った、決心はすぐ行動に起すべきだ、遅れると事態が変わる恐れが多い。

もう少し、もう少しと頑張るから最後は大変な事になるんだ、私は頑張らない勇気も
必要だと心に言い聞かせて、A社の地下の駐車場に車を入れた。

エレベーターで21階に上がり、担当部長のxx氏と課長の△氏の待つ応接間に向った、

「これは〇社長、お珍しい、ここのところちっともお顔を見せて下さいませんね、
 いかがですかご商売の方は」部長がコーヒーを薦めながら言った。

「実は、今日唐突ですが、長いこと商売をさせて戴きましたが、熟慮の末、
 できるだけ早く弊社を解散したいと思いまして、伺いました」

「熟慮なさったのですか」

「いいえ、実はさっき決心したばかりです」

「軽率で後悔なさいませんか」

「いいえ、一旦口を切ったことは後悔はしません、軽率は時に熟慮に勝るとも考えています」

「一体どうなさったのですか、バッドデビットでも発生しましたか」

「いいえ、それはありません、実は私も年を取りました、めっきり体力が落ちました、
 それに後継者が見当たりません、全部私の徳の無さが原因です」

「後継者ですか」

「本当の話です」

「いつ解散、清算の決意を為さったのですか」

「つい一時間前です」

「それはまた急ですね」

「ええ、私はいつも急を熟慮よりも正しいと考えておりますので、お許し下さい」

「で、いつ頃ご商売をお止めになるつもりですか、来年ですか」

「いえ、今日承諾いただければ、半年後に全面的にストップさせていただきたいのです、
 つきましては、私どもが30年来いや40年過ぎるかも知れませんが、代理店をやらして
 いただきましたが、お客様は優良なところが何社かございます、それらを担当する
 貴社のほかの代理店さんのアレンジをお願いします、当社も引継ぎは今後1年或いは2年
 はさせていただきます、営業も同伴させますので、ご安心下さい」

「2年も、それはどういう意味ですか」

「子会社が5社あります、それに中国に二社現地法人があります、このクローズの許可が
 あんな国ですから嫌がらせを含めて簡単には下りないのです」

「なるほど」

「それで、部長さん、半年後に預託金を返還していただきたいのです、次の代理店が
 決まったらの話ですが」

「〇社長、お宅の取引は大きいので、これは社長にまで上げないと私の一存では
 すぐにはお返事できませんが」

「それでは、x社長にまで話を上げてください、理由は後継者不在です、私は引退を
 決意いたしましたので、お調べくださって結構です、どこからも借り入れはございませんし、
 問題はございません、私の定年退職です、後継者を育てるに失敗しました」

「お宅の件は取締役会の専任事項です、一週間返事をお待ちくださいますか、
 だが、残念ですね、本当に残念です」

「申し訳ありません」

「赤い夕陽よ 燃えおちて

 海を流れて どこへゆく

 ギターかかえて あてもなく

 夜にまぎれて 消えて行く

 俺に似ているよ

 赤い夕陽」

この日に決心してこの日に動いた、それでいいんだ、どうせ人生、
いくら馬鹿頭で熟慮したって碌な考えには到達しない、

それなら見切り千両、早紀子は悔しがるが、
悔やんで先延ばしすると、もっと大きな後悔が襲ってくる、小さな後悔で止める
これも私達アリのような小さな人間の生きる知恵だ、

「汐のにおいの する町が

 どこも俺には ふるさとさ」

また何か考えるか、欲を出したら限りがない、
サヨナラは早い方がいいのだ。
 

三四郎外伝「おさらば東京」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月17日(日)16時56分32秒
返信・引用 編集済
  「運」というもの、
ある人は「運」も実力の内だと言った。

人生には「運」がつきものだ、「運」は自覚し大事にしなければならない、
一生懸命に生きて来て、病に倒れる人もいる、子供に裏切られて淋しい晩年を送る人もいる。

反対にそれほどの努力をしなくても人の引き立てを受けて事業に成功し、
息子に後を継がせて悠々自適の人もいる、

どちらも「運」だ、いや違う俺の血の出るような努力が実を結んだのだと言う人もいる、
そうかも知れない、だが人生には節目がある、危機を乗り越えるのは人知を超えた「運」
という神の領域であると信じれば、人は笑うだろうか。

「嘆くまい 明日を明るく」川は流れるの一節だが、嘆くまいと言いながら
「想い出の橋の袂に 錆び付いた夢の数々、ある人は心冷たく ある人は好きで別れて」
 という正反対の一節もある。

嘆くまいとは、現状を受け止めて明るく笑おう、言うのは簡単だ、
だが思い切れない慙愧の念や、無念の念は誰にも残るものだ、現状を受け止めるしか
方法は無いのは解っている、だから皆、もがいているのだ。

何も考えないなら、ミミズの粉でも飲んで糞煙にまみれて交差点で恍惚とすればいい、
なお人間でいたいと考えるから、老いを悔やみ、家族を悔やみ、あの時にという
サッカーのPK失敗のような無念が残る、「運」だと切り捨てるつもりは無いが、
人生には絶対的に「運」という強い何かが作用している。

何も無くても、才能があり努力があり心が清らかであったら、我が人生に悔い無しといえるだろう
私はそうは思わない「人生に悔い無し」はそれだけの財産や名声を達成しているからだ。

私は俗物中の俗物だ、
悔いが歩いているほど沢山の悔いを背中に背負って老いに鞭打って坂を登っている、
坂の頂上は見えないがもう間もなくという予感はしている、いつ虚空をつかんで非業の最期
を遂げるか、これは悔いではなく、覚悟であろうか。

旅に出たくなる、外国は飽きた、
国内のどこかの島にでも移住しようか、田舎育ちなので田舎に憧れる脱東京思考は無い、
島がいい、南大東島とか、種子島とか、宮古島とか、健康な体を持っていればの話だが。

「♪死ぬほどつらい

  恋にやぶれた この心

  泣き泣き行くんだ ただひとり

  想い出消える ところまで

  あばよ 東京 おさらばだ」

「♪やりきれないよ

  胸にやきつく あの瞳

  この世に生まれて ただ一度

  真実惚れた 夜も夢

  あばよ 東京 おさらばだ」

「♪どうともなれさ

  汽笛ひと声 闇の中

  当てさえ知らない 旅の空

  傷みを風に さらしつつ

  あばよ 東京 おさらばだ」

パソコンには「システムの修復」というものがある、
現状の問題をジャンプして過去の一定の日にちに全てのシステムをバックデイトする
ものだ、例えば、今日を離れて昨年の11月某日にシステムをバックする。

人間にもこれがあれば楽だろうな、病気で倒れたら即座にシステムのバックデイト、
今のことを無かった事にする、私なら、40年くらい前にバックしてそこまでの事
みんな夢として、私は20代の顔と姿で街角に立っている、想像するのは自由だ。

「運」とは過ぎ去った後に気がつく不思議なものだ、
妙に宗教的ないいようになってきたが、宗教とは違う、一人一人に必ず運がある、
私は会社経営をしながらそれを実感してきた。

真面目で律儀で勤勉な社員がいた、口数も少なく悪い事もせぜ、
黙々と仕事に打ち込む姿は今でも覚えている、いつも一番朝早く出社し、一番遅くまで
出かけて帰ってくる、

だが彼には「運」が無いと私は気がついた、悪意は無いのに彼のやる事はマイナスの
結果、彼の歩いた後にはマイナスの負の結果がごみのようにガラガラと残っていく。

何とか彼を面倒見てやりたかった、
だが彼が歩いた後の後始末はいつも大変だった、大人数でゴミ掃除をしなければ
ならない、何一つ黄金を掘り当てることも無く、そこら中の山を滅多やたらに
掘り続ける彼の仕事ぶりは鬼気迫るものさえあった、

予定をきくと、すらすらとあの山には間違い無く黄金があります、その右の山かも
しれませんと私のところで20年近く彼は一日も休まず、何の結果も出さず、
ガラガラとゴミの山を残して去った。

彼の家庭の事情も理解していた、奥さん孝行で家族思い、
唯一の楽しみは休日には子供と奥さんとで一日中ピーチクパーチクと過ごして
また月曜日に同じように働く、給料も上げてやりたかった、ボーナスももっと多く
上げたかった、だがそれを打ち消すように大きなマイナスの報告が外の社員から来る。

麻雀で言えば、誰かのリーチに対して自分は聴牌もしていないのに、
無造作にドラを握ってポンと捨てる、当然リーチの人は「ロン」一発、ドラドラ、裏ドラも
乗って倍満貫、これを常に繰り返す。

つぶらな瞳をしていた男、
だが終いには私は彼に強い憎悪を抱くほどの大穴を空けた、「それは止めろ」と言明した事を
また無造作にやる、結果、大変な額のマイナスを背負い込むのは常に会社であり彼では
無い、とうとう堪忍袋の尾が切れた。

解雇した、一銭も支払わずに蹴りだした、
可哀想な気もした、だが可哀想なのは彼のゴミを背負い込む会社、つまり私の方だ、
現実の金額が消えて行く、こいつは世間で言う「インケツ」「下げマン男」だ。

これが「運」だと思う、少々能力が下でも「運」のある男は偶然飲みにいって
隣に座った人が膨大会社のだれそれ、そこから縁ができて大きな注文に結びついたりした。

結果論だ、人生は、
真面目だが運の無い男と少々不真面目だが妙な運を持っている男、会社に取っては
松下幸之助氏が言ったように「運」のある人物を抜擢すべきという真理が正しくなる。

人の事はいい、
私も寄る年波、もう直ぐ死んだ父の側に行くかも知れない、これは動物の寿命だから仕方が
無いけど仕方が無いですまないのが人間の業だ。

おさらば東京だ、

「♪どうともなれさ

  汽笛ひと声 闇の中

  当てさえ知らない 旅の空

  傷みを風に さらしつつ

  あばよ 東京 おさらばだ」

こんな日にはまたミラーボールが回る場末のスナックへ行き、ミミズのおっさんの
人生訓でもきいてみようか、

軋むドアを押し開けてかび臭い店にのっそり入る、
ミミズ氏はいなかった、顔見知りの年齢不詳のホステスが「らっしゃーい」と
傾いた歩き方で私を迎えてくれる。

「今日は何か心が浮くような話をしてくれないか」

と久しぶりのウイスキーを舐めながら、

「そうね、そういえば、さっちゃんがね、ホラ向うの白い服の子よ」

「うん、どうした?」

「宝くじに当たったのよ」

「へえー、それはめでたい話だ、いくらだ三億か」

「三億当たったら店に来ないわよ」「いくらだ」

「1万円よ」「ああ、そう」

「羨ましいわー」

「お前なあ、もっと自分を大事にしろよ」

「どういう意味?」

「そういう意味だ」

「〇さん、何か歌う」

「何か歌うって、俺いま来たばっかりで酔ってもいないし素面でいきなり
 歌うほど人間が出来ちゃいないからな、聞いているよ皆さんのカナリアの歌を」

カラスのような演劇が始まった、このおっさん、尊敬するなあ、これ一筋で
「あの人、何している人?」

「どれ、あの時代劇の紛争の人?」「うん」「あの人、タクシーの運転手よ、個人の」

「へえー、じゃまだお若いのだろうな」「ううん、確か、今年で80歳とか言っていたわ」

「嘘だろう、80歳であの足捌き、あのだみ声、あの声量、違うだろう」

舞台狭しと踊り歌うおっさんの姿、厚い化粧でグッとミラーボールを睨み、

「雁が鳴いて、南の空へ飛んでいかあ」と見上げる姿の一本刀、

「じゃ、帰るよ」「あら、もう帰るの」「うん、頭が痛い、風邪を引いたかも」

「じゃあねえ」とお化けに見送られて背中におっさんの大声を浴びながら席を立つ、

「行かねばならぬ、行かねばならぬ、止めてくださるな妙心どの・・」と振り絞るような
絶叫が追ってくる、

で、今日は何を言いたかったか、
「嘆くまい 明日を明るく」の方がいい人生訓だ。

 

三四郎外伝「黒い海峡」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月15日(金)21時12分21秒
返信・引用 編集済
  いつだったか、この裕次郎の映画主題歌に対する視聴者のコメントを読んだ、

「この歌は妻が好きな歌だった、今でもこの歌を聴くと妻の事を想い出して
 涙があふれてくる」

こんな書き込みがあった。

私もこの映画は見ている、十朱幸代との共演だったと記憶している、
裕次郎に最も似合う曲調の一つであるのは間違いない、裕次郎の歌声が強い哀愁を
持って私の耳にも残っている。

過ぎた人を想うのは甘く、悲しく、切ないものだ、
私はある女性を時々思い出す、強い恋愛感情でも長い付き合いでもなかったが、
その人を想うとき、ぐっとこみ上げる何かがある。

下世話な話だが、私はその人とはかない時間だった昔、
白い体を抱いた二人の性関係を想い出すのだ、

冒頭の純粋な方の想い出と並列するのは失礼とは思うが、私の「黒い海峡」は
さあーっと吹きぬけた男と女の何の約束も無い、ひと時の関係だった。

「黒い海峡」の映画館は込んでいた、座る場所も無く、立ったままで人の隙間から
この映画を見た、その時、何気なく誘った会社の女性が私の想いでに残っている。

私の気持ちは冒頭の人の書き込みと反対の自身の刹那的な想い出とを重ねている、
私が立ち見をした時に一緒だった女性はDさんの会社の女性だった。

無口で儚げでいつも遠くを見ているような女性だった、嬉しいのか悲しいのか
殆んど感情を表に出さないまま、私の誘いに応じて、性の愉悦だけを高く細い声で
震えた女性だった、いま思えば、その人の苗字さえ定かでは無い。

いつも黒のパンツ姿でハイヒールをはいて早足で歩く彼女に私は何度かDさんの会社に
向う道で一緒になった、私の前をいい姿勢で歩く彼女のお尻の肉感に惹き付けられて
彼女を追い抜くこともせず、ずっと彼女の真後ろを歩いた。

痴漢的な考えが常に私の脳裏にあった、どうしてこの人はいつもパンツ(当時はスラックスと
呼んでいた)姿で通勤していた、足を見せられない理由でもあるのかなあ、と又しても不純
な考えで彼女を観察していた。

週末の新宿だった、私は得意先との話しが長引いて夕方5時過ぎに駅前から会社に電話を
入れた、カナちゃんに「課長に聞いてくれる?今xx社の帰りなんだけど遅くなるから
会社に帰らなくてもいいかって」

「課長は出かけています、係長に聞いたら、別にいいよって、〇君、どこにいるの、
 帰ってくるなら私が待ってますけど・・」と彼女の鼻にかかるような癖のある言葉が
公衆電話に聞こえた、

「ウン、でも今から帰ったら7時過ぎるから、係長がいいっていうなら直帰したいんだけど
 駄目かな、聞いてくれる」

「私が待ってるって言ってるでしょう! 係長も帰るみたい、〇君、直帰するの?」

「出来れば、ちょっと用事もあるし」

私は一人で駅西口から東口の方向に歩いた、歌舞伎町方面の映画館のある場所にきて
ふと映画の看板を見上げた、裕次郎の「黒い海峡」ともう一本別の映画がかかっていた、
何気なく見て通り過ぎようとした時、映画館の前で看板を見上げているあの彼女の
黒いパンツ姿が見えた、一人だった、誰かと待ち合わせかな、それにしてもこの時間に
もう退社してここにいるって変だなと思って、そっと側に立ってみた。

彼女が気がついたようだ「あら、こんなところで」と初めて私を見て笑顔を見せた、
私の事など知らないと思っていたので驚いて彼女を見返した。

「あ、偶然ですね」「うちの会社にいらっしゃったの」「いいえ、別の得意先ですが
 時間が中途半端なので、会社に帰らないってさっき電話したところです」

「そうなんですか」「貴女は、この時間にこんな場所で、何方かと待ち合わせですか」

「いいえ、私も部長(Dさん)のお使いで得意先に書類を届けた帰りです、時間が
 ちょうど退社時間になったので、さっき電話したら直帰していいよって言われました、
 それで・・何となく映画館を見ていたのです」

「裕次郎はお好きですか」

「あまり知りません、普段は洋画の方が好みなので」

「お腹すきませんか」「そういえば、少し」「何か食べませんか一緒でよければ」

「どうしましょう、どうしたら、ええ、食べましょうか」

二人で初めて口をきいて、初めて名前をきいた、二人ではじめて話をした。

口数の少ない娘だった、カナちゃんとは正反対だった、言葉に少し訛りのようなアクセント
があった、北関東の出身だろうなと思った。

彼女の苗字は忘れた、名前はたしか澄子と覚えている。

二人で中華料理を食べた、中華料理と言っても、焼き飯とラーメンだったが、

「どこに住んでいるのですか」「えっ、遠いのです、家賃が高いので」

「遠いって、どちらですか」「言いたくありません」「そ、そうですか」

「ふふふ、面白い方」「僕がですか」「ええ、そうよ」

「どこが面白いのですか」

「うーん、貴方、いつも西口から会社まで朝の通勤時間にD部長を訪ねて来られるでしょう、
 そして、いつも私の後ろから、背中にいつも貴方の視線を感じていました」

背中じゃないだろう、お尻だよって言いたかったが、「ああ、失礼しました」と誤魔化した。

「さっきの映画、見ませんか」「あの裕次郎さんの映画ですか」「ええ」

「どうしようかしら、帰りが遅くなったら」「明日はお休みでしょう」「それはそうですけど」

「じゃ、これから行って、ちょうどあの映画だったら、一本だけ観ませんか、あの映画が
 まだ時間じゃなかったら、止しましょう」

「そうですね」

映画は「黒い海峡」が始まる10分前だった、「入りましょう」彼女がうなずいたのを見て
私が映画の入場券を買った、今に比べればとんでもない安い価格だった。

映画館の中は込んでいた、週末という事もあってみんな立ち見だった。

私は彼女を前に押し出すように人の垣根に押し込んだ、その後ろに私が立った。

憧れの彼女のお尻が私の局部にもろに触れた、彼女は知らん顔をして映画を見ている、
「こいつ、凄い体をしている」と私は妄想で映画はよく頭に入らなかった。

主題歌は覚えている、いい曲だと思った、映画の場面と裕次郎の歌声がかぶさって
これは隠れた裕次郎の名画だと感じた。

「♪海峡の空を 星がひとつ飛んで

  家を出たあの子が はるばる越えた

  汐路の渦に

  紅い花が 紅い花が しずむ」

「♪海峡の秋を ひとり渡るかもめ

  泪ぐむあの子の さみしい顔が

  乱れた文字の

  残し文に 残し文に ダブル」

「♪海峡の月が 俺の眉にかかる

  生きてくれあの子よ 死ぬなと祈る

  連絡船の

  黒い影も 黒い影も ゆれて」

そのまま、彼女の背中を押して、林立するホテル街に歩いた、人波が切れたときを
狙って、彼女を植え込みのある入り口に押した、向きを変えて帰ろうとする彼女の目が
私を見上げる、そのまま手を取って強引に入った、

当時のホテルは、入り口に叔母さんがいて部屋の好みをきく、そして鍵を受け取り
時にはおばさんが案内してくれる、部屋に入ってから、叔母さんがまたお茶を持ってくる、
きまづいひと時だった。

彼女の様子を見ると、じっとテレビに見入っている、怒っているような横顔が白い、

そして私達はそのまま泊まった、彼女の反応は凄かった、最初こそ私をおしのけたが、
風呂上りの浴衣の体は火照っていた、シーツがびしょびしょになった、無駄話は無かった、

その夜だけの関係だった、「中に出さないでね」と一言彼女は私の耳を噛みながら囁いた、

一睡もしないで彼女と交わった、

彼女はその後、しばらくしてDさんの会社を辞めて、田舎に帰った、

一度だけ葉書が届いた、最後に「澄子」と綺麗な女文字で。

今でもこの歌を聴くと思い出す、どうしているだろう、幸せな結婚をしていたらいいが、

時々会社でぼうっとしていると、カナちゃんが

「〇君、この間からちょっと変よ、何か考えているみたい、あの直帰の夜何かあったの?」

女性の勘は鋭いと思った、「何もある訳ないだろう」「そう、それならいいけど」

「黒い海峡」は男と女を結びつける歌だと今でも信じている。
 

三四郎外伝「旅の終りに」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月11日(月)22時13分8秒
返信・引用
  嫌な事件が起こるものだ、
日本は前から単一民族で鍵もかけないで寝るような国だった、

時代が変わって、もう日本は我々の昔の日本では無い、
新幹線の中の惨劇、起こるべくして起こったテロだ、爆弾で無かっただけ
被害は少なかったともいえる、日本は世界の動きに鈍感すぎる国だ。

新幹線の中で暴漢が女性を襲い、殺そうとした時に一人の男性が身を挺して
女性の命と自分の命を交換するようにして亡くなった。

この男性の勇気と義侠心は国家がたたえるべきものだ、誰にでもできるものでは無い。

だが、一つだけ、
武道の名人の言葉だけど、

どれほど武術の達人であろうとも、暴漢が刃物を持っていればほぼ99%の確率で
素手の方が被害を蒙るという言葉だ。

護身術でもいろいろな形を教えてはいるが、それはあくまでも道場の中とか
書物の中での話しであり、通常は暴漢がたとえ果物ナイフ程度の刃物を振り回して
いても、余程特殊訓練を受けたものか、常に刃物や銃弾の下で生き抜いてきた人
以外は普通人が少しくらい腕に覚えがあっても刃物の前には無力だということだ。

刃物を制御するにはこちらが拳銃を所持しているか、同等の刃物を持っていれば
度胸と経験が相手の暴漢を葬り去る可能性は高い、だが素人同士で片方が刃物を
持っていれば、腕に覚えの喧嘩の経験は全く通用しないと諭している。

刃物を振り回す相手をどう制御しようとどう蹴り倒そうと試みても、彼の一振りの
刃物が首をかすればそれで命は無い、組み伏せれば、胸を突き刺される、それで命は無い。

結論として、彼のアドバイスは「相手が刃物を持っている場合はこちらに余程の武器が
無い限り、最も取るべき行動は、暴漢に背を向けて全力で走って逃げる事、これにつきる
そうだ。

あの惨劇は、日本人の心の油断だ、いきなり建物の陰から狙われたわけではない、
新幹線という飛行機に匹敵する密室の中だ、事前のセキュアリテイチェックがまったく
不足であり、各車両に銃を持った警官が乗るほど余裕は無いだろう。

元々新幹線は最もテロリストに狙われやすいテロの標的になると海外では言われていた、
爆弾テロ、化学薬品テロ、銃の乱射、刃物の通り魔、全部可能性が指摘されていた、

今回の女性の助けた男性の勇気と献身は国家でJRで十分に償うべき行為であろう。

話が飛んだが、今日のある夕刊紙に某有名作家の「老人のライセンス」というコラムが
あった、私はひきつけられるようにそれを読んだ。

そのコラムに取り上げられている場末のスナックカラオケがわたしの良く行く店と
全く似ていたからだ、古ぼけた天井にミラーボールがブラ下がっている、

このコラムでは楽隊という感じの三人くらいのバンドマンたち、要するにサンドイッチマン
式の楽隊が入っていると表現しているが、私の良くいく店もある点では同じだ、

楽隊は無い変わりに他は全部同じである、この作家が書いている古ぼけて賞味期限が切れかけて
いる店、これこそが私が良く顔を出すカラオケクラブのエッセンスである。

このコラムは、店の様子を、
奥には客を待ち受ける5人の女性が所在無さ気に座っていると表現しているが、

感じは同じだ、曲は湖畔の宿、水色のワルツが流れていると書かれているが、
わたしの行く店ではもう少し時代が新しいかも知れない、だが基本はずばり作家の
表現どおりであるのに少なからず驚いてコラムを読んだ。

彼の表現している店は元は進駐軍ようのビヤホールとして開店したとしてあるが、
私の行く店はそこまで古くは無い。

コラムの描写はホステスはいずれも高齢でドレスがもこもこしている、それは
彼女達の体形に合わせて作った衣装だからだろうと、老いた店と老いたホステスを
表現している。

私の覗く店は、女性もそこまで高齢では無く、湖畔の宿などはかからない、
このコラムの中には更に、「この間、私の座った席にはABCの三名の女性が坐ったが、
この間10年ぶりのお客さんが来て、同じ女性がいたので感動していました」

という逸話が入っていたが、
ホステスの一人が、「この頃お客さんが減ってね」とため息を漏らしたそうだ、

「それはお客さんがどんどん店を移るからじゃないか」というと、

ホステスが「何しろ、常連さんだったお客さんが毎年死んで行くんです」と言った
それが「お客が減って淋しい」の本当の意味だったと結んである。

以上は月曜日の担当の作家、村松友規氏のショートコラムの抜粋です、だが何か深い
ものを感じて、二度読み直してしまった。

「常連だったお客さんが毎年死んでいくのです、淋しいわ」

この言葉に被さるように表題の「老人のライセンス」というタイトルがいやに重たい。

そういえば、毎晩、都会に住んでいると救急車のサイレンの鳴らない夜は無い、
夏でも冬でも総じて真夜中、朝方にサイレンがけたたましく鳴る。

大病院にいる私の親しくしている先生は、
「毎日沢山の救急車が入ってきます、だけど、〇さん、半分以上の方は
 救急車の中でお亡くなりになっています、運よくここで助かっても、二年、再入院、
 そしてやはり一度倒れられたら人間はどうしても全体のバランスが悪くなります、
 〇さんもどうか転んだり、倒れるようなことの無いように気をつけて下さい」

と先生は快活に笑いながら仰った、

胸にずんと響く、「老人のライセンス」である。

人生という旅もいつかは必ず終わる、死ぬのが恐いというよりも、もっとやりたい
事が心のこりだなあと私は思う、いつかは来る日だろう。

「♪流れ流れて さすらう旅は

  きょうは函館 あしたは釧路

  希望も恋も 忘れた俺の

  肩に冷たい 夜の雨」

「♪春にそむいて 世間にすねて

  ひとり行くのも 男のこころ

  誰にわかって ほしくはないが

  なせかさみしい 秋もある」

「♪旅の終りに みつけた夢は

  北の港の ちいさな酒場

  暗い灯影に 肩よせあって

  歌う故郷の 子守り唄」

今日は雨だった、冷たい雨の中をいつもの川べりまで歩いた、
人っ子一人いなかった、落ち葉が濡れて滑りそうになった。

「老人のライセンス」か・・
 

三四郎外伝「私の彼は左きき」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月10日(日)23時19分34秒
返信・引用
  70年代の初頭に歌謡曲がポップス系に変わり、
その先端を行くのが筒美京平という作曲家であった。

昭和15年くらいのお生れなのでまだお元気だろうと思っているが、
歌謡曲全盛時代にいち早くJ-Pops の幕を開けたのが筒美京平氏であった。

いしだあゆみの歌った大ヒット曲「ブルーライトよこはま」を皮切りに
太田宏美の「木綿のハンカチーフ」、ジュデイオングの「魅せられて」、

さらに尾崎紀世彦の「また逢う日まで」近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」と
常にヒット曲作曲家の上位一位、二位、圏内にいたあまり派手では無い実力派の作曲家である。

私は彼の曲の中では麻丘めぐみの「私の彼は左きき」が好きだった、

ちょうどその頃に私は東京で二度目の青春を貧乏は相変わらずだったが、都会の青春を
味わっていた。

時代がよかったのか、今のように殺伐としてすぐに殺すというような切れた人間が少なく
プロの稼業人と素人、堅気の線引きがはっきりしていた時代だった。

稼業人の中にも多く侠客を自負する人もいた、吉良の仁吉を熱く語る人もいた、
人生劇場が大ヒットし、ヤクザと侠客とは異なる時代だった。

私達は1万円、2万円の給料で一ヶ月を6畳一間の風呂無しアパートで過ごしていた、
噛むと砂がある飯を食い、金が無いからトリスを飲み、二級酒を煽ってそれなりの青春を
過ごしていた、

トルコ風呂が林立し、トルコ嬢の中にも気のいい子も沢山いた、
パチンコ、ブー麻雀、大型の喫茶店、美人喫茶、

喧嘩は駅のホームでしょっちゅう見た、転げまわって殴り合っている側を平気で
通り過ぎていた、今のようにすぐに刃物を奮うような人間は素人の中にはまず見当たらなかった、時代が良かったのだろう、

考えてみれば、ストレスというものをあまり感じなかった、どうにかなるさと、
平気で金が無くても寝転がっていた、アパートの天井の節穴を見つめて吸殻に爪楊子を
さして、苦いタバコを吸い、日清のチキンラーメンにお湯をかけて何日でも過ごした。

そんな時、浅丘めぐみという大分県出身の高校生という感じの娘が器用な手振りで
「私の彼は左きき」という歌をヒットさせていた、

「♪小さく投げキッス するときも するときも

  こちらにおいでと 呼ぶときも 呼ぶときも

  いつでも いつでも 彼は左きき」

「♪あふれる涙を ぬぐうのも ぬぐうのも

  やさしく小指を つなぐのも つなぐのも

  いつでも いつでも 彼は左きき」

「♪別れに片手を 振るときも 振るときも

  横目で時計を みるときも みるときも

  わたしの わたしの 彼は左きき」

社長の呼び出しで車を出すときも Yさんの使いでトルコのおねえさんに
差し入れとタバコを渡すときも 私は小さな幸せをいつも感じていた。

学校に行きたい、だけど社長の倉庫の仕事が無ければ食べて行けない、
母を想い、故郷を想い、私はいつも夢を追っていた。

その頃に私は外国に興味を持ち始めた、最初はトリスの広告のハワイ、
次は隣国の中国、香港、台湾、そしてヨーロッパ、アラビアの国々、

そんな本を本屋で立ち読みをした、買うお金が無いのでいつでも本は立ち読みで済ませた、

アメリカのポピュラーソングも良く聴いた、
ある時、アメリカの歌を聴いていて、「あれっ、俺は英語がわかるんだ」と不思議な気が
した、特別に勉強をした事は無かった、高校時代は母の手伝いと悪がきとの喧嘩ばかり、
英語など勉強した事は無かった。

同じような事に気がついた、私はいつの間にかギターが弾けるようになった、
理由はわからない、ギターでメロデイを頭で追うと指が弦を勘で押さえ音を出せた。

英語の歌詞がわかるようになって、時々アメリカの戦争映画を見に行った、
喋っている事が半分以上、字幕なしで解った、何故だろうと不思議だったが誰にも
言わなかった。

後に、アジアの国々、中国、香港、台湾、シンガポールに度々行くようになって、
いつの間にか、注意していると、広東語や北京語が理解できた、

知識ではなかった、音楽のような感じだった、
いつも私は彼等に話すときには言いたい事の中心の言葉を強く発音する癖ができていた、
そのお陰で後は少々出鱈目でも私の中国語や英語は十分に通じた。

後にアメリカのフイルム会社と取引が始まって、大勢のアメリカ人と接触するように
なった、私の英語は簡単な単語の羅列だったけど、通じた、そして彼らのあくの強い
NYなまりも綺麗な西海岸の発音も聞き分けることができた、

英国の英語が最初は戸惑った、だが聞き取りには何の問題も無かった、
自分には妙な才能があると気がついた、特に中国語が聞き取れてこちらの言い分が
通じたのには驚いた。

結局わからなかったのがヨーロッパの言葉だったが、十分に魅力を感じていた、
ドイツ語には興味は無かったが、スペイン語とフランス語には興味があった、
彼らの言葉を美しいと感じた、結局チャンスが多くなくて、話せるレベルには到達しなかった、

だけど言葉というのは不思議なものだと気がついた、

それと現地の好感度とは必ずしも一致しなかった、後にF君と中国に支店を何箇所か
出したが、引き揚げるときに大変な苦労を経験した。

共産主義の国の官僚制度は腹が立つほど意地悪だった、
地方税、国税、そして商工省(工商局)とそれぞれを渡り歩いて膨大な書類の
提出と訳のわからない税なのか何なのかわからない金や罰金が課せられる。

出店するのは容易だった、だが引き揚げるときは一箇所につき最低で1年、長い時には
理由無く2年の時を無為にただ無為に引っ張られた、こりごりだ。

人の言葉と文化はまずこちらが相手を好きになり、じっと注意を凝らして相手の
言葉を聞くと、何となく解ってくる、その時にはもう話せるようになる。

文法なんか関係ない、言いたい事のエキスを先にポンと出す、それもはっきり大きな声で、
相手は解ってくれる、それでいいのだ、言葉は所詮道具に過ぎない、意思の疎通が
出来ればそれ以上のものは必要ない、

そういう意味ではF君は不器用だった、有り余る知識が邪魔をして正確な文章をまず
頭の中で作り上げてから話し始める、だから相手にはF君が何を言いたいのかさっぱり
解らないのだ、文法が正しく、文章が正しくても要件が通じなくては意味をなさない。

私はその点、耳が発達していた、耳から殆んどを吸収できた、
ある時取引のあるアメリカの大手フイルム会社の連中と車に乗ってどこかに行った
事があった、私が運転していた、後ろの席のアメリカ人が「プルオーバー」とある
道の角を指差した、ハハーン、彼らは車の一時停車をそういうんだなとすぐ気がついた。

ストップじゃないんだ、なるほど、そうして私は沢山の言葉を耳から入れて口から出した、
会話は成立し冗談も言えるようになった。

中国語もみんな耳から入れて口から出した、それでOKだった。

ビジネスは厳しかった、儲かったり大損をしたり、いい人もいた、悪い人もいた、
そんな習慣は社長の下で三四郎さん、Yさん、たちと見よう見真似で彼らのビジネスの
手伝いをしていた事が大いに役に立った。

彼らは物事の尻尾を捉まれるような不注意な発言はしない、こちらが感じ取らなければ
ならなかった、その耳が、注意が私の語学を別の角度で通じる言葉にしてくれた。

「こちらにおいでと 呼ぶときも 呼ぶときも、

 いつでも いつでも 彼は左きき」
 

三四郎外伝「青春の城下町」」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 6月 4日(月)13時49分53秒
返信・引用 編集済
  古い写真を見る時に何を想うのだろうか、
私が全盛期に繰り返しパーテイを開いていた頃、
あの顔、この人、アアこんな人もいた、あんな奴もいた。

総勢50名を超える社員と家族と招待客とでホテルのパーテイルームは
天をも衝く若い社員と会社の勢いに揺れんばかりだった。

私も若い顔で笑っている、
私の秘書も若かった、営業の役員も若かった、みんな過ぎ去った夢だ。

「終わった人」という本がベストセラーになっているそうだ、

定年退職で「終わった人」「会社整理で終わった人」男は人生に夢を求め
夢を手につかむが、その絶頂期は誰にでもある事で終りも誰にでも訪れる、

人に寿命のあるように、会社や事業にも寿命がある、会社員なら定年がある、
そこで大活躍をしていた人も皆な「終わるのだ」

だけど、この終りを自覚できない人がたくさんいる、受け入れられない未練は理解できる、
だが、「終わった」という人生の終活はある種の覚悟が必要だ。

私も俗人だ、
華やかだった絶頂期の写真が出て来てそれをじっと見る時、平静ではいられない、
むくむくと湧きあがるのは「もう一度」という叶わぬ胸のときめきだ。

時計の針が逆回転できないのを知っていながら人間はそう簡単に諦め切れるものでは
無い、夢だった、

秀吉の辞世ではないが「浪花のことも 夢のまた夢」その通りだ。

私も人生を駆け抜けた、テレビでは紀州のドンファンという大金持ちが殺されたという
ニュースが流れている。可哀想だが、あれほど成功を見せびらかせば誰かに狙われる、
彼に罪は無いが、この世の中は金を奪う為なら人も殺す。

幸か不幸か、私には見せびらかすほどの財は無い、一頃のビジネスの絶頂期が誰にもあるように
私にも人生の絶頂期が同じように訪れてただ去っただけだ、手元には見せるほどの何も残っていない。

人生もあと何年しか貯蓄が無い、ましてや紀州のドンファンさんのような巨富は私には
縁がなかった、人並みの苦労と人並みの栄枯盛衰があっただけの平凡な人生だった。

振り返る原点は田舎の父の背中、拾い麦畑、田圃、父の死後の貧困と母のやつれ、
叔父に盗まれた財産を取り戻す為に叔父を殺そうと一念発起して上京した18歳。

連絡船に揺られて着いた初めての大都会が神戸だった、

私のスタート地点はこの神戸だったとはっきり自覚している、その頃に外国船を見て
日本を飛び出して外国で頑張ってみようかと、いつも会社が終わると波止場を歩いて
そんな夢を追っていた、自分を重ねて日活映画の波止場と船とマドロスに自分を重ねていた
そして私は夢の通りに外国に支店をもち、外国人の社員や秘書を持ち飛行機も嫌になるくらいに
頻繁に乗った。

「♪流れる雲よ 城山に

  のぼれば見える 君の家

  灯が窓に ともるまで

  見つめていたっけ 逢いたくて

  ああ 青春の 思い出は

  わが ふるさとの 城下町」

「♪白壁坂道 武家屋敷

  はじめてふれた ほそい指

  ひとつ違いの 君だけど

  矢羽根の袂が 可愛くて

  ああ 青春の 思い出は

  わが ふるさとの 城下町」

「♪どこへも 誰にも 嫁かないと

  誓ってくれた 君だもの

  故郷に 僕が帰る日を

  待っておくれよ 天守閣

  ああ 青春の 思い出は

  わが ふるさとの 城下町」


この頃、急にあと何年生きられるのかなあ、と漠然と考える、

きっかけは渡哲也さんの現在の闘病生活をテレビで見てからだ、

大変だなあ、あの活き活きとした格好いいスターが、ぼろぼろになって

生きている、頑張れと声援を送りたいが、人は誰でもこうなるのだとまた沈黙する。

会社の絶頂期のひと時の栄華も人生の青春に似て甘い想い出から逃避したくなる、

みんな映画と同じようにエンドマークが
出るのだなあ、人にも会社にも、ジ・エンドで主題曲が流れて
場内がぱっと明るくなる、

夢から覚めて人はぞろぞろと帰途につく、どこへ帰ればいいのだ、どこへ行くってどこへ
行けばいいのだ、私は彷徨い人になり今に認知症で徘徊を始めるかも知れない。

それにしても悔しいのは事実だ、人生の光は一瞬だけ、青春の光も一瞬だけ、
私にもあった「青春の城下町」がこのふるさとで。

「♪はじめて触れた 細い指・・初恋か」

私が今できることは早紀子のほつれ毛に白いものを見て、「ごめんね」

千雪の丸い顔にふと皺を見つけて「ごめんね」

三四郎さんの頭髪が薄くなったのを見て「ごめんね」

「ごめんね」人生だ。

F君を連れて私のふるさとに帰った、

千雪が軽自動車で迎えに来ていた、

「〇ちゃん・・」千雪は助手席に座った私の手にそっと手を重ねた、

これも「ごめんね」しか返す言葉は無い。

千雪は運転が上手くなった、かなり飛ばす、

「おいおい、そんなに飛ばすなよ、カーブが多いし対抗車が危ないよ」

「こっちは別にいつもこんな風に運転するのよ、お巡りさんもいないし」

「そういう問題じゃないよ、自分が危険だからもっとゆっくりゆっくり頼むよ」

「軽自動車は長いこと乗っていないので余計に恐いよ」

「大丈夫・・心配性ね〇ちゃん、今日は何を食べたい、いつまでいられるの」

「うん、しばらくいるよ、千雪への罪滅ぼしだから、ここにいるよ」

「罪滅ぼしでいるのなら要らない、ここにいたいから居るって言って、駄目よ
 自分勝手な理屈は」

「解った、ごめんね」またごめんねだ。

運転中千雪の左手はずっと私の手の上に重ねてあった、私はそっと握り返した、

F君が「いいなあ、田舎の空気、お母さんの家、俺が買えばよかったなあ」

「なら、早く言えよ、売るって話はしただろう」

「うん」

「〇ちゃん、ほらこの道よ、お母様の住んでいた家は」

私は窓を開けてじっと道を見つめた、見えてきた、同じ植え木と同じ垣根、
庭に洗濯物が干してあった、誰かが住んでいるのだと知った。

家の前に着いた、「千雪、ちょっと悪いが、停めてくれないか」

私は車を降りて、余分に買ってきた東京のお菓子をひとつ下げて玄関のベルを押した。

子供の声で返事があって、しばらくして奥さんらしい人が玄関の横手の車庫の方から
前掛けで手を拭きながら出てきた。

「どちら様で」と怪訝そうな顔で聞く。

「あの、初めてお眼にかかります、私はこの家を買っていただきました
 〇と申します、懐かしさで立ち寄りましたが、何か家に不都合な点はございますか
 あれが、手入れをして差し上げようと思いまして」

「あ、そうなんですか、この度はご無理を申しまして、この家はとても綺麗に
 手入れがされていました、何も不自由はございません、日当りもよろしいし
 主人もとっても満足しております、どうぞ、良かったらおあがり下さいませんか」

「ご主人は」

「今は仕事にでております」

「そうですか、私はこの先の家に住んでおりますので、ご主人がいらっしゃる時にでも
 もう一度立ち寄らせていただきます、お電話番号、よろしければ教えて下さいませんか」

「あ、ちょっとお待ち下さい」、小走りで家に入って、紙切れに電話番号を書いて
 持って来た、私も千雪の家の電話番号を書いて渡した。

庭の木をしばらくながめて、「この大きな木、なんという木か知りませんが、
生前の父がとっても大事にしておりました、巨木になりましたね」

「素敵な木ですね、主人もいつも見上げています」

「じゃ、通りがかりに寄りましたので、また改めて」

車の中で千雪が、
「〇ちゃん、本当は売りたくなかったのでしょう、うちは知っていますよ、
 〇ちゃんの性格を」

「そうだな、当たりだよ、売りたくはなかったよ、だが空き家で放置は出来ないし
 悩んだよ、売値は土地の整備代にも足りないくらいの金額だったが、それが相場だと
 言われて、手放したよ、母に申し訳ないと思っている」

その夜は三人で久しぶりに飲んで千雪の手作り料理を楽しんだ、

「F君、ここが俺のふるさとだ、青春の城下町だよ、ほれずっと向うに白壁のお城が
 見えるだろう、こんなところにも領主の出城があったんだよ、いい風景だろう」

「いいな、本当に、ふるさとって感じがするよ」

「千雪、体は大丈夫か、どこか悪いところはないか」

「大丈夫よ」

その夜、また私は千雪を抱き寄せ

「ごめんね」と言った。
 

三四郎外伝「北へ帰ろう」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 5月31日(木)18時07分5秒
返信・引用 編集済
  田舎の家が売れた、
母の別宅に建てた100坪ほどの土地に平屋のかなり広い家を建てた、
もう20年近く経つ、その家の手入れが出来ないので手放す事を決めた。

建てる時には随分お金をかけて整地し植樹し母の好きな茶室もしつらえ台所も
近代的なものを建てた、

一枚板の大きな食卓も広い台所にしつらえた、田舎の事だから水洗トイレはタンク式の
ものだが、井戸のポンプを水道にし風呂も大きな湯船と窓を開ければ昔からの川がさらさらと
見える、私も母も気に入った家を建てた。

母が死んで、東京から仕事上の理由で離れられなくなって次第に田舎の母の家は疎遠に
なった、千雪が住む家はそこから少し離れている。

思い切って売りに出した、
大きな建設費と整地の費用がかかったが、売れた価格は1千万ほどだった、
何の足しにもならない田舎の家の末路を見て、はらはらと涙がこぼれた。

私が生まれ育った故郷の一角に作った母の老後の家だったが、母は入居して
わずかの時間でこの世を去った、若いときの苦労がたたったのだろう、みんな私のせいだ。

グーグルの写真で現在の様子はPCで見る事が出来る、あの木、あの竹やぶ、あの川、
あの道、涙が溢れるのは抗する術も無い。

時代なのか、過疎が進む田舎の家は建てた費用の殆どを失ってやっと売れた、
母にすまないという思いがつのり未練たらたら又涙が溢れる。

「♪北へ帰ろう 思い出抱いて

  北へ帰ろう 星降る夜に

  愛しき人よ 別れても

  心はひとつ 離れまい」

「♪北へ帰ろう 思いを残し

  北へ帰ろう 誰にも告げず

  夜露を踏めば ほろほろと

   あふれる涙 とめどなく」


「♪北へ帰ろう 涙を捨てに

  北へ帰ろう 星降る夜に ・・・」


私の場合は北ではなくて南へ帰ろうだが、故郷への思いは北も南も同じだ、
故郷には母の思い出、幼き日々の想い出、今も残る小道、今も流れる裏の川、
さらさらとそよぐ竹林の音、全てが私の心を揺り動かす、

星が綺麗な田舎の道、蛍飛ぶ田舎の道、蛙やカワズの鳴き声、蝉の声、赤とんぼの群れ、

田舎へ捨ててきたものは私の人生だ、
この年まで猛烈に働いて得たものは気だるい疲れと失った純な心と清廉な空気、
人間のはかなさを知らずにか、裏の川は幼い頃と同じように綺麗に澄み切って流れる、

家を売った後、
大きな後悔が私を襲った、だが人は言う「貴方にはもう無理でしょう、田舎の家の
手入れは、空き家になると行政が煩いだけですよ、手放して正解ですよ」と。

すっかり都会の生活に慣れてしまった体には田舎の生活はきっともう耐えられないだろう、
心は残るが、一つまた一つと整理して行かなければ私も永遠ではあり得ない。

仕事に明け暮れていた絶頂期を過ぎ、今気にかかるのは千雪の事、もちろん東京の早紀子の
事、田舎の墓の事、東京でのさまざまな整理、自身の健康、もう昔の私のように阿修羅の
ような八面六臂の活躍などは不可能だ。

「北へ帰ろう 想い出抱いて・・」

いつか母の住んだ家を見に行こう、どんな人が住んでいるのか、

この頃、F君がどんどんと軍国主義化していく、どうした事だろうか、
以前は私が強い右よりの思想を持ち、父の影響で大日本帝国万歳を信じていた、

F君は常識的な人間で、私のように極右に近い考えは持っていなかったが、
この頃は急に私を超える大日本帝国や陸海軍への思慕を語るようになった。

彼の場合は身近に軍人はいなかったはずだ、父上は徴集されて台湾で警察官を
していたと聞いた、まだ彼が生まれていない頃の話だろう。

私の場合は父がかなり年取って復員しその後に生まれたために父の戦争の匂いを
知っている、父はビルマの飛行隊の整備を行い、その後中国にたどり着き当事の
国民党軍に飛行機の整備を頼まれ、終戦が過ぎても国民党軍と共産党軍の両方の
戦闘機の整備を行っていたと聞いた、当時の中国には飛行機も自前で作れずもちろん
整備も出来なかったので、父は重宝がられて日本人という枠を超えて厚遇されたようだ。

父の青春は上海で陸軍大佐の娘であった母に出会い、上海で結婚をした、
その後、満州へ行ったり、また上海に戻ったり、陸軍飛行戦隊の動きに合わせて
大陸を飛び回っていたそうだ。

姉はその頃に生まれて、父は母と姉を残して陸軍の進撃にあわせてビルマまで
行った、その後のインパールの総崩れや英国のスピットファイアーの先進的な
機体に興味を持って大事に捕獲したスピットファイアーを調べたそうだ、

操縦席に自動車のバックミラーのようなものがついており、後方の確認が出来るように
なっていたそうだ、エンジンは到底日本の手に負えるようなレベルではなかったと
日記に書いてあった。

ちょうど三式戦が配備されていたが、オイル漏れがひどく一度飛ぶごとにエンジン周りは
大変な修理が必要で手のかかる戦闘機だったと書いている、

私の場合は四歳まで50歳を過ぎた父の肩車で軍歌を良く聞いた、
飛行機の模型を作ってくれて、こうやって飛行機は飛ぶのだと幼い私に教えてくれた、
父はがちがちの大日本帝国万歳の人間だった、その影響を私が受けたのは至極当然だったが、

F君がなぜ年を取ってから急に右に回帰したのか定かではないが、私よりも熱心に靖国に
足を運び、特に海軍の話を好んでした。

「F君、どっちにしろ、我々は戦争に敗けたのだ、戦争に敗けるという事がどれほど
 大きな国家的犠牲を伴うか、今の日本を見てみろ、植民地だった韓国にまでわが領土
 の竹島を奪われ取り戻す事も出来ない、中国には尖閣をはじめ沖縄から南西諸島を
 いずれは脅かされる、北方領土はもうかえってこない、南樺太も敗戦でも日本のものだが
 返せとも言えない状態だ」

「そうだな・・」

「F君、いま憲法改正をどうこう言っているが、日本は当たり前の事をミスしたのだ、
 ドイツは同じ憲法を押し付けられたがアメリカの意向に沿って憲法改正をし今は
 欧州の中でも強い軍隊を保有している、日本を見てみろ、

 アメリカに何度も憲法改正と再軍備を要求されながらも、頑なに拒み続けた、
 この民族性の違いは残念だよ」

「○君、俺たちはもう日本の国軍を見る事は出来ないかもしれないな、年齢的に、
 どうすればいいのかなあ」

「何も出来ないよ、俺たちが首相でもないし、国会議員でもない、野党の在日に攻め続け
 られる今の総理を見ると情けなさを通り越して、もう考えたくないよ」

ちょうど電話が鳴った、
千雪からだった。

「○ちゃん、逢いたいよ、帰ってこれないの」

「うん、逢いたいよ、帰ろうか、帰るよ」

「いつ?いつ帰ってくれるの」

「今週末でも」

「本当ね」

「うん」

「○君、千雪さんか」

「うん、そうだ」

「帰るのか」

「帰りたいよ、君も一緒に来ないか」

「いいのか」「いいよ、一緒の部屋で寝なければな」

「解ってるよ」

「♪北へ帰ろう 涙を捨てに

  北へ帰ろう 星降る夜に ・・・」

この衝動は何だろう、故郷、父の匂いが残っている、父の着ていた古びた整備下士官の
服が残っている、母の匂いも姉の匂いも、川の水の匂いも残っている、

星がきれいだろうな、もう梅雨に入ったのかなあ、でも洪水に近い川の眺めもいいものだ、

帰ろう、南へ帰ろう。

また電話が鳴った、Nさんだった、

「○ちゃんかい、Sの件でちょいと逢いたいが時間取れるか」

「ああ、Nさん、ちょっと駄目です、田舎へ帰るので」

「そうか、あんた、Wの頭の鉄さんって親しいのか」

「事務所が近くだから若い頃からの付き合いがあるけど、何?」

「俺には目上に当たるけど、シノギは別物だ、うちに手を突っ込んで来たんだ」

「鉄さんがかい」

「いや彼の枝だが」

「それで私にどうしろと」

「鉄さんと親しいのなら間に入ってくれねえか、俺は面識がな」

「私は堅気の会社経営者ですよ、親しかったのは若い頃に社長の関係で
 親しくしてもらっていただけです、利害関係も何もありませんし、無理です」

「冷てえな、俺らの仲じゃねえか」

「よく言うよ、Nさん」

「どういう意味だ」

「Sの金取りに行った日、覚えていますか」

「覚えてるけどそれがどうした」

「忘れたとは思えませんが、後ろからバット、覚えていますか」

「誤解だよ、○ちゃん、俺がそんな事する訳ねえじゃん」

「車の後をつけたでしょう」

「それは知らねえな、誤解だよ、何で三代目の関係の人にそんな」

「三代目は関係ありません、私と貴方の問題ですよ、大体貴方の方のTさんも
 銀座の女の事でSと私を勘違いして呼び出されて脅されましたよ」

「それと俺の事とは関係ねえだろう」

「いずれにしても、田舎に帰るので、時間は取れません、直接Yさんに話してWとの
 話をつけてもらったらどうです」

「いろいろあってな」

「すみません、ちょっと出かけるので」電話を切った。

「○君、誰なんだい」

「いや、勘違い野郎だよ、気にするな」

帰ろう、北へ帰ろう、涙を捨てに・・
 

三四郎外伝「夢は夜ひらく」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 5月24日(木)22時29分46秒
返信・引用 編集済
  昭和40年初頭に流れた園マリの甘い歌声、
みんなが純情だった頃の日本で彼女の甘い声と丸い愛らしい顔は
多くの男性の心を打った。
また「夢」の話をしよう。

と言うのは、私自身が良く悪夢を見て嫌な朝を迎える事が多いから、
「夢」は眠りが浅いから見るといわれるが一部正しいと思う。

眠りが浅いとは、熟睡出来ていない事、つまり体が健康では無い状態だと
言う事だ、眠りは体力であるのも事実、

現に若い人、子供は爆睡する。

体力を支える健康状態がいいからといえる、「夢」は五臓六腑の疲れとも言われる、
それにプラスして物的な体のほかにストレスという精神的な異常がある。

心臓が悪い人は明け方に悪夢を見る、
一つの典型的な例だが、心臓が弱っている、心不全状態にある時には脈拍が定まらない、
心臓のポンプ機能が衰えている為に脈が早くなり心臓を目一杯働かそうとする、そうしないと
体に必要な血液が全部送り出せないからだ。

こんな人は、眠りが浅くなる明け方に心臓の脈拍の不揃いが原因で、怖い夢を見る、

例えば追い詰められる夢、昔の会社の社長や部長に意地悪なパワハラを受ける自分を
見る夢、どこか知っているような知らないような場所で帰り道がどうしても見付からない
、分かれ道がどうしても間違ってしまう夢、どちらも必死になる夢だ。

怖い夢には殺される、或いは殺人事件を真近で見る夢、誰かに殴られて追い詰められ逃げる
夢、果ては本物の幽霊や死んだ人に逢う夢がある。

みんな明け方に見る、睡眠の学術的にはレム睡眠という浅い眠りの時に見る、

だが、夢は明け方だけでは無い、ずっと見ているのだ、
だけど体が健康で精神が安定していれば、前の夢は忘れてしまうだけで夢は
とにかく頭を使う人ほと必ず多く見る。

だが夢には楽しい夢もあれば、艶夢と呼ばれるセックスに関係した夢も見る、
これは比較的体の具合のいい時、ストレスを感じていない時に見る、こんな夢を
見る時には喜ぶべきだ。

怖い夢は、要注意だ。
体の不調以外にも、「予知夢」と呼ばれる、今後実際に起こりうる事を夢で見る
事があるそうだ、これは勘の鋭い心配性な人に多い夢だという。

問題は怖い嫌な夢に注意する事だ、
研究家によると、怖い夢の本質は体の故障以外の原因として、
自分の過去、現在、に嫌いな人はいないだろうか、嫌いの程度が高くなるほど、
夢は怖くなって私達を襲ってくる。

嫌いは過去のある時代に酷い虐めを受けた人がいたとか、家の境界などで揉めてやり場の無いほどに
憎んだ人がいたとか、現在においても、職場以外でもいつも自分が行く食堂やカラオケで逢う嫌な人、
通勤で逢う嫌な人、何かサークルやクラブに所属していてその中に直接口はきかなくても
こいつとは友達になれないと心底思うほど嫌な人間が思い当たれば、

怖い夢の正体はその人であるとほぼ断言できるそうだ、

嫌な人の範囲は、自分の部下の無能力にも向けられる、あいつでは駄目だと日夜
思うことが重なるほど、夢は道に迷い、出られなくなり、断崖絶壁の縁を歩く夢
などになって体を蝕む、

結論から言えば、夢は見ない方がいいのだ、見るなら艶夢、異性との性交、
なら健全な体とストレスを受けない状態にあるといえるそうだ。

ストレスに弱いからだとは、現在では腸が弱い人に多く発生する一種の病だとされている、
腸内環境が悪く便秘、下痢、を繰り返したり、食後の血糖値が異常に高く上がる人は
血管を痛め、それが先に書いた心不全状態になり、またそれがストレスになり脈拍が
早くなる、つまり怖い夢にうなされ、見なければ良かったと朝思うような状態が連続する、

以上は、学者の見解でもあり、私自身の体験でもある、

知らない場所に乗り物に乗って移動する、だけど帰り道が全くわからなくなる、迷い夢、
高い山の側を通り、その山の高さを怖いと感じる夢、これも嫌な人との関係がある。

夢は不思議で恐怖すべきものだ、動物の中で人間だけが自殺という行為をする、
他の動物は自殺という行為は絶対にしない、人間には現実でも夢でも脳が異常に発達
している為に、様々な心配事が夢に形を変える。

大きな家の中にいる夢もある、どういう訳か自分が大きな家を所有している、
部屋数も多い、だが、どこか家に欠陥が見つかる、傾いている、浸水している、
何か汚い部屋がある、これはみんな自分の体を投影しているのだそうだ。

私は今でも園マリの「夢は夜ひらく」と「逢いたくて逢いたくて」が好きだ、

「♪雨が降るから 逢えないの

  来ないあなたは 野暮な人

  ぬれてみたいわ 二人なら

  夢は夜ひらく」

「♪うぶなお前が 可愛いと

  云ったあなたは 憎い人

  いっそ散りたい 夜の花

  夢は夜ひらく」

「♪酔って酔わせた あの夜の

  グラスに落ちた 水色の

  忘れられない あの涙

  夢は夜ひらく」

人間は年を取るものだ、先日津川雅彦氏の顔をテレビで見た、
まだ79歳だ、何と言う老け顔、何と言う変わりよう、

年というものを映画スターや往年の歌手の顔で実感しびっくりする、
あの青春スターがこんな顔に・・

自分の姿を重ねてしまう、どんなに頑張っても老いという人間の最大の刑罰には
誰も逆らえない。

「想い出の橋のたもとに 錆び付いた夢の数々、

 ある人は心冷たく ある人は好きで別れて」

私はいつも思う、
人生の「川は流れる」、行く川の水は絶えずして元の水にあらず、

流れる人生、私は流れて欲しく無いと願っているが、地球が回転している限り時は流れる、
「川は流れる」

虚しい抵抗がまた悪夢になり私を苛む、怖い夢を見た朝は汗びっしょりで思わず声を
上げる事すらある、好きだった人の夢よりも憎んだ人の夢を多く見る。

「夢は夜ひらく」と願うが、じたばたしているうちに「川は流れる」
最後は吹きぬける風に泣いている自分しかいなくなる。

Nさんから電話があった、
「〇ちゃん、あのSの所在がわかったんだって?」

「昨日うちに来ましたよ、すっかり変わって一端の悪になっていました、追い返しましたが」

「その名刺をファックスしてくれねえか」

「ファックスは出来ませんが、読み上げましょう、書いてください」

「わかった、俺の方で奴との話はつける、話がつかなきゃつくようにする、
 ところで奴は一人かい、誰かレツはいるんじゃねえか、一人でできる芝居じゃねえだろう」

「さあ、知りませんけど、私はNさんがレツじゃないかと感じたくらいです」

「冗談いうなよ、奴にはまだ貸しがある、会社を作ったのなら、手形帳くらい持ってる
 だろうよ、四五枚約手を切らせるつもりだ、上手く行けば〇ちゃんには礼をするぜ」

「礼は要りません、NさんはNさんで、私は私で方法を考えますので」

「奴が変わったってどう変わったんだ」

「目つきが違っていました、相当ヤバイ事をくぐった感じです、私の前でドスを出しましたよ」

「ほう、そいつは面白れえ、仕事がやりやすくなるってもんだ」

「追い込んでみる、また連絡する、情報すまなかったな」

「私の件は忘れて下さい、また逢いましょう」

電話は切れた、側で誰かの声が聞こえた、Tだと直感した、鉄さんがどうも彼等との間で
キナ臭いが、知ったことか、

「川は流れる」止めても流れる。


 

三四郎外伝「坊がつる賛歌」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 5月20日(日)17時16分3秒
返信・引用 編集済
  私が35歳の頃、やっと仕事も上向いてきた、
いつも小銭がちゃらちゃらと音を立てていた私のポケット、

この頃にやっとAMEX(エイ・メックス)のゴールドカードを手に入れた、
もちろんF君(藤井君)も一緒に同じカードを手に入れた。

当時、日本ではまだクレジットカードは馴染みが無く、使う人もお店もカードに対しては
無知だった、だが海外ではクレジットカードを持つ事は信用とステイタスのシンボルでも
あり、ちょうど今の日本(東京)と同じ状態が30年前に海外では既に定着していた。

その中でもAMEXは威力があり、Visa,Master,を超えた信用力があった、
東京駅で「出征兵士を送る歌」で一度別れた盟友のF君と私は貧乏な青春時代を置き忘れた
まま、何とか人並みのビジネスマンとして銀行や航空会社から特別な待遇を受けるように
なった、

「F君、お互いに苦労したな、良く俺のようなものについて来てくれた」

「人生、どうなるかは誰にも解らんよ、夢中で走る小学校の100m競争のようなものだ
 何とか遠かった成功者達の靴の先までは来た、これからはどうなるか解らんが、
 ふたりで行けるところまで走ろうよ、これは俺達のの戦争なんだよ」

「そうだな、明日は転げ落ちるかも知れないが、一応、山の中腹には手をかけた、
 頂上を見たいものだな、そういえば君の故郷の九州に綺麗な山があったな、
 休みを取って登ってみようか」

「どこを言っているのだ、霧島か、九重連山か」

「坊がつる湿地だよ、九重連山の盆地だ、俺はミヤマキリシマが一度見たいと
 思っていた、北アルプスは君の案内で麓まではチャレンジした、君の故郷の九州の山、
 俺は全く知らないんだ、連れて行ってくれないか、君はワンダーフォーゲル部にいた
 のだろう、坊がつるに連れて行ってくれ」

「行って見ようか、俺も入り口だけしか行った事は無い、でも日本でも有数の湿地帯だ、
 九州にもこんないいところがあるって君に見せてやりたい、行こうか」

「♪人みな花に 酔うときも

  残雪恋し 山に入り

  涙を流す 山男

  雪解の水に 春を知る」

「ちょうど今が季節だよ、初夏に咲くミヤマキリシマの群生、行こう九重連山へ」

F君の案内で予定を立て、仕事の切り目を作って、二人で夜行寝台に乗り博多まで、
そこからバスで大分県の竹田市にある九重連山登山に挑んだ。

坊がつる、とは法華坊という温泉宿泊施設が湿原の中にある、その「坊」だと思う、
「つる」とは水の流れの事らしい、確か鳴子川という川が坊がつる湿原の中を流れている、
その水を指した名前だとふたりで解釈した。

坊がつる、は四季を通じてキャンプなどのメッカとして賑わっている、標高は1200m
くらいだ、ちょうど上高地よりもちょっと低いくらいだ。

ここの特徴は拾い盆地が湿原になっており物凄い数の花々が季節を追って咲いている、
木製の遊歩道が順路に従って二連に設置してある。

坊がつるから眺めると、四方が高山に囲まれている、主峰の久住山、大船山、平治岳、
などは1700mクラスだ、北アルプスに比べると低い感じだが、美しさは見事だ、息を飲む。

F君と長者原から雨ヶ池、それから坊がつる、法華院温泉と予定を組んだ、

私は山は素人だが、F君は学生時代にワンダーファーゲルクラブにはいっており、本格的
では無いが、山には私よりもずっと馴染んでいる。

夜、坊がつる、から空を仰ぐと一面の星空がものすごく低く近く感じられる、上に何か
描いたものを張りつけたようなくっきりした星空、昼間は花々、明日は平治岳に上り
ミヤマキリシマを見よう。

ふたりは、仕事の事をすっかり頭から抜き去って、二人の学生に戻ったように自然に
没頭した。

「♪ミヤマキリシマ 咲き誇り

  山くれないに 大船の

  峰を仰ぎて 山男

  花の情けを 知るものぞ」

初めて見た、ミヤマキリシマの群生、背の低い、ツツジのような少し大輪の濃いピンクの
花だ、それが絨毯を引いたように山を取り巻いている、見た事も無い花だった、
日本の自然は綺麗だ、

いま外国観光客の増加で自然と遺跡が踏み荒らされているそうだ、
当時はまだ観光客は国内だけで外国人は稀だったが、昨日の報道によると、
京都の嵐山の竹林が韓国の観光客か暴徒かに荒らされて竹の幹にハングルで彫り込みを
されたらしい、竹は修復がきかないので京都市はパニックになっていると知った。

だが、私達が35歳の頃の日本の自然は美しかった、腰を下ろして、初夏の日を浴びて、
遠くに残雪が残る峰を見上げて「F君、家族を大切にしろよ」「君もな〇君」と言い合った、

そのF君は今、老人孤独で単身者になり私のところに居候している、私は彼が側にいてくれる
のは嬉しいが、F君の心の淋しさを思いやると他人事では無い思いだ。

寝ころがって、F君が、
「〇君、中国にもっと支店を出そうか、これからは中国じゃないのか」
と言った。「F君、今日は仕事は忘れる約束だったろう、山を見ろ、空気を吸え、忘れろよ
仕事を」

そう言った、
だが、中国進出はその後の大きな足枷になった、その時はそんな事は知るよしも無かった。

「♪四面山なる 坊がつる

  夏はキャンプの 火を囲み

  夜空を仰ぐ 山男

  無我を悟るは この時ぞ」

ふたりで歌った、

「♪人みな花に 酔うときも

  残雪深き 山に入り

  涙を流す 山男

  雪解の水に 春を知る」

「♪ミヤマキリシマ 咲き誇り

  山くれないに 大船の

  峰を仰ぎて 山男

  花の情けを 知るものぞ」

あれから、20年、30年と時が過ぎた、

F君の境遇も変わった、会社は中国に置いた支店の閉鎖の許可が取れず
ずるずると動きの取れない状況が続いた。

法律が明確で無い、韓国と同じような中国の監督官庁は人の気持ちで物事を決める、
嫌がらせか、何か、さっぱり解らないままずるずると多大な費用ばかりが吸い取られていく、

入るは易く、出るは困難、これが中国の実情だ、

「F君、俺も年だよ、会社も寿命がある、海外も含めてここらが退き時だと思うが」

「そうだな、人生の終点は何時来るか見えないとき、会社にかけて裸一貫で飛び回る
 力はもう俺達には無いな、君の勘が正解だと思うよ」

「そうか、君もそう思うか、人材にも君が去って以降は恵まれなかった、無能力+悪知恵
 の人材ばかり、俺の徳が無いからだろうな、相談役もいない、君も去って会社は
 もう荒らし山の竹林のように踏み荒らされたよ」

それから、本当に時は流れて、私はぼんやりと会社に座っていた、さっきまでいたF君は
どこかへ出かけた。

「お客様です」と新しい受付の女性が私の部屋をノックした。「誰?」
「これがお名刺です」差し出した名刺はあのS君だった、会社の名前は何か違う名称が
書いてある、代表取締役としてある。

「入り口の応接間に通してください、飲み物は入りません」私は女性に言って
応接間に入った。

そこにはあのSがバリッとした背広で足を組んで座っていた。
私が入ると立ち上がって「社長、大変ご無沙汰を致しました、お元気ですか」

「今日のご用件は?」と私が聞くと。

「実は、私も小さな会社を立ち上げました、つきましてはいろいろと社長の
 お力をお借りしたい件もございまして、勇気を出してここにお伺いいたしました」

「まあ、それはいい、ところで、何か用件があるのでしょう、具体的な」

「実は、私の退職金をまだ戴いておりませんので、ご相談に」

「貴方の退職金、妙な事をうかがいますね、退職金を貴方が会社に支払って
 償いをしたいとこういう意味ですか」

「いや、私の勤続年数に準じて計算をしていただきたいと思いまして」

私は右側にあった、大きなクリスタルの灰皿をそっと手前に引き寄せた、

「貴方の退職金は出ません、懲戒解雇ですから、それと会社はまだ貴方に多大な
 金額の請求権を持っています、それを先に話し合いましょうか」

S君の目がグッと細くなった、背広の内ポケットから25cmくらいの白ザやの短刀を
出して応接間のデスクに置いた、

「何のまねだ、君は堅気じゃなかったのか、退職金と会社に迷惑をかけた話し合いに
 刃物を出すとは見下げた奴だ、それでどう解決しようと言うのだ」

「場合によったら・・」

とS君はじっと私を細い目で見つめる。

「場合によれば、どうするんだ」

「これを使います」

「そうか、そんな奴とは話し合いも糞も無い、君はまともな人間じゃなくなったな、
 好きなように踊ってみろ」

「本当に使いますよ」

「やってみろ、お前のドスが届くのが早いか、この灰皿がお前の馬鹿頭を砕くのが早いか
 やってみろ」

S君の指がピクッと動いた、白ザやに手がかかった、その手を叩き潰そうかと見つめていると、

「止めた、止めました、二度とお逢いしません」

「寝言をいうな、会社の損害金をどう支払うんだ、俺のほかにもお前を探している男が
 いる、この名刺の住所を教えたらそいつは喜んですっ飛んで行くだろうよ、
 どうするんだ、止めたじゃないだろう、金を払えと言っているんだ」

「金はありません」

「無ければ借りろ、金融屋は紹介してやる」

「・・・」

「失礼します」S君が白ザやを手にとって懐にしまおうとした、

「待て、それは置いていけ」

「いやできません」

「置いていけと言っているんだ、動かしたらお前の手首を砕く」

「・・・」

「置いていけ」

「これをどうするんですか」

「お前の知ったことか、置いてさっさと出て行け」

何か聞き取れない事を呟いて、S君はダブルの背広のボタンをかけて、ちょこっと
頭を下げて外に出た、

私は社内カメラで彼が会社のドアをあけるのを見届けた、廊下に切り替えて、彼がエレベーター
に乗るのを確認した、ビル入り口のカメラで彼がこのビルを離れて駅の方向に向うのを
確認した、

「しまった、後を誰かにつけさせるべきだったか」私はひとり事を言って、白ザやの短刀を
ハンカチで包んでゴミ袋の底に入れて出した。

F君が帰って来た、「やあ、今日は天気がいいから人が多いね」
「F君、君はJRで帰って来たのか「うん、そうだけど」「知っている人間に会わなかったか」

「いいや」

「じゃ、いい」

「何が」

「何でもない」

人材に恵まれなかったのも我が徳の致すところか、もう引き時だな。
 

三四郎外伝「遠い日々、川は流れた」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 5月10日(木)22時55分17秒
返信・引用 編集済
  私が30歳の頃、車のラジオからひっきりなしに流れた
ヒット曲があった。

川中美幸の歌った「ふたり酒」作曲はここから本当の花を咲かせた
弦哲也氏、この歌で川中は紅白に初出場をした。

19歳で瀕死の輸血を三四郎さんに行ない、私は辛うじて命拾いをした、
大学はゼミの先生の格別なご好意でギリギリの卒業をした、ろくに出席もせず
単位も足りない私の家庭の事情まで考慮してくださって先生は努力してくださった、

その上、当時の花形企業であった商社に大学の先輩が多くいたために私は推薦を受けて
雲の上の日本を代表する繊維系の大商社に入る事が出来た。

神戸に赴任したのが22歳、甲東園の寮住まいだった、
西宮北口から阪急の小豆色の特急に乗り三宮まで毎日通勤をした。

何もかも珍しかった、港町はまるで日活映画の世界のように外国船と潮の香り、
メリケン波止場、その絵のような風景に私は放り込まれた。

生糸の輸出が主な仕事だった、商品相場という異次元の世界に放り込まれて
「一買い、ニ売り(ヤリ)」=押し目買い=の相場の動きも覚えた、私は場立ちに出ている会社の先輩の
活躍を別の商品相場の会社から中継を受けて、その電話内容をそのまま課の中で
鸚鵡返しに伝える単純な仕事を任された。

トウギリと呼ばれる今月から先物と呼ばれる6ヶ月先まで相場は動く、
電話の声が純子だった、「xx5枚買い」彼女が言う、私は「xx5枚買い」と
即座に伝える、

課長がすかさず「5枚売り」と現場に伝える、純子が「〇社5枚売り」と言う、
課長はベテランだった、良く売り買いを同時に入れて相場を揺する事があった、

タイミングを見て、彼は必ず5枚買い、5枚売りと玉を入れ、ちょっと下向きに値が動くと
即座に10枚買いと指示を入れる。5枚買いと5枚売りでチャラだが絶妙なタイミングで
最後の10枚買いを入れる、場は荒れてこの手法を見逃す事が良くあった、凄いと私は
課長の采配を感じていた。

私が同じ事を繰り返す、時々仕手筋と言われる投機会社が「50枚買い」「100枚売り」
と相場を揺さぶる、5枚とは生糸の量的単位だ。

これが午前と午後、「前場と後場」と呼ばれる二度行なわれた、
場立ちは全て手の指で売り買いを丸い輪の中に立って手を上げる、それが生糸相場、
実際の価格になって現物もその値段で売り買いされて丹後などの撚糸工場に行く、

撚糸が織物になり、行き先はアメリカだった、

この当時の大商社は糸編と呼ばれる繊維系が多かった、関西に集中していた、

私は単純な仕事に一生懸命になった、支店長は恐い人だった、課長はインテリだった、
係長は英語、スペイン語が堪能な海外担当の人だった。

神戸支店は総務課、営業課、船積み課、に分かれていた、
言葉は関西弁が標準語とされていた、私の場合は関西圏だったので関西弁に
あまり苦労は無かった。

純子とメリケン波止場と商品相場、神戸は美しい町だった、
宝塚線は美人の多いお金持ちの多いところだった、阪急電車はお洒落な電車だった。

東京に転勤が決まり、純子が始めて新大阪の駅で号泣して新幹線の窓を叩いた、

だが東京での商社生活も長くは続かなかった、
大商社だったので同期会の動きも活発だった、大学ごとの会も多くあった、
当時の会社はそのような集まりや飲み食いに比較的寛容だった、費用を含めて。

東京に転勤になって神戸支店とは違った大きな自社ビルと新しい仕事の化学品の仕事を
覚える為に真剣に勉強した、やっと一人のサラリーマンになった感じがした。

同期会と三田会、私は△君というメインバンクの頭取の息子と喧嘩になった、
やり過ぎたと後悔したが遅かった、彼の喉に長い靴べらをつっこみ、目に火のついた
タバコを突っ込んだ、本来なら懲戒解雇になる大変な事件を起した。

無事ですむ訳も無かった、
柳行李をまとめて涙をぬぐっていた、救ってくれたのが恩人の社長だった、
私はどういう訳か大学でも商社でもこのような人に助けられた、

生糸から化学品、合成樹脂、それから社長の車の運転手、

社長の死、
受け継いだ会社にはプラスとマイナスが同じくらいに埋まっていた、
千雪と知り合い、ふたりで新宿のガード下で鯨の刺身とハイボールを飲むのが
楽しみな頃、仕事も徐々に上に向き、いろんな人も知り合った、

30歳の頃に聞いた、「ふたり酒」、千雪と良く一緒に歌った、

「♪生きてゆくのが つらい日は

  おまえと酒が あればいい

  飲もうよ 俺とふたりきり

  誰に遠慮が いるものか

  惚れたどうしさ おまえとふたり酒」

「♪苦労ばっかり かけるけど

  黙って ついて来てくれた

  心に笑顔 たやさない

  今もおまえは 綺麗だよ

  俺の自慢さ おまえとふたり酒」

私は社長の仕事を通じて 昇さんという人とその上のYさんと
特別親しくして貰っていた、もとはケンさんという私よりも二つ三つ上の
家庭環境の良く似た人からの縁だった、三四郎さんがいてYさんがいた
そして彼等との繋ぎになってくれたのがケンさんだった。

私の姉の元亭主に最後の引導を渡したのもYさん達だった、
詐欺師の叔父の全財産を引き剥がして父の作った田舎の土地や預金を
倍にして取り戻してくれたのもケンさんを派遣したYさんの力だった。

一度、路地裏の飯屋でYさんが窮地に陥った事があった、
ちょっとした揉め事で相手の一人若い男が銃を出して三人がかりで武器の無いYさんを
壁際に追い詰めた事があった、銃は小型のオートマチックだった、後に昇さんから
戦利品として「こりゃ上物だぜ、ベレッタじゃねえか」と聞いた。
結果的にダブルアクションの自動拳銃ベレッタの引き金の引きしろが長かった為に
Yさんと三四郎さんは命拾いしたようだった。

「土下座しろい」「そうすりゃ見逃してやってもいいんだぜ」「看板かけてるなら
 今日限り外せ、そうすりゃ怪我しねえで帰してやってもいいんだぜ」

私はYさんは強い人だがいきなり銃が突きつけられた、確実にやられると思った、
三人はチラッと私を見たが、もっぱらYさんを追い詰めていた。
昇さんはその場にいなかった、「行きがかりだ、弾けよ遠慮はいらねえ」Yさんが
サングラスをカウンターに置いて上着を土間に放り投げた。

「そうかい、どっから弾いてやろうか、その前におめえどこのもんだ、暖簾はどこだ」

「どこだろうとお前ら馬鹿にゃ関係ねえ、弾けよ、御託は聞き飽きた」

若い男、シャツの襟首に刺青の見える男がバシッという音でYさんの太腿を撃った、血が滴り落ちた、
若い男が緊張して引き金の引く速度が早すぎ、銃口が下がり下の位置に着弾したものだが、
Yさんは若い男が緊張して「がく引き」をした、腹に当たるところが太腿の位置に弾丸がそれて
助かったのだ、Yさんはこの男が冷静で無いのを感じ取っていたのなら、

「流石にYだな、落ち着いていたから助かった」後で三四郎さんが誰かに言うのを
聞いた。

「殺れよ、ここだ何処を狙ってやがる」Yさんが胸を叩いた。

「よし、こいつを車に乗せろ」年嵩の男が二人に命じた。

私は裏口からそっと飛び出して全力で走った、三四郎さんか昇さんに知らせなくてはと必死で走った、

三四郎さんに公衆電話から連絡を入れた「〇か、Yが撃たれた?場所は、相手は何人だ」

私が「場所はいつも行く飯屋です、相手は三人です、見たことの無い顔です、
一人が銃を持っています、Yさんが撃たれました」

Yさんが店の隅にずるずると崩れ落ちた、三人は担ぎだそうとしている、
店の親父は逃げた、女将さんは青くなって震えている、

きっかけは些細な事だった、肘が当たったとか肩が触れたとかそんな事で
いきなり拳銃を抜いた、

私は息が切れる思いで店に戻った、Yさんが引きずられて外に出されようとしていた、
三四郎さんが入ってきた、一人だった。

相手の三人は「何だてめえは」と三四郎さんに向き直った、いきなり三四郎さんの
拳が二人を同時に殴り倒した、若い男が銃を三四郎さんに向けて、「撃つぞ」と
銃を三四郎さんの胸に向けて怒鳴った。

三四郎さんは無言でカウンターの奥の包丁を取ってビュッという音で相手の顔めがけて
振りぬいた、三四郎さんが撃たれると私は思った。

怯んだのは相手の方だった、同じように至近距離でも相手が焦って引き金を早く引き過ぎ
銃口がぶれて弾が発射された、三四郎さんの肩の辺りに血が散った、
三四郎さんは一瞬顔をしかめたが相手が焦った為に、包丁が拳銃に勝った、

倒れている二人を猛烈に尖った靴先で蹴って怯んだ若い男の拳銃を取り上げ、カウンターの上を
私の方に滑らせた。

「〇、道具を包んでもってこい」駆けつけた昇さん等に三四郎さんが「こいつらを車で
 連れて行け、俺とYはxx病院へ行く、後から迎えに来い」

私が始めて聞いた拳銃の発射音だった、Yさんの出血がひどく重傷だったが、
命は取りとめた、三四郎さんの傷は肩先を貫通しており致命傷ではなかった。

私は半端者だ、
ここで彼等と命を賭ける度胸も腹も無い、そうかと言ってビジネスに辣腕を奮っている
訳でも無かった、要するに中途半端の人間だ、全てを運に任せて流れていたに過ぎない。

もっと若い時分にYさんと三四郎さんのふたりが路地奥で抜き身で誰かと斬りあって
いるのは二三度見ている、Yさんの拳銃も見ている、だが実際に銃で撃たれるのを見たのは
初めてだった。

刃物も恐いが、銃器は銃器の恐さがある、刃物よりは噴出すような出血が酷い、
もし動脈を貫いたら、命は無い、当たる場所は急所だけが危ないとは限らない。

その日から私は用心深くなった、
いつも危険を用心するようになった、それが後にビジネスの世界でも役に立ったし、
初対面の人間から危険を感じ取る事ができるようになった。

私自身は修羅場に飛び込むほどの度胸は持っていなかったが、一目見て、この相手は
危険だとかこの道は危ないというような本能的な用心深さが備わってきた、

この世の中、稼業人で無くても変な人間は山ほどいる、
喧嘩が好きでだれかれ無く暴力をふるう人間もいる、ちょっとした言葉の行き違いが
命に関るのは堅気であろうが稼業人であろうが変わりは無かった。

三四郎さんとYさんは、それからその相手の本部組織と正面から戦争になった、
当時はまだ現在ほど警察の取り締まりと刑罰が強く無かった時代だった。

双方に相当な逮捕者を出して警察の力で抑え込まれた、後に関西の有力者の仲介で
相手側が全面降伏の状態でトップに引退を迫り彼等の組織の半数を分離させた
、勢力範囲は逆転した。

あの時の喧嘩に後の戦争の下地があったのか、偶然だったのか、私には解らない、
昇さんの話しによるとこれまで彼等と込み合った事は無い、全くの偶然だったそうだ。

それにしても、銃を持つ相手に狭い店の中で、たった一人でノソッと店に入ってきた
三四郎さんの糞度胸には肝をつぶした、彼は何も道具は持っていなかった。

千雪は変らずに丸い顔で私について来てくれた、本当は会社の手伝いをしてもらいたかったが、
彼女にはその方の能力は無かった、代わりに早紀子が私の右腕になった。

これも偶然な成り行きだったが、偶然が千雪の運命を変えてしまった、
私の打算が働いたと今は懺悔の気持ちで一杯だ。

「♪雪がとければ 花も咲く

  おまえにゃ きっとしあわせを

  おいでよ もっと俺のそば

  つらい涙に くじけずに

  春の来るのを おまえとふたり酒」

人生振り返れば、何という速さで過ぎて行くものか、
あれもこれも中途半端、そして私は小さな会社でもがき続けて川は流れた。

それから暫くして法律が変わり、凶器準備集合罪から銃刀法へと彼等の武器は暗殺に
のみ使われる隠れた道具になった、Yさんのように常に大型拳銃を肩からホルスターに
吊るしてのし歩く時代は過ぎようとしていた、代わりに暴走族上がりの独自の勢力が
法の網を逃れて暴れ始めた、

バブルの真っ最中、勢力争いは縄張りから地上げ、立ち退き整理、倒産整理と経済関係に
重点が移った、暴対法が施行され繁華街の上がりや女のビジネスも厳しくなった、

私の会社はそのような事に関係なく、上がったと思えば下がり、信用したと思えば
裏切られ、一進一退を繰り返した、32歳、やっと固い背広から柔かい背広を着た、

車も用心の為にBMを買った、勿論月賦だ、左ハンドルは社長の運転手時代から慣れていた、
この頃、海外への進出がトレンドになり、香港、シンガポール、中国へ支店を置いた、
後に中国の支店がトラブルの種になっていった。

錆び付いた夢の数々、
川は流れる、

千雪と会うときにはいつも私は若い心に戻った、遅れて来た青春ドラマのように、
涙の頬をぬぐってやった、「捨てないでね」と千雪はちょっと古い表現で私の耳を噛んだ。

いま私はこの年になっても市ヶ谷橋を良く訪れる、この橋の下には青春の夢と錆び付いて
実現できなかった若かった夢が一杯絡まっている。

こうすれば良かった、ああすれば良かった、誰もが思う青春への甘い後悔だけが淀んでいる、、
夢中だった日々、錆び付いた夢の数々、年取った私に涙を流させる、

世の中は100歳時代と言うが、それも私には夢だ、釣り堀は今でも健在だ、
このお堀の橋桁には私と千雪とケンさん昇さん、そしてカナちゃん、通り過ぎる顔の懐かしさ、
美しく老いる、そんな詐欺的な広告に腹が立つ、

19歳の頃から千雪が粗末な身なりで駅から駆けて来たこの市ヶ谷橋、
「あれ持って来たか?」私が聞く、いつも真っ赤になって「忘れたよ、〇ちゃん怒らないで」
「この前買ってやったあれ気に入らないのか」「〇ちゃん、どこかに落としたのよ、怒らないで」

千雪は頼り無い女だった、馬鹿だった、だから私は余計に千雪が可愛かった、実の妹のように、
また橋の下を覗き込んだ、川は流れた。

 

三四郎外伝「歩」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 5月 3日(木)00時00分46秒
返信・引用
  男は孤独で辛い生き物だ、

荒ぶれ渡世に生きるも、私のような中小企業の貧乏親父で生きるも、
それは男で無くては解らないストレスと戦いが一生ついて回る。

孤独死が盛んに叫ばれているが、男というものは連れ合いを亡くすと
後を追うように孤独死する弱い生き物だ、弱い生き物が強ぶって突っ張って
生きなければ男の生活は成り立たない仕組みがある。

弱くても強く見せる、その内本当に強くなる、

何で穏やかに生きられないのか、
それは男と生まれたからだ、これしか生きる道は無い、サラリーマンであろうと
経営者であろうと、稼業人であろうと、根っ子はみな同じだ。

法律の枠の中で生きようと自制するか、飛び出すかの違いしか無い、本質はみんな男だ、

昭和50年の初めごろ、北島三郎さんの「歩」という曲が出た、
それほど注目を集めた曲ではなかったが、じわじわとこの歌は男の世界に浸透し
隠れた名曲、応援歌として未だに根強い人気の歌だ。

私が神戸から東京本社に転属になった頃、この歌が愛好家の間で良く歌われていた、
私が25くらいの時だった、それからずっとこの歌は知っていたが密かに車の中で
歌う以外におおぴらに歌った事は無かった、

言って見れば「恋のしずく」と「坊がつる賛歌」との間に「歩」という曲が出たり
入ったりしていた、私はまだ何の方向性も見いだせない東京のどん底にいた。

それから社長の事件があって、私は本当に曲りなりにも小企業の代表者となった、
時は過ぎて私が30歳を超えようとする頃、

ある宴会があって、
私とF君と技術のxx氏ともう一人営業の人間を連れてある会社の創立パーテイに
出た、会は盛り上がり酒が薦められ、それから二次会、三次会とその会社の営業トップに
連れまわされ、最後は酔った得意先の取締役の一声で我々も始めて銀座のクラブに
連れて行かれた。

煌びやかなクラブに目をぱちくりさせていた、そこには当然ながらいろんなお客さんが
飲んでいた、偉い社長さんや、芸能人、それにやはりそういう世界の人と一目で私が
感じ取った、そんな人たちの塊りも目の端にあった、

F君たちは、そんな観察はしないでもう酔って浮かれて大騒ぎをしていた、

そんな中、ピアノの演奏でそれと思しき人たちの一人がタバコを加え、グラスを手に持った
ままピアノに寄りかかるようにして女の子の肩を抱き、歌い始めた、

「兄弟仁義」だった、歌は抜群に上手かった、

F君たちが立ち上がり大拍手を送った、私は「よせ、F君」とたしなめた、
私達を連れて行ってくれた取締役もはしゃいで「上手いぞー、大統領」と声援を
送っていた、

男がチラッと我々の方を見た、そのまま女の子の肩を抱えて向うの席に帰って行った、
ここで例のxx氏、あのW組に熱心にアプローチしていた人物で一番年嵩だった男だ、
彼がよろよろとピアノの横に進んだ、慌てて私達の席の女の子が追いかけて酔ってふら付く
xx氏を支えながら曲を聞いていた、

彼が歌ったのが「神奈川水滸伝」という歌だった、

私は「馬鹿が・・」と呟いた、

案の定、さっきの「兄弟仁義」の席から声がかかり拍手が沸いた、
それにxx氏は手を振って答えた。

席に戻ったxx氏に「xxさん、あまりそういう歌は歌わない方がいいですよ」
と注意したが、彼は不機嫌そうにタバコを吹かして女の子とじゃれついていた。

心配したとおりに、向うの席からボトルが一本届けられた、
「あちらのお客様からの贈り物です」と女性が持って来た、喜んだxx氏が立ち上がって
手を振った、「馬鹿だなこいつは」私は年下なので遠慮していたがxx氏も接待してくれる
取締役もすっかり上機嫌でそのボトルに手をつけた。

私の想像どおりに、向うの席から二人がグラスとタバコを手に持ってふらふらと私達
の席にやって来た、「さっきの歌、うまいじゃないですか」彼等の一人がxx氏を褒めた。

その内、二人は私達の席に割り込んで座った。

私は「F君、お先に失礼しようか」と促した、チラッとそれを見た二人は「何もあたし等が
来たから帰らなくてもいいでしょう」と冗談のように笑った、私はこいつ等は本職だと
確信した、

「すみません、私はあんまり飲めないものですから、それにこの友人が飲みすぎて
 いますので送っていこうと思います、本当に失礼ですが、お許しください」

「〇社長、いいじゃないですか、一緒に盛り上がりましょう」とxx氏がまた一つ馬鹿に
なった。

「帰るなら帰るで、アタシ等の席までちょいと挨拶をしてからお引取り願いませんか」
とやんわり絡んで来た。

「私は堅気なもので何にも知りませんので、礼儀の点はお許しください、
 いずれにしてもさっきからもう帰らなくてはと思っていましたので、ここで失礼を」

「ほう、それじゃ、何ですか、アタシ等とは友達になれないと・・こう仰る訳ですな」

「そんな事は言っておりません、この友人が飲みすぎて吐いたりすると失礼になりますので
 彼を連れて帰ります、友達になるとかならないとか、そんな理由ではありませんので」

「この席は何方の席ですか、あんたですか、それとも誰の席ですか」一人が聞いた。

取締役が「この席は私がこの方々を接待でお連れしたものです」

「さいですか、先ほどアタシ等から酒を贈りましたが、それは飲んでもらえましたか」

ボトルは1/3空いていた。

「はあ、どうもありがとうございました」と取締役が、

「ちょいと筋が通らねえのじゃござんせんか、え、あんた等」

皆が凍りついた。女性たちも顔を見合わせて黙ってしまった。

その内彼等二人はネクタイを緩めて、新しいタバコをくわえた、女性が火をつける、

取締役がぺこぺこ謝っている、

私が座りなおして「気分を害して申し訳ありませんね、私等は堅気のもので筋道を
         違えることもあります、大目に見てお許しくださいませんか」と言った。

彼等の一人が「堅気、堅気ってうるせえんだよ、何か?それじゃ俺等は堅気じゃねえと
       こう言ってるんだな、じゃ俺等は何何だ、オウ、性根を据えて返事をしろい」

私が「何もそこまでの事は言っていません、筋が通るとか通らぬとかおっしゃったので
   その辺りの筋道前後を間違えましたら許して下さいとそう言っただけです」

取締役の耳元に口をつけて「取締役、困った事になりましたね、すぐに同じボトルを二本
向うの席にそっと届けさせてください、代金はうちが半分負担します、すぐに女性にそう
言って下さい、それ以上、もめるなら警察を、名刺は出さないようにいいですか」

取締役はその通りに動いた、向うの席からもう一人こちらに来て、先の二人に、
「カシラが呼んでなさる」そう言って二人を向うに連れ戻した。

取締役は真っ青になっている、xx氏も肝心な時にはしおれた菜っ葉のように黙っている、

帰り道で、「xxさん、向うの席の兄弟仁義に関るからこうなってのですよ、相手をちゃんと
見極めて歌を歌うとか、ボトルを貰ったらすぐに倍返しをしておくとか、貴方はそちらの方は
詳しいのじゃなかったのですか、もう今後は馬鹿はしない事です、いいですか」

xx氏は憮然としている、F君はまだ全部が飲み込めないようだった、

私は明日、取締役の会社に出向いてお詫びとお礼をするつもりでいた。

いろんな人との軋轢の中、この世の中は悪が8割、善が2割と割り切って、男に生まれた
以上は通っていかなければならない道が何本もある、

私は今でも「歩」という歌を応援歌の一つとして心の中でいつも歌っている。

「♪肩で風切る 王将よりも

  俺は持ちたい 歩のこころ

  勝った負けたと 騒いじゃいるが

  歩のない将棋は 負け将棋

  世間歩がなきゃ なりたたぬ」

「♪あの娘いい子だ 離れもせずに

  俺を信じて ついてくる

  みてろ 待ってろ このまますまぬ

  歩には歩なりの 意地がある

  いつかト金で 大暴れ」

会社はよちよち歩きで儲かったりトントンだったりわたしは毎日夜9時過ぎまで
事務所に残って仕事をした。

そうするうちに物産の課長代理に可愛がられ、Dさんに気に入られ、
三四郎さんやYさんWさん、そのつながりの昇さん、鉄さん等に囲まれて、
少しずつ陽がさしてきた、

根性入れてやるんだ、倒れるまで、

「♪前に出るより 能なし野郎

  吹けば一番 飛ぶだろう

  だけど勝負は 一対一よ

  王将だろうと 何だろうと

  後にやひかない 俺のみち」

早紀子が入り、千雪にもお金を援助する事ができるようになった、

いろんな別れや出会いがストレスを溜め込んで私を襲い続けた、

前に出るより 能なし野郎、これでいいんだ。

そうして私は35歳から40歳へとボロを脱いで錦を手にいれ身に着けた、

「俺等はな、〇君、ボロは着てても 心は錦っていう訳にはいかねえんだ」

あの男は人生の大切な事を教えてくれた。

 

三四郎外伝「望郷酒場」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 4月30日(月)20時59分26秒
返信・引用 編集済
  東北出身の歌手、千昌夫の逸話は多い、
不動産王と呼ばれハワイまでの有力物件の殆んどを手に入れ、
日本でもあらゆる不動産を所有した。

だがバブルが弾けて千は一日の負債利子だけで5千万円と自嘲気味に語った事もあった、
高校から左官屋、そして演歌歌手、「星影のワルツ」が千をスターに押し上げアジアでも
この唄は良く歌われた。

そして「北国の春」がミリオンヒットとなる波乱万丈な人生があの朴訥な顔とあいまって
やはり東北人の特徴の大らかさが感じられる。

私は千の唄の中でも取り分け「望郷酒場」が好きだ、

南と北と出身は違うが、同じ田舎を持つ身にはジンと沁みる歌である。

「♪おやじみたいなヨー 酒呑みなどに

  ならぬつもりが なっていた

  酔えば恋しい 牛追い唄が

  口に出るのさ こんな夜は ハーヤイ」

「田舎なれどもサー 南部の国はヨー・・・」

「♪風にちぎれてヨー のれんの裾を

  汽車がひと泣き 北へ行く

  呼べばせつない あの娘の顔が

  酒の向うに 揺れるのさ ハーヤイ」

人生は多くの起伏がある、年を取るほど故里は遠くなる、
いろんな人と逢い、いろんな社員を抱えたが、ホゾを噛むような苦い思い出の方が
喜びよりはずっと多い。

苦い、苦い、あの人の思い出、この人の思い出、
世の中、心からの感謝で思い出す人の数よりも、むしろ憎しみに近い悪さをされた人や
無能力で会社に大損害を与えて去った人の数の方が数倍、いや数十倍多い。

どれほど良い人に出会う事かは人生で最も難しいが、運命でもあろう、砂の中の宝石に逢う
確率は人生を苦く苦くする、振り返れば私もどれほどの砂を噛んだ事だろうか。

そんな時、

「汽車がひと泣き 北へ行く、

 呼べば切ない あの娘の顔が

 酒の向うに 揺れるのさ ハーヤイ」

あの娘の顔とは故里の顔でもあり、母の顔でもあった。
私は忘れる為に酒を煽り、汽車の汽笛を聞くと、苦い砂さえ泪と一緒に吐き出したものだ。

人を愛せよという人もいる、嘘だ。

この世には自分にとって干天の慈雨のような人との出会いがある、少ないがそれは間違いない、
だけど揉み手で近づいてくる影日向のある悪人との出会いは日常的に発生した、

会社を立ち上げ、人を雇う、裏切られる、後ろから会社に矢を射掛ける、そんな人には
五万と逢った、私のような小さな会社を見事に食い物にした日本人、中国人全部砂粒の
ような生まれ着いての悪人だと私は結論付けた。

性悪説を私は支持する、その荒波を生き抜く事って一体何名の人間が何人の男が
成し遂げられるだろうか、よほどの幸運人かスーパー才能の人間しか最後に「いい人生だった」
と振り返られる人は少ないと思う。

東京などには良くある江戸時代から続いている老舗、その強固なブランドと固定客の
上にどっしりと構えた商店や会社の御曹司ならあり得るだろう。

私などの人間がゼロからスタートして何かをつかむのは難しい、だが掴んでもそれを
背後から掠め取られる繰り返し、多くの人々が経験しているだろう。

人は信ずべし、信ずるべからず、

そんな事を考えているときにF君(藤井君)が「〇君、いいかい」と言って
事務所に来た、あれから彼はずっと私の家に居候している。

「おう、いいよ、どうした、今日はどこか出かけたのか」

「うん、東京の盛り場をうろついてきた、若い日を思い出したよ」

「そうか、夜でも飯を食おう、君は田舎に未練は無いのか」

「あるよ、生まれた土地は忘れられるものでは無いよ、でももう捨てた、〇君は?」

「俺は、田舎は捨てきれないでいる、そこら中の山や川に父母の思い出が詰まっているから、
 でも、もう田舎では生活は無理だな、たまに帰ってもすっかり異邦人だよ」

「コーヒー、勝手にいれるよ、君も飲むか」「ああ、貰おう、今日は連休で会社には
 誰もいない、僕等二人だけだよ」

「ちょっと、話せるか」「何?」

「いや、世間離れしたまた先の戦争の話だけど、邪魔か?」

「いいよ、戦争の何の話だ」

「いや、米軍って強かったなとつくづく思う、日本軍も強かったが、その強さが違ったな」

「それは同感だよ、最後の勝負は陸兵同士だ、日本は主にガダルカナル以降は海兵隊と
 ぶっつかったが、ドイツは米陸軍とぶっつかった、米軍の将校というのは優秀だと
 思うよ、君はどう思う?」

「F君、議論の為の議論じゃないがね、まず米軍の陸兵の装備をしっかり見たか、あの当時の」

「見ているつもりだが」

「日本軍の兵士は、単発銃に銃剣だけだ、小隊規模で迫撃砲も殆んど持っていない、
 後方の重火器、先等の軽火器、の威力が段違いだ」

「F君、米陸兵の戦闘服装と装備をしっかり見たか、二次大戦時の米兵は短機銃を標準装備、
 連射長距離射程のライフルも標準装備、日本兵は単発銃と小隊の何名かが単発の手榴弾
 を保有していたな、だが米兵は平均一人四発の手榴弾を胸、腰に装着していた、

 銃剣は射撃の邪魔になるので彼等は足の脛に鞘に納めてブーツと一体化していた、

 更に、下士官、少尉、中尉、大尉が非常に良く訓練されていた、常にモルヒネや抗生物質の
 粉や血止めなどの応急装備も衛生兵以外でも保有していた、

 彼等の戦闘を記録映画で見てみろ、必ず先頭を切って突撃して行くのは将校だ、物凄い
 十字砲火の中でも率先して先頭をきって部下の前を進む、これは中々まねができないよ」

「十分な糧食、弾丸、エアーカバー、艦砲射撃の援護の下、彼等はこのように突撃していた、
 海兵だけじゃない、陸軍も同じだ、その点、ドイツはともかく日本軍はまず飢えて戦争
 どころじゃなかった、勇敢さは同じだと思うが」

「やっぱり君もそこを見ていたか」

「F君、俺は今日日記を書いていた、戦争のことじゃないよ、
 人生の成功、失敗は殆んどどんな人と出会うかで決まる、つくづくそう思って書いていた」

「力の限り戦ったと君は思っているか、〇君」

「人のせいにするつもりは無いが、俺等のような中小企業は人に恵まれるかどうかで
 半分以上が決まる、君が去った後、会社はガタガタになったよ、裏切り、背任、
 まさかと思う奴に次々に後ろから鉄砲を撃たれたよ」

「・・・」

「でもな、人生、これが精一杯だよ、これ以上の悪が襲ってこなかったことに感謝すべき
 だろうな、俺等の中小企業はこれが精一杯だよ、優良な人材は世の中の1割だ、それが
 俺達の会社に来てくれると期待する方が無理だ、この会社はこれが精一杯だ、苦々しい
 思いが強いが、もう諦めているよ、あと残った命を出来るだけ悔いの無いように生きようぜ」

「・・・」

「♪酒に溺れてヨー やつれてやせた

  故里へ土産の 夢ひとつ

  北はみぞれか しぐれる頃か

  やけにおふくろ きにかかる ハーヤイ」

「F君、俺達は、どう頑張っても命はあと10年未満だ、酒の飲めるうちに
 飲んで歌おう、もう青春の唄は更に苦いが、俺達の心の唄を歌って俺達の記憶と歴史を
 少しでも覚えていようよ、もう強がりは通用しない、なあ」

「望郷酒場」か、

望郷だなあ、望郷だ、人は鮭と同じだ、故里へ故里へと思いは強まるばかりだ。

「F君、川は流れた、それだけだよ、夢は一杯あったがあの市ヶ谷橋のたもとに錆び付いている、
 川は流れた、君にも俺にも、もう上流へ泳ぐ力は無い、流れたよ、F君」

「一度、夏になったら、どっかへ旅行に行かないか、俺は穂高にもう一度上りたい、
 奈良をもう一度じっくり見たい、どうだ、付き合ってくれるか」

「考えよう、早紀子さんも連れて行ってやれよ、千雪さんでも、俺は君が心の妻だ」

「気味の悪い事いうなよ」

「冗談、冗談だよ、行こうか穂高と奈良に」「うん」
 

三四郎外伝「海峡,青春の谷間」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 4月20日(金)23時11分0秒
返信・引用 編集済
  暖かくなった、日本の良いところは四季がはっきり分かれて動くことだ、
この間まで襟を立てて氷雨に首をすくめていたが、いつの間にか桜も散って、

新緑が心地よい秋と並んで一番気持ちがいい時期になった、

私は会社を閉めるべく残務整理に精をだしていた、お堀の水は私を何十年と
見つめていてくれた、小波は私を励まし世の中は変わって人も変わった、

私も終止符を打とうと書類の整理と支払いの整理、お堀を眺めるとあの橋が見える、
あの橋で三四郎兄さんと出会って、千雪と貧しさを我慢しながら夢を語り合った、

橋もお堀の水も春の風も何も変わっていない、通り過ぎる中央線と総武線の列車も
数十年前と同じだ、変わったのは駅舎が新しくなって電車も木造から近代的なものに
なった、めっきり外国人が増えた、春は毎年巡ってくるけど、人は毎年同じでは無い、
病を得た人、不遇に泣いた人、大手を定年で退職して僅かな退職金でマンションを買った人。

淋しいなあ、人生って、きらきら煌く黄金のシューズに包まれて、・・安井かずみの
終りの言葉だが、そんな煌きもないまま、私はお堀の小波をじっと見つめながら年だけを
取った、いずれ終焉が来るだろう。

思い出せば、私が故郷を離れて連絡船に乗り神戸港に着いたのもちょうどこの季節だった、

「♪酒は熱かん 佐田岬

  肴はキンメの 一夜干し

  あとは 何にも 何にも要らんぞな

  三崎港に 春風吹けば

  じみじみ思う 漁師に生まれて

  よかったね」

「♪鯖の一本釣り 朝まじめ

  さわらの一本釣り 夕まじめ

  まじめ一本 一本 生きたけに

  恋の一本釣りりゃ 苦手だけれど

  あの娘も ホの字 漁師の娘で

  よかったね」

「♪今日の漁場も 三崎灘

  行き交う フェリーに あおられて

  舟は 横ゆれ 横ゆれ 波しぶき

  花に見立てて 釣り糸たれりゃ

  じみじみ思う 漁師に生まれて

  よかったね」

まぶたを閉じれば、四国から神戸へ渡る揺れるフェリーがよみがえる、

何にも知らない本土に上陸し、くしゃくしゃのお金で一番安い貨物混合の列車の切符を
買ったのが神戸駅、そこから一昼夜半かかって東京駅についた、背中に柳行李一つ、

大学で下宿を紹介して貰ったのが、市ヶ谷の橋の袂の黒塗りの板張りの軋む二階建て、
癖のある人間が学生と称してゴロゴロしていた。

私はその日からアルバイトを探さないと食っていけない人間だった、浮かぶは母の顔の
ようなおぼろ月、見つけたバイトは土方だった、

狭い四国から海峡を渡ると煌びやかな都会の灯がそこかしこに灯っていた、
同じ日本だとは思えなかった。

その日から私は昼間は社長の倉庫で40代以上の大人に混じって重い荷物を棚に果てしなく
積み上げる単純作業を命じられた、休憩時間は15分ずつ、ピーと笛がなるとまた同じ作業
を繰り返す、

私に取っての唯一の解放感は仕事が終わって表の水道で体を拭く時間だった、
そこは社屋の前庭だった、私が一人で汚れたシャツを洗って濡れたまま着てからだの熱で
乾かそうとしているのを可笑しそうに笑う同年代の若者がいた。

それがケンさんだった、生まれは東北、上野についたと話してくれた、
どうして東京に来たのですかと聞くと、暫く黙って、妹の事で雇い主の旅館の若大将の
手首を鉈で切り落して殺人未遂で少年院、それから20歳になった頃食う為に東京へ
無賃乗車で隠れながら上野に着いたと聞いた、

「ケンさんですか、私は四国の田舎から出て来ました〇と申します、一応大学生という
 事になっていますが、家が貧乏で大学は殆んど行けません、ここで仕事をさせてもらって
 います」

ケンさんは何の仕事をしているのか解らなかったが、着ているものが小奇麗で私のような
労働者では無いと解った、それ以上は聞くのを躊躇った、

一月くらいたって、夏になった、
いつものように裸になって汚れたランニングシャツを脱いで洗っていたら、
大型の外車が二台入ってきた、ぼんやり見ていると、ケンさんが急に緊張して車の方に
走りよってドアをあけた、ピカピカの靴と黒の背広に黒の中折れ帽子、頬に傷のある、
濃いサングラスをかけた背の高い男が降りてきた、二人ばかり後ろにしたがっていた。

ケンさんはチラッと私の方を見て、バツがわるそうに急いで男の鞄を持って会社の中に
入っていった、

暫くして、私がその日の給料を受け取る為に倉庫の前で待っていると、社長が出てきた、
続いてあの黒服の男が出てきた、

男は社長を「兄貴」と呼んでいた、社長は「三四郎」と呼んだり「兄弟」と呼んだり
していた、社長が私を呼び、車のフロントガラスを拭けと命じた、

その時、黒服が「何だ、おめえ、あん時のセイガクじゃねえか」とサングラスを外した、
私はペコリとお辞儀をして日払い給料を受け取りに並んだ。

一人で休憩時間に寝っころがっていると、またあの車が来た、
今度は三四郎さんが私の側に来た、「おめえ、学校は、何で昼間からこんな所にいる」
と聞いた、返事のしようがなかったので「はあ」と俯いた。

社長がまた出て来て、三四郎さんを呼んでいる、何か品物を渡して自分はまた会社の中に
入っていった、三四郎さんが、私の側に来て、「何かの足しにしな」と言って千円札を
何枚か私のズボンのポケットに捻じ込んだ、「気張れよ、セイガク」そう言って去っていった、

寝転がって青空を見ると、故郷から果てしなく遠いところに来たと思った、
連絡船の中で揉めた親父の鰐皮の財布を奪って生活費に当てたりした計画性の無い浮き草の
ような毎日だった。

目を閉じれば、母の顔、連絡船の白い航跡、規則正しい鼓動のようなエンジンの音、
瀬戸内海でもその日は揺れた、船はよこゆれ 横揺れ 波シブキ、

海峡の春を越えて、夏が来て、東京にも秋が来た、
その頃にはケンさんは私の友達のように仲良くなっていた、三四郎さんに憧れていると
ケンさんは言った。

「どげな、仕事ですか」ケンさんは「いろいろだよ」と答えた、

「三四郎さんは、夏の暑いときでも黒い服とネクタイしてなさるが、暑くはないですかね」

私がケンさんに聞いた、

「それな、あの人はいつも道具を持っていなさるから」と言った、

「道具って何の道具ですか」

「さあな」ケンさんは人差し指をグッと曲げる仕草をして笑った、

あの海峡さえなかったら今すぐにでも帰りたい、母に逢いたい、
泳いででも帰りたいと思っていた、

青春の谷間、

私は無謀にも海峡を超えた為に思ってもいなかった大都会東京の深さに呑み込まれそうに
なった、その頃には三四郎さんや社長さんケンさん、Yさん、昇さん達と心安くなった、
彼らが普通の人では無い事はもう解っていた、

「堕ちてどん底、ままよおいらの青春は」このままじゃいけないと母の顔が毎晩浮かんで
、声が聞きたい、でも当時は長距離電話は私の給料じゃ払えない大金だった

海峡の春を超えたばかりに、思いもしなかった人たちを知る事になった。

[♪背伸びしたとて 見えるじゃないに

 空の青さよ 恋しさよ

 堕ちてどん底 堕ちてどん底

 ままよ俺らの 青春は

 暗い谷間の ああ こぼれ花」

「♪泪こらえて せめても仰ぎゃ

  愛の嵐に 虹がたつ

  敗けて なるかよ 敗けてなるかよ

  男一匹 この胸の

  あつい血潮も ああまた燃える」

「母さん」何度呼んでみたか、駅の列車の遠い煙の中にボツンと佇んで
田舎の駅で別れた母さん、

最後まで「これ昼の弁当、これ汽車の中で食べな」「体に気をつけて、悪い人と交わったらいけんよ」

「行ってくるけん、母さん、俺は仕事をして仕送りするけん」

「そがなものええんよ、お前が無理したら何にもならんで、学校は行けるんじゃろ」

「うん、家の財産を取り戻したら行く」「家の財産は母さんの罪じゃ、お前が危ない目に
 逢うのはいけんよ」「母さん、姉ちゃんをようみてやんない、手紙書くけん」

「お金はね、お前のシャツの裏に縫いこんであるけん、盗られんようにな」

蒸気を吐きあげる列車のあとをついてホームの橋まで駆けて来た母、

「父さん、見取るか、空から母さんを守ってくれよ、俺はいいから母さんを」

それが別れだった、だけど「やるぞ」という熱い血潮だけは燃え続けていた。

「♪背伸びしたとて 見えるじゃないに

 空の青さよ 恋しさよ

 堕ちてどん底 堕ちてどん底

 ままよ俺らの 青春は

 暗い谷間の ああ こぼれ花」

みんな胸を膨らませて新しい大学へ進学したのだ、商社の同期生もF君(藤井君も)
あの△君も、私だけが青春の谷間の底で遠い空を見上げていた。

胸に過ぎるはこれからの希望と青春では無い、母を案じる気持ちで一杯だった、
敗けてはならない 勝って勝って勝ち進むのだ、私は谷間の底から叫んでいた。

後で気がつけば、ボロを着て夢だけを追った、ボロを着たらボロの夢しか叶わない
ことすらもその時には気がつかなかった。まさに谷間のどん底に堕ちていた。
 

三四郎外伝「いっぽんどっこの唄」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 4月14日(土)21時42分43秒
返信・引用 編集済
  昭和40年代、働けば夢がかなうと皆が信じた高度成長期、
私は商社の営業マンとして化学品課に所属し銭なし、明日無し、夢も無しでも
必死に生きようと這っていた。

その頃、コロムビアレコードから分かれたクラウンレコードという新進の会社が
スタートした。

コロムビアで売れないまんまでくすぶっていた水前寺清子にクラウンが
与えた唄が「いっぽんどっこの唄」だった、
これが大ヒットし水前寺は紅白に出場、私もこの唄をパチンコ屋や喫茶店でよく聴いた、

「♪ボロは着てても こころの錦

  どんな花より きれいだぜ

  若いときゃ 二度ない

  どんとやれ 男なら

  人のやれない ことをやれ」

「♪涙かくして 男が笑う

  それがあの娘にゃ わからない

  恋だなんて そんなもの

  いいじゃないか 男なら

  投げた笑顔を みておくれ」

その頃の私の担当は合成樹脂の販売、集金、信用調査、いろいろだった、
地域は池上線沿線、例の社長の会社、それから山手線の向こう側、池袋から巣鴨、

そしてあの池袋の男に出会った、
集金と会合の場所はいつも駅前の巨大喫茶店だった、彼は喫茶店の一番奥の席を
陣取って、電話も店の電話を呼び出しにつかっていた、朝から夜まで彼はそこにいた。

飲むのは朝からビール、食い物はナポリタン、
私が逢う時はいつもバリッとしたダブルの仕立て背広にブランドのネクタイ、
ピカピカの靴、鰐皮のベルトに巨大な長財布、タバコは確かハイライトからラークという
アメリカタバコを吸っていた、米軍では将校用のタバコだったラークは彼等のアクセサリー
としてもそれなりの用をなしていた。

喫茶店の入り口で男を見つけてペコリとお辞儀をして席に向う、またお辞儀をすると、
「おう、どうしたい、元気そうだな、座れ」

早速、昼間からビールグラスが追加され、飲みたくも無いのに「まあ、いけ」と
大瓶の口をカチッとグラスに当てて上手についでくれた、

私はそれほどその頃は酒が飲めなかった、だがこの男との集金には最低でも二三時間は
相手をしなければ手形を渡してくれなかった、ビール瓶も4,5本は空にされた。

男は自分の身の上話や、私の故郷の事、今の会社の事、いろいろ聞いた、
話して男の為になるようなネタは何も無かったが、男は私に親しみを持って接してくれた、

「〇君、君は身なりをきちんとしろよ、男はそれなりの格好をすると自信がつく
 それが本物になっていくんだ、これから東京で伸し上がるには根性と運と身なりは
 気を配れ、男は靴と背広とネクタイだ、金の問題じゃない、根性だ」

こんな話を男は私に良く話した、

「私は貧乏な家庭で母を養わなければなりませんし、給料は奨学金の返済などで
 とても身なりまでは手が廻りませんので、これからは社長のお言葉を胸に刻んで
 精進いたします」

「そうじゃねえんだよ、要るものを先に手にいれてそれを支払う為に算段をするのが
 仕事だ、給料が先にあってどこそこにいくら要るかは順序が逆なんだよ、わかるか」

「はあ、でも私等のサラリーマンはそれ以外の収入は望めませんので、節約するしか
 方法はありません」

「一つ教えてやろう、欲しいものは手に入れるんだ、金と支払いは知恵を絞るんだ、
 男の道は、一本道、どう転んでも一回きりの人生だ、いくら収入があるから何が
 買えるじゃねえんだ、何が欲しいかでいくら収入を得る算段をするかが男のかいしょ
 ってものだ、〇君にはまだわからねえようだが、俺のいっている事に一理あると今に
 気がつく時が来る、悪い事をしろと言っているんじゃねえぞ、金は借りるな、相手が
 是非受け取って下さいという方法を考えるんだ、いいかい」

「はあ、急に言われましても、私にはまだ何をすればどう儲かるかなどは解らないのです」

「あんたの会社もよ、何であんなに大きくなっているんだ、誰かに恵んでもらって大きく
 なった訳じゃねえだろう、会社の甲斐性だ、金が集まる仕組みを作ったからあれだけの
 会社になったんじゃねえか、それを学べ、それを必死に勉強しろ」

「はあ、仰ることはわかります」

「いいか、男はな、ボロは着てても 心は錦ってわけにゃいかねえんだ、わかるか、
 ボロを着たら心もぼろだ、いつかあんたにもわかるときが来る、辛抱しろよ」

「はあ」

店では「いっぽんどっこの唄」がかかっていた、その頃の喫茶店は歌謡曲をバンバンかけて
いた、クラシックなどの喫茶店はもっと後の事だ。


「♪何はなくても 根性だけは

  俺の自慢の ひとつだぜ

  春が来りゃ 夢の木に

  花が咲く 男なら

  行くぜこの道 どこまでも」

帰りの電車で考えた、私の靴は上京して来た時から同じ靴だ、もう型がくずれている、
ベルトは当時はバンドと呼んでいたが、いつもの場所がもう擦り切れて毛羽立っている、
ズボンの折り目は飛んでいる、背広は色あせている、ネクタイはペラペラの安物だ、

仕方ないと思っていた、だけどあの男のいう事に何か心を打たれた、
貧乏は生れだけだ、その後の事まで生んだ土地と母に責任は無い、

男が男になる為には自分でどんとやれ男ならと進まなければいつまでも安月給で
会社を替わっても同じ事だ、この繰り返しで伸し上がるには時間が足りない。

あの男の言ったこと、

「欲しいもの、必要なものを先に考えろ、それをどうして金の算段で乗り切るか
 〇君の会社でも同じ事だ、世の中金が仇だ、それに命をかけようと言うのがどこが
 悪い、そうだな、時間から時間と会社にしがみ付いてももらえる金は知れている」

「男が言った、
 ボロは着てても 心は錦って訳にゃいかねえんだ、ボロを着たら心もぼろになる」

それからずっとこの言葉が頭にこびりついた、正業で金をつかむんだ、あの男は彼等の
道がある、私は正業で勝負をかけるんだ、やって出来ない事はないはずだ、

次第に私の心にある決心と芽生えがあった、

「いっぽんどっこの唄」が私に与えた影響は計り知れないほど大きかった、

「♪何はなくても 根性だけは

  俺の自慢の ひとつだぜ

  春が来りゃ 夢の木に

  花が咲く 男なら

  行くぜこの道 どこまでも」

男と女の違いをこの頃から違った角度で認識するようになった、
男は女の盾だ、男は自ら道を切り開き、女の手を引かなくちゃいけないんだ、

その頃から私の眼の輝きは違ってきた、

「行くぜ この道 どこまでも」

父だって戦争が無かったら、母を助けて事業に精を出したに違いない、
あの時には戦争だった、父は「行くべき道をどこまでも行っただけだ」

「父さん、俺はやるぞ、見ていてくれ」靖国に行くたびに軍属下士官だった父が
いるものと信じて一人呟く癖ができた。

子供の頃、自分は不幸だと何度も拗ねた事があった。今では父亡きあとの母を困らせた
自分に腹が立っている。

母が東京に行った私が夏に二三日帰郷した折に、上着のジャケットを買ってくれた、
後で聞いたら、街の洋服店で一年月賦で買ってくれたものと解った。

「母さん、ありがとう、初めて背広を着たよ、ありがとう
 でも、今度からは母さんは自分のものを買ってくれよ、姉ちゃんのものも、
 俺は男だから、ボロでいいんだ」

そう言ったことがあった、なぜか母は悲しそうな顔をした、傷つけたかなとずっと心に
しこりが残った。

正直淋しかった、父が4歳の私を残して死んでしまうなんて、
いつも子供の頃は一人だった、山のてっぺんに登ってずっと座っていた事もあった。

そんな私が東京でサラリーマンになって、なりふり構わず働いても働いても生活は困窮する
一方だった、奨学金の返済、母への仕送り、いつもポケットには小銭しか残っていなかった、

あの池袋の男が、三四郎さん達と同業であるのはとっくに気づいていた、
彼が、私の兄のように、三四郎さん達とはまた違った愛情を私に注いでくれた。

「ボロを着てたら心もぼろになるんだ」

男の言葉は深く胸に残ったが、それを逆転する方法などは考え付かなかった、
母から届いた「悪い人と交わってはいかんよ、体に気をつけて」という藁半紙の手紙を抱いて寝た。

だけど母の言う、「普通では無い人たち」に私は助けられて教えられたのだ、

彼等に生きる事、人生を教わった、
すべてが「いっぽんどっこの唄」から始まった。

私が後に全力を尽くしてこの池袋の男に尽くしたのは、このようないきさつがあったからだ、
単に格好いいから、強いから、粋だから、私が彼に惚れたのでは無い。

三四郎さんや、Yさん、昇さん、みんな傷ある男達がエリートの大商社の人たちよりも
ずっと私に優しかった、彼等は陰にまわって足をすくうような事は私にはしなかった、正面から
意見をして、正面から殴られた、それでもいつもそっと私の事を気遣ってくれた。

「いっぽんどっこの唄」はそんな孤独な私の応援歌だった。
 

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