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三四郎外伝「抜刀隊」」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 1月19日(金)15時58分49秒
返信・引用 編集済
  小学の高学年の頃、学校の行き帰りに聞いた、
それは裕次郎では無いが面影が似ている新人歌手、水原弘の
「黒い花びら」だった。

意味は解らなかった。

長じて学生時代にバイトバイトで明け暮れる日々、
三四郎さんの「月が笑うぞ三四郎」の歌と同時に始まる夜な夜なの喧嘩、
悩まされ続けて寝返りを打つ、母の手紙を読み返す、小さなラジオのスイッチを
いれると「黒い花びら」という歌がリクエストしてかかった。

当時は深夜放送というのが全盛時代で多くの若者はそんな番組を聴いて
フォークに走り、学生運動に走り、中には歌手や作曲家として成功した人も出た。

放送の中でアナウンサーがゲストの名前は忘れたが関西の女優、当時はアイドルとは
呼ばなかったが、「どうですか、この懐かしい歌は」と聞いた。

女優はちょっと間を置いて
「そうやね、でも裕次郎さんに似ているのでかなわんわ」と笑った。

私が三四郎さんに可愛がられ、社長に可愛がられ、商社では虐めを受けて、
「自分の力で母を養っていこう」と決心し見知らぬ大都会東京を走り始めた頃、

何故か私の中で初心という思いを持つ時に必ず浮かんでくる歌が「黒い花びら」だった。

「♪黒い花びら 静かに散った

  あの人は帰らぬ 遠い夢

  俺は知ってる 恋の悲しさ

  恋の苦しさ

  だから だから もう恋なんか

  したくない したくないのさ」

私達の中学時代、高校時代は喧嘩はスポーツだった、
命のやり取りという意識はみんな持っていなかった、男子生徒が
色気づくと 何故かみんな突き上げるホルモンを抑え切れなくて
女子に恋したり男子同士で殴り合いを盛んに行なった。

喧嘩は純然たるスポーツだった、誰も死ななかったし誰も大怪我もしなかった、
どういう訳かは良く覚えていない、

一対一もあった、三対三もあった、校舎の裏の神社の境内がメイングランウンドだったが、
遅く行くと既に誰かと誰かに占領されてボカボカといい音が鳴っていた、

これはしょうがないな、見付かると退学になる、
喧嘩相手を自転車に乗せてちょっと離れたお城の跡に連れ出して、
取っ組み合いの大喧嘩もした、口が切れ、眼が晴れ上がり、
シャツは破れ、鼻血は飛び散る、でもスポーツだった。

修学旅行の列車のデッキで猛烈な殴り合いもした、解散駅について昨夜の喧嘩相手を
そっと見ると眼の淵が紫色に腫れあがり唇が切れていた、それでもお互いにニヤっと笑って
それで済んだ。

良き時代だったのだろう、今なら遺恨を含んで刃物でという事になるだろうが、
当時はそれはそれであっけらかんとしていた、学校をサボって映画を観ていると
他校の不良数名に呼ばれてトイレで猛烈な殴り合いもした、革靴で思い切り蹴られた、
良く死ななかったと思うような喧嘩もした。

「黒い花びら」の中で私は今度は東京で生きるための戦いに巻き込まれた、
今度は高校時代とは訳が違った、プロも混じって必ず白刃が振り回された、

私の周囲にはケンさん、昇さん、上にはYさん、三四郎さん、そして社長、
高校時代と違って、金銭的なソースの奪い合いが主な理由だった、スポーツでは無かった。

私のような田舎者は彼らの手馴れた衝突場面では何の役にも立たなかった、
「おめえはどいてろ」と突き放されて、ケンさんや昇さんが白刃の中に飛び込んで行く、
「これ持って逃げろ」と投げられたカバンを抱えて走る、これが私の役割だった。

こんな事が社長が死ぬ直前まで続いた、

彼らの喧嘩は私の知っている喧嘩ではなかった、必ず血が流れ、暗い路地で金属の焼ける
ような匂いがした、彼らの喧嘩とは殺し合いだった。

「黒い花びら」

私は社長の死後、残された三つの会社のうちの一つを三四郎さんに任されて
必死に働いた、私は彼らの喧嘩の世界から離れた正業で社長の恩に報いようとした。

20代、30代、40代、時間はあっという間に私をおっさんにしていった、
50代、私は二つの顔を持つようになった、一つは腰の低い吹けば飛ぶような小物の
ネズミ男、一つは最後の土壇場で引かない昇さんたちに教えられた生き方。

F君が私のパートナーになってくれた、私は失われた若き日々を取り戻す為に友人が
欲しかった、引っ込み思案の私がいろんな会合や集会に参加するようになった、
私はあくまでもネズミ男を演じ続けた、頼り無い普通のおっさんになりきった、

それにも飽きて、私はまた一人になった、

そしてリクエストラジオからは、

「♪悲しい恋の なきがらは

 そっと流そう 泣かないで

 かわいあの娘よ さようなら

 たそがれせまる 湖の

 水に浮かべる 木の葉舟」

今度は全く方向を変えて、寡黙で人づきあいの悪い孤独な初老の人間になろうとした、
この人生最後の傾向は今でも続いている。

もういい、新しい友人なんか要らない、
誰にも自分を語らない、何を生業にしているのかも語らない、決して人と一緒に食事には
行かない、飲みに行く事は更に無い、誘われても必ず断る「私は酒は飲めないものですから」
と、みんな善意か悪意か知らないが、私には人が近寄ってくる、

F君が去って、ケンさんも逝き、昇さんは偉くなって、三四郎さんやYさんは雲の上の
存在になった、一人で私は歩き始めた、父が若くして死に、母が亡くなり、姉も去った、
天涯孤独になったいま、今更新しい友を作るエネルギーは残っていない。

ジムや別の趣味の会にも所属している、だけど誰とも笑顔以上の交流はしない、
黙って静かに笑っている、一番末席で黙って皆に頭を下げる、

これでいいのだ、「黒い花びら」から「湖愁」へ。

日課として行う散歩も食事も繰り返しているうちにきっと誰か顔見知りができる、
それ以上は望まない私に向こうが盛んに話を振ってくる、先日のミミズのカプセルを
飲むご老人もその一人、

通販で健康食品を摂取するようになった、これがいいかな、あれがいいかな、
料金は代引きで支払う、これが通販業者には一番メリットがあるし歓迎される。

彼らの解らない点は月決めで買うと便利ですよと薦められるから「じゃ、そうしましょう」
と月決めて注文する。ところが向うはランダムに毎月出荷してくる、
こちらは知らないから出かけている、宅配業者は長期所在不明という報告を通販に出す、
電話がかかって来る。

「商品のお受け渡しができないので困っております、お住まいの変更はございませんか」

「ございませんが」

「長期不在との報告が来ていますが」

「長期ってどのくらいの長期ですか」

「二回ほどお伺したそうですけど、お留守でしたと」

「二回時間が合わなかったら長期となるのですか」

「いや、そういう訳ではありませんが」

「そういうお話でしょう、なぜ事前に電話でも下さらないのですか、宅配さんから」

「そうですね」

「そうですよ、私も生き物ですから、それはご存知ですね」

「あ、それは承知しております」

「生き物ですから、それに犬じゃありませんので四六時中玄関先で寝ている
 という訳にも行きません、あなただって出かけるでしょう、トイレにも入っているでしょう」

「そ、そうですね」

「だったら、電話をするという頭は働かないのですか、宅配さんが」

「そう申し付けているのですが、忙しいみたいので」

「忙しいのは私に関係ありません、支払いを拒んだわけでもありませんので
 そう大事件扱いしないで下さい」

「わかりました」

それっきり、もうこれっきり、その通販からものは来なくなった。

変な奴だが、まあいいか。

この頃、諦めも早くなった、

そのサプリを止めてから、別に体はどうもない、じゃあのサプリは効かないのか、
ミミズのカプセルまで飲む時代だ、一億総健康指向、

人がみたら私もミミズのおっさんと変わり無い、変わり者かも知れない。

青春は遠く人生はかくも早い

新聞に俳優の夏木陽介氏が亡くなったとの小さな記事が出た、

人間は死ぬんだなあ、そういえば「黒い花びら」という映画の主人公は

夏木陽介氏だった、彼は「惜春鳥」から「黒い花びら」と駆け足で人生を

駆け抜けた、フアンでは無かったが、その映画をかけた小屋に片思いのあの娘が

誰かと一緒に坐っていた、笑いながら男性の肩に頭を乗せて「いやだー」とまた

笑う、セーラー服の綺麗な娘だった。

私は常に人生の脇役であった、

寝る前に必ず自衛隊の観閲式の行進を見る、何よりも「陸軍分列行進曲」-抜刀隊の

曲が好きだ。

特に防衛大の学生の行進が好きで同じところを二度見る、何故か目頭がジーンと熱くなる、

神宮の学徒出陣からもう70年以上、日本はまだ韓国にからかわれ、ロシアに脅され、

中国の軍用機が日本列島を周回をはじめた、為す術も無く憲法論議を繰り返す日本。

なぜ中国機の日本列島周回を危機として防衛大臣は発表しないのか、長射程巡航ミサイルの

照準の訓練に決まっている、何も出来ない私、何も出来ない日本国、

神宮の学徒はいずこで草むす屍と、いつから日本の政治は在日通名の左翼に操られ

専守防衛、憲法違反、馬鹿がタンクでやって来る、馬鹿の壁に馬鹿の政治家。

安倍首相は河野外相を後継に指名して憲法改正に打って出よ、我らの命のある内に

堂々たる日本国を見せて欲しい。

「黒い花びら 静かに散った」

ミミズのおっさんが正解かも知れんなあ、ああして糞便に包まれて恍惚する人生も

何もしない人生よりは幾分増しだろう。

軍国主義は好きでは無いが、戦前の日本の領海に近づく外国の軍艦はいなかった、

戦前は貧乏、戦後は寒いだけ、だけど現在の日本は豊かになったが

戦前の日本は国家の威容は現在のアメリカ並みに保持していたと感じる。

何が慰安婦、何が強制連行だ、尖閣どころか台湾まで日本領土だった、青島、海南島も、

朝鮮半島も、満州も、北方四島なんか誰も気にしなかった、南樺太まで日本の国旗が。

どっちが国家として、どっちのが国民にとって誇り高かったか、

孤独老人のつぶやきはミミズの戯言、倒れるようにベッドに飛び込む、

ひょっとして、あのミミズのおっさんの方が正しい生き方をしているのかも知れない。





 

三四郎外伝「浅草しぐれ」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 1月15日(月)23時14分57秒
返信・引用
  老いて行く自分、
東京郊外に用事で出かけたその時に恐らく役所の広報車であろうか、

「75歳の男性が昨夜から行方不明です、見かけた方は市役所、警察、
 にお知らせ下さい、繰り返します・・・」

認知症か、
こうして終わっていく現代の長生き社会は人にとって幸なのだろうか、
私が子供の頃には村の大人は殆んどが60歳前に何らかの病、胃癌、胃潰瘍などで
亡くなっていた、村はほとんどが未亡人ばかり、まるで戦争未亡人のように男は
バタバタと死んでいた。

私が子供だったから、その死が早過ぎる死だとは気がつかなかった、
ただ田舎だったから、食べ物が自給自足、だから貧しい未亡人でも何とか生きたのだろう。

その頃と現代と、すべてが発達しているが、
人間はどっちが幸せだったのだろうか、信長の「人間50年、夢幻の如くなり」
考えてみれば、信長の時代と私が子供の頃との寿命がほぼ同じだったという仰天の事実を
知った、食べ物の貧しさ、塩辛いものばかり、知識が無いから酒、煙草は日常的にたしなむ。

その延長が信長時代からつい私の子供の頃まで時間が止まったように同じだったと気がついた、
父が死んだのも復員後、私が生まれて、ほんの4-5年で確か50代で父は旅立った。

誰もその死が早過ぎるというものはいなかった。

先日新聞で読んだが、

「79歳の夫を77歳の妻が刺し殺す、夫婦喧嘩の果てに」というニュース、

あまりにも悲しいでは無いか、幾多の苦労を乗り越えてきた老夫婦に何があったのか、
殺される夫の方よりも殺した妻の事が不憫でならなかった。

だが若い世代を見ると、
些細な事ですぐ刺し殺したというニュースがあふれている、見知らぬ人に刺されたとか、
ちょっとしたきっかけですぐ刺すという歯止めがかからない現代の世の中、

比べてみると、私が子供の頃のように50代くらいで自然死、病死、する方が余程
人間としての棘が無かったと思う。

表面的な豊かさと、すぐ切れる若者、年寄り、そして簡単に刺し殺す、

刑罰を変えるしか抑止力が無いだろう、裁判なんか要らない、殺人は即刻死刑と決めれば
多少のブレーキになるのではないか、だがあの老夫婦の妻の場合は別だ、法律は平等である
べきという法の下の平等に反する情冶国家になるから、駄目だろうな、

少し遅くなったが、
初詣を兼ねて久し振りに浅草に行ってきた、確かカナちゃんの実家の煎餅屋さんも
ここだった、もう街並みも変わっておりまるで見当がつかなかったが、ふと彼女の事を
思い出した。

仲見世は相変わらずの雑踏だった、その7割が外国人、

着物を着て群れで歩くのは殆んどが東南アジアの人たち、さぞ賽銭も上がるだろう
そう不埒なことを考えながら、押されるように前にでて、賽銭を投げたが箱の手前まで
しか届かなかった、人ごみで手を大きく振ることができなかったためだ。

帰りは仲見世どおりを外れて横の道を歩いてブラブラお店を見ていた、どこも大繁盛の
ようだった、浅草に来るのは本当に久し振りだ、以前と変わったのは屋台の食い物屋が
全く見当たらなかった、がらんとした裏通りは冬の風が吹きぬける、

歩きながらもカナちゃんの実家を眼で探している自分に気がついた、似ている女性が
前掛けをかけて走りすぎた、カナちゃんかな、違うだろうな、そして人に押されながら
地下鉄の入り口に押し込まれた。

「♪逢えば別れが 悲しいものを

  逢えぬ淋しさ 尚更つらい

  あなた偲んで 仲見世通り

  どこか似たよな うしろ影

  ひと目逢いたい・・・

  夜の浅草 通り雨」

「♪うるむネオンに 抱かれて眠る

  恋の炎よ 言問橋よ

  いっそ涙も 思い出さえも

  捨てていきたい 隅田川

  頬にこぼれる・・・

  夜の浅草 露しぐれ」

「♪いつか忘れる あの人なのに

  飲めば未練が またつのる

  ひさご千束 噂に聞けば

  今じゃ妻子さえ いるという

  肩に冷たい・・・

  夜の浅草 みぞれ雨」

途中の駅で降りた、買い物を思い出した、

ビルの谷間を歩いていると三人連れのアジア系の人に呼び止められた、
日本語の訛りで、これは中国系じゃないなとすぐ解ったが、何だろうと思って立ち止まった。

彼らは地図と何かの書き込みと印がある大きな紙を広げて、あるビルの名前を私に聞いた、
普通東京の人は本当は広すぎて地理なんか知らないのだ、自分の地域以外は全部彼らと
同じで全く解らないのだ。

ただ彼らと違って、通りの名前とか付近の大きな建物や銀行が書いてある、それは
すぐに日本人には解る、何となく彼らの向う方向が逆のように思った、

通りの名前でそれがわかった、

私が「こっちじゃありませんよ、向こう側の道を逆方向だと思います」

彼らは聞き取れなかったのかきょとんとしている、

私は手招きをした、「こっち、こっち」彼らはぞろぞろついて来た、
「この信号を向うに渡る、解る?渡ったらあっち行く、解る?」

何だか私まで日本語が怪しくなってきた、だがこれが彼らには通じたようだ、

信号のところまで連れて行って、「ほら青だ、渡って、あっちね、わかった?」

何と彼らは横一列に並んで深く腰を折るように私に頭を下げた、「早く、信号が変わるよ」
指差すと、もう一度頭を深く下げて、ペンギンのように並んで走っていった。

すっかり陽が落ちてビュービュービル風が私の薄い髪の毛を逆立てる。

そしてまたふらふらといつもの飯を食って、「いらっしゃいませ」の階段を上がった、
おしぼりが来て、手を拭く、女性たちはみんなノースリーブ、ミニスカートの生足、

「うーむ、いかんな、どうして男は幾つになっても女性の白い肌を見るとむらむら
 するのだろう」

見ないで置こうと思っても足が揺れるたびに真っ白な足に眼が行く、
ここで興奮して脳卒中で倒れる可能性が7、口説き落とす可能性が1、後の2は
女たちに後ろから「あっかんべえー」とけらけら笑われるだけ、それが老人の末期だ。

人間、たった5年前と今とずいぶん違っている、
一つは性能力、二つは絡まれても切り抜ける自信、この二つともどっかへ飛んで行った、

「いっそ涙も 思い出さえも

 捨ててゆきたい 隅田川・・」

本当だ、もう喧嘩も出来ない、女も喜ばせてやれない、たった5年で老いた、
不思議だ、5年前までは変な奴でも別に恐いと思わなかった、ああいえばこう切り返す、
相手も用心する雰囲気が私に残っていた、今では毛の抜け落ちた丸裸の兎さんだ。

とぼとぼと帰り道につく、面倒だ、タクシーに手を上げた、

坐った左側の椅子がへたっている、長い事椅子を変えていないのだろう、

壊れかけた老人が壊れかけた車に乗ってどうすればいいのだ、

おみくじは小吉だった、まあ、自分に似合いの小さな励ましか、
昔は大吉が出るまで何千円とおみくじにぶち込んだ、買って買って買い捲った、
そんな馬鹿が平気で出来た、

三四郎さんに会いに行って見ようか、きっと喜んでくれるだろう、
千雪の家に帰ってやろうか、きっと喜ぶだろう。

「あなた偲んで仲見世どおり

 どこか似たよな 後ろ影

 ひと目逢いたい・・」

 

三四郎外伝「帰れないんだよ」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 1月10日(水)21時36分0秒
返信・引用 編集済
  昔は東京が遠かった、憧れて憧れて遠い東京を夢に見た。

今は逆だ、故郷が恋しくて恋しくてたまらないけど、
体の調子や仕事や家族やそれにも増して東京に慣れきった体には田舎暮らしの
厳しさはとても耐えられない、だから、だからョ、帰れないんだよ。

こんな風に東京で周囲の便利さに引っ張られて故郷を捨てた望郷の人も沢山いる、
昔はそれ以上に東京に憧れて出て来て、ついに前回の歌「ギター仁義」じゃないけれど
「とんとうきめが出ぬままで」東京の片隅にうずもれてしまった人も沢山いる。

東京というのはそれほど大きな町だ、NYと同じだ、金の倉を建てる人もいれば
路地裏で寝るこぼれた人もいる、誰も助けてはくれないのだ、都会というブラックホールは。

山口県出身の大物作詞家に誰でも知っている星野哲郎氏がいる、
「兄弟仁義」「昔の名前で出ています」様々な男に沁みる歌を書いた人だ。

この人の作詞した隠れた名曲に「帰れないんだよ」という歌がある。

「♪そりゃ死ぬほど 恋しくて

  とんで行きたい 俺だけど

  秋田へ帰る 汽車賃が

  あれば一月 生きられる

  だからよゝ 帰れないんだよ」

「♪こんな姿を 初恋の

  君に見せたく ないんだよ

  男の胸に だきしめた

  夢が泣いてる 裏通り

  だからよゝ 帰れないんだよ」

「♪今日も屋台の 焼きそばを

  俺におごって くれた奴

  あいつも楽じゃ なかろうに

  友の情けが 身に沁みる

  だからよゝ 帰れないんだよ」

この歌を聴いて泣いた日もあった、人生はやすぎた、
仕事が無くて一軒一軒行商をした事もあった、そんな時、この歌で泣いた。

今はそれなりの生活と家族を持つ人たちもきっとそんな時代があったのだろう、
それを知らない人が幸せか、逆にそれを知っているから今が幸せか、
しないで済む苦労などしない方がいいに決まっている、

誰かの言葉に「若い時の苦労は買ってでもしろ」という偉そうな言葉があった、

私はそうは思わない、この人は本当に苦労をしたのだろうか、順調に大学の学長に
までなったから、順調に企業のトップになったから、こんな訓示めいた言葉が吐けるのだろう。

苦労などしないですめばそれに越したことは無い、若い時の苦労を知っていた方が人生に
深みが出る、そういう人もいるだろう、それは小さな苦労を吹き飛ばすような成功を収めた
から口に出てくる訓戒だ。

若い時の苦労が逆に人間を捻じ曲げてしまう事もある、悪事に走る事もある、
成功する人は別に苦労をしていなくても発明をしたり論文を書いたり、一攫千金を
ものにしたりするもんだ。

きっと「若い時の苦労は買ってでもしろ」この言葉を言った人は、まさか路地裏で
雨に打たれながら寝たことまでは無いだろう、食うに困ってゴミ箱をあさった事までは
無いのだろう、金が無くて何度も死のうと瀬戸際まで行った事も無いのだろう。

だから「若い時の苦労は買ってでもしろ」と後輩に激を飛ばすことができるのだ、
本当の苦労をした人ならその苦労を宝物とは思わないはずだ、苦労というゴミを投げ捨てて
現在がある、そんな人の方がずっと多いような気がする。

私も人並みの苦労はした、父が早く死んで叔父に全財産を母が騙し取られて無一文の
下人のような貧乏をした、だけど「買ってでもしろ」などとは思わない。

話はガラリと変わるが、

同じ住所の付近でいろいろしているとどうしても「ああ、こんにちは」というくらいの
知り合いは出来てくる、私は信条として相手の名前はきかない事ににしている、相手の
職業も向うが言わない限り関心は持たないように生きている。

先日来、立て続けに同じ牛肉屋の一人飯で同じ顔見知りに出会った、

「こんばんは」相手が軽く会釈をする、

「こんばんは」私も笑顔で会釈をする、そして持ち歩いている本を読む、

向うが何に興味を持ったのか、「ご一緒してもいいでしょうか」とビール瓶を持って
私の席に来た、追い払う理由も無いので、「あ、どうぞ」と席を譲る。

「お住まいはこのお近くなんですか」と相手がきく。

「まあ、近いといえばそうですね」と訳のわからない返事をする。

このおっさん、年齢は70がらみの人品骨柄卑しからず、綺麗な歯をしている。

「実はこのところ健康の源は腸にあると知りました、今は腸を大掃除しています」という。

「ほう、そうですか」と私、

「この薬を飲めば腸は生まれ変わって全く新しい腸として自分の意思で動き始めます」

「腸が動くのですか」

「その通りです」

「ほう」

「ちょっと失礼」男はちょっと腰を持ち上げてブッと嫌な音を立ててオナラを発した、

「動き始めました」とおっさんが言う。

「そうなんですか」と本を読む私、

「ちょっと失礼」とおっさんが立ち上がり、トイレの方向へ行く、歩きながら
ブっ、ブッ、ブッ、と辺りに騒音を立てながら最後にラッパのような長い音を出した。

おっさんが帰って来た「大丈夫ですか」と私が聞くと、

「いや、これこそが腸が動き始め私がドンドン若返り始めた証拠ですよ」とまた
妙な薬を取り出して飲む。

「この薬こそ、革命的なものです、実はミミズを特殊製法で固めたものです」

「ミミズが腸を動かし、あなたが若返るのですか」

「この私が証拠です」とまたブーと大きな音を出す、廻りの人が顔をしかめる。

「産みの苦しみといいましょうか、今が正念場です」とおっさん、

「大丈夫なんですか」

またブッ、ブッ、ブッと小刻みに体を震わす、「きき始めました、いよいよです」

私は下痢でも引っ掛けられたらたまらないので「じゃ、私はこれで」と伝票を持って
立ち上がった。

おっさんがブッブッと切れ目なく音を発しながら私に続いてレジに来る、

「じゃあ、これで失礼」と私が頭を下げると、

「ちょっと、ちょっと、待って下さい」ブーっという大音響の音を響かせながら追ってくる。

こいつは、一回シバいたらんといかんな、
今度やったらシバイたろうか、と考えながら歩幅を早めると、

ブーブーとガス噴射をしながら私に並んでくる、「私はこっちですから」と信号を
曲がろうとした時に、ブフォアーっという異様な音と共に、おっさんが信号の前に立ちすくんで
いる、振り返ると黄色に染まったズボンから湯気が立ち上り、

道行く人は遠く避けて通る、おっさんは呆然とそこに立っている。

「大丈夫?電話しましょうか」

おっさんは無言だ、何かぶつぶつ言っている、

「もうどうにでもしてくれという感じです」と呟いた、みると大量の糞便をズボンを通して
靴の上にも山盛りに汚物が盛り上がっている、尻のあたりも大きく膨らんでいる。

「知るか」私はそこを離れて振り返った、

ミミズの薬を飲んだおっさんは冬空に立ちすくみバリバリと盛り上がるように黄色のものを
ズボンの裾から出し続けている。

「こいつも帰れないんだよの一人だなあ」

しかし何でまたミミズのカプセルを飲むようになったのか、それ以来おっさんは見かけない。

私の知り合いってこんな程度だ。

「こんな姿を 初恋の

 君に見せたく ないんだよ

 男の胸に だきしめた

 夢が泣いてる 裏通り

 だからよゝ 帰れないんだよ」



 

三四郎外伝「ギター仁義」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 1月 5日(金)17時38分42秒
返信・引用
  この頃女性がいやに眩しく見える、
一旦枯れた老人なのに正月明けからどうしたのか女性に眼が走る。

若い時は体力一本、何も知らずに女性に突進した、きっと女に取っては
猪に突かれたような感覚でちっともいい事は無かったのだろう、ああ、許せと
袖に涙がしたたり落ちる。

今なら、十二分な知識と技を身につけ免許皆伝の自信があるが、いかんせん今度は
相手がいない、同年代の婆さんと飯を食っても噛めば顔中が動くような老いらくの恋は
美しくも無いし人目も悪い、まるで振り込め詐欺が婆さんから何かを受け取るような
姿で免許皆伝も無いものだ。

4日は正月疲れを取る為にジムに出かけた、一時間の筋トレであとは買い物の用事が
あったので急いでメニューをこなした、驚いた事に暮れから正月の休みだけで筋肉という
のは確実に落ちるものだと気づいた、いつものキロ数が昨日は上がらない、いつもの回数が
息が切れる、若い時とは違って、老人の筋肉は鍛えれば付くがちょっと休むと風船のように
萎んでしまう。

そういえば、二週間入院した人が言っていた「歩くのが恐かった」と、
足がもう体を支えきれないのだ、老いたるは及ばざるが如し。

これで女性にむずむずする免許皆伝とホラを吹いてもあそこも筋肉だ、
筋トレをしていないあの箇所は恐らく筋肉は落ち、頬は削げ、よろよろの風船のようだろう、

二週間入院して歩くのが恐いと感じた人と同じだ、数年間お休みをして復帰を果せるなぞ
夢物語だろう、靴べらでも無ければ用を足さない恐れもある、危ない老人の恋心だ。

この間、週刊誌を見ていたら79歳の現役AV男優という記事が出ていた、
にっこり笑うその男性、人か魔物か、羨ましくも遠い我が青春、取り替えそうと
思えど遠い遠い雲の果ての物語だ、諦めとなにくそという人間の本性が葛藤する。

ジムで久し振りに知り合いに逢った、例によって名は知らない、
大法螺を吹くことで有名な人だ、たかがファミリーマンションに住んでいて
「あたしもベンツを三台所有しておりましてな、ハハハ」と言う。

ベンツ三台がファミリーマンションの駐車場に入るわけもないだろうに、
ホラは果てしなく続く、

「あたしも飲み代がかかってしょうが無いですよ、月に100万は使いますね」

と呼んでもいないのに私の側に来て喋り始める、何をしている人か身なりや風体から
月100万も飲み代に使う人には到底見えない、そんな人がこんなところのジムに来るのが
おかしいが、「そうですか、それは羨ましいですね」と適当にいなすと更に大法螺が
追っかけて来る。

世の中にはいろんな人がいる、別に実害は無いからそれはそれだが、
さーて、私の青春復帰のむずむずはどうしたらいいか、何か悪いものでも食ったかなあ、
なんで急にこうなったのか、そう思いながらも下半身がむずむずする。

先日有馬記念に行ってきた、
キタサンブラック、北島三郎さんの持ち馬だ、艶福家には福が舞い込むの例えどおり
北島さんの顔はにこやかで張りがある、功なり名とげた人は福が自然に舞い込むのだ、

彼の姿をラウンジで見かけた、背中に力がある、これこそ男たるもの見習いたいものだ、

私は不遜にもキタサンブラックを外して1番、3番、7番にぶち込んだ、と言っても
たいした金じゃ無いけれど、狙いはよかったと自画自賛するだけ、キタサンブラックは
強かった、はずれ馬券の吹雪が舞う、2番が悠々とゴールを駆け抜けた。

不思議と残念とは思わなかった、これが正しい結果だと自分で納得が行った。

博打の中で唯一不正が少ない、いや殆んど無いのが中央競馬だろう、
遠い昔に商社時代の知り合いにつれられて初めて競馬場に来たのがやはり中山だった。

その後の彼の消息は知らない、当時は田圃のあぜ道を遠く競馬場まで歩いた、
競馬場は博打場の雰囲気で女性の姿は無かった、いまや競馬場はデパートよりも綺麗だ、
喫煙は決まった部屋に入らないと出来なくなっている、大勢の警察官が巡回している、
安心、安全と競馬会が宣伝するだけあって私は競馬歴は長い、

まだ下半身が元気一杯だった頃から競馬場は私の庭だった、勝った負けたと騒ぐじゃない、
競馬は強い馬を探し出す、右回りと左回りと展開、調教、そしてこれだと思って取ったときの
嬉しさは恋した女の下着を脱がしたと同じ喜びに溢れたものだ。

大法螺を吹いて人に笑われる生涯は送りたくない、控えめに寡黙に知り合いは作らず、
そっと柱の影にいる、妙な話だが作家の浅田次郎氏の姿を何回か指定席と馬主席で見かけた、
あの人は、締め切りギリギリまで柱の影で揺れるように体を動かして、締め切り5分前に
さっと二点だけに絞った馬券を買う、私はそれを何回も見て真似をした、

二点だけ、さっと買う、1万円の資金なら5千円を二点、例えば1-5,1-3という風に、
男らしい買い方だ、だが真似をして当たった事はついに無かった、また私の多点ぶっこみに
戻ってそれがあたり始めた。人間って損した事はすっかり忘れて勝った時の事しか覚えて
いない幸せな生き物だ。

こうして私は元日から懺悔の連続だが、

「♪雨の裏町 とぼとぼと

  俺は流しの ギター弾き

  おひけえ なすって

  手前ギター一つの

  渡り鳥にござんす

  峠七坂手を振って

  花の都へ 来てから五年

  とんと うきめの出ぬ俺さ」

「♪風の冷たさ 身に沁みる

  俺は落ち葉か ギター弾き

  おひけえなすって

  手前おけさおけさの

  雪の越後にござんす、

  故郷思えば 初恋の

  死んだあの娘も 生きてりゃ二十歳

  俺もあん時ゃ うぶだった」

「♪情け横丁 今晩は

  俺は流しの ギター弾き

  おひけえなすって

  手前宿無し雀の

  流れ者にござんす

  暗い酒場の 片隅で

  そっと笑った 空似の人の

  何故か気になる 泣きぼくろ」

あんなときもあったなあ、後を振り返れる人は成功した人ばかりだろう、

後悔を先に立たせて後から見れば 杖をついたり転んだり、

さあって、今年は真ん中の足で立ち上がれるかなあ、よろけて転ぶかなあ、
机の上には私が始めて会社の看板をかけた時の写真がある、

若いなあ俺も、あの頃は、
良くもここまで転がってきた、もう少し、もう少し、歩いて行きたい。
 

三四郎外伝「あゞ新撰組」

 投稿者:彗星  投稿日:2018年 1月 2日(火)23時47分10秒
返信・引用 編集済
  皆様、明けましておめでとうございます。

今日は墓参りに行き、帰りは遠い道を歩いた。
河辺の夕陽が突然落ちて、あっという間に暗くなった。

風がビュービューと吹きつける、襟を立てても寒い、寒い、心が寒い。

歩いているうちにひょんな事からある女性を思い出した、墓参りの帰りに不謹慎だった、
その女性は某所で出会った女性実業家だった、関西の人だった。

今借りているオフイスが高いので困っているという話が彼女から出た、
それをきっかけに私のオフイスの空き部分を囲っておやりになったらいかがですかと
つい口に出た、彼女は少し考えてから、「私一人なので大きなスペースは要りませんけど」
と首をかしげた。

どんな商売なのかその時は聞かなかった、
コーヒーを飲んでいるときに、子供が二人いる、離婚して7年経つと彼女の口から
聞いた、性格は明るい人だった、だが関西人特有の抜け目のなさは群を抜いて凄かった。

逃げるところはすっと逃げる、突っ込んでくるところはぐっとついて来る、
交渉事は上手い。笑い出すとカラカラというような喉を転がすような笑い声で大笑いする。

暫くして彼女が私の事務所に引っ越してきた、小さなスペースに机などが運び込まれた、
私はその頃留守の事が多かった、たまに帰ってくると彼女の明るい声で癒された。

早紀子の眼をかいくぐって私達はなるようになった、
熟した女だった、「イイの、イイの」という言葉を繰り返してのけぞるようにイク女だった。

ベッドで終わってもまだヒクヒクと痙攣をするそんな女だった、
美人では無い、スタイルもまあまあ、肉付きのいい肉厚女だった、だけど無類の好き物
だった、前でも後ろでも痙攣する女だった、私は色の真っ白な彼女に暫く溺れた。

酒は飲めない、もちろんタバコは吸わない、
彼女がひとつだけ絶対に譲らなかったのは、自分の家に私を呼ばなかった事、
必ず私の口から「どう??」という誘いを言わせる女だった、この女は主婦としては
最高だろう、頭はいい、明るい、セックスが上手い、お金も稼ぐ。

どうしてご亭主と別れたのか、男は誰でも気になる、「何で別れたの」

「あわへんかったんや」そう言ってカラカラと笑った、

河辺を歩いているときにどうして彼女を思い出したのか、電話してみたい衝動に駆られたが
電話番号がわからない、もう削除して久しい、名前は覚えている。

何となく彼女の肉布団のようなふくよかな体のクッションを思い出し、股間がうずいた、
「よせよ、年甲斐も無く、もうとっくに誰か見つけているよ、あの好き物女だから」と
ひとりごとを言う、駅の明かりが見えてきた。

「♪加茂の河原に 千鳥が騒ぐ

  またも血の雨 涙雨

  武士という名に 生命をかけて

  新撰組は きょうも行く」

「♪恋も情けも 矢弾に捨てて

  いくさ重ねる 鳥羽伏見

  ともに白刃を 淋しくかざし

  新撰組は 月に泣く」

河風に吹かれながら私は口ずさんだ、なりあがろうとして上がれなかった私のような
彼らの歌、私は好きだ。

それからだんだんと私は寡黙になっていった、彼女のせいではないが、
歳月の流れが私を一人上手な孤独を好む男に変えてしまった、もう5本の指よりも
少ない数の人々としかコンタクトは無い、私の方から人を誘うということも無くなった。

時世が変わったのだ、もう平成も終わろうとしている、私にはとうとう馴染めなかった
平成という年号の数え方だった、今でも私は昭和の時代に生きている。

この間、机を整理していたら、小型録音機が出てきた、胸のポケットに入る小さなものだ、
何だろうと思ってスイッチを入れたら電池が切れていた、今日どういう訳か私はその録音機
というよりも今ではICレコーダーと呼ぶのだろう、これを持って出かけていた。

どこかで電池を買おうと思ったのかも知れない、或いは早紀子に見つけられると嫌だという
本能がそうさせたのかも知れない。

駅のコンビニで電池を買って、そのレコーダーのスイッチを入れてみた。
「イイの、イイの、イイの」連続して叫ぶ高い女の声が入っていた、

彼女だ、私が悪戯で枕の下に入れておいたものだ、その後の雑談もしっかり録音されている、
河辺に立ち止まって、もう一度聞いた、「やっぱりいいわ、これ止められんわよ」という
妙な言葉が入っている、彼女の声だ、

「あの、おしっこ、出んようになったんや、あんたどうも無いか」

彼女の声だ、激しかったのだなあ私も振り返れば新撰組のように。

駅に上がろうとしてまた引き返して、思い切って電池を抜いてそのレコーダーを
思い切り河の真ん中あたりに投げ込んだ、「さいならや、元気でやりや」私も関西弁に
なって呟いた、

想い出は大事なものほど忘れる事だ、

「♪菊のかおりに 葵が枯れる

  枯れて散る散る 風の中

  変わる時勢に 背中を向けて

  新撰組よ どこへ行く」

正月の墓参り、「母ちゃん、かんにんやで」分骨した墓がこちらにもある、
私はもう一回心の中で「母ちゃん、かんにんやで・・」

電車の中で読みかけの本を開いた、

「あの時は右前方が赤城、その横に飛龍、赤城の後ろに加賀、
 飛龍の後ろに蒼龍で形としては四角に並んでいた、上空から見ると」

当時の生き残りのパイロットが上空から見たミッドウエイの四空母の位置を
語っている。

「赤城が進行方向に向って右、
 その左が飛龍、

 赤城の後ろが加賀
 飛龍の後ろが蒼龍ですな」

「上空からは全部視認できたのですか」

「高度3千五百くらいから全部見えました、一番最初にやられたのが加賀、
 加賀の搭載機は空だった、全部出した後だったから、

「加賀の雷撃機は」

「格納庫の中、出たのは艦爆と艦戦」

「最初に来たのは」

「偵察機だ、赤城の上に爆弾を落としたが大きく外れた」

「で、偵察がくるからには近くに敵空母がいると思った」

「次にまた二機来て加賀の方へ爆弾を落として逃げた」

「その時は敵の空母の位置は分からなかったが、敵が来るぞと
 みな頷き合ったな」

「基地攻撃の機を収容していたらB-17が来て飛龍に爆弾を落として急旋回して逃げた」

「要するに偵察機が二機ずつ来て、その後B-17が来て、その後ですか急降下爆撃は」

「いや敵の雷撃機が沢山来た、零戦がバタバタ落としたよ、
 敵の雷撃も下手だったが、わがほうの零戦は見事だったね、何発も撃たずに
 1機、また1機と簡単に叩き落していた、大勝利だと思って見ていた」

「どうしてその位置に長くいたのですか」

「そりゃ、四空母とも物凄い対空射撃で空母の上に近寄れないから離れてみていた、
 我々は艦爆だったから、着艦できないまま見ていた」

「彼らは戦闘機の護衛なしで雷撃機のみで大挙して来た、へたくそだった、
 わしは、あれは陸軍機じゃないかと思った」

「陸軍機が雷撃をやるかなあ」

「それにしてもおかしいと思っていた、だけどこれで零戦は全機雷撃機を狙って
 高度を海面にまで下げていた、上空護衛がいなくなったように思った」

「夕方、飛行機の赤いチカチカと光るものを遠くに見た、艦橋でも飛行機か
 カモメかと盛んに双眼鏡を覗いていたらしい」

「敵飛行機の感度大という報告が艦橋に上がった、それが夕方で見難かったが、
 敵の急降下爆撃機だった」

「一番先に攻撃を受けたのは加賀で最初に沈んだのは蒼龍ですか」

「時間的にはそうなります」

「何故、爆弾から魚雷に付け替えたのですか」

「あの当時の母艦の艦攻の技量は神業だった、だから常道として艦爆で甲板を叩いておいて
 雷撃でトドメを刺す、その自信が100%あった時代だった」

「戦闘機同士の戦闘でもわがほうの零戦の技量は敵を子ども扱いしていた、
 驕りがあったかも知れないな」

「爆弾のまま行けば叩けたのじゃないですか」

「それはいえる、だが雷撃に絶対の自信があり、護衛戦闘機の腕に自信があったから、
 正攻法を選んだのだと思う」

「なるほど、で、敵の急降下は何機来たのですか」

「二機、二機、二機、とほぼ垂直に突っ込んで来た、こいつ等の度胸と腕はよかった」

「第一回目は雷撃機だけだったが、第二波は雷撃と艦爆とが同時に来た」

「蒼龍の艦首に爆弾が当たって煙が上がった、その次に蒼龍に敵の艦爆が自爆で
 づっこんで来た」

「えっ、敵の特攻ですか」

「いや、操縦士が撃たれて死んだかそのまま蒼龍の甲板を突き抜けて下の格納庫に飛び込
 んだ、爆弾を抱いたままだから格納庫は大爆発だ、艦長は艦首の爆発で大火傷を負われた」

「それで」

「味方の戦闘機は全弾撃ちつくしてただ舞っているだけ、着艦できないのだ、
 艦は魚雷を避ける為に30ノットで右左に振れている、上空は対空砲で近寄れない」

こんなところを読んでいるうちに、自宅駅についた。

「♪変わる時勢に 背中をむけて

  新撰組よ どこへ行く」

いまいましいな、韓国あたりに舐められて、大日本帝国はどこへ行ったのだ。
 

三四郎外伝「面影」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月27日(水)23時57分44秒
返信・引用 編集済
  まだ戦争の匂いが色濃く残る、サイパン島産まれで台湾から海軍の特攻出撃寸前に終戦になった
三島敏夫という人、復員後にハワイアンの歌手となって数多くの日本式ハワイアン音楽を
残した、「俺はお前に弱いんだ」「二人の世界」「君は心の妻だから」

鶴岡雅義やバッキー白片そして鶴岡東京ロマンチカ、トリオ・カバジェロス、だがいつも
三島敏夫の強い影響が残るどこか淋しい歌声はマヒナスターズまで続いた。

三島敏夫の哀愁が強く残る歌が「面影」「やっと逢えたね」「俺はお前に弱いんだ」

「♪北国の 春浅い川岸

  涙をこらえ ちぎれた雲を

  じっと見ていた あの娘よ

  おくれ毛が おくれ毛が 風に吹かれ

  白いうなじが ふるえてた」

「♪北国の 春浅くめぐって

  別れたあの娘 面影だけが

  今日も心に しみるよ

  淋しそな 淋しそな 影のあった

  可愛いあの娘の 面影よ」

前に日本陸軍の正式歩兵銃だった三八式歩兵銃の事を書いた、

この銃の本当に優れた点が戦後自衛隊によって昭和34年、深く掘り下げられた、
目的はいかにしたら命中率の良い優秀な歩兵銃を戦後の自衛隊に供給できるか、

自衛隊の富士学校、
「小火器体系」という題目に向って研究部を組織し日夜研究が続けられていた、

昭和34年、
もはや単発銃の時代では無い、スナイパー以外の歩兵の標準装備としては自動小銃が
望ましい、

当時の自衛隊は旧陸軍の「九九式小銃」と朝鮮戦争のお古であった「M1ライフル」
の払い下げを使用していた、富士研究所の目的は兵器の国産であった。

米国は朝鮮戦争後すぐに「M14小銃」の量産に入った、戦前の陸軍の小銃はドイツ軍の
ものが規範になっていた、戦後の自衛隊が目指したものは

小型、軽量、発射の反動の小さいもの、低い発射速度で連発
命中精度の良いもの、

これらの条件はちょうど「零戦」設計陣が悩んだように、全ての要件が物理的には相反する
性能であった。

例えば肩にくる反動を小さくしようとし、命中精度を上げようとすると
小銃、自動銃の重量は必然的に重くしなければならない。

軽い銃を求めれば、必然的に銃床を重くしなければならない、これはまた必然的に
発射速度は速くなる、つまり連発する命中精度は悪くなる。

富士研究所が見つけた戦後の目標は西ドイツ軍の「G3]だった、
この銃は口径が小さい、NATO正式弾よりも弱い実包、発射反動を極力抑えて
銃口のジャンプを抑えてある、

大きな遊底で前進後退の時間を長くし、結果的に「発射速度を遅く」してある。

この自衛隊の狙った西ドイツ軍の歩兵機銃は米軍の圧力でNATO共通弾を使うことになり
「G3]は廃止された。

富士研究所の共通合言葉は「発射速度を遅くせよ」に邁進した。

その頃、防衛庁は米国製の「M14]を購入しようと動いていた、富士研究所は
防衛庁に対して「M14]はダメだ、日本人には向かない、命中率が悪いと嘆願した、

発射速度は一分間に350-400発程度の遅い銃が最も理想である、銃は国産すべしと
意見書を提出した、

口径が30クラスの軽い銃だとどうしても発射速度が速くなる、富士研究所はこの速度を
あらゆる緩慢装置を考え、発射速度を一分間に650発クラスの標準を350発まで下げる
事で連射の命中率は飛躍的に上がると結論をだした。

銃床の設計がやり直された、

この設計思想をカービン銃を使って、速度を遅く変えてみた、何度も失敗を繰り返した、

そして生まれたのが、六四式小銃である。

長くなるので、この話はここで終えるが、

三島敏夫から戦争、日本の兵器に話が飛んだが、
日本人は優秀である、誇るべきである、

いま「いずも」をF-35Bを乗せる小空母にと話が飛び交っている、スキージャンプに改造
すれば可能であろう、

そうすれば「かが」も当然、この軽空母の仲間入りが可能である、

だがこの道は、日本という栄光の国家が取るべき道では無い、
作るなら、クイーンエリザベス級からスタートすべきだ、帝国海軍の栄光が泣く。

韓国との関係が必ず悪化する、あの火病の国だ、日本と国交断絶、戦争だと馬鹿群集が
立ち上がる可能性もある、

待ってましたと国交断絶を行なえばいい、「手」は後出しの方が有利である、戦争も
断交も相手の仕掛けを待って正義を日本側に確立するべきだ。

その時には在日・立憲、在日・公明、とすっぱり手を切り挨拶も不要にしよう
自民党は維新を応援し保守連携を行い、憲法改正に持っていくべきだ。

そこで出てくる日本初の空母は何か、名称は「長門」で決まりだ。

7万トンを二隻、英国の空母は26-8ノットだが日本がやるなら30ノットは出すのが
英霊への鎮魂歌であろう。

次はリニアの技術で磁気カタパルトで「F-35C]を80機搭載したら
朝鮮人も支那人も大人しくなるだろう、現在の韓国の動きは絶好のチャンスだ。

在日よサラバ、韓国よサラバで正しい、英霊がうなずく方向に舵を切ろう。

さて、三四郎外伝に戻るが、

仲良くも無いのに出会えばいろいろと私に商売の事、女の事、住まいの事、
聞いてくる人間がいる、悪い企みがあるとは思えない、なぜなら彼はべらべら自分の事を
相手構わず喋り捲るすきだらけの人間だから。

私はいつも「そうですか」「なるほど」「いいですね」それしか言わない、

質問には「そんな事もあるでしょうね」くらいしか答えない、

年を取ったら仲間は不用だ、新しい仲間など碌な関係にならない、

静かに一人で黙っている、騒ぎたいときには誰も知らない自分だけの場所で騒げばいい、
帰るときにも黙って帰る、間違っても「失礼します」などと失礼な言葉は発しないように
気をつけている、人は二つの顔を持って生きればいい、

悪い顔はダメだが、良い人のままで全く異なった世界を二つ持つ事が老人の知恵だ。

「♪別れたあの娘 面影だけが

  今日も心に しみるよ

  淋しそな 淋しそな 影のあった

  可愛いあの娘の 面影よ・・面影よ」

間もなく2018年になる、犬年では無く猫年にしたいと願っている、
別に何の意味も無いが、要するにまた一つ年を取る、

死ぬも生きるも一人がいい、孤独死は理想の死である、

棺おけ式のベッドを買って、いつもその中で寝ようかなどと考えている、

皆さん良いお年をお迎え下さい、
 

三四郎外伝「俺は待ってるぜ」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月24日(日)15時50分59秒
返信・引用 編集済
  いつか書いたが、この世に神という存在があるのなら、
神が人間に与えた最大の刑罰は加齢という意地悪な苦痛だろう。

若い時はこれからだ、こけても頑張るぞ、と立ち上がる。

60歳を超えたら、頑張りようが無い、こけたらそこで寝たきり終りだ、
若い時には先をカウントするが、年取ったら逆廻りの時計だ、あと何日という
オリンピック等で出てくる逆カウントの時計を背負って歩くだけだ。

正直、年を取るという事は機械が古くなるのと同じだ、飛行機、腕時計、
自動車、自転車、テレビ、パソコン、何でも耐用年数が切れたら、いつ突然動かなく
なるか、使うほど良くなるという機械は無い。

人間も血管が古くなると繊細な体の中でいつどこが破裂するか、時限爆弾を抱えて
飯を食っているのと同じだ、万が一にも使い込むほど良くなるという血管は存在しない。

世の中には90歳を過ぎても100歳でも元気な人もいる、これは奇跡なのだろうか、
生まれつきの頑強さもあるだろう、だが若き日々の無茶をしなかったお釣りが少しずつ
彼を長く生かしているのだろう、

私のように、15からタバコを吸い、20代には二箱を日常的に吸い、酒も吐くほど
無茶のみをした人間の血管が異常なしという事はあり得ないだろう、

本来、人間は生物学的には105歳が平均寿命とされている、
だが、私のような若き日々の無茶と徹夜マージャン等の無理、ストレス、105歳からマイナスにマイナスと
引き算を繰り返しながら大台に乗っているに過ぎない。

どっちにしても今年一年もつか、来年はいきぬけるか、そんな体が高齢者の共通だ、
風呂の中、トイレの中、やあこんにちはとドアを開けたとたんにばったりは毎日カウント
される高齢者の危険性だ、臆病になっても仕方無い、死後見られて困るもの、

例えば、ダッチワイフや、バイブや、膨大なエロDVD、静かに処分をしなければ
救急隊の人がコケルだろう。

「俺は待ってるぜ」この歌を書いたのは、
この歌の流れた時代と今とのギャップの大きさだ、懐かしくも悔しくもある。

「♪霧が流れて むせぶよな波止場

  思い出させてヨー また泣ける

  海をわたって それきり逢えぬ

  昔なじみの こころと心

  帰りくる日を ただそれだけを

  俺は待ってるぜ」

「♪ドラの響きも やるせなく消えて

  泣いて未練をヨー 告げるのに

  かわいお前にゃ いつまた逢える

  無事でいるなら せめての便り

  海のカモメに 託しておくれ

  俺は待ってるぜ」

この歌と「俺はお前に弱いんだ」という裕次郎の歌は
ハワイアンで聞くのがもっともいい。

バッキー白片とアロハ・ハワイアンズの歌と演奏はこれ等の歌をまるで違う歌の
ようなムードに引きずりこんでくれる。

私は家で一人の時、裕次郎の懐かしい歌をハワイアンで聴く、そして上手い酒を少し飲む、

しばしの間、あの時代に私を連れて行ってくれる、

二度以上観たい裕次郎の映画は「鷲と鷹」これしか無い、
可憐すぎる10代の浅丘ルリ子にウクレレを弾きながら揺れる貨物船の上で
近づく、白いワンピースのルリ子は「いい歌ね」と言いながら警戒して後ろに下がる、

青いシャツの裕次郎の若さが爆発する、風にそよぐ髪の毛と照れた笑い方、

私はこのシーンをいくつになっても覚えている、

だが、裕次郎の時代に戻るには「俺は待ってるぜ」だ、

それをハワイアンで聴くと、心を揺さぶり体を揺する、

この頃、人嫌いになったように思う、

ある店でかなり高い遠近両用めがねを作った、左目の乱視と近視が酷くなっている、
右左の視力の差が大きい、これもネジが切れ掛かったからだだからしょうが無い。

相当のお金を支払った、支配人のような男が、

「これだけのお買い物を為さいましたら是非ポイントカーとをお作りください、
 今日は特別に五倍ポイントが付く日でございます」という。

「ポイントカードってどうすれば作れるのですか」

「この申し込み書に、住所、お名前、生年月日を記入してくだされば直ぐに
 お作りできますが」

「住所と名前はもうそちらでご存知でしょう、生年月日は個人情報のキイですから
 まさか、銀行や区役所でもあるまいに、そこまでの個人情報は必要ないでしょう」

「一応、当店の決まりですので」

「それなら、他の人もそうでしょうが、どこか一点は出鱈目を書きますよ、
 それでいいですか」

「正面からそう仰られると、いいですとは言いにくいですね」

「私が正直なだけですよ」

「みなさんは免許証を提示されたり為さいますよ」

「それは勇気のある人たちですね」

「何かご心配でも」

「住所、氏名、生年月日の三点に電話番号の情報が揃えばいくらでも本人に成り代わる事が可能でしょう、
 悪く言えば偽造の健康保険証、・・貴方は私にそれを明かす事が平気ですか」

「それはちょっと・・」

「でしょう、それをやり過ぎと言うのですよ、クレジットカードを作るわけでもなし、
 貴社に何かの不利益が起こるわけでもないでしょう、真面目過ぎるのは悪意ありと
 勘ぐられても仕方ないですよ」

「でもポイントが勿体ないですよ」

「論点がぼけていますね、この三点を要求するのは何かの責任が生じる企業とか
 役所です、例えばカード会社、銀行、区役所、病院、それ以外の街中でみだりに
 個人の情報をばら撒く人は破滅願望としか私には思えませんので、ポイントは要りません」

「折角ですのに、勿体無いですね」

「堂々巡りです、貴方は善意で仰っているのはわかります、でもお解かりいただきたいのは
 どんなところでも個人情報は必ず漏れて外部に出ます、理由はそれがお金になるからです」

「役所も、デパートも、カード会社も、銀行も、一人の不心得ものがいれば大量の個人情報
 が外部に売られます、結果的に、思わぬ借金の濡れ衣を着せられたり、不動産の移転を
 されたり、不正アクセスをされたり、現在のAI時代には危険なキイポイントですよ」

「そうですか、それでは何か差し上げましょうか、カレンダーでも」

「いえ、結構です、あと、不具合があればめがねの手直しをお願いしますね」

「引き継いでおきます」

「いえ、引き継ぐのではなくて、作った貴方が不具合があれば責任を持って
 お願いしますね」

つまらない、エピソードだが、こんな時、また人嫌いになる、

さあ、今日はアロハハワイアンズの「俺は待ってるぜ」を聴こう。

「俺は待ってるぜ」
まだ何かを待てるほどの時間が残っているのか、それが問題だ。

霧が流れて、白のダスターコートと細いズボンが日本中に流行った、
私達の中学高校では白のダスターコートが禁止された事があった。

ピカピカの自転車、スカーフをなびかせてセーラー服のプリーツをなびかせて、
あの娘が私の前を行く、私はギコギコと音のするボロ自転車で彼女の後ろついて行く、

彼女が笑いながら同級生の女の子と何かキャーキャー笑って並んで行く、
若かったなあ、若かった、

あの頃は散髪屋で白い布をかけられて椅子を後ろに倒されるだけで、
勃起しそうな気配を必死で抑えた、

この頃は、つくづく我が下半身の老いに涙する、

夜中にトイレに起きる回数が二度に増えた、これが時限爆弾のチックタックだろう、
遠い遠い、裕次郎、

今でも高校生のあの娘の緑のスカーフと濃紺のセーラー服、白のソックス、黒の革靴、
夢の中で時々彼女は私の脳内を走ってくれる、

「俺は待ってるぜ」
 

三四郎外伝「蝉しぐれ」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月18日(月)14時50分29秒
返信・引用
  もう14-5年前の事だった、
NHKの金曜日のドラマで「蝉しぐれ」という藤沢周平の時代劇が
放送された。

文四郎に内野聖陽、お福に水野真紀、バックに流れる主題曲が物悲しく
このドラマを一級の時代ドラマ、恋愛ドラマに仕上げていた。

多くの人を感動させ、後の藤沢周平ブームのさきがけとなった。

江戸時代後期の東北の小藩、下級武士の牧文四郎と幼なじみのお福との
悲しくも美しい心に残る名ドラマになった。

東北の四季折々の美しい風景、下級武士ゆえの苦しみと理不尽な上役の仕打ちなど、
その中で二人は引き裂かれ、ずっと思い続けて最後に再会する。

映画は「20年間、人を想い続けたことはありますか」という副題がついた、

牧文四郎に市川染五郎、お福に木村佳乃、どっちの「蝉しぐれ」が感動させたか。

私は圧倒的にNHKのドラマだと思っている、

映画はアメリカでも上映された、アジアでも上映された、
アジアの反応は今一だったが、驚くことにアメリカではこの時代劇を観て
アメリカ人の男性が何人も泣いたという。

もちろん、最後の文四郎とお福の20年目の出会いと幼い日々の思い出、
そして二人はお福が殿様の死により、剃髪をし尼になる最後の逢瀬でクライマックスになる。

私はNHKドラマに軍配を上げる、

何よりもバックに流れる「はるかなる愛」という主題曲が胸を打つ、
水野真紀の演技が抜群に上手い、内野聖陽も淋しく悲しい雰囲気がいい。

文四郎の胸にお福が顔を、
震えるように見上げるお福、じっと見下ろす文四郎、お福の着物の裾が割れて
白い足がすっと見える、NHKがこの演出をした。

二人は20年間思い続けて、やっと男と女として結ばれる、それは二度と逢えない
最後の逢瀬だ、NHKでは下で待つ駕篭に乗り込むお福を二階から見下ろす文四郎、

ふと見ると、お福の鼈甲の櫛が落ちている、いやお福が置いて行ったのだろう、

じっと駕篭を見つめ、櫛を握りしめて外を見つめる文四郎、蝉の声が一段と高く、

映画でも同じように最後の逢瀬が描かれている、
問題は木村佳乃に悲しさが感じられないのだ、だが物語は同じように進む、

水野真紀の一途な顔と涙は、見るものをどっと泣かせた、蝉の声がぐっと胸をしゃくりあげる。

木村佳乃の顔は現代的だ、市川染五郎は無難だが、木村佳乃は下手では無いし、美しい、
だがなぜNHKドラマと比べると圧倒的にNHKドラマの「蝉しぐれ」が勝っている。

アメリカ人の男性観客達はこの二人の最後の逢瀬をどう受け止めたのか、
物語は悲しく辛い、最後の逢瀬に坂道を父親の死骸を乗せて引く文四郎と
川でマムシにかまれたお福の手の血を吸いだす文四郎の姿、雪の日に米を借りに来た
お福の可憐な姿、坂道の荷車を引く文四郎とそれを押すお福の姿が重なる、

駕篭の中から後ろを振り返るお福、

物語は同じだ、だがどうしてNHKドラマの「蝉しぐれ」が泣けて泣けて仕方ないのか、
映画の方は美しいが、何か足りない。

米国人の男性が感じた日本の時代劇とはかない恋物語、もしも彼にNHKドラマの
方を見せたら、号泣するだろうか、とふと私はつまらぬ想像をしてみた。

「蝉しぐれ」心を打つ名作だ。

実は、私もこの年でかすかな恋をしている、
一度も外であった事は無い、あるクリーニング店のパートの主婦だ、
もう20年以上もこの人と接触をしている。

私は割りとこまめに衣服をクリーニングに出す、この人の名前も知らない、
向うは私の名前を知っている、電話番号も知っている、

取れかけたシャツのボタンをつけて返してくれた、小さな破れ目を見つけて丁寧に
しみを取ってくれた、

私はただ頭をかきながら、「すみません、ありがとうございました」と言って
衣服を受け取る、二週間に一度くらい、私は彼女のいるクリーニング店に行く、

時々指が触れることがある、

彼女は年甲斐もなくぽっと顔を赤らめる、私も慌てて手を引っ込める「すみません」と
言って。

先日の朝早く、そのクリーニング店の彼女から電話がかかってきた、
初めての電話だ、私は寝ぼけ眼で電話を取った。

初めて彼女の声を電話で聞いた、「もしもし〇ですが」
「あのー、xxクリーニングです」「はい」

「あのー、実はこのお店が今月で終わる事になりました、
 今お預けいただいているセーターとブルゾンとマフラーですが、
 出来るだけ今週中にお引取りをいただけませんか、申し訳ありません」

「えっ、どうしたのですか」

「お店が駄目になって・・」「えっ、じゃあ貴女も困るでしょう」

「私、田舎に帰ろうと思っています」「田舎?」

「ええ、秋田です」

「あの、あの・」

「母が年取っていますので」

「そうですか」

「じゃ、失礼します、長い間ありがとうございました、私はxxと申します、
 〇さんもお元気で」

「あの、あの」

「今、お客さんが来られましたのでこれで・・」

電話が切れた。

彼女は主婦だと思っていたが、違ったのか。

「秋田か」

「♪おぼえているかい 解れたあの夜

  泣き泣き走った 小雨のホーム

  上りの夜汽車の にじんだ汽笛

  せつなく揺するよ

  俺らのナ 俺らの胸を」


「♪おぼえているかい 子供の頃に

  二人で遊んだ あの山、小川

  昔とちっとも 変わっちゃいない

  帰っておくれよ

  俺らのナ 俺らの胸に」

もうすぐ、年も終わる、
寒い、東京は凍てつくように寒い、

秋田か、千雪と同じ地方だな、北国の人か、

何だか自分が文四郎に、あのお店の女性がお福に思えた、

まだ自分にもこんな情熱があったのか、

「♪たよりも途絶えて 幾とせ過ぎた

  都へ積み出す まっかなリンゴ

  見るたびつらいよ

  俺らのナ 俺らの胸が」

「蝉しぐれ」過ぎ去った遠い日々、
 

三四郎外伝「悦楽のブルース」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月14日(木)00時59分26秒
返信・引用 編集済
  山口県出身の文学家、作詞家には特異な人が多くいる、
女性では有馬三恵子氏、作家では林芙美子氏、作詞家では
星野哲郎氏、そして私が好きな吉岡治氏がいる。

吉岡氏は映画の主題歌になった「悦楽のブルース」でデビューした、
歌は島和彦、後に「雨の夜あなたは帰る」を歌った当時の異色の歌手だった。

「悦楽のブルース」は退廃的だが、詩的で美しい、

私は若い頃から人間関係が苦手だ、誰とでもすぐ打解けるタイプでは無い、
一人でいても平気だし、孤独が苦にはならない性格だから。

だれかれと無くすぐに心を開き自分自身の事も多少の脚色を交えて得意げに話す
人も知っている、二三度逢っただけですぐに「飲みに行きましょう」とか
「いつも何処で飲んでいるの」とか時には笑えるようなホラ話を大声で話しているのを
聞いた事もある。

人の生き方には千差万別がある、秘密に固まった人、嘘を平気で言う人、ホラを吹く
癖が抜けない人、

私のように自分の方からは決して話しかけないタイプもいる、逆の人も大勢いる、
何が正しいという基準は無いが性格の問題だろう。

人間ってつくづく難しい複雑で敏感な生き物だと思う、

「♪泣いちゃ 泣いちゃ 泣いちゃなんて

  いないわ

  カクテルの

  青い 青い 青い 青いグラスが

  目に うつる

  甘い甘いと つい酔って

  さめりゃ心が ほろ苦い」

「♪どうせ どうせ どうせ どうせ

  男の うすなさけ

  知って 知って 知って 知って

  いながら 何故惚れた

  惚れりゃ 泣くのは女だけ

  憎みながらも また燃える」

この歌を歌った歌手 島和彦はその後 「雨の夜に あなたは帰る」
でNHK紅白に出場した。

あまりメジャーでは無かったが、彼は夜の世界の女性たちに大変な人気があった。
彼の歌はクラブの生演奏で踊る男女にピッタリの歌だった、当時のサパークラブという
青い炎が燃えるような妖しげな雰囲気が良く似合うハンサムな男性だった。

私は時にこんな古い歌を一人で聞きながら散歩をしたりジムに出かけたりする、
その為にかなり高額なソニーの最新型ウオークマンと専用のイヤホーンをかなりの金を
出して買った。

私の引退後を頼んだ男と暫くブリに二人で食事をした、
食事が済んでコーヒーを飲みながら四方山話をしている時にその男が突然
立ち上がった、動かない。

「どうした?」私も彼の側に立って聞いた、

男は硬直したように動かない、良く見ると目が動いていない、
私は彼を抱えるようにして側のソファーの上に横に置いた、

場所がホテルのロビーだったので、私は走り回った、フロアーの人をつかまえて
「病人です、このホテルには医者はいませんか」「いないなら救急車を呼んでください。

ホテルで救急車を呼んでくれた、私は携帯電話を会社に忘れて外に連絡方法が無かった、

やがて救急車が来た、

直ぐに血圧と脈拍などの測定が始まった、私が見ると、血圧は145-98、脈拍は100に
近かった。

彼はまだ若い、信じられない数字だ。

会社の秘書を呼んで救急車に同乗を頼んだ、彼女は直ぐに駆けつけた、
私はどうしても午後の約束があったので病院までは行けない状況にあった。

彼女が持って来た私の携帯で電話をかけた「どうなんだ、彼の様子は」
「わかりません、固まって動かないのです」

「すまんな、突然、私は午後来客の約束があって病院には行けないのだ、頼むよ」

「大丈夫ですよ、私がついて行きます」

会社でお客さんと話をしていたら秘書の女性が帰って来た。私はお客に失礼をして、
「どうだった、病気は何なのだ」「睡眠不足だとお医者さんは言っていました」

「何で睡眠不足なんだろう」「良くわかりませんが、病院で夜は三時間しか寝られないと
言っていました」

暫くして、夜中にポルノを観て睡眠が取れない、それに真夜中に何時間も下痢をするという
報告が入った。

「碌な奴はいないなあ、これがわが社の現状か」情け無くなった。

その彼から私に電話があった。

「どうした?」

「病院で精密検査を受けましたが、体はどこも異常は無い、極めて健康だという事です」

「馬鹿な事を言うな、本当に医者がそう言ったのか、硬直して救急車で運ばれる人間が
 極めて健康ですって、いい加減なことを言うなよ、ちゃんとした医者の診断書を持ってこい
 そうで無ければ現在の職務は当分他の人に交替してもらう」

高齢の私が未だに出張らなければならない、この会社の人材の薄さが身に沁みる。

前の男は会社の金を盗み、xx興産の荒療治でいくらかは取り返したが、

今度の男は突然硬直して目を剥いて倒れる、阿呆の連続だ。

「早紀子、どうしようか、いっその事この会社をwind-up しようか」

「winnd-upって?」

「倒産じゃなくて会社清算、営業停止、という事だ、当局の許可がいるから
 下手したら半年、いや一年かかるかもわからんが」

「いきなりじゃ得意先に何と説明するの、あなたの後の代表が一人は盗人、
 もう一人は痙攣を起こして白目を剥くって、化け物屋敷じゃないのよ」

「そういわれてもなあ」

「君が社長をやらないか?」

「私は嫌ですよ、女ですし、いろいろする事もあるし、家庭と社長の両立なんて出来ません」

「じゃあ、清算だ」

「貴方がカムバックしたら?」

「俺の年を考えてくれよ、判断力も劣っているし、よれよれの爺さんに何が出来るのだ」

「じゃあ、盗人や痙攣さんでしょうが無いじゃないの」

「ま、一ヶ月くれ、その間、君が代行をしてくれないか、大丈夫だよ、
 秘書の優秀な子がいるし」

一時やめていた飲み歩きが始まった、酒には興味が無いがあのネオンの中に
埋没してストレスを忘れたい。

歓楽街へ向う私の耳にはまた「悦楽のブルース」のある種退廃的ある種
遠い昔の懐かしさが心を揺する。

この前空振りをした、我々が呼ぶ八重洲のクラブ、本当の名称はこんないい加減な
表記では無いが昔から私達はそこを八重洲のクラブと呼んでいた。

ここの発端は今はZ会の若者かしらのW氏だ、雄牛のようなずんぐり胴体の
パンチパーマのW氏と初めて会ったのがこのバーのカウンターだった。

当時の場所はサラリーマンが東京駅に向う道筋にあった、その日は多くのサラリーマンで
混雑していた、カウンターは一杯でボックス席も酔った男達の大声が飛び交っていた、

私は偶然に昇さんとこの店で待ち合わせしていた、私は神戸から東京に転勤になったばかりの
サラリーマンだった、

昇さんは三四郎一家の下でYさんの率いる別会派に所属していた、

私と昇さんの用件は、何かのお礼と言って昇さんから来たお金を返すつもりだった、
私は彼らとお金の関係は持たないように三四郎さんからもきつく言われていたから。
また母に心配かけないようにと出来るだけ深い関りは持たないようにしていたが、
19歳の時に三四郎さんへの輸血が私の血液型でなければ合わなかったのが理由で私は
望んだ訳では無いが彼らとの知り合いが増えていた。

実はこの後に出てきたWさんは三四郎さんの取り持ちで私は既に顔見知りだった、
昇さん達にはその事はずっと黙っていた。

私が先にカウンターの一番隅に坐ってビールを飲みながら待っていた、
昇さんがきちんとネクタイをしめて遅れてやって来た。

「すみません、込んでいて坐る場所が無いのですよ」

「そうか、お客さん、ちょいと詰めてくれませんか、一人だけ入れて下さい」

昇さんが私の両隣のかなり酔った男に声をかけた、

男二人は揃って「こんなに込んでるんだ仕方ねえよ」「どっか他所の店を探せよ」

と鼻で笑った、

私は昇さんが切れるのを心配したが、昇さんはぐっと低姿勢だった、

「そうですか、この時間はどこも一杯で悪いですね、そこ一人だけ奥へ
 詰めてもらえませんか、そこ詰められますよね」と隅を指差した。

男たちは「じゃ、お前があの隅に坐ればいいじゃねえか、込んでるのは俺等のせいじゃ
     ねえんだぜ」とまた笑った。

「すみませんねえ、ちょいと大事な話があるのでなーに15分もあれば済む話なんで
 頼みますよ、お客さん」

「しっつこい野郎だな、俺を怒らすなよ」男の一人が向き直ってぐっと股を開いた。

そこへ突然、Wさんとその御供がどやどやと店に入ってきた、

彼らは店を見渡して「おい、ここの経営者か誰かいねえか」と奥へ声をかけた、
店主が出てきてWさんを見て、顔見知りらしく「これは親分、電話くださっていたら」と
汗を拭いた。

その時、酔った男が事もあろうにWさん達に罵声を浴びせた、「店は込んでるんだ帰れ」

これがその男達と周辺の二三人のアウトだった。

Wさんが、「こらおめえら、百姓が一丁前にここらで飲むんじゃねえぞ、おい、
     そこの三人、下りてこっちへ来い」

Wさんの侠が爆発した、

「おめえら、男がアヤつける時は腹を括ってものを言うんだ、おめえ等にその腹が
 あるのか、あるなら助っ人を呼んで来な。
 そこの電話で誰でもいいからケツ持ちがいるなら直ぐに呼んで来い」

「いや、そんなつもりじゃ」

「そんなつもりが無い奴が初めて逢った人間にいい啖呵を切ったな、男の言葉は
 吐いた以上呑めねえんだ、おめえ等堅気か助っ人がいるならすぐに呼んで来い」

男たちは一列に並ばされて小便を漏らすほどに脅された、免許証を取り上げられ、
社員証を取り上げられ、「明日の夕方6時だ、一人100万、迷惑料を持ってこい、
            6時過ぎたらうちのわけえもんがおめえ等の会社と家に
            集金に行く、何か文句があるか」

「100万は出来ません」

「できなきゃよ、うちの金融部門で融通してやる、家を売れ、親戚中走りまわれ、
 サツに駆け込んだらカミさんをさらって売り飛ばす、わかったか」

昇さんがニヤ付いて「おもしれえ事になったな、誰だあれは」

「さあ、知りませんが」「そうかい、向うは〇ちゃんを見てたぜ」

少し前に三四郎さんとの事をWさんは 「なーに、俺が兄貴に惚れたのよ」と口の端を歪めて笑った
事があった。

この店がWさんの所有であり、後にどこかの美人が店を拡大して八重洲のクラブと
呼ばれるようになった、それが私がずっと憧れた女、ここのママであり後にW氏の奥さん、
姐さんと呼ばれるようになった。

話は戻るが、私が昇さんに、「昇さん、悪いですけど、私はこの金はいただけません、
この間の使い走りは前の社長時代からの私の担当でした、ですから亡くなった社長の
為にも私は恩返しのつもりで使い走りをしただけです、それで・・これは」

私はカバンから紙袋に入ったお金を昇さんに渡そうとした。

「おいおい〇ちゃんよ、俺の男が立たねえじゃねえか、そうしゃっちょこばる事もねえだろう」

「だけど」

「俺等はな、一旦出した金と吐いた言葉は呑まねえんだ、〇ちゃんと俺の仲じゃねえか
 何を心配してるんだ、えっ?」

「私の気持ちと三四郎兄さんにきつく言われている金に絡むなという言葉です」

「そうかい? この金は三四郎の兄貴からだぜ、どうするよ、俺は使い走りか、おう?」

「じゃ、昇さん、こうしたらいかがですか、私は亡くなった社長から貰った車が
 あります、私には過ぎた車です、これを今日持って帰ってくれませんか、差し上げます」

「車は何だ」

「BMです」

「色は」

「黒です」

「いいのか、この金じゃ買えネエ車だぜ」

「いいです、私は電車の方が慣れています、また会社が大きくなったら車は自分で
 買います、いまはもてあましていますので」

「おい」昇さんは連れてきた若い士に顎をしゃくった、

「車はわかった、金はいいな」

「このお金は昇さんに投資します、昇さんが大きくなったら利子をつけて返してください」

「この野郎、生意気な口をききやがって」昇さんが私の髪の毛をつかんで揺すった。

悦楽のブルースはこうして私の懐かしい歌になった、


 

三四郎外伝「知らなかったの」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月11日(月)21時20分44秒
返信・引用
  冬晴れで暖かかったので父と母の墓参を思いたった、
墓を分祀して東京近辺にも持って来たいが、ついつい田舎に置いたままで何十年も
過ぎた。

私は何回も父の日記を読み返した、

あの戦争は何だったのかと良く特集が組まれるが、
戦争の真っ只中にいた陸海軍将兵にとっては戦争は戦争であり
それ以上でも以下でもない事がわかってきた。

父たちが抱いていた希望は武勲を上げる、敵を掃討する、
帝國の旗を打ち立てる、それ以外に無い事が解った。

父の日記に陸軍がチモール作戦を開始し、海軍と共同してアンポンを落とし、
オーストラリアに王手をかけて、なぜ一気にオーストラリアを占領しないのかと
書いてあった。

もとより日本国に豪州を占領する軍事力も国力も無い事は当時から理解されていたが、
最前線の兵士や将校の考えは、戦争は速戦が第一である、一気にハワイ占領、米国占領
をと考える人も多くいたようだ、

踏みとどまって、国力と軍事力の現実にぶち当たる、上層部は必死に米国との和平を
考えていたようだ、大きな戦局を動かして、和平交渉を、これが日本国の上層部の
願いであった、だが前線の兵士たちはそうは考えていなかった。

結果はガダルカナルからの米正規軍の猛反抗に遭い、戦局は和平どころか土壇場の連続が
昭和18年から帝國を襲った、戦線の拡大についていける国力は無かった。

この戦争をこのサイズで仕切れるのはアメリカ以外には存在しない事をマキン、タラワ、
そしてトラック、サイパンと象の群れの中の山犬のような日本はただただ踏みつけられて
昭和19年以降はまともな戦争はペリリュー、アンガウル、硫黄島以外には日本軍は
戦う事が出来なかった。

海軍の場合は、ミッドウエイに大敗してもなおソロモンの初期は互角かそれ以上の
戦いを続けた帝國海軍はまだ輝きを失っていなかった。

少なくともマリアナ、レイテ大海戦に敗れるまでは、これから特攻一本に戦争方式が
変わって来る。

だが父の日記を見ると、特攻は当たり前という言葉が出てくる、
身が国家の盾になれるなら本望じゃないか、陸海軍もそう考える下地があった。

日記を見ると現代の私達が考える合理性は無い、あの時代の不敗皇軍を最後まで
ボロボロになっても信じ続けた環境が良く理解できる、

だから戦争批判は現代の目では不可能だと知った、父の日記には日本は最後の一人
になるまで戦うべきだと何度も書いてあった。

「♪知らなかったの 愛したら

  男の人って 強いのね

  いきなりくちづけ された夜

  わたしは蜜に なりました

  あなたがくれた しあわせで

  こんなに頬が バラ色よ

  だからきれいに

  もっときれいに なりたいの」


「♪知らなかったの 愛されて

  涙にもろく なるなんて

  あなたの瞳の 湖で

  溺れるわたしを 許してね

  だから 愛して

  もっと 愛していたいのよ」

伊東ゆかりは、
最初の「小指の思い出」の時の少女の硬さが 「恋のしずく」から
「知らなかったの」「朝のくちずけ」の時には心なしか彼女の唇がほんのり
大きく女らしい膨らみが感じられた。

「知らなかったの」を歌う頃は、もう女の色気がムンムンと匂うような
いい女に成長しているのがわかった。

「おめえはこないだのセイガクじゃねえか」頬に深い切傷のある鋭い顔を
私に向けた、これが三四郎さんとYさんのコンビが社長を兄貴として立てながら
愚連隊としての組織的な動きを始めた最初だった。

三四郎さんとYさんは兄弟盃を交わした強い結束で結ばれていた、

私がぴょこっとお辞儀をすると、
「セイガク、男になれよ」と背を向けて車に乗り込んだ、

男になれ、どういう意味だろう、その時は私は解らなかった、

私は社長の倉庫でアルバイトをしていた、アルバイトというより正社員のように
働いていた、それ以降三四郎さんは会社に姿を見せなかった。

代わりにケンさんと昇さんがしょっちゅう会社に来た、彼らも三四郎さん達の一派であり
愚連隊は次第に大きくなり、ある名門の流れを貰い、組としての本部を構えた。

「力の足りネエ俺達は命一つが資本だ、特攻隊よ、わかるか」

昇さんが私に言った、言葉どおり、彼らは大きな組織に挑んでいった、

私は三四郎さん達の切込みが、
父の日記にある日本が真珠湾、南方へ怒涛の進軍を始めた姿と重なって見えた。、

私は黙々と倉庫でダンボールを積み重ねる単純作業に汗を流していた、

ケンさんの背中に斜めに吊ったドスを見た、拳銃をベルトに差し長めのドスを背中に
彼らは戦艦大和になろうとしているのだと感じた。

私はその頃に千雪を見た、事務員募集に来て、断られて膨れて会社の門を出て行く姿が
可憐で可愛かった。

三四郎さんとYさんは自ら日本刀を持って縄張りを巡って切り込みを繰り返していた、
現場を見た事は無いが、

無造作に「Y,行くぞ」「へい」この言葉は聞いた、
後姿を見送った私、雨の路地を二人が並んで歩いて行く、

まるで後の映画のシーンのような姿を見て私は思わず震えが来た、
たった二人で20人以上がいる事務所のガラスを蹴り破り、相手に白旗を上げさせた、

二人は何度も拘留された、数ヶ月見ない事もあった、1年以上見ないこともあった、

私にはこの人たちは無縁だと無理にも言い聞かせていた、
私は金と女が欲しい、何とか伸し上がるんだ、どうすれば、そればかりを考えていた、

その頃の女性はみんな純情だった、騙し騙されるようなことは私は経験が無い、
「どうして女ってあんなに綺麗なんだろう、どうして女は男を狂わせるのだろう」

「♪だから 愛して

  もっと愛して いたいのよ」

ラジオからはいつも伊東ゆかりの歌、小川知子の歌、Jポップスと呼ばれるようになる
これまでの歌謡曲とは曲調が違う歌が流れ始めた、

外国の歌、「ボーイハント」や「ヘイポーラ」、彼女達はこんなアメリカのポップスを
日本語で踊りながら歌い、ラジオからテレビの時代になった。

グループのはしりのようなキャンデーズという女性グループの歌、日本は明るく輝き
始めたが、私の環境はどん底のままだった。

学校にはたまにしか行けない、何とか叔父を探し出して、何とか無事に卒業して
母を安心させたい、

「♪知らなかったの 愛したら

 男のひとって 強いのね

 いきなりくちづけ された夜

 わたしは蜜になりました

 あなたくれたしあわせで

 こんなに頬が バラ色よ

 だから きれいに

 もっときれいに なりたいの」

三四郎さん達の組織はZ会となった、あちこちで銃声が響き刀の火花が散った、
ケンさんが最初の頃よりもまるで違った顔つきになった、目が全然違った、

社長も同業なのか、私にはわからない事ばかりだった、

私は時間を見つけては千雪と逢い、新宿の屋台で貧しい食事をした、
下宿に帰ると母の手紙が届いていた、父と同じような丁寧な字でいつも
私の体を心配し、ご飯は食べているか、悪い人たちと交わらないように、

母の手紙が来た日は、私はいつも薄い布団を被って泣いた、
「母さん、俺は頑張る、母さん俺が成功するまで元気でいてくれ」

毎回母の手紙には「悪い人と交わらないように、ご飯はちゃんと食べているか」
同じ事を書き綴ってあった、

「だから愛して

 もっと愛して いたいのよ」

俺は成功する、待ってろ母さん、俺は東京で成功してみせる、

そんな孤独なわたしが好きなのが市ヶ谷のお堀にかかった橋だった。

夢は一杯、みんな錆び付いたが、その度に私はこの橋からお堀の水を見つめた。

私も三四郎さんにも千雪にも同じように
川は流れた。









 

三四郎外伝「恋のしずく」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月 8日(金)17時03分2秒
返信・引用 編集済
  「♪肩をぬらす恋のしずく

  濡れたままでいいの

  このまま歩きたい

  きっとからだの中までしみるわ

  そしてあなたの あなたの言葉を

  忘れないようにしたいの」

私が高校生の頃、東京では学生運動が盛んで安保闘争に継ぐ
第二の学生運動が東大、新宿西口、荒れ狂っていた。

私にとっては遠い遠い対岸の火事であり、学生運動などなんの興味もなかった。
この頃から自分は東京へ行く、父の財産を騙し取った叔父を見つけ出すと心に
決めていた。

学校から帰ると納屋の中で大きなヤスリを研ぎ加工して叔父に向けるべく
守り刀を一生懸命に造っていた。

基本知識が無いから、熱したら鉄が脆くなるだろうと思って、
固い鋼鉄のヤスリを渾身の力をふるって研いで研いで研ぎまくっていた。

やっとヤスリの削り目が薄くなりところどころに刃物の光が見えたとき
思わず叫びたくなるほど嬉しかった。

一年以上かかって私は手製のナイフというか小刀のようなものを完成させた、
握りになめした革を細く切って何重にも蒔きつけグリスで固めてはまた蒔き付けた。

それを柳行李の底に隠して母の涙で見送られ、
手渡されたわずかの金を下着に縫い付けてフェリーに乗った。

「♪ 頬をぬらす恋のしずく

   あなたのせいなのよ

   私のためにだけ

   それは二人の愛のしるしね

   だからやさしい やさしい心を

   じっとだきしめて いたいの」

東京について安い下宿に入って、明日からどうやって生活をしようかと
考えていた、金は無い、学校へ行くよりもまず親が当てに出来ないために
自活を真っ先に考えなければならなかった。

この頃に毎夜、下宿の前を酔って大声で
「♪月が笑うぞ 三四郎・・」と歌いながら、
誰かれなしに喧嘩を吹っかける乱暴者が現れた。

後に私はこの人と特別な関係になるのだが、実際の私はそれどころでは無かった、
明日の飯が食えない、何とかしなくては、18歳の私は食うことしかまず頭に無かった。

見つけた一膳飯屋は特別に安かった、
大盛りの飯と漬物と一品だけガラスのケースから取り出すことが出来た、
飯には必ず歯にじゃりっと当たる小石が入っていた、

その飯屋は畳敷きで靴を脱いで上がって食べるようになっていた、
食べ終わって靴を探すと私のはいてきた靴が無い、

裸足のままで表に飛び出すとだいぶ向こうを確かに見覚えのある私の靴を
履いた男がタバコをふかしながら角を曲がろうとしていた。

私は男に追いついて、

「それはわしの靴じゃ、間違えたなら返してくれ」と言った。

男は「何を、てめえ因縁つける気か、これは俺の靴だ」

「靴の裏を見せてやんない、わしの靴なら鋲が前に二箇所後ろに一箇所打ってある」

「このやろう、田舎者が、ただじゃおかねえ、裏へ来い」

「裏へ行くまえに靴を見せてください、これはわしが上京するときにお袋が
 買ってくれたもんじゃ、見せてやんない」

男はいきなり殴りかかってきた、私は目の縁を殴られてふらついた、
男はなおも私の顔を殴ってきた。

私は痛いけど靴が無くては明日から仕事も出来ないと思い、男に飛び掛った、
男はフイをつかれて私に抱きつかれたまま倒れた、
私はまず男の靴を脱がせて底を確かめた、間違いない、私の靴だった。

「これを見ろ、この靴はわしの靴じゃ、あんたの靴は向こうの店に残っとるはずじゃ、
 一緒に行ってやるけん、靴を脱げ」

男は「こらあ、田舎もん、殺されるど」と叫んだ、「殺されても靴の方が大事じゃ、脱げ」

私は男から靴を引き抜いて、そのまま履いた。

今度は男が裸足になった、男は私を蹴ってきた、私の鋲のついた大型の靴の
蹴り返しは男を悶絶させた。

翌日から私はこの男と一派に付けねらわれた、飯屋も道路も夜も昼も、
ある日、下宿に帰る途中で男らにつかまった、彼らはくぎ抜きの長いものを
持っていた、鉄の棒だ。

それを私めがけて振り下ろしてきた、肩を殴られた、夢中で二人に抱きついて
頭を道路に打ち続けた、後ろからまた鉄の棒で背中を殴られた、

眩暈がした、

その時に雪駄を履いた黒い下着とステテコ姿の男が三人をでかい拳固でボコボコと殴り始めた、
強い、見る間に三人とも道路の端に血を流してひっくり返った、

「何の喧嘩じゃ、言うてみい」男は角刈りの凄みのある普通じゃない声で私たちに聞いた、

私を襲った男たちは知っている相手だったのだろうか、土下座して謝りはじめた、

黒のステテコの男は一人ひとりの財布を抜き取り、中のお金を全部取り出して、

「おい、おめえは何だ」と私に向き直った、

「学生です」

「セイガクか、セイガクが一丁前に喧嘩なんかするんじゃねえ」「はい」

「よし、わしが間に入って手打ちじゃ、お前ら三人も来い」

男は三人から巻き上げた金で呑み屋に入って、椅子に胡坐をかいて、耳に挟んだタバコ
をくわえた、「火じゃ、火ーつけんかい」男は私たちに言った、

三人は完全に呑まれてマッチをすって「すんません兄貴」と言った。

「わしがいつおめえの兄貴になったんじゃこら」男はマッチを差し出した男の顔を
汚い足でドスンと蹴った。

それから延々と、男の一人舞台が始まった、

「おい、酒が足りんぞ、銭も足らん、すぐもってこい」三人のうち一人が表に駆け出した、

暫くして駆け出した男が二人の派手なシャツを着た男を連れて帰ってきた、

男らは黒ステテコの男に凄みだした、

「表え出ろ」黒ステテコの男が飲みかけのビール瓶で一人の頭をどしっと言う音
で殴ってゆっくり雪駄を履いた。

表では一人がドスをぬいて黒ステテコに向き合っていた、

この黒ステテコの男は何者なのかと私は見ていた、男はドスをぬいた相手の
首を左手で握り、右手で果てしないパンチを道路の向こうまで殴りとおしていた、

やがて派手なシャツを着た男が血だらけになって電柱にもたれて座り込んだ、
黒ステテコの男はシャツの男の懐から財布を抜き取り中の金を全部取り出して財布を
どぶに捨てた、

襟首をつかんで黒ステテコは店に戻ってきた、店ではもう一人のシャツ男が頭から血を
流して店の隅にしゃがんでいた、

黒ステテコの大宴会が始まった、

歌は「♪月が笑うぞ 三四郎・・」

あっ、この人だ、毎晩私の下宿の前を通るのは、そう気がついて私も逃げられないまま、
黒ステテコの男は彼らから巻き上げた金で気前良く酒肴を注文して、

「おい、もう一軒行くぞ」と合計六人を引きずりながら坂の上のスナックへ入った、

一晩中、黒ステテコは男たちに「金が足らんど持って来い」夜明けまで脅かし続けて、
雪駄を鳴らしてどこかへ帰っていった。

靴は無事だったが、
驚いた、東京というところはとんでもない奴がいるもんだと。

「♪ 髪をぬらす恋のしずく

   やさしい手が触れると

   青空が見えるの

   そうよ あなたは太陽なのね

   だから私は 私はいつでも

   あなたを愛して いたいの」

私の恋の歌はとんでもない幕開けになった。

次にこの男に会ったときは、男は縞の背広にネクタイを締めて外車に乗ってきた、
社長が帰り際に、「三四郎」と男を呼んだ。

社長が私を呼んで、「こいつは学生だが見所がある、目をかけてやれ」
と社長が言った。

「おう、こないだのセイガクじゃねえか」頬に傷のある凄みある笑顔を私に向けた。

 

三四郎外伝「わたしの城下町」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年12月 6日(水)18時16分6秒
返信・引用 編集済
  「♪格子戸をくぐり抜け

  見あげる夕焼けの空に

  だれが歌うのか子守唄

  わたしの城下町

  好きだともいえずに歩く

  川のほとり

  往きかう人に

  なぜか目をふせながら

  心は燃えてゆく」

「♪家並がとぎれたら

  お寺の鐘がきこえる

  四季の草花が咲き乱れ

  わたしの城下町

  橋のたもとにともる

  灯のように

  ゆらゆらゆれる

  初恋のもどかしさ

  きまずく別れたの」

「♪橋のたもとにともる

  灯のように

  ゆらゆらゆれる

  初恋のもどかしさ

  きまずく別れたの」

この歌が流れた頃 70年代が始まった。

私はこの歌を聴き いつも楽しくもなかった故郷を
思っていた。

小柳ルミ子という人の宝塚的な美しさと丸顔の愛らしさに
夢を重ねながら私はまだ地を這ってなれない大都会で戦っていた。

私はこの歌を神戸で聴いた、宝塚がすぐ近くの寮に住んでいた、
阪急電車宝塚線は西宮北口から出発し甲東園を経て終点宝塚駅に着く。

電車の中で沢山の宝塚の生徒やスターらしき人を見た、
私は西宮北口から阪急電車の三宮行き特急に乗り換えて六甲を
経て三宮駅に通っていた。

阪急電車の宝塚線と神戸行きの沿線は古くからのお金持ちの住まいとして
有名だった、三宮駅である女性に道を聞かれた。

神戸のある場所に行くにはどう行ったらいいのですかと丁寧なお嬢様の
ような雰囲気で若い女性が私に聞いてきた。

ちょうど大丸へ向かう方向だったので、私の通勤先と同じ道だった、
「こっちです」私は始めて女性に声をかけられて真っ赤になりながら先にたって
歩いた、女性は少し離れてついてくる。

「あの歩き方が早すぎますか」と聞くと、

「いいえ、男の人と一緒に歩いているのを上級生に見られたら大変なので」

「上級生って、学生さんですか」

「はい、音楽学校です」

「ああ、音楽学校ですか、どこにあるのですか」

「あの宝塚です」

「えっあの宝塚ですか」

「あの宝塚です」

「何組ですか」

「まだ決まっていませんが、たぶん星組だと聞かされています」

「道はこっちです」

私がまた並んで歩くと、彼女は立ち止まり、「先に歩いてください」と言った。

「ああ、すみません」

私たちは変な形で10mくらい先を私が進み、振り返っては方向を示し、

後ろで女性がうなずいて遅れながら付いてくる。

「あのー、あそこに映画館がありますね、お訊ねのお店はあの映画館の左にありますよ」

女性が始めて「あ、ここですか」といって側に来た、

背が高く色の白い目の大きな綺麗な歯をした都会そのものという感じの女性だった。

私はいつまでも彼女がスカートのすそを翻して消えた映画館の側の道を見つめていた、

「世の中にはあんな綺麗な人がいるんだ」と馬鹿のような顔でつぶやいてずっと
後姿を見つめていた。

TVで小柳ルミ子さんを見たとき、「この人じゃなかったかな」と独り言をいった、
だが顔の形が違っていた、雰囲気はあの道を聞いた女性と同じだった。

それ以来私は宝塚出身の女優が好きだ、宝塚歌劇は見た事はないが。

世の中には高嶺の花があっていいのだ、それが人生の原動力になる、
心の中に一生触れることの出来ない花をたたんで私の神戸、東京の生活が始まった。

苦しいときにはいつも思い出す、故郷の景色、何もいい事はなかった故郷だけど
心の中にしまっておく大事なものの一つだ、高嶺の花も無いよりあったほうがいい。

やがて私は東京本社に転勤になり東京の生活が始まった、
いろんな人にあった、その中にミミズのミーさんと呼ばれていた正体不明の人がいた。

私たちの課と取引のあった小さな会社の営業部長だった、

あるとき私と課長と係長で何かの挨拶に出向いたときにその会社から食事に誘われた、
主催は営業部長のxx氏、それがミミズのミーさんと呼ばれる名高い変人だった。

神戸でも確かミーさんという男性を知っていた、

宝塚と打って変わってどぶ川のフナのような癖のある人だった、
「何でミミズのミーさんと呼ばれるのですか」私は係長にきいた。

「あの人は武道の達人だそうだよ」

「それが何でミミズのミーさんになるのですか」

「本当の話かどうかは知らないが、あの人は古武道の達人で殺気を感じると
 座ったままでパッパと2mくらい飛ぶそうだ」

「座ったままでですか?」

「うん、椅子に腰掛けたままでパッと2-3m先の席に一瞬で飛ぶそうだ、
 それを連続でパッパパッパと飛び回ることが出来るそうだ」

「せわしないですね、何か蝿みたいで」

「それにな、あの人は地中を這うミミズの音を正確に聞き取り、その位置を
 特定出来るそうだ」

「それって、何の為にですか?」

「さあ、それはわからん、だけど凄いだろう地の中を移動するミミズの動きを
 聞き取るそうだぜ」

「何の役にも立たんでしょう?」

「さあ、それはわからん、武道家だからな」

「ミミズの足音を聞き分けるのが武道家ですか?」

「まあな、聞いた話だが、
 xxさんが家で食事中に床下をミミズが這う音がうるさいと怒鳴って
 奥さんを殴り倒して食台をひっくり返したそうだ」

「なんでそれほどミミズにこだわるのですか」

「ミミズのミーさんだからな」

そんな環境の中で私は一歩一歩人生を歩んで行った。

暫くたってミミズのミーさんが逮捕されたというニュースを聞いた、

係長に「どうしたんですか」聞くと、

「何でも夜寝ているときに床下のミミズがうるさくて寝られない、、
 そのミミズが隣の家の床下に移動したので怒って隣の家をぶち壊したそうだ」

「きちがいですね」

「・・・」

「彼は会社で何の営業部長をしているのですか」

「わからん」

川は流れた、

宝塚音楽学校の生徒との一瞬の出会いと宝塚線の思い出、小柳ルミ子、

東京での三四郎さんやケンさん、社長との出会い、化学品課の課長、係長、カナちゃん、
そして池上線の中小の成型工場とそれを搾取する注文主、

妙な馬の先生や、麻雀の先生、それにミミズの武道家、

みんなを合わせて川は流れた、夕陽がいつも綺麗だった、市ヶ谷の橋の上からみる
お堀の景色、川は流れて、夢は錆び付き、私は年を重ねていった。

金は無かったが、あの頃が一番幸せだったかも知れない。

平和だなあ、
わたしの城下町という歌、初恋を書かせたら特に上手い安井かずみ氏の作詞、

日本が戦後一番良かった時代、やがてバブルに突入して銀行家が国をめちゃくちゃにした、
無責任極まりないのが銀行という企業だ、必要悪ならミミズのミーさんも必要悪かもしれない、

後にミーさんは合気道の道場を開いて一時隆盛を極めたが若い女と駆け落ちをして
消えた、誰にも同じように川は流れた。



 

三四郎外伝「さすらい」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年11月29日(水)20時57分52秒
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  「♪夜がまた来る 思い出つれて

  おれを泣かせに 足音もなく

  なにをいまさら つらくはないが

  旅の灯りが 遠く遠くうるむよ」

「♪知らぬ他国を 流れながれて

  過ぎてゆくのさ 夜風のように

  恋に生きたら 楽しかろうが

  どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ」

「♪あとをふりむきゃ こころ細いよ

  それでなくとも 遙かな旅路

  いつになったら この淋しさが

  消える日があろ 今日も今日も旅ゆく」

この曲が流行ったのは昭和35年、私はまだ小学生だった、

だがこの曲の淋しさになぜか父を想いだして一生懸命にラジオに耳をすませた。

後で知ったのだが、
なぜ父の事を想いだしたのか、この曲はフイリッピンのルソン島で壮烈な戦いを
繰り広げていた陸軍兵士、兵隊によって歌われた曲に戦後歌詞をつけたものと知った。

「さすらい」という曲はもうひとつある、
だけど私は小林旭の兵隊ソングの曲の方に親近感を感じる。

私は「さすらい」を聞くと、いつも秋刀魚の匂いを思い出す、
どういう訳かこの曲が流行っていた頃、学校の帰りにどこかで秋刀魚を焼いていたから。

話は変わるが、前にも書いたが
男というものは、職場を失うと物凄い寂寥感に襲われる。

曲がり無りにも「社長」と呼ばれる事に慣れていた、ある日、会社を失い
路頭に迷う人、ある日定年で会社を放り出される人、ある日引退で後進に道を譲って
夕陽を背にして長い影を見つめる時、男というものは女と違って環境の激変に適応が
出来ない不器用な生き物だ。

男稼業で肩で風切りブイブイ言わしていた兄いが、ある日、破門、絶縁、組織の解散、
その塗炭に男は只のおっさんになる、前が凄かったほどその落差は大きい。

会社人間も組織を離れて半年も経つと名刺を見ながら、記念写真を見ながら、
在りし日が泣きたいほど恋しくなる。

我慢をして孤独を貫くのが正解だが、
人によっては昔仲良くしていた取引先に「ちょうど近くを通りがかりましたので」
とか言って、仲良くグラスを交わした得意先の仲良しを訪ねて行く事がある、

大間違いだ、相手は迷惑この上無い、関係はその人が組織人で取引先だったから
に過ぎない。

人によっては、昔の職場を訪ねて行く馬鹿もいる、
上役風を吹かせて「どうだい、元気でやってるか、何かわからない事があったら
いつでも遠慮なく俺に聞いていいんだよ、今度、ゴルフでもやるか?」

大迷惑であるが、こういう人はそれに気がつかない、時間の経過と共に、自分はもう
終わった人なんだと、嫌でも知らされる。

昔のように年賀状を100枚書いても返事は5通だけ、それもパソコンで大量生産した
宣伝交じりの無機的なものばかり。

終わった人は、ここから終わって最後は本当に命も終わる、葬儀に来る人は親戚が来れば
関の山だ、数人に見送られて一条の煙と消える。

私はそのような例を山ほど知っているので、自らが無為に昔の知り合いを訪ねる愚は
しないでいる、年賀状も一通も書かないし、クリスマスカードも一通も書かない。

この年で新しい知り合いや友人を求めるのは詐欺の山に飛び込むようなリスクがある、
静かに、隠遁をする事が自分には似合っている。

飲みに行くのは人の情けにすがるためではない、金を自前で払って飲むのに何の気兼ねが
いるだろう、酒場の女と話すのは料金のうちだ、情にすがるものでは無く商取引だと思って
いる。

「社長」と呼ばれていた現役時代には接待と称する食事会や飲み会がかなりあった、
ゴルフの予定もずいぶんあったが、私はゴルフは嫌いだ、常に断るか代わりに誰かを
出席させた、そんな毎日に突然幕が降りる、

この頃は自分で自分を接待するだけだ、会社で関係の有った人との連絡を絶つために
電話、メール、全てを削除した、私は巷のおっさんというか、巷の認知症一歩手前の
老人に過ぎない、だが体の動く間は動物だから動き回る、

不思議なもので、人間は社会性のある生き物だから、いつの間にかどこかで同年代か
それ以上の暇な老人と知り合う事がある。

耳が遠いのか呆けているのか、話はくたびれる、私の言う事は一切聞こえていないような
人と知り合った、彼は何か猛烈に喋り続ける、私にも脈絡が無い話は理解できないままで
ただ笑顔を向ける、彼は大きな声で何かの話をひとしきりしてワハハと笑う。

最近は私はこの人の話しが終わらないうちに、さっさと遠ざかることにしている、
ウザイという言葉そのままだが、このおっさんといろんなところで良く逢う、

スーパーで逢う、信号待ちで逢う、塗炭に大きな声で何かを私に話している、
知り合って数ヶ月経つが、彼が何を訴えているのか、まるでわからない。

「あのスポーツジムが引っ越すようですね」と彼が言ったような気がした。

「えっ、あれできたばかりでしょう」と私が言う。

「岐阜の方で取れるそうですね」と彼、

「えっ、何が取れるのですか」私、

「昨日行ってきましよ」と彼、

「岐阜にですか」私、

「いや、風呂です」彼、

「何の風呂ですか」私、

「あそこの店は盛りがいいですよ、味もええですよ」彼、

「何の話ですか」私、

「この頃はプールの中を歩きですよ」彼、

「えっ、何の話」私、

「昨夜、地震があったでしょう」彼、

「じゃ、また、さよなら」私、

こんな生活が引退生活だ、これが世に言う、終活というものかも知れない。

「さすらい」この歌は、秋刀魚の匂いのする田舎道で遠くの淡い灯を見ながら
夕暮れ時に聞くのが一番ピッタリ来る。

無情、侘しさがつのる、「さすらい」、

「夜がまた来る 想いで連れて・・」

高校時代には自転車をこぎながら日本は何故あの戦争に突入したのかと考えたりした、
この頃は、日本は何故あの戦争を止められなかったのかと考えるようになった。

「後をふりむきゃ 心細いよ、それで無くても 遥かな旅路」

「何をいまさら 辛くは無いが」

人生、さすらいだ。

何も新たには出て来ない、持っているものを切り崩すだけの余生だ、








 

君がすべてさ

 投稿者:彗星  投稿日:2017年11月26日(日)23時48分39秒
返信・引用 編集済
  「♪これきり逢えない 別れじゃないよ

  死にたいなんて なぜ云うの

  遠く離れて 暮らしても

  ただひとすじに 愛しているよ

  君がすべてさ 君がすべてさ」

「♪心の小箱に しまっておくよ

  やさしい君の 面影を

  頬をぬらして 光ってる

  その涙さえ 愛しているよ

  君がすべてさ 君がすべてさ」

「♪希望(のぞみ)を果たして 迎えに来るよ

  必ず待って いておくれ

  かたく結んだ 約束の

  指先までも 愛しているよ

  君がすべてさ 君がすべてさ」


それからずっと何かの折に私はこの歌を口ずさんでいた、だけど決して
人前でこの歌を歌う事はなかった、何か自分には似合わない歌だという
引け目があったから。

私がこの歌を口ずさむのはいつも車の中だった、
「君」という言葉に誰か特定の女性を考えた事は無かった。

「君」には通り過ぎて行った数多くの女性たちの幻があった、
それは取りも直さずに過ぎ去った時代に若き自分を投影する未練だった。

この歌をラジオで聴いた頃から大分たって、私はまだ田舎にいたが、
父は他界し母は叔父に騙されて没落し化粧もせずに額の汗を拭っては
あちこちの雇われ仕事で僅かなお金を手にし、私に当時良く駄菓子屋で売っていた
バナナ菓子という表面がカステラ状で中に白餡が入った、当時としては得がたい
お菓子だった、母はこれを一本だけ買って帰り、姉に半分、私に半分与えて、
自分は食べずにニコニコして二人の様子を眺めていた。

姉は田舎には珍しくすっきりした顔立ちの母に似た美人だった、
だが何を間違えたか土木会社の社長を名乗る男に言い寄られいつの間にか
隣町に頻繁に行くようになった、私は子供心にも姉が女になって何かあの男との
間にあるのだと感ずいていた。

私が高校一年に上がった頃、姉はこの社長と称する粗野な男の妾か女房か
曖昧な存在になり、時々母と私が暮らす家に纏まったお金や母の着物、私のシャツ
なんかを持っては帰って来た、

母は常に機嫌が悪かった、姉の相手に対して母は父の仏壇に向って、「お父さんごめんなさい、
〇恵はお父さんのめがねにかなうような相手では無くこんな仕儀になってしもうて、
本当に許して下さい」と肩を震わせていた。

ある夏の日、私が母の手伝いの為に学校から帰ってくると、姉が来ていた、
私の顔を見ると顔をそむけた、顔に青あざが出来ていた。

「姉ちゃん、どうしたんなら、その顔、誰にやられたんじゃ」

「何もないよ、うちが転んだの、あんたは気にせんでええ」

「気にせんでええいうて、そげなあざは転んで出来るもんじゃないぞ、あいつに
 殴られたんか、言うてみい」

その日はそのまま姉は帰った、

それからまた姉が母の膝にすがって泣いているのを見た、

「姉ちゃん、何があったんじゃ、何が泣くほど詮無い事があるんじゃ、言うてくれ
 わしが話しに行ったるけん」

「お前には関係ない、心配せんでええ、姉ちゃんは何もあらせん」

「母さん、ほんまか、何も無いのに泣くのか、何があるんじゃ」

「・・・」

母と山の仕事をして一休みしたとき、
「なあ、母ちゃんよ、姉ちゃんは幸せじゃないようじゃ、わしが連れ戻しに行こうか」

「あんたは大人の世界は何もわからん、心配せんでええ、何もせんでおくれ、頼むけん」

私は汽車で1時間かかる隣の町まで出かけた、母にも内緒で汽車に乗って、
姉の葉書の住所を尋ねた、何人もの人に聞いてやっとそれらしい平屋を見つけた。

「ごめんなさいよ、誰かおんなさるか」私は玄関先から声を出した。

中から暖簾のようなものを分けて、じっとこちらを見ている男がいた、
かなりの大男で酒臭かったこんな昼間から、姉は見当たらんようだった。

「わしは、隣町の〇いうもんですけん、わしの姉がこちらにご厄介になっとるいうて
 聞きましたもんで、どげな様子かと訪ねて来ました」

「われは、何なら、〇恵の弟か」

「そうじゃが」

「〇恵の弟が何の用じゃ」

「姉は今日はどこへ行ったですか」

「ちょいと酒買いに出しただけじゃ、何の用事じゃ」

「ちょっと入らしてもろうてエエですか」

「おう、入れ、あんまし時間はないど」

「初めて面会願います、わしは〇恵の弟の〇ちゅうもんです、まだ学校に行きよります」

「話しは何じゃ」

「話はですね、ここ二回ばかり姉が泣いて家に帰ってきとります、顔に青あざこしらえて、
 何か、姉がお宅さんに無礼なことでもしましたかの、わしが代りに無礼なら謝りに来ました」

「お前にゃ関係なあ、はよ、いねや」

「弟じゃけん、関係あるでしょうが、あんたは何の仕事しよりますか、昼間から酒食ろうて」

「われ、生意気な口きくと、承知せんど」

「どこが生意気ですかいの」

男が出て来て私の襟首を掴んで家の中に引っ張り込んだ、男はいきなり大きな拳で
私の顔を殴りに来た、

始めから予想していた事なので、おっさんのパンチは避けた、この奴はろくな奴じゃ
無い、私は学生服が汚れたらいかんので、脱いで上がり口に投げ、いきなりおっさんの
股を蹴り上げた、おっさんはウオーというような声を出して、最初火箸、次は台所の
包丁を持って、猛烈に振り回し始めた、

こいつはいけん奴じゃ、私は火箸のもう一本を手にしておっさんの目に突き出した、
そのまま台所に走って、三本あった包丁の長いものを手に持って、体ごとおっさんに
ぶっつかって行った。

おっさんも私をかわして「小僧、殺されたいか」とだみ声で怒鳴った。

私は包丁を下から上に何回かしゃくりあげた、その内の一回がおっさんの胸と顎を切り裂いた、
「死にはせんじゃろ」私はそのまま火箸でおっさんの太腿を思い切り突き刺した。

おっさんがいつの間にか握った、割り木で私は失神するほど殴られた、顎がずれたと思うほど、
くらくらと眩暈がした、死ぬもんかと思っておっさんの顔に火箸を突っ込み、包丁でおっさんが
手すりにおいた手の指を上から思い切り体重をかけて切った、

おっさんは目と顎と腹と太腿から血をぼたぼた垂らしながら庭に飛び出した、

おっさんは私を殺す気だ、だけど私は死なないように急所を避けている、長引けば私が
やられる、私の白いシャツはおっさんの血と私の鼻血と目からの出地で赤く汚れた、

年の差でおっさんが少し弱ってきた、私はおっさんの股の男の急所を狙って蹴って蹴って
蹴りとおした、おっさんは、「止めじゃ、こがな阿呆な喧嘩できるか、止めじゃ」

と怒鳴った、私はまだ蹴り続けた、こいつが二度と女を抱けないようにと願って潰す気で
倒れたおっさんの股を蹴って蹴って蹴った、ズボンを通してじわーっとおっさんの血が流れ、
「おい、止めじゃ、止めんかい」とおっさんは両手といっても片方は指が二本切り落されて
いたが、両手を広げて私を制止した。

「おっさん、姉ちゃんを家に帰してやんない、二度と近づいたら今度は殺しにくるど」

おっさんは何も言わなかった、私はおっさんの汲み置きのカメの水にシャツを浸して
洗った、固く絞ってそのまま着て学生服を着て、帽子を被った、

「おっさん、ええか、わしが言うたことするかせんか、性根を据えて返事しちゃりない」

「わかった、わかったけん」

「きっとやど」私はおっさんの倒れている顔の前に包丁と火箸を地面に突き刺した、

振り返ってみたが、追ってくる気配はなかった。

「♪望みを果たして むかえに来るよ

  必ず待って いておくれ

  固く結んだ 約束の

  指先までも 愛しているよ

  君がすべてさ 君がすべてさ」


それから暫くして私はフェリーに乗り上京した。




 

三四郎外伝「ふるさとの話しをしよう」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年11月16日(木)23時58分44秒
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  同窓会に行かなかったがずっと気になっていた、
高校時代の悪の代表だったBからメールが来た。

「同窓会に何で来なかった、あいつもこいつも〇の事を話していたぞ」

読み進むと、
「あいつは今癌の末期で入院中じゃ、こいつはこの夏に死んだ、
 あいつは・・みんな病気の話が続く、〇、お前は無事か、帰って来い、
 ふるさとは、ふるさとはなあ、何も変わっておらんぞ、山も川も昔のまんまじゃ」

思わず目頭がうるんできた、「ふるさと」の話しをしようか。

私達の高校は田舎なれども普通科が4組あって180人くらい、それに農業科が二組あって
80人くらいいた、合計で1学年合計で260人は最低でもいた。

学校の校庭から見える小さな富士山のような山、海抜600mくらいだったが、
堂々とした山だった、古木が生い茂り、子供の頃、「天狗松」と呼んでいた
近くで見上げると恐ろしいような不気味な巨木だった。

夏休みには一日中川で泳いだ、泳ぎながらいつの間にか一人になって
ふと見上げると黒々とした巨大な蛇のような天狗松が覆いかぶさり、恐かった。

子供の頃には、その巨大な松の木が大蛇になってうねっているような錯覚で
川から上がって全速力で田圃のあぜ道から農道を走り遠くに民家の灯が見えたら
ホッとして、後ろを振り返った。

その山も夕方になると黒く聳えて密林のような木々がゴオーっという風の音、
その連山の一つにある天狗松がいよいよこの田舎は妖怪の棲む里のような雰囲気があった。

だが昼間の陽光を浴びると美しい田圃と麦畑を縫って走る小さな道、山はどこまでも青く、
水は澄み切っていた。

海も近かった、山あり、川あり、海もあった、

私のふるさとはこんな風景のふるさとだった。
棚田も連なり、都会から写真家が時々この田舎の風景を撮っていた、

その中を自転車に乗り、中学、高校へと通った、みんな健康そうな目の澄んだ
仲間たちだった、Bとは高校時代に良く連れ立って他高と喧嘩をした、

Bは度胸が坐っていた、高校生としては一端の悪だった、
私達は学校をサボって土手に寝転がってタバコを吹かして馬鹿話をした、
Bは「わしは、都会に出て男になる」と言った、「どういう意味じゃ」
「どうってよ、こがな田舎で燻っても所詮たかが知れとろうが、じゃけんわしは
 都会に出てよ、腕一本で人生を変えちゃるんじゃ」

だがBは結局、大きな話とは別に、田舎に残って親父のあとを次いで農業と酪農を
続けた、都会に出たのは私の方だった。

「♪砂山に さわぐ潮風

  かつお舟 はいる浜辺の

  夕焼けが 海をいろどる

  きみの知らない ぼくのふるさと

  ふるさとの はなしをしよう」

「♪鳴る花火 ならぶ夜店に

  縁日の まちのともしび

  下町の 夜が匂うよ

  きみが生まれた きみのふるさと

  ふるさとの はなしをしよう」

「♪今頃は 丘の畑に

  桃の実が 赤くなるころ

  遠い日の 夢の数々

  ぼくは知りたい きみのふるさと

  ふるさとの はなしをしよう」

Bのメールで私の心は学生服のあの時代と恋をしたあの子の思い出に
飛んでいった、それが「あいつが死んだ、あいつは癌じゃ、こいつは・・」

時の流れの残酷さ、

私は今の日本は繁栄していると思う、だが、父の生きた日本は
苦しかった、貧しかったが、国家が輝いていたように思う、

今の日本は
韓国クラスに良いように悪し様にいわれ、あり得ない低姿勢を強いられている、
若い人たちはこれが日本だと思っているだろうが、

昔を知る私達には大日本帝国時代か、或いは外国の事など何にも知らないですんだ
高校時代の方がずっと輝いて思える。

最近寝る前に海軍の巡洋艦の戦記ものを読む、「愛宕」「鳥海」「大淀」らの
戦記は私の心を躍らせる、

トラックの位置を見るとグアムやサイパンに近く、南にはラバウル、東にはクエゼりン、
死の戦場となったソロモンはもっともっと南の果てだ、

トラックは太平洋のど真ん中だ、目を閉じると聨合艦隊の勇姿がよみがえる、
父は死をくぐりぬけたが、辛いという言葉は一言も日記には出てこない、

軍属でありながら、軽爆で英軍の戦車隊に突っ込もうとした父の生きた時代は
必ずしも悲惨と片付けるほど単純では無い事を知った。

父が書いたトラックの春島、その他の島々、出入りする海軍の大戦艦、空母、重巡、
父は海軍の人に連れられて、春島にあった料亭に行った時のことも書いていた。

犬猿の仲と言われた陸軍と海軍にあって、父は当時の最先端の武器であった航空機の
メカ屋で半分軍人だった為に、海軍の航空隊からも応援を頼まれたようだ、

春島は平和だったと書いてあったが、父が離れて暫くしてトラックが壊滅したという
話をビルマに帰ってから聞いたと書いてあった、海軍が頼りの戦争だったと父は書いていた、

インパールに向う兵士達と一緒に握り飯を食っている写真もあった、

父は友軍が撃墜した英軍の新鋭機の捕虜の持っていた拳銃を見て驚いたとも書いてあった、
恐らくスピットファイアーだったのだろう、ハリケーンでは無いと思う父の書き方から
父の驚きが伝わってきた、

主翼の滑らかさとプロペラの良さ、機銃の品質、みんな父は驚きで書いていた、
だがこの戦争は負けだとは一行も書いてなかった、検閲を恐れたからでは無い父の
本心がそのまま日記にあった。

ふるさと、
父のふるさとが私の生家だ、父の歩いた麦畑の風景にはビルマで助けた中尉と
一緒に駅まで歩く父の姿が日記に活き活きと表現されていた。

父が愛した私のふるさと、私もふるさとを愛している、

ふるさとの話しをしよう、



 

三四郎外伝「父の足跡」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年11月 4日(土)00時55分46秒
返信・引用 編集済
  父の日記はノートに紙を惜しむようにびっしりと隙間無く
書き込んであった、中には日付がわからないものや軍機密の
為に自ら書いた後をインクでなぞって消しているものもあった。

昭和何年ごろだろうか、
父の日記に「初めて海軍さんの軍艦に乗る」という日記があった。

日記には「キの六一整備の為にトラックに向う」とあった、

陸軍には野戦航空修理廠と船舶修理廠、そして移動修理斑という航空機整備
の部隊があったそうだ。

通常は陸軍の航空整備は陸上で行なうが、海を隔てた占領地に向うには
船舶修理廠は停泊地を回って修理を行なう、いわば海軍の「明石」と似た機能を
もつ陸軍の航空修理の船舶であった。

「弥彦丸」という7千トン近い大型船で少佐をトップに200数十名の整備兵が
乗り組み各地を回って、エンジン、プロペラなどの整備と修理を行なっていた。

この船は開戦後ビルマのラングーン港に1年近く停泊し、この方面の航空活動を
助けラバウルにも移動した。

父は第六十一戦隊の「キー六一」部隊との接触が多かったが、主に「ハー四0」の整備
が最も大変な仕事だったそうだ、父は経験を買われて一時期この「弥彦丸」で「ハー四0」
というエンジン整備に没頭した時期があったと日記に記されている。

陸軍部隊のラバウル進出にあわせて「キー六一」=飛燕はトラック経由でラバウルに
飛行する計画を立て、「キー六一」部隊は最大の敵「P-38]との激戦で消耗をしながらも
青島経由、香港経由でラングーンからシンガポール、そしてトラック島へ、

そこから海軍機に誘導されながらラバウルへ向うのが通常だった。

ある時父と部下の整備兵は基地が攻撃を受けそれを撃退する時間を要した為に
「弥彦丸」の出港に間に合わず、方法を考えていたが、

ちょうどラングーン港に立ち寄り食糧や水を補給している海軍の軍艦があると聞き、
上層部を通して海軍に話を通して10名程度なら乗船を許可するとの電報を受け取り
沖合いに停泊していた大型の一等巡洋艦に乗る事ができたそうだ。

この巡洋艦の名前は記されていないが、この時期この地域を動いていたのは「鳥海」か
「熊野」だろうと私が勝手に類推したが、証拠は無い。

父は日記の中で初めての海軍の軍艦に大きな驚きを隠せず、馬鹿のように口をあけて
巨大な鉄の城を眺めたとあった。

途中で敵潜水艦の出没という連絡で巡洋艦は見る見る最大速度に上げてローリング、
ピッチングを繰り返して、父と陸軍兵および整備兵たちは船酔いで死にそうになったと
書いてあった、

その中に海軍兵との会話が少し書いてあった、「ずいぶん早いですね、どのくらい出ているの
ですか」と聞くと戦闘態製らしくピリピリしており誰も答えてくれなかったそうだ。

暫くして、大尉らしき将校が来て「陸軍さん、ここは揺れますので中で休んでください」
と士官室に通された、「ありがとうございます、早いですね軍艦は」と父が言うと、
「そうですか、あれで35くらい出していました」と答えて父たちにカレーライスを
ごちそうしてくれたと書いてあった、

「海軍はこんなに美味い食事を毎日しているのか」と連れの陸軍少佐と他の整備兵は
びっくりしていた、父も陸軍とは食い物が違うと実感したと書いたあった。

トラックに到着し、遠くに巨大な戦艦を見てまたびっくりしたそうだ。

「海軍というのは確かに無敵な軍だ」とみな驚いたそうだ、ここで「ハー四0」を整備
し「キー六一」=飛燕を整備し、かなりの数の飛燕部隊が轟々とエンジンを回す音は
爽快なりと書いていた。

父の姿が活き活きと日記の中に浮かび上がる、

大破した同形機の脚や胴体を切り取り、整備する飛行機を直す、アメリカでは考えられない
だろう、日本はものが何もかも不足していた。

ぼんやりと父の事を考えていた、

会社で沢山の問題が出ていた、驚いた事に大きな問題に立ち向かい、
最後の一人まで夜遅くまで会社の為に戦ってくれた人たちは日本人では無かった。

私の会社だけの問題だったのかも知れ無いが、会社に損害をかけ会社の金をくすねた
人間は残念だが、全部日本からの出向者だった、彼らは問題が大きくなると逃げ出すように
辞表を出したり、嘘の限りを尽くして言い訳に終始した、

私はF専務が手がけた海外の支店のたてなおしの為に香港とシンガポールに飛んだ、
私は一営業マンのような気持ちで残務処理を残って助けてくれている現地のスタッフたちと
夜遅くまで問題点の洗い出しと損害を整理し、残った金でどういう風にこれからの会社運営
を行なうか彼らと会議をし食事を共にした。

みんな目が綺麗だ、

その内の一つの支店は閉めなければならないほどの損害を抱えていた、
私は正直にこれだけの損害が出ている、いま会社に残っているお金はこれだけだ、
残務整理に今年一杯はかかる、政府の許可も必要だからと説明した、

彼らの一人、General Manager の男はまだ若い、ここで時間を無駄にする必要は無いと
私が彼に諭すようにいった、君はいい大学をでて前途がある、ここで残務整理をして
時間を無駄にするな、と私は彼に言った、

意外な答えが「ボス、私の給料をこれだけ下げてください、他の皆も一律にここまで
       給料を下げる事に同意してくれています、それで、会社の残務の最後まで
       私達は残ってここでやります」

私は暫く言葉が出なかった、

損害を与え、この原因を作ったのは日本から派遣した日本人と現地で採用した日本人だ、
彼らは日本人というだけで住居の補助と他の現地人よりは遥かに高い給料を取っていた、

その日本人は問題がこじれたらさっさと逃げて行った、その内の一人は告訴するつもりだが、

私は日本人として恥かしかった、現地人に任すな金を誤魔化される、悪い事をされるぞ、
そんな決まり文句が日常だった。

今度の結末は違った、

私はくっきりと見える南十字星を見ながら、涙がこぼれた、

「親父、見ているか、俺も父さんと同じ空の下にいるんだ、会社で起きた事は
 父さんが空から見ている通りだ、人間って肌の色や国籍で決まるものじゃないな、
 父さんが敵に対しても愛情のある目で観察したように俺もやっと解ってきたよ」

「父さんは、現地人に対しても英軍の捕虜に対しても親切にしたと日記に書いてあった、
 他の搭乗員の少佐クラスからは父さんは殴られたとも書いてあった、でも部隊長だけは
 その少佐を叱り飛ばして、戦争だ、勝てば官軍、負ければ賊軍、捕虜は名誉ある捕虜だ、
 俺は捕虜になる前に自決するが、敵の捕虜には何の罪も無い、彼らは彼らの国家の命令
 で我が軍に立ち向かって撃墜されただけだ、捕虜はもう敵では無い」

父が心から慕った部隊長、父さん俺は今は良く解ってきたよ、

翌日から残った数名が我武者羅に働いてくれた、すまない彼らの給料は削ってある、
すまない、そんな想いが強く心を打った。

F君と私の秘書をやっていた女性が側に来た「ボス、頑張りましょう、きっと上手くいきます」

「おお、君はこないだ子供ができたって聞いたが、無事出産できたのか、良かったな、
 そうか女の子か、君に似て優しい子だろうな、これ・・本当に少ないが」

私は包んだお金、日本円で二万円くらいを差し出した、彼女は「そんな、要りませんよ、
要りませんよ、私は産休で長いこと会社を休んでいましたし、お役にたっていませんので」

「馬鹿な事をいうな、産休は立派な勤務の上だ、君が残ってくれて本当に心強いよ、
 大丈夫か、旦那さんはそんな会社辞めろとは言わないか」

「大丈夫です、むしろ励ましてくれています、社長さんを助けろって」

あんまり俺を泣かすなよ、すまない、きっと償いはする、心に決めて、
早紀子に電話をした、一部始終を話した、「良かったわねあなた、あなたがみんなに
優しかったからよ、だからみんながんばってくれるのよ、あなたがみんなの心を掴んだのよ」

早紀子はそう言ってくれた、よーし、しばらくここの後始末をみんなが帰るまで事務所に
残って頑張るぞ、そう決めた、みんな夜の8時9時まで書類を整理し、メールをうち、
脇目もふらずに頑張ってくれている。

私は夜帰るときに会社のシャッターを卸し、アラームの暗唱を入れてセットするまで
みんなと一緒に帰らずに事務所に残っていた、みんな私に笑いかける、

ふと現地のFMラジオが小さく日本の歌謡曲を流している、これは許可しているので
みんな聞きながら仕事をしている。

何の歌だろう、聴いたことがあるなあ、

「♪さよならと さよならと

  街の灯が ひとつずつ

  消えてゆく 消えてゆく

  消えて行く

  わがまま言わず 帰っておくれ

  今夜はこれで さようなら

  明日の晩も 逢えるじゃないか」

つづいて、テレサテンの「空港」が流れてくる、

私が立ち上がって、「さあ、みんなそろそろ切上げようか」

みんな黙っている、「なあ、あまり遅くまでやると体に触るぞ」

「あの、ボス、どうぞお先に、私達はもう少しだけやって上がりますから、
 See you tomorrow]

「Happy Halloween]私は声をかけて先に会社をでてホテルに戻った、

「父さん、父さんの戦争はいまだんだん解ってきたよ、戦闘機隊の人たちも
 人間を憎んで戦争をしたんじゃないいだ、国家の為に立場が違っただけなんだ、
 父さんが乗せてもらった海軍の一等巡洋艦はきっと「鳥海」だと思うよ、違うかい」

空には絵で描いたような南十字星が、

「サラバ ラバウルよ また来る日まで・・」

「父さん、俺は父さんに逢いたいよ」

私は計らずして父の足跡を踏んだような気がした。
 

三四郎外伝「夜霧に消えた・・」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年11月 1日(水)20時32分7秒
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  嫌な事件が起きる嫌な時代に私達は生きている。

昔は喧嘩はそこら中であったが、稼業人以外の素人の喧嘩では
転げあって取っ組みあっても、殺すという事は滅多に起きなかった。

昔の人は私も含めて限度を知っていたのだろうと思う、
今の時代の人は一旦切れたら殺すところまでブレーキがかからない。

時代じゃない、政治だと思う。

日本と言う国に誇りがもてなくした政治に国民の心の問題もあると
感じている、

衆院選挙でも異常な現象である、立憲民主党等と言う国家否定の党が元気がいい、
まっとうな政治という標語に反してまっとうな下半身は持たない集団のようだ。
日本国を共産化しようとする、ちょうど韓国の文と同じような思想に被れているのか
或いは彼らが半島人だから自然にそう思うのか、真偽は解らない。

昔のように自民党が少々の醜聞は抱えていても国家そのものであった時代と
今のように左翼が外国勢力と結託して日本を売ろうという政治政党はごく小粒で
例外的な害毒の無い時代だった、あの60年安保の全学連全盛時代ですら国民は
日本国を売ろうと考えるような異常な政治には背を向けた。

これが節度、喧嘩の限度というものだろうと思う、

暫くぶりに会社に出た、会社を辞めたら、社長を辞したら、
会社時代の人脈は捨てるべきだろう、元の会社の名前や階級を口にすべきでも無い。

会社を退任した後で何かの起業を志し、昔の人脈が必ず役にたつと信じて疑わない
知人がいる、昔の人脈は役にたっただろうか、

現実はその逆だ、昔の彼がバリバリ仕事が出来て人脈もあったと勘違いしたのは、
何とか会社の何々さんだったからに過ぎない、元の所属会社を去れば一切が消えるという
現実に気がつかない人はまだいる。

私は社長時代の人脈をどうこうしようとはしていない、人脈は別の人脈で会社とは
関係の無い人たちとただ馬鹿を言って酒を飲む程度で彼等に金銭的な期待など全く無い。

ただ私はまだ会社の株式の8割を所有している為に決算時や銀行関係やまだ
いろんなところで私は会社に関係を持っている、私は相談役とか顧問とかそのような
タイトルは持っていない、そこまで関る必要は無いと考えている、

間もなく私の所有株も早紀子と今度の新しい社長に譲ろうと思っている、本音は売却したいし
買い取って欲しいのだが、彼等にその金を出す余裕が無いのは知っている。、

私は現在は株主で株式の配当を求める権利がある、しかし経営や人事に関るべきでは無いと決めている
から前の取引先をのこのこ訪ねるような愚は犯していないし新社長が決める人事には口は出さない。

今日は昨年の決算と海外支店の決算書の役員以外の株主としての役員の継続任命書と
決算と費用を承認するという書類がある、海外支店はこれがことの他多い、

従って私は実務は離れている、社員に上役風をふかす事は無い、ただ金は
貰います、配当は貰います、投資に反対は致します、その為に個室はまだ
残っている、早紀子は現役役員だから彼女は経営権があるが、私は役員の任命権だけ
しか持っていない。

だが実は大きな会社ではこの株主というのが一番の権力者だ、これが資本主義というものだが
我々中小企業では株主の権利と役員の権限が混同されているケースが多い、実際には株主が
即ち社長であるという解り易い家内工業式会社が多い。

で・・前置きが長くなったが、Hさんから電話が入っていた、メモを見ると
私の携帯に伝言が残っていた、携帯は親子携帯にして親機は会社に置いたままだ、

「ああ、Hさん、先日はどうも、何かお電話をいただいていたようですが」

「あ、〇社長ですか、いやあ、この間は本当に失礼を致しました、Tさんも
 何回も無礼だったかなあって心配していました」

「何を仰います、私のような退役老人に日の出の勢いのあなた方お二人が何で
 気をつかう必要がありますか、無礼も失礼もありませんよ、こちらこそ恐縮
 します」

「実はうちの親父が一緒に飯をと言っていますので」

「親父って、鉄さん、それともWさん?」

「Wの親父です」

「何でそんな上の人が、突然私と飯って、何なの話は」

「良くは解りませんが、三代目から何か怒られたような、いえ、詳しくは知りませんが」

「Hさん、私は街の片隅の老人です、あなた方のトップの叔父さんの前にしゃしゃりでて
 御託を並べるほど図々しくはありませんよ、どうかWの叔父さんには私のような力の
 無い馬鹿を相手に為さらないでください、三代目が何を言ったか知りませんが、私には
 関係の無い、あなた方の内輪のお話しでしょう、Hさんとなら寿司でもつまみましょうか」

その話はそれで終わった、Wの叔父さんか、そうそうあの元の八重洲のママが奥さんだ、
あの女性はいい女だったなあ、Wの叔父さんの息がかかってなかったら・・・」

私はふらりと立ち寄ったという風に八重洲のクラブ、今は場所を銀座よりに移しているが
そこに立ち寄ってみた。

カウンターで昔話をしながら音楽を聞く、この店はママの趣味で昔の歌謡曲を
歌なしの演奏でバックに流してくれる嬉しい店だ。、

「♪俺のこころを 知りながら

  なんでだまって 消えたんだ

  チャコ チャコ

  酒場に咲いた 花だけど

  あの娘は可憐な

  可憐な 娘だったよ」

「♪夢のないのが 淋しいと

  霧に濡らした 白い頬

  チャコ チャコ

  忘れはしない いつまでも

  あの日の悲しい

  悲しい まなざしを」

私は嬉しい、こんな懐かしい曲が生演奏で聴ける、老人には何よりの癒しだ。

ママはまだ店にいなかった、どんな風に年取ったかなあ、
私は逢いたい気持ちを抑え切れなかった、まるでクラブのママをやる為に
生まれてきたような女性だった、着物が一輪さしの花のように良く似合う。

「♪青いネオンが 泣いている

  紅いネオンも 涙ぐむ

  チャコ チャコ

  帰っておくれ もう一度

  俺のせつない

  せつない この胸に」

一時間ほど一人で飲んでいた、ここのつまみは絶品だ、実に美味い。
顔見知りの女性と世間話をしながら、

「〇社長、おいくつになられました、いつまでもお若いので」

「いくつに見える」

「さあ、紳士方のお年は解りにくいですから」

「嘘だろう、女性の年は解りにくいが、男の年って見たまんまだよ、
 俺はもう60代の半ばだよ」

「ええっ、うそー」

今風な驚き方をする、

「嘘ーってまさか戦前生れとは思ってないでしょう、街に溢れている団塊の世代ですよ、
 卑下して言うのじゃないけど、会社人間を終わったら何一つできない路傍の石です、
 君なんか若いから解らないかもしれないが、男は権力を奪われたらもうそれで終りだよ」

「・・・でも、仰るほど老けてはみえませんよ、本当に」

「男は強がっているが弱い生き物なんだよ、権力と組織に頼る、ライオンの雄と
 同じだよ」」

「もうママもお見えになると思います、きっとママは大喜びだわ、
 だって一年くらいお見えになっていないのじゃ」

「7ヶ月ぶりかな」

とうとうママは私の時間帯には店に来なかった、

老人は一人肩を落としてふわふわの絨毯に躓くように歩いてのめりながら帰途につく、

「青いネオンが泣いている

 紅いネオンも涙ぐむ

 帰っておくれ もう一度・・」

帰って欲しいのはわたしの青春だけど。
 

三四郎外伝「有楽町で逢いましょう」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年10月28日(土)16時23分13秒
返信・引用 編集済
  死ぬってどういう事だろうか、
要するに血流が止まることで意識が無くなり
人間から一つの物になる事だろうか。

父の日記を見ていると
インパールからの敗残兵たちの自決がそこら中であった、
瀕死の兵を揺り起こしたら「これで楽になれる日本に帰れる」
殆んどの兵は意識がある時はそのように呟いて死んでいったと父は書いている。

死んだら楽になる、
この感覚は日本人だけでは無く西洋でも普遍的だったようだ、

楽になるのに人間は死を恐がる、
だがインパールやガダルカナルのような生きる事がこの上ない
苦痛に感じられる状況では死はリリースだったに違いない、

見知らぬ兵に「手榴弾」をお持ちなら分けて下さいと懇願されたと父は日記に
書いている、

その後、優勢な英軍の戦車隊が轟々と日本軍を押し戻してきた、
日本軍にはもはや戦う武器も体力も無く、ウジの涌いた痛む足や体から
逃れる為には自決という逃避しか残っていなかったようだ。

英軍はその後、中国軍と合流してビルマの日本軍の掃討を始めた、
父の戦闘機隊の基地上空は英軍の戦闘機が低空で飛び交った、

基地で飛べる飛行機は争って爆弾の無い自爆特攻に飛び立った、
最後に残ったのが部隊長と父だったそうだ。

部隊長は自室に入り鍵をかけた、自決だろうと父は思った、
部屋に入る前の部隊長に父は「部隊長、自分もここに残った軽爆機で英軍に
突っ込みます、何とか飛べるように整備しましたが、爆弾がありません、
爆弾特攻を許可して下さい」と父は部隊長の後姿に怒鳴るように叫んだそうだ。

部隊長は立ち止まり「君は逃げて生き延びろ、もう爆弾も機銃弾もガソリンも
残っていない」と言った

「部隊長、ガソリンは機内にまだ10分くらいは飛べる量が残っております、
爆弾があれば使わせてください」と言ったが「爆弾は無い、飛べる機は君が直した
その軽爆一機だけだ、ここでお別れだ、靖国で逢おう」それが部隊長との別れだったそうだ。

父が中国に入った時の日記には「軽爆の機首を立てて離陸しようとした時に
機銃掃射を受け機の後ろ半分が吹き飛ばされた、機はクルクル回転して片側の翼が
滑走路に触れてほぼ仰向けで止まった」父は特攻ができなくなって戦闘機隊で一人
残った。

部隊長の部屋を壊して中を見ると軍刀で腹を貫き、拳銃で頭を撃ち抜いて
自決されていた、父は木造の戦闘機隊の兵舎に火をつけ全てを焼いた。

河岸で歩兵部隊の中尉に出会った、自決寸前だった中尉を止めて川を渡ったのは
前回紹介した父の日記だった。

この時代の人々は実に真面目に日記をつけていたようだ、粗末な藁半紙のノートに
書きにくい万年筆や鉛筆でどの兵もどの将校も日記はつけていたそうだ。

私の親しかった中国人、文革で逃れて英国領の香港に逃げてきた典型的な
現在の香港人のルーツだが、彼はご他聞に漏れず香港ドリームを実現して
巨万の富を持つ複合企業のトップになった、

私は彼とは薄からぬ縁があった、彼の家族も知っている。

その彼が病死したという訃報が届いた、ずっと逢っていなかったが、
あっけないものだ、風雲児がピッタリの彼の人生、海を四日間泳いで香港に
たどり着いた、この辺りは外の香港の新興財閥のトップの人々と全く同じルーツだ。

人は死ぬんだ、

東京有楽町に大阪ベースのそごう百貨店が東京に進出してきた、昭和31年ごろの
話しだ、有楽町の駅前、現在のビッグカメラがそのそごうの東京店のあとだ。

当時のこの地域の盛り場は銀座であり映画も歌も全てが銀座だった、
少し離れた有楽町は数寄屋橋とSKDのショーのあるビルがあった、現在は映画館が
複数入っている、隣が日活ビルだった有楽町は闇市が林立し銀座とは全く異なった
吹き溜まりのような感じで西銀座と呼ばれてひっそりと存在していた。

その「そごう」の開店ソングが「有楽町で逢いましょう」だった。

Tさんが「やあっ」と私に向って手を上げた、握手を求めるように右手を差し出してきた、

目が絡み合った、

「〇社長、暫くでした、新幹線の神戸の手前でしたねこの前は」

「そうでしたか、Tさんは二代目に?」

「いや、まだ重役たちが大勢いますので、あたしは代行です、まだまだですよ」

「今日はまたHさんとお知り合いとは思いませんでした、何時からですか」

「Yさんの取り成しでWの叔父貴とゴルフの時に紹介をされてそれ以来馬が合うって
 いうか、時々こうして」

「そうでしたか、まさかHさんと」

「いや、看做し盃ですよ」

「それ、勝手な縁組は禁止されてるんじゃないですか、YさんやWさんはご存知なのですか」

「いや、二人だけの事です」

「誰かに知られたら事ですよ、まあ私がどうこう言う問題じゃありませんが」

さっきからTさんの背後から私にじっと魚のような眼を向けている若者がいる、
妙な目だ、睨むでも無し、敵意がある訳でもなし、目全体が絵の具で描いたように
表情の無い動かない目でじっとこちらを見ている、見ているのか、ただこっちを
向いているのか、訳がわからない。

Tさんがあわてて、「あ、これ、これね、あたしの運転手です、気にしないで下さい」

ママが来た、「あーら、三人ともお知り合いだったの」とお酒を作って私達の前に。

「ま、よろしく」Hさん、カチッとグラスを合わせて呑んだ、

このクラブにはピアノとサックスとギター又はバイオリンの三人の奏者が入っている、

懐かしい「東京午前三時」という曲が流れて来た。

「♪真っ赤なドレスが よく似合う

  あの娘想うて むせぶのか

  ナイトクラブの 青い灯に

  甘くやさしい サキソフォン

  ああ 東京の 夜の名残の

  午前三時よ」

「♪可愛い顔して 街角の

  白い夜霧に 濡れながら

  待っていそうな 気もするが

  あの娘気ままな 流れ星

  ああ 東京の恋の名残の

  午前三時よ」

HさんもTさんもきょとんとして曲に興味を示さない、いくつ違うのだ私と、
倍か三倍か、そんな事はないな、年の差20歳か・・大きいなあ。

ママとは35歳、ヘルプの大学生とは三倍は軽く超える、年を取ったな、
ふとあの香港の財閥の知人の死を考えた、

彼は享年68歳と知らされた、早すぎる、あの元気でエネルギッシュな顔が
思い出される、死とは自決なのかも知れないなあ。

「♪面影まぶたに 裏路へ

  出れば冷たい アスファルト

  似た娘 乗せゆくキャデラック

  テイルランプがただ赤い

  ああ 東京の夜の名残の

  午前三時よ」

曲に合わせて踊る中年の男性の姿も見える、

私がこの目の前の二人40代には何をしていただろうか、夢中で駆けていたのは
間違いない、この二人のような余裕は無かったはずだ。

「Tさんのところは金融はやっていますか」

「うちは本筋じゃないですが、枝のxx興産がやっていますが、何か?」

「あそこの頭は懇意ですか」

「どうも場面が見えないですが、あそこは元々Yさんのところの系列ですから
 うちは金融部門だけ面倒見ているので詳しい事は知りません、何かお手伝いできる
 事がありますか」

「いや、別にちょっと引っかかりがあったものですから、ひょっとしてと思って」

「あたしはxxについてはそれほど手を突っ込んでませんので、もし何かお困り
 でしたらうちの別のものが詳しいですからご紹介しましょうか」

Tさんの態度はでかい、自信を持っている証拠だ。

Hさんはずっと沈黙をしている、Tが兄分なのかも知れないな、私は自分の年に
嫌気が差しており社長引退も私から覇気を奪っている、

敏感にTは私の弱さを見抜いたかも知れない、そうだとしたらTはたいしたものだ、
ゆくゆくは二代目を継ぐだろう。

「Hさん、素人の私が余計な事ですが、噂はすぐに広まります、
 Tさんとは看做し盃にしろ、鉄さんを通じてWさんの了解を取っておいた方が
 いいと思いますよ、同じ暖簾うちですから大きな問題じゃないでしょうが
 通しておいた方が、余計な事ですか」

Tが口を挟んできた「〇社長、お言葉はありがとうございます、アドバイスは
良く理解しましたので下手は打たないように気をつけて起きます、ありがとうございました」

この野郎、皮肉を言っているのか、私は黙っていた、

彼らの上部組織は7-8年前に込み合った事があった、余計な事だったか。

どうもTの運転手という男の絵に描いたような平たい目が気になる、
冷たいでもなく、敵意があるわけでもない、だが嫌な目だ。

「Hさん、Tさん、私はお邪魔でしょうから、この辺りで失礼をします、
 とうも年を取ると酒が早く回って足がもつれます、今日はお招きいただきありがとう
 ございました、じゃ、ママ私の向うの席の支払いをカウンターで」

ママが「いいじゃないですか〇社長、郵送いたしますから、ここでお支払いいただいたら
    ご縁が切れそうで嫌だわ」

みんな上手いなあ、みんな只者じゃ無い、私だけが只の者、消え行くのみだ。

Hさんが後ろを追いかけてきた「〇社長、気を悪く為さいましたか、Tさんとはやはり
何かあるようですね、私の考えが足りませんでした、失礼しました」

「Hさん、全然違いますよ、今日は感謝しています、Tさんとは別に何もありませんよ、
 前の事はうちの営業部長のSというのがいまして、そいつとTさんの女との関係を
 私にぶっつけてきただけです、筋違いですよ、彼も今はそれは知っています、何も
 ありませんよ、ご心配なく、鉄さんによろしくお伝え下さい」

Hさんは何と下まで送ってきた、彼は好青年だ、養子にしたいくらいだ、冗談だけど。

「♪あなたを待てば 雨が降る

  濡れてこぬかと 気にかかる

  ああ ビルのほとりのテイールーム

  雨もいとしや 唄っている

  甘いブルース

  あなたとわたしの合言葉

  有楽町で逢いましょう」

今度は真っ直ぐ家に帰ろう、

父の日記には死が一杯つまっている、当時の人は武人は命を絶つ事に
覚悟が出来ていた事が良く解る、

アメリカ海兵隊の標語では無いが「死を覚悟したら死を恐れるな、堂々と死に向って
進め」日米は共通する何かがあったのだ、

日記を読めば父は英軍に対しても国民党軍に対しても敵意は感じられない、
地上に伏せて、何度も青い目の英軍パイロットと目が合ったと書いてある。

父は死ななかったのではなくて、相手が撃たなかったのだ、そんな気もしてきた。
 

三四郎外伝「場末のペット吹き」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年10月24日(火)00時16分40秒
返信・引用 編集済
  戦争の匂いは、
私は父の背中に感じていた。

戦争は悲惨だったろう、だが日本人の郷愁をそそる何かジンと響く
帝國陸海軍への思慕がある。

私の父はビルマの戦乱の中を深い川を泳ぎ、敗残して自決寸前の中尉を
負ぶって父は竹三本のいかだにつかまって中国まで逃げたと聞かされた。

父の背中には軍属ではあったが戦闘機部隊と共に上海から南へビルマ攻略に参加した
戦争と陸軍戦闘機隊の匂いがあった。

父は当時の軍人の中では年配だった、戦闘機のエンジンと油圧系統の技術屋だった、
母に聞いた話だが、最後は国民党軍につかまりエンジン技術を買われて父は厚遇され助かった。

国民党軍はかなり日本陸軍の戦闘機を使用していたそうだ、父は特に九七式戦闘機と
飛燕のエンジンとオイル漏れの整備を頼まれたと母に話していた、これは私が長じて聞いた話だ。

父は風呂に入ると、軍歌ばかりをいつまでも歌っていた、
陸軍関係の歌が多かったとも聞いた。

私も耳に残っている歌がある「♪ああ 堂々の輸送船」「♪エンジンの音轟々と 隼は征く
雲の果て」「♪徐州徐州と 人馬は進む 徐州居よいか住みよいか」こんな歌を風呂で
大声で歌っていたのを聞いた覚えがある、当時その歌詞までは理解しなかったが後になって
ああ この曲だったのかと解り父を偲んで感慨も深い。

今思えば、父の背中には日本が輝いていた時代があった、まだ強がっていた父、
そんな父の背中は栄光と悲哀がかわるがわるに感じられた。

私はまだ幼児だった、戦争が何かは全く解らなかった、
ボツボツと写真を見ながら母が父と上海で見合いをし昇る太陽の国、大日本帝国への
ぼんやりした思慕が今でも私の気持ちの中に強く残っている。

飛行機に興味を持ち始めたのも父の影響だ、父の写真は沢山の場所で
様々な陸軍機の側で満面の笑みで兵隊たちと肩を組む写真が沢山あった
その中で私が今でも覚えているのは草原のような飛行場に塗装の無い新式機が二機
駐機されていた、何という飛行機だろうか、きっと軍機密だったに違いないが、
後に父の日記に「飛燕」来たる、これでB-29も一撃だろうという文章があった。

飛燕がいた飛行場なんだろうか、場所がわからないが中国のどこかのようだ、
飛行場の外の草原に父と陸軍の関係者だろうか四五人が、寝転がって笑って映っている写真があった。

それともこの飛行場は戦闘機隊とビルマの基地だったのか、日記にも場所は書いてない。

父が生きていれば、今なら聞いてみたい、

「日本軍の飛行機はどこが良くてどこがだめだったのか、
 敗戦はやはり航空支配の問題か、総合的な国力なのか、戦線を拡大しすぎたのか、
 多方面作戦を無理して行った為だったのか」

私は現場を駆け抜けた父が生きていたら今でも聞いてみたいと強く思っている。

戦争のこと無敵精強だった日本の軍隊、栄えある大日本帝国の兵隊たち、
私は今の日本よりも当時の強かった日本が好きだ、負けてはしょうがないが。

昭和31年、まだ戦争の記憶が日本中に残っていた頃にフランク永井というジャズ歌手が
歌謡曲にデビューした。

その曲が「場末のペット吹き」だ、
吉田正さんの作曲で元々は鶴田浩二に歌わせる予定だったそうだが、

「♪雨が降るから ただ何となく

  ちょっとしおれて 見ただけさ

  涙ふくよな 柄ではないよ

  どうせ場末の 三流劇場(こや)の

  俺はしがない ペット吹き」

「♪夢を見た日も ないではないが

  それを云ったら 笑われる

  何も聞くなよ ドラムの兄貴

  古い昔の 傷跡なんか

  撫ぜりゃなおさら つらいだけ」

私は今でもカラオケに行くとこの歌をうたう、

目蓋の裏には 軍属で下士官だった父の顔と一式戦闘機隼がある、

「ねえ、どうしていつもこんな古い歌をうたうの?」

酒場の女が私に聞いた。

「思い出があるからさ」

「だって、お客さんは戦争なんかは関係ないお年でしょう」

「関係あるんだ」

「えー、まさか90歳って事ないでしょう!」

「俺の親父の事だよ」

「そうだったの、お父様は戦争に?」

「整備屋だったけど、兵隊さんじゃなかった」

「そう、それでお父様はまだお元気なの」

「俺が四歳の時に死んだよ」

カラオケ屋を出て外は小雨だった。

一旦帰ろうと思ってタクシーの運転手に「すまない、Uターンして銀座に行ってくれ」

「えっ銀座ですか、わかりました」

タクシーの中で私はまだ歌っていた小さな声で、

「♪欲を出したら かぎりが無いと

  いつかあの娘も 云ったっけ

  好きでえらんだ ブンちゃん稼業

  なんで今更 やめられようか

  いっちょ吹くから きいてくれ」

「お客さん、懐かしい歌ですね、私も好きですよ」

「ほうー、こんな歌知っているの」

「ええ、古い映画をビデオで見ました、その時偶然にこの歌の映画を」

「そう、そうなんだ」

「お客さん、これから一杯ですか」

「いや、何となく家に真っ直ぐ帰りたくないから」

「銀座はどの辺ですか」

「昔の松坂屋のあったあたりまで」

「わかりました」

別に飲みたいわけじゃない、何か人恋しい気持ちで、

店に入るとタバコの煙がさあーっと流れて来た、

ママがでて来て、私の耳元で「あの、HさんとTさんが向うに」と小さく指さした。

「じゃその反対側の見えないところでいい」

おかしいな、何でHさんとあのTさんが一緒に、彼らは付き合いは無いはずだが、

おしゃべりなママが言ったのだろう、Hさんが私の席に来た。

「〇社長、お元気でしたか」

「もう社長じゃないけど、何とか二足歩行していますよ」

「どうですか、ご一緒に」

「Hさん、ところでTさんと一緒らしいが、どういう事ですか」

「うちの上のつきあいで、先日知り合いました、〇社長はTさんをご存知なんですか」

「まあ、知っています、一度彼に脅されたことがあったからね、昔の話ですよ」

「へえー、聞きたいな、どういう場面だったのですか」

「いいよ、Tさんも俺のことは知っていると思うよ、酒の肴に聞いて御覧なさい」

「じゃ、後で、もう一度参ります、帰らないでくださいね」

自分だけがどんどん年を取るような気がする、

「♪雨が降るから ただ何となく・・」

ママが来た、「この子、大学生、飲み物作らせましょうか」

「ママ、今日はビールでいいよ」

「どうしたのですか、調子でも悪いとか」

「懐の調子がね、淋しいね懐が、幽霊が出そうなほど淋しいよ」

「まあ、ご冗談ばっかり」

ぎこちない手つきで大学生のヘルプ女性が水割りを作っている、可愛い子だ、

この子に戦争の話をしても解らないだろうな、一式戦闘機隼って言っても
解らないだろうな、

話がないまま、二人は顔を見合わせてぎこち無く笑いあう。

「♪何も聞くなよ ドラムの姉ちゃん」

帰ろうか、俺の時代は終わったな、向うからママがチラチラ私の方を見ている、
何か機嫌が悪いようだと思ったのだろう。

何でもないんだ、「雨が降るから ただ何となく」それだけだ、

これだけ大勢の人の中で、私は孤独を感じた、
若い女性の声、元気のいいお客さんの声、私が絶好調の頃にはその輪の中に確かに私が
いた。横の大学生という女性がちょっと頭を下げて席を立った。

華やかな世界には熱帯魚のような女性と勢いのいい鯉のようなお客が似合う、

きっと私の背中には精気が無いとママは見抜いたかも知れない、いつかママが
云っていた、お客さまの正面を見ても何もわからないがお見送りする時にふと見る
お客様の背中に勢いがあるか無いか敏感に感じることができますと。

Hさんがまた私を呼びに来た、帰ろうと思っていた矢先だった、
私は彼について店の中を歩いた、ふと彼の背中を見た、

昇竜の勢いが確かに感じられた、これか・・ママが言っていたのは。

向うでTさんが立ち上がり私にやあというように手を上げて握手の手を差し伸べてきた。
 

三四郎外伝「霧笛が俺を呼んでいる」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年10月18日(水)17時45分36秒
返信・引用
  人が人生の寂しさを噛み締めるのは
近しい人との別れ、定年退職、自営業なら会社の廃業。

大きなストレスが病の種を植え付けるのがこんな時だ、
人は人との幸せな交わりが無ければ何一つ完成しないものだと悟る時。

呆然自失、この言葉がびったり当てはまるのがいろんな人生の岐路、
上に書いたほんの一例だが、人はみな呆然自失、しばし空ろな眼から涙流れて止まず。

それに加えて年齢の絶望感がこれでもかと襲ってくる、
免許証が5年から3年になった人が味あうカーテンがおりる瞬間だ。

強がりをいっても、あれも失い、これも失い、年齢とともに先の希望すらも
蓋をされる、これが茫然自失でなくてなんであろうか。

男にとって会社を離れること、自分の会社を廃業すること、耐え難く受け入れ難い、

男というものは弾力性の無い生き物だ、しなやかに立ち直る女性とは違って男は
道が一本しか見えない、他にあるはずだが、一本しか見えない、だから強烈なストレスで
病に倒れる人が多く出る。

70年代の後半にどこかで聞いた歌、

この歌が流れるころ私は若さ一本を資本に東京で這い上がろうと
走っていた、挫折、そんなものは屁でも無かった、若さが資本だった。

同じ歌を今聞くと
心によぎる思いが完全に正反対だと気がつく。

若き日の歌は応援歌だった、くじけてもくじけても
応援歌は私を引き上げてくれた、この歌を歌うと元気が出たが、

今は鎮魂歌に変わっている、
意気地ない懐古の情が私を打つ、フックだチンだボデイ、ええい面倒だノックアウトだ、
「嵐を呼ぶ男」と同じ勢いがあったあの頃と、今ではチーンと鈴がなる湿っぽい感傷。

うなだれた影が悲しい私、
正面からギラギラした太陽を浴びて、背中の皮を何枚も剥いて前へ前へと
進んだ私と二人の私は同じ映画の主人公とは思えない。

ケンさんがいて、昇さんがいた、Yさんがいて三四郎兄さんがいた、

「♪霧の波止場に 帰って来たが

  待っていたのは 悲しいうわさ

  波がさらった 港の夢を

  むせび泣くよに 岬のはずれ

  霧笛が俺を 呼んでいる」

「♪錆びた錨に からんで咲いた

  浜の夕顔 いとしい笑顔

  きっと生きてる 何処かの町で

  さがしあぐねて 渚に立てば

  霧笛が俺を 呼んでいる」

貧乏から抜け出したい、ただそれだけで前に進んだ日々、
のっぴきならぬ喧嘩にも巻き込まれた。

ケンさんが売り出しの頃、私は始めて彼の根性を見た、
相手は三人、チェーンや木刀、一人はドスを抜いてケンさんを囲んだ、

「ケンさん、これを」私はそばにあった工事用の金属パイプを投げた、
男たちの一人が「何だ、てめえは、連れか」と私の目の前をビュっと風を切って
木刀を振り下ろした。

ケンさんを見ると、チェーンを振り回す白のブルゾンのパンチパーマの男を
猛烈に殴って石垣に追い詰めていた、後ろから背広の男がドスを腰ダメに構えて
ケンさんの後ろから体ごとぶっつかった。

「やられたか」私はケンさんを見た、ケンさんのシャツが赤く染まった、
傷が深いか浅いか解らない、私は彼らのようなプロではない、喧嘩の場数も踏んでいない、

夢中で落ちていた工事用の小型ハンマーを振り回して背広の男の体中を殴った、
どこが急所でどこが殴るべき場所なのかまるでわからない、チェーンを持った男が
倒れたのが見えた。

傍から見たら奇妙な喧嘩だったろう、
トンカチをふるって私は男の口を直撃した、男はドスで横に払った、私は喧嘩慣れした
相手に追い詰められた。無我夢中でトンカチで男の顔を正面から打ち続けた。

下腹に熱いものを感じた、やられたと思った、
ケンさんが「○、大丈夫か」と自身も血だらけになりながら男のドスを鉄パイプで叩き落と
して、「○、どいてろ」と私を突き飛ばした。

背広の男が上着とシャツを脱いだ、彫り物が眼に飛び込んできた、
この男が一番手ごわいと感じた、男はボクシングのような動きで私はふっと気が遠くなった、
殴られたらしい、ケンさんが男と正面から向き合っている、ケンさんの下腹から血が
ぼたぼた落ちていた、

ケンさんの鉄パイプが正面から突き通して、背広男の顔面を破壊して終わった、

「ケンさん、医者に行こう、血を止めなきゃ」私はおろおろした、

診療所という看板を見つけて午後3時まで休憩という札をけり倒して中に入った、
診療所は眼科だった。

女性の医師がいた、「すみません、工事現場で怪我をしました、血を止めて欲しいのですが」

「ここでは出来ませんが、応急の包帯を巻いておきます、救急車を呼びますか」

「いいえ、この近くに外科はありませんか」「さあ、この裏に病院があったけど内科じゃない
かと思いますが」「この裏ですね」

ケンさんを運び込んで何とか血止めをしてもらった、ケンさんは一言も何も喋らなかった、

その頃になって、私のわき腹が痛んできた、傷はたいした事は無かった。

それから、どうして社長の会社まで帰ったのか覚えていない、

「貧乏から抜け出すんだ」それだけを考えて歩き続けて駅に向かった。

私は東京にこんな事をする為に来たんじゃない、
立派に大学を卒業して叔父を探し出して、母の笑顔を見たいだけだ、姉の幸せな
結婚を見たいだけだ、

あの喧嘩ははずみだった、三人と肩が触れたというきっかけで
相手が殴りかかってきた、ケンさんは別だが私はこんな修行をしに来たんじゃ無い。

それから暫くケンさんには逢わなかった。

二月ほど経った頃、ケンさんが背広に白いシャツで後ろに誰か若い男を連れて
会社にやってきた。

「○ちゃん、こないだはすまなかった、これ少ないが礼のつもりだ」

何か封筒に入ったものを私に握らそうとした、「ケンさん、私はお金は受け取れません、
そいで、こないだの件は社長なんかには内緒にしてください、会社のバイトも学校も
首になりますから」

ケンさんは笑って、「解ってるよ、これはこれ、話は別物だ、助かったぜ、ほれ」
また封筒を押し付けたが、私は逃げるように倉庫に駆け込んだ、

母もこんな私を喜びはしないはずだ、そう思った、

その後、昇さんというもっと凄い男と知り合った、知り合ったというよりも
彼らが社長のところに何かの用事で来るから知り合っただけだが。

私はもっともっと先の夢を持っていた、目先のことよりも俺は東京でのし上がるんだ、
立派な会社に入って、・・いろんな夢を見ながら煎餅布団で寒さに震えながら眠った、

「♪船の灯りに 背中を向けて

  沖を見つめる 淋しいかもめ

  海で育った 船乗りならば

  海へ帰れと せかせるように

  霧笛が俺を 呼んでいる」

そんな私が走り抜けた東京は何だったのだろうか、今は引退して亡き父、亡き母、
を考え、やがて私の生物としての寿命も終わるのだと思う。

若さがどんな役に立ったのか自分でも良くわからない、

65歳から66歳になろうとする私はなおさら自分が何をしてきたか
これからどこへ行こうとしているのか、田舎が恋しいがもう遠い異国と同じだ、

これから先の個人起業を語る人もいる、私はそんな事は不可能だと否定している、
チャンスも波も一度しか無い、

これから孤独というストレスと向き合いながら何にも無い未来の夢を見るだけだ、
若さこそ宝物だと信じて走った日々、気がつけば、人生なんて運否天賦。

やがて茫然自失、恍惚の人となるだろう、

千雪の顔の深い皺を見て涙が流れた、この子の人生を私は壊したのだろうか、
「ほら、○ちゃん、ここに白髪が、ここにも、もう染めなくちゃだめよ」

「二人は爺と婆になったな、後悔しているだろう俺のような男と」

「うちはね、○ちゃんに逢えてとっても幸せだったよ、
 うちにはね、これ以上の人生は無かったってわかっているのよ」

「どうして、可能性なんか無限だろう」

「違うのよ、もし○ちゃんに逢わなかったら喫茶店の女給でうちは終わってた、
 本当にそう思うのよ、後悔なんかちっともしていないよ、○ちゃん、ほらこのバック
 白のバック、丸井で○ちゃんが買ってくれたバック、うちは宝物のように拝んでいるのよ」

「よせよ、安物の月賦のバックだ」

「うちには違うのよ、このバックは幸せを運んでくれたバックなのよ」

「千雪、淋しくは無いか」

「今は○ちゃんがいるから淋しくはないよ」

「そういう意味じゃないけど・・」

「♪探しあぐねて 岬に立てば

  霧笛が俺を 呼んでいる」

「千雪、カラオケ行こうか、このまえ行ったあの店に」

うんうんと千雪はうなづいた、丸い顔はずっと前から丸いままだ、

思わず、抱き寄せた。




 

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