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三四郎外伝「紙袋」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 4月26日(水)19時22分32秒
返信・引用
  彼は常に紙袋を持っていた、
駅でも空港でも通勤にも彼は紙袋を右手に下げて蛙のように立っていた。

私は彼との触れあいはずっと若い時分に物産の課長代理の紹介で訪問した
某代理店に行った時だった。

彼はその頃から数種類の名刺を自分で作って所持していた、
その会社の課長、部長代理、部長心得、凶暴な人間では無いが
馬鹿力は物凄いものがあった、会社の引越しの時にスチール製の机を
二つ肩に担いで階段を上っていく姿を何度か見た。

その当時のことはずっと以前に書いた事があったが、
自然に私の仕事が忙しくなり、彼の会社に行く事もなくなった、私は彼の事を
忘れかけていた。

彼の話が耳に入ったのは、
私の会社の関係先が「〇さん、あのxxさんという人をご存知ですか、
あの人はあの会社の社長さんなんでしょうか」と聞いた事があった。

とっさには何の話かわからなかったが、
「ああ、あの△会社のxxさんは逢ったことがあります、でも確か彼は
 平社員のままだったと思いますよ、もう何年もお逢いしておりませんが
 社長になられたという話はうちの担当者からも聞いておりませんが」

「これですけど・・」その人は喫茶店で私に「わからん人」の名刺を
 出してテーブルに置いた、

名刺は確かにあの会社のものだった、
マークも紙質も同じものだった、だが彼のタイトルが取締役社長と
記されていた。

「そうなっておりますね・・でもあり得ないでしょう彼が社長だなんて
 私の方は聞いておりませんけど」

その件はそれで終わった、私の方に特段の関連も無いので忘れ去った、

私が次に彼に逢ったののはタイ国際空港の待合室だった、
私はその時にはF専務と二人で航空会社のラウンジに入った、

二人でビールを飲んでいた時、「わからん人」がもう一人の白髪の上役のような
人と二人で入ってきた、正面で眼があったので会釈をした。

「わからん人」は例によって紙袋を右手に提げていた、
私達を見ると「やあやあ奇遇ですなー」と言いながら汚い紙袋を上司のような人に
これを持てという風に紙袋を手渡した。

「ご一緒にいいですか」と「わからん人」は私達の席に来た、
上司のような人には初対面であったので名刺を交換した、彼の名刺はxx部x課、課長と
印刷されていた、「わからん人」はもぞもぞ大きな名刺いれの中を探して二枚抜き出して
私達に「今度、こういう事になりました、今後共にわが社をご贔屓に」

と言って、xx部、正部長としてあった、正横綱というのは聞いた事があるが、
正部長というのは初めてだった、私達は二人の顔を見比べたがどう見ても課長が上役で
「わからん人」は平社員の雰囲気を持っていたが、

「おい、x君、ワインとつまみを取ってきてくれ、その紙袋は大事なもんじゃ無くすなよ」
と周りが振り返るような大声で命令した。

上役の課長は知らん顔をしていたが、「わからん人」は「こら、おのれはわしの言うた
通りするんかせんのか、足の骨を折るか性根を据えて返事をせんかい」と猛烈な
貧乏ゆすりを始めた、

笑っては失礼だと思って我慢していたが、F専務が「ちょっとお土産を頼まれていますので
私はこれで、社長ももうそろそろ搭乗時間ですよ」

思わず二人で噴出したが、
搭乗口でまた彼等二人にあった、「わからん人」は何が入っているのかわからない
紙袋を提げて列に並んでいた。

私とF専務は飛行機の前方のビジネスの通路を曲がった、例の課長がすぐ後ろを来る、
私とF専務が並んで坐った少し後方に課長が一人で坐って我々に会釈をした。

シートベルトサインが消えて食事の配布になった、
突然、後ろの課長が羽交い絞めにあっていた、「わからん人」がエコノミーから
乱入し、強引に課長の膝の上に坐った、

「面白いな、F君、どうなっているんだ」

後にわかったのだが、「わからん人」は平社員でありながら自分を部長であり
社長であると信じこみ、平気で上役を床の上でヘビのような胴締めにするわけの
わからん人であった。

それからしばらくして、相談役が危篤という知らせを受けて
私はF君に電話をした「実は相談役が昨夜から危篤状態だそうだ、とりあえず
俺が行ってくるので、君は俺の連絡を待ってくれ、そのつもりで居てくれよ頼む」

「わかった、とにかく知らせてくれ、俺は明日にでも東京に行ける準備をしておく」

その日は雨が降っていた、

私は横浜駅からタクシーで病院の坂を上がって、病室に駆け込んだ、
奥様とお嬢さんがおられた、「どうなんですか、病状は」

「〇さん、ご心配をかけます」「それはいいです、病状はいかがですか」
「先生に今朝言われました、今は眠っておりますが、多臓器不全で万一の覚悟はして
 下さいといわれました」お嬢さんが涙も拭かずに立ち尽くしている、

「奥さん、お気をしっかり持ってください、いいですか、何でも私に相談してください、
 ご長男はどうされました、来られますか?」

「それが、長男は父には逢わないと取り合ってくれません」

「何ですって、ご長男の電話番号は、私が話します」

「止めてください、かなり乱暴なところがありますので」

「乱暴くらいなんですか、私が受け止めましょう、とにかく電話番号は」

長男に私が電話をかけた。

「私は相談役に若い頃からお世話になりました、〇と申します、
 今お父上は危篤状態です、はっきりいってもう長くは持たないと奥様に聞きました、
 貴方は今どこにおられますか、東京ですか関西ですか、どこですか」

「あんたに居場所まで言う必要はないよ、何様だあんた」

「俺か、さっき名乗ったとおりの〇というものだ、それで何を拗ねているんだ、
 あんたもいい年だろう、たった一人の父親との別れになるかも知れないときに
 何を格好つけてるんだ」

「〇さんとか言ったな、俺と親父に何があったかお前知って物を言ってるのか、
 あんまり出しゃばると怪我するだけじゃ済まんぞ」

「実の父親が生死の境にある時に、俺を脅す余裕があるのか、立派なもんだな、
 怪我でも何でもお前の好きなようにしてみろ、とにかくその糞面をここに出せ」

「何だと、てめえ、俺とやる気か」

「やらなきゃしょうが無いならやろう、その前に親父さんの最後の顔を見に来い、
 お前の御託はそれが済んでからゆっくり聞いてやろう」

「このやろう、殺されるぞ」

「ああ、人間一度は死ぬんだ、好きにしろ、とにかく面を出せ、俺の前にくる
 度胸も無いのか」

「この野郎、俺が何者か知ってるのか」

「何者か興味は無いね、親父を見舞え、それから殺すなら殺されてやろう、出て来い」

「糞食らえ、この出しゃばり野郎、後悔するんじゃねえぞ」

「脅し文句なら聞き飽きた、お前は一生後悔するぞ、親の死に目に逢わない馬鹿か」

「こ、この野郎!本当に殺すぞ」

「うるさい奴だな、殺せとさっき言っただろうが、その前に親父さんを見舞いに来い、
 お袋さんや妹さんに何が出来るんだ、男手が必要なんだよ、お前が喪主になるんだ」

「知るか、このお節介野郎」

「お前どこにいる?都内か、どこだ」

「聞いてどうする、おう、この馬鹿が」

「聞いてお前の居場所にな、お前の襟首をつかんで引きずってくる人間を四五人廻すから
 どこだ、居場所は」

「・・・」

「黙ってたんじゃわからん、どうするんだ、人を行かせるか、お前が俺を
 殺しに来るのか、どっちでも決めろ、二つに一つだ、お前が来るか
 こっちからお前をボロボロにしてでも引きずってくるか、どっちにするんだ、
 時間が無いんだ、住所を言え、それも言えないで隠れてものを言う腰抜け野郎か」

「・・・」

電話は向こうから切れた、

「奥さん、口汚い口調で物を言いました、お聞き苦しかったでしょう、お許し下さい」

奥さんは何にも言わずに「ワーッ」と声を上げて泣き崩れた、「すみません、〇さん、
すみません〇さん」

「奥さん、詳しい話は後です、今夜は私はここについています、
 仮眠中に何かあったら殴ってでも起こしてください」

夜食を取りに病院の外に出た、

雨は小降りになっていた、背広がびしょ濡れになったが、

途中の洋食の店に入った、

そこに「わからん人」が紙袋を持って立っていた、

「おう、xxさん、珍しいな、何しているんだこんな所で」

「ああ、〇さん、あたしもね、とうとう定年になりましたよ、
 今はこういう立場です」また名刺をくれた名刺には何と前の会社の相談役と
 書かれていた、

私は思わず、かっとなった、
「xxさん、あんたね、定年かどうか知らんが、それって表見代理といってな、
 詐欺にあたるんだぞ、相手が信じたらその損害は刑事罰になる、やめな、
 そんなつまらん名刺遊びは」

「わしが相談役いうて主に何の問題があるんじゃ」

「ある、いま俺の大切な相談役が生きるか死ぬかの重病だ、その名刺を見ると
 反吐が出る、今までは面白いから黙っていたが、目を覚ませ、目を」

勘定を済ませて、店の外に出た、
わからん人は私に傘を差し出そうとした、私は「いい」と言って先に歩いた、

振り返ると「わからん人」もわからん人生を終えたように呆けた顔で
紙袋を持って雨降る道路に呆然と立っていた。

「xxさん、達者でな、人生大事にしろよ」
「・・・」

「♪つらいだろうが やぼなこと言うでない

  これきり逢えぬ ふたりじゃないさ

  せめてふるえる 肩を引き寄せ

  揺れて歩けば 雨が降る

  ああ 別れ街角」

「♪あれもこれも ひとときの夢ならば

  今さら俺が 泣けたりするか

  もれる吐息に うるむ青い灯

  なぜかこよいも 雨が降る

  ああ 馴れた街角」

「♪思い出して ただひとり待っていな

  忘れずきっと 迎えにゃ来るぜ

  未練きれずに 濡れてたたずむ

  影に嘆きの 雨が降る

  ああ さらば街角」

病室に戻った、

「奥さん、お嬢さん、どうか一旦お帰り下さいお体を休めてください、
 ここには 私が残ります、連絡は途切れないように致しますので」

「〇さん、何とお礼を申し上げていいのか、息子の事、どうか許して下さい、

「そんな事、相談役の病状が一番大切です、息子さんも思いなおして親父さんとの
 最後のお別れをなさったほうが後の人生の為だと思います、私の事は心配しないで
 下さい」

いつもここに来た時にはいい日和だった、
何故に今日は雨が降るんだ、

「♪未練きれずに 濡れてたたずむ

  影に嘆きの 雨が降る

  ああ さらば街角」
 

三四郎外伝「演歌」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 4月16日(日)23時13分12秒
返信・引用
  心が淋しいとき 私は演歌に棲家を求める、
淋しい原因は 様々ある。

昔を恋しいと思う時 日本国がだらしないと感じたとき、
韓国に屈辱を受け続けても何もしない政府に怒り悲しくなる時。

私は逃げ場を演歌に求める。

演歌の中には 自分だけの世界が広がる
この小さな存在の自分が逃げ込めること、できる事は嫌な事を忘れることしか
できはしない、自分で良くわかっている。

「♪雨が降るから 泣けるのか

  恋の重さに 泣けるのか

  逢えば

  死ぬほど愛されて

  とけて乱れる 黒髪の

  夜の湯の町

  女のしぐれ」

一人で歌うこともある、 仲の良い友人と歌うときもある

酒を飲みに出て ふと薦められて歌うこともある。

人がどう聞こうと 関係ない自分の世界にひと時ひたれる時間は
私には 歌以外に無い。

昔猛った 帝国日本が 中国、果ては韓国という木っ端のような国に
罵られ 有りもしないとんでもない過去史で責められ続ける祖国を見る時、

始め 悲しく そして怒り、 そして不甲斐ない日本政府や国会議員たちを
見る時に 何も出来ない自分が逃げ込む世界は、私の場合には演歌しか無い。

千雪を想う時 死んでも一人じゃあの世までたどり着けないだろうと思う時、
俺も後追って死んでやらなきゃ あいつ一人じゃ方向音痴で困った顔で佇む千雪を
思うと たまらなくなる、

そんなひと時、私は千路に乱れる心を鎮める為に ギターを弾き 演歌の世界に
逃避する。

「♪かくれ いで湯の

  湯の花は

  一夜あければ 紙の花

  想い残さぬ はずなのに

  女 一色染められて

  今朝は他人の

  別れがつらい」

はじめて自分で持った 小さな家には今は誰か若いカップルが住んでいるようだ、
家の前には綺麗な自転車と小さな仮面ライダーのついた自転車が並べてあった。

私は何十年前に なけなしの金をはたいてローンに苦しんだ若き日々をその小さな家
を通り過ぎながらしばし足を止めたくなる。

怪しい奴だと思われちゃたまらない、足早に立ち去るが一瞬の思い出にしばし胸が痛む。

「♪浮いて 流れる 恋もある

  切れば血がでる 恋もある

  今度いつとも 聞かないで

  傘を

  あなたに さしかける

  雨の湯の町

  女のしぐれ」

私は変わり者かも知れない、

我慢して耐えて幼少時代を過ごした 少年時代も我慢と耐えることを体で覚えた、
長じてからも 一人が辛くは無かった、

人に自分から心を開く事も少ない、殆んど無かった、
だがこの人と思った人には深く心を通わせた、相手からの報酬は期待しない生き方を
してきた。

人の噂話も下手だ、
大勢の輪の中に入ってはしゃぐ方法を知らない。

10年以上も名前も素性も知らずに挨拶を交わす人もいる、
それが普通だとずっと思っている。

裏切られたことは何度もある、我慢をした、

人はわからないものだとやっとこの年で知った、
相手からの連絡が途絶えたら 忘れるようにしている。

だが親切に真っ直ぐに心を開いてくれる人もいた、
そんな人には私は思い切りの笑顔を向ける、

「〇ちゃん、いい笑顔だな、よほどいい事でもあったのかい」
と聞かれる、「いいや、あなたに逢ったからだよ」と心の中で言葉を唾と一緒に飲み込む。

人の親切は身に沁みて嬉しい、

裏切られた人はその何倍も多い、表情に出さない癖がいつの頃からか私の性格になった、

「♪今度いつ とも聞かないで

  傘をあなたに さしかける

  雨の湯の町

  女のしぐれ」

演歌は私の心の支え、心の解放、人の輪から外れて思いをかけるのは
叶わぬ父や社長やケンさんとの再会、今度は方向音痴の千雪を助けて
迷わないように 叱りながら 向うの川を渡る仕事だけが残されている、

また演歌の世界でひと時を忘れる、


 

三四郎外伝「東京は何度も行きましたね」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 4月10日(月)20時44分29秒
返信・引用 編集済
  相談役を見舞いにF君と一緒に家を出た、

「ちょっと早いけど 飯食って行こうか」

「こんな所にレストランがあるのか」

「昔の名前の飯屋だよ」

「古いな、驚いたメニューだ、昼時には坐れないだろうこの狭さじゃ」

「それがいいんだよ」

「何にする、俺はオムライス」

「じゃ、俺はナポリタン」

ビールの大瓶一つ取って二人で若い頃の味にしばし無言だった、

「なあ〇君、相談役の事で俺が知らない事って何だよ」

「そうだな、いろいろあるが、奥さんとの馴れ初めはちょっと言えないが
 相談役、実はお金に困っているんじゃないかと思うんだ」

「どうして? あの会社で常務まで上った人だ、退職金だって大変な額だろう
 それに〇君の会社に来られても相当高給で待遇されていたのを知っているぞ」

「ところが、人に歴史ありだ、あの人は若い頃からギャンブルに凝って退職金はとっくに
 前借りで使い果たして、その後も、君はあの人の家に行った事は無いだろう、
 ちょっと首をかしげるような小さな建て売りだ、郊外の」

「・・・」

「言ってみれば、強風が吹けば揺れるんじゃないかと思われるような細い小さな家だった」

「そうだったのか」

「生命保険もあのお年じゃもう20万くらいしかもらえないだろうよ」

「お子さんは、奥さんは、困っておられるのか」

「詳しい事は知らない、だが三人いるお子さんのうち長男だけが大学を、国立だけど
 出て、後の一人は女の子で高校で終わっている、下の男の子も高校で終わって
 中小企業で働いている」

「そうか」

「家計簿を見たわけじゃないからわからないが、俺達で出来ることをしてあげないと
 入院費用でも相当かかっていると思うんだ」

「何とかしないといけないな、どのくらい出そうか」

「それは もうちょっと後で君と相談しよう」

「ああ、懐かしい味だな、これを食うと俺達若い頃を思い出すよ、
 新宿が西口に発展して浄水場の横に京王プラザが高層ビルの第一号で出来た頃、
 西口の地下はほら反戦の学生や活動家で有名になった、俺は興味が無かったけどな、

 思い出横丁、それからあっという間に西口は東京の高層ビルの林立になったよ、
 あの頃良く君と新宿で遊んだなあ」

「うん、懐かしい、思い出すよアメリカンポップスを、ブレンダリーとかコ二ーフランシス
 想い出のサンフランシスコとかボーイハントとか」

「俺はプラターズとかパットブーンが好きだったな、特にパットブーンのアナスタシア
 って知っているか、イングリッドバーグマンとユルブリンナーの映画の主題歌だった、
 懐かしい、本当に懐かしいよ」

二人で東海道線のグリーン車に坐った、たった30分だけど車内はガラガラにすいていた、
並んで坐って 椅子を深く倒して、

「なあ、F君、君と今度またいつ逢えるかなあ」

「どっちかの葬式の時さ」

「そうかもな、お互いに若作りしているけど 年取ったなあ」

「たしかに、青春時代の真ん中は 道に迷っているばかりだった、
 後からしみじみ思うものって本当だな」

「君は存外ロマンチックなところがあるな」

「そうさ、俺は君のように花から花へと蝶々のような青春は送っていないからな、
 国立のカチカチの男だったよ」

「人聞きの悪い事言うなよ、俺は君と違って片親だったし 蝶々なんかなれるわけも
 無かったよ、俺は金があるから私立に行ったのじゃないよ、大体のことは知っている
 だろうけど」

「♪最終列車で 君にさよなら

  いつまた逢えると 聞いた君の言葉が

  走馬灯のように めぐりながら

  僕の心に 灯をともす

  何も思わずに 電車に飛び乗り

  君の東京へ 東京へと 出かけました

  いつも いつでも 夢と希望を持って

  君は東京で 生きていました

♪ 東京へは もう何度も行きましたね

  君の住む 美し都

  東京へは もう何度も 行きましたね

  君が咲く 花の都」

F君も足で拍子をとりながら声を抑えて歌った、列車はもう川崎を過ぎて
次は横浜だ。

F君が果物籠を持ち、私は相談役の好きな黄色の混じった花束を抱えてドアをノックした。

奥様が慌てて髪を直しながら 「まあ、〇さん、Fさんも、ありがとうございます
いまお茶を入れてきます、今日は気分もいいようですよ、あなた、あなた 〇さんですよ」

奥さんは出て行った、

「相談役、宮崎からF君が出てきました、今日は一緒にお見舞いに参りました」
「相談役 Fでございます、ご病気と知らずにお見舞いにも上がりませんでした、
 お許しください、ご気分はいかがですか」

「おう、F君じゃないか、どうして〇君から離れたんだ、俺まで淋しくなったよ」
「申し訳ございません」

「謝ることは無い、達者か」

「はい、田舎暮らしで すっかり東京の垢も落ちてしまいました」

「いい事だよ、田舎はいいよ」

二人で並んでベッドの脇に腰掛けた、

「〇君、今日は寒いか外は、中にいるとさっぱり天候がわからないよ」
「いえ、今日は風も無く穏やかで春の日差しでした」

「〇君、俺はこの頃亡くなったお袋の夢を良く見るんだ、いつもそこの窓際に後ろ向きで
 立っていて何にも話をしてくれないんだ」

「それは・・」

「〇君、君はいづだったか、お父上が病室に入ってこられる夢を見たって言った事が
 あるな」

「いえ、あれは夢だったのか、本当に父が入ってきたのか、私も無茶な輸血で意識も
 朦朧としていましたので、夢じゃないと今でも信じています」

「そうか、亡くなった親の夢って いい事なのかなあ、どうなのか、気になっているんだ」

奥さんが入ってこられたのでその話はそれで終わった、

帰り道、F君が「〇君、何なんだ母親の夢とか父親の夢って」

「うーん、どうなのかなあ、俺の母がな、亡くなる前だけど 母の母の夢を見たって
 言った事があるんだ、俺は気にも留めなかったが、なんだか不思議なんだ」

「どう不思議なんだよ」

「実はな、俺の母が見た母の母の夢が 相談役の見た夢に似ているんだ」

「えっ??」

「俺の母親が亡くなる前に見た母の母の夢って、後ろ向きに立ったままで家の中に
 入らないんだって、それで母がオカアサン上がって家に入ってって何回も夢の中で
 頼んだんだって」

「俺の母親がな、〇ちゃん、お母さんの母さんがね、やっという事を聞いて家に
 上がってくれたのよ、嬉しくって」

「ふーん」

「そう言ってから しばらくして俺の母親は脳梗塞で死んだんだ」

「ふーん、それって不吉なのかな、だって君の場合はお父さんが実際にいきなり
 病室に入ってきたんだろう、浴衣を着て」

「そうなんだ、だけど俺の場合は夢か本当かはわからないんだ、
 それに俺の母や相談役のケースとは違って、俺の場合はいきなり親父が部屋に入ってきて
 俺のベッドの端に腰掛けて、笑って、また出て行ったんだ」

「何が違うんだ」

「わからん、だけど気になるんだ、相談役の病気が」

「うん、そうだな」

「忘れろ、歌おう、マイペースの東京を、
 東京へは もう何度も行きましたね、君の住む 美し都・・」

「〇君、俺、明日宮崎に帰るよ、羽田まで来てくれるか」

「もちろん 行くさ、明日何時だ、午後1時頃だ」

「朝、靖国にお参りしてから 一緒に羽田に行こう、あそこには親父がいると
 思っているんだ、軍人じゃないけどな、軍属だけど桜の根元の草くらいには
 入れてもらっているって俺が勝手に決めているんだ」

「お父さんはどこに行かれていたんだ」

「上海からビルマだよ、陸軍戦闘隊のエンジンの整備長だった、階級も貰っていた」

「そうだったな、是非お参りに行こう、きっと桜の花になっておられるよ」

「いいや、桜の花は部隊長や戦闘機隊長だよ、俺の親父は桜の根元の草の花だよ」

「どうして」

「親父が引き上げてきて幼い俺とか母にいつもそう言っていたから」

「そうか、相談役に何かあったら知らせてくれ、それと君の言ったお金のこと、
 君から奥さんに聞いてみてくれないか」

「聞いたってあの奥さんは何も言わないよ、そんな女性だよ、だから俺達で
 こっそり口座に入れるんだよ」

「わかった、もう一度上京する時にそれをやろう、東京へはもう何度も行きましたね、
 また来るよ」

「今夜はささやかながら 男の酒を酌み交わそう、
 君盃を上げたまえ」

「君盃を上げたまえ」
 

三四郎外伝「逢いたかったぜ」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 4月 2日(日)16時03分25秒
返信・引用
  突然の電話だった、

F君が上京して来た、靖国神社に詣でての帰りだという。

「F君はネ 藤井君と言うんだ 本当はネ・・・」

もう何年逢っていないだろうか、つまらぬ感情の行き違いで別れた友が
また私を訪ねて来た。

「よう、変わらないな 元気そうで良かった」私が言う、

「老けたよ、同じ年だから感じないだけだよ、逢いたかったよ〇君に」

「懐かしい、君に逢うと ずっと昔に心が飛んで行く、今は何をしているんだ?」

「何もしてない、南国の田舎で畑仕事だ、親父も逝ってしまってお袋は介護施設に
 女房はいつも君と別れた羽田の事を口にする、〇さんに悪かったって」

「どっちもどっちだよ、君が悪いわけでも奥さんが悪いわけでもないよ、
 そんな原因を作った俺の日頃が悪かったのかも知れないし、奥さんにもうそんな
 事を考えないでくれって伝えてくれないか、それはそうと今回は何の用事で・・」

「水臭い事を言うなよ、東京に来る目的が 外にあるのか、君に逢いたかっただけだよ」

「ありがとう、君の友情を活かしきれなかった俺の器の問題だ、許してくれ」

「許すなんて そんな間柄じゃなかっただろう、会社は順調か?」

「俺は引退を決心したよ、 相談役も入院されている もうお別れかも知れない
 と思うと悲しいよ」

「相談役が? どうして知らせてくれなかったんだ水臭い奴だ」

「すまん、君に過去の話を背負わせたく無かっただけだ」

「見舞いに行きたい、一緒に連れて行ってくれるか」

「ああもちろんだよ、 相談役もきっとお喜びになるだろう、明日でもいいよ」

「じゃ、連れて行ってくれ、会社を見せてもらってもいいか?」

「遠慮なんかいらないよ、君の部屋もそのまま無人のままだ、君の部屋と相談役の部屋も」

F君は会社に来た、しばらく珍しそうに社内を見渡していた、早紀子が駆け寄って
F君に挨拶をした、女はいいな直ぐに感情を涙で表現できる。

「ところでホテルはどこだ、君一人か、それとも奥さんもご一緒か」

「いや、俺一人だ、ホテルはxxだ」

「一人なら俺の家に来いよ、東京のホテルは高いし無駄はするな、今晩でも引っ越して来い」

「いいのか、奥さんの了解をとらなくても」

「馬鹿な質問をするな、その代わり早紀子の飯は不味いぞ」

「ハハハ」

「ところで〇君、君はさっき引退を決心したと言ったな、どうしてだ」

「どうしてって、賞味期限が切れたからさ」

「後は誰がやるんだ」

「S営業部長しか候補者はいないので、そう思っている」

「S営業部長? 良く覚えていないなあ」

「そんな事無いだろう、君が専務時代にしょっちゅう銀座にお供させていたはずだ」

「あの、係長だった、眼のくりっとした若い男か?」

「そうだよ、いつまでも眼はくりっとしてはいないがな、彼も年相応の顔になったよ」

「そうか、〇君、お世話になりっぱなしで何も恩返しが出来なかった俺を許してくれ」

「おいおい、今度は君の方から許してくれか、俺は人を許したり許さなかったりできる
 ほど立派な人間じゃないよ、ところで靖国の桜は咲いていたか」

「まだちらほらだった、今朝は風が冷たかったし」

「F君、俺は今でも夢を見るんだ、もしも日本がアメリカとの戦争を回避できていたら、
 今の中国は存在しないし、韓国も北朝鮮も存在しない、それで今の日米関係のような
 ものが出来ていれば将来の子供達も今のアメリカ人と同じように世界中自分の言葉で
 旅も出来るのにって、想像の世界に遊ぶだけだがな」

「俺も全く同じ事をいつも考えているよ、もう何十年も昔に君が東京駅で俺を
 見送ってくれた時、出征兵士を送る歌 を歌ってくれたな、あれが原点だよ俺達の」

「うん、懐かしいな、それより、君早めにホテルをチェックアウトしてタクシーで
 俺の家に来い、ホテルを出る時に携帯に連絡をくれ、俺が家に戻っているから、
 つもる話はそれからだ、いいか」

「社長の仰せの通りに・・」

「よせよ、冗談は、早くしろ、もうすぐ今日の料金も取られるぞ、いま直ぐホテルに帰れ、
 今晩は久し振りに飲もうぜ」

F君はあたふたと会社を出た、窓から見るとタクシーに乗り込む彼の姿が見えた。

「早紀子、君に相談しないで決めてしまったが、F君を何日か家に泊めるがいいか」

「うーん、散らかってるし、うーん、決めたのでしょうもう、いいわ」

「ありがとう」

F君の荷物は軽装だった、ちいさなバック一つだけ、

夜少し早めに、彼にシャワーを薦めて、早紀子と一緒に家を出た、
行く先は「熱燗屋」しか無い。

熱燗屋の親父は涙を流さんばかりにF君の肩を抱いて再会を喜んでくれた、
心を込めたいつもの自慢料理がずらりと並んだ。

「友あり、遠方より来たりだ、まず乾杯だ」

早紀子も少し渋っていたが、今はすっかり上機嫌になって来た、良かった。

大盛り上がりの時にT-興業の若い士と鉄さんが入ってきた、珍しくHさんも一緒だ、
少し、まずいなと感じたが しょうがない 眼があってしまった。

鉄さんとHさんが笑いながら席に来た、「ようよう、男前、全然鼻の頭を見せなかったな
どうしたい今日は、おや、あんたFさんじゃねえか、珍しいぜ、また後でな」

Hさんが頭を下げ、鉄さんが私のお腹にボンボンとパンチを入れる格好をして手を振りながら
見えない向うの角の席に入っていった。

「F君、ごめんな、君があんまり好きじゃないのは知っている、気にしないでくれるか」

「いいよ、事情は知っているから」

親父さんが席に来た、一緒に乾杯をしてすぐに私にあの想い出のギターを抱えて引き返して
来た、「調整していないけど、〇ちゃん、Fさんも来た事だし歌ってくれないか」

「外のお客さんの同意を取ってくれ」

親父さんが一つ一つの席を回って歌をマイクで流していいか聞いてまわってくれた、

弦が少し緩んでいたが、音は相変わらずいい、保管場所に湿気が多いのか、多少気になったが、
私如きが歌うのには問題ないいい音が出る。

「♪逢いたかったぜ 三年ぶりに

  逢えてうれしや 呑もうじゃないか

  昔なじみの 昔なじみの お前と俺さ

  男同志で 酒くみかわす

  街の場末の おお 縄のれん」

「♪生まれ故郷の 想いでばなし

  今宵しみじみ 語ろうじゃないか

  昔なじみの 昔なじみの お前と俺さ

  こんどあの娘に 出逢ったならば

  無事でいるよと おお 言ってくれ」

「♪誰が流すか ギターのうたに

  遠い想い出 偲ぼうじゃないか

  昔なじみの 昔なじみの お前と俺さ

  夢が欲しさに 小雨の路地で

  泣いたあの日が アアァ 懐かしい」

「いいなあ、〇君の弾き語りは 昔のまんまだ、泣けてくるよ」

F君が目頭を押えて ハンカチを取り出して 照れ笑いしながら目蓋を拭いた。

「俺の為に歌ったんだよ、 本当にそう思うから」

早紀子が「いいわねえ 男の人同士の友情って、女から見るとうらやましいわ」

「F君、明日は相談役の見舞いに行こう、道々相談役のいろんな事、君がしらないだろう
 事も話をしてやる、人に歴史ありだよ きっと君も感動すると思う」

「そうか、明日を楽しみにしている、ところで相談役の病名は何なんだ」

「知らないんだよ、だが難しい状態だという事は奥さんから聞いた」

「そうだったのか、俺は〇君にも 相談役にも 大変な無礼をしていたんだな」

「そんな事は無いよ みんな通る道だよ、そんな事はないから心配するな、
 相談役はきっと大喜びしてくれるよ」

「♪夢が欲しさに 小雨の路地で

  泣いたあの日が アアァ 懐かしい・・」

「〇君、川は流れたな、錆び付いた夢の数々だよ、人生って短いなあ」

「さあ、もっと呑め、早紀子も呑んでくれ俺達の再会の為に」

どうして胸がきつくこみ上がるんだろう、きっと戦友だったからだろう。
 

三四郎外伝「口笛が聞こえる港町」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 3月29日(水)21時50分39秒
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  寒かったり暖かかったり季節は荒々しく過ぎて行く、
老人には苛酷な季節の変わり目なのだろうか、毎日救急車のサイレンの音が絶えない。

病室のドアを開けた、

「相談役、また来ましたよ、外は春まだ浅きという感じで風が冷たくて
 涙と水鼻が止まりませんよ」
私はマフラーとコートを脱ぎながら務めて明るい顔で相談役の側に腰掛けた。

「〇君、仕事の方はいいのかい、俺に構ってばかりいて」
「一番大事なところに私の持つ限られた時間と命を使うのは当たり前ですよ」
「ありがとうな」

「相談役、私は相談役が重病だというのは嘘のような気がしています、
 だって、顔色もいいし声もしっかりしていらっしゃるし、本当は単なる風邪じゃ
 無いんですか?」

「そうだといいだがな」
「でも、普段の相談役と何も変わっていませんよ、病気だとは思えません、
 気の持ちようでいきなり酒が飲みたいって思うようになるんじゃないですか」

「〇君、この前頼んだもの買ってきてくれたか」
「はい、裕次郎のCDですね、二枚組みの豪華版を買ってきました、どうして突然裕次郎
 なんですか、青春の思い絶ち難しですか」
「そうだな、この頃無性に高校時代の夢を見るんだ」

「あれ、同じですね、私も高校時代の夢を良く見ますよ、その頃日記をつけていたので
 古い日記を取り出しては読んでいます」
「そうか、高校時代だなどうしても」
「どうしても高校時代ですよ、どうしても」

「相談役の高校時代には裕次郎が全盛時代だったのでしょう」
「そうだ、俺達は裕次郎で青春に目覚め女に目覚め都会に憧れたもんだよ」
「あれっ?相談役は横浜の高校じゃなかったのですか、都会に憧れるってどういう意味ですか」

「〇君には言わなかったかな、俺は生まれは横浜で父の転勤で小学校4年生から
 中学と高校二年まで地方で育ったんだ」
「たしか広島にいた事があったって言われていましたね」

「実は広島というのは東京の人がわからないだろうと思って大きな都市の名前を
 言っていただけなんだ、本当はな、山口県のすっごい田舎で過ごしたんだ」
「山口の田舎ってどこですか」

「君に言っても知らないだろうな、岩国という町と徳山という町をつなぐ岩徳線という
 ローカルもローカルの単線の草深い田舎で育ったんだ、高校もその地方の高校に行った」

「岩徳線?知りませんけど、要するに根っからの浜っ子じゃなかったのですね」
「そうだ」
「じゃあ、私とどっこいどっこいじゃないですか、田舎なら負けませんよ」

「〇君は中学、高校時代には歌は良く歌ったか?」

「歌って、要するに男と女がテーマでしょう、だったら色気づかなきゃ歌は歌いませんよ、
 私は高校になってから一人で歌を良く歌いました」

「その通りだ、色気づかなきゃ男も女も歌は聞かないし歌わないものだ、俺は裕次郎が青春
 だったな、彼の歌で男に目覚め、女を意識し、人を好きになった」

「わかります、ここが病室じゃなかったらこのCDを大きな音でかけて差し上げたいですよ、
 一緒に歌いたい気持ちですよ、どんな高校生だったのか歌を聴けばわかりますから」

「ああ、そうそう、相談役、忘れていました、何か本を買ってきてくれと言われていました、
 どんな本がお好きなのかわかりませんので、新刊書をいくつか買ってきました」

「ありがとう、本当は太宰とか三島を読んでみたかったのだけど」
「そうでしか、相談役は村上春樹は詠まれますか」
「いや、興味が無くて読んだ事は無い」
「私もあの大作の分厚い書物を見るだけで圧倒されて実は全然読んだ事は無いのです」

「世界的ベストセラー作家だから読んでみるのも悪くはないだろうが、どうも私には
 合わないような気がしてな」
「どうして彼はノーベル賞を取れないのでしょうかね」

「君はどうしてだと思う?」
「読んでいないので批評は出来ませんが、ノーベル文学賞ってなんだか反体制派とか
 左翼系の作家しか取れないような気もしています」

「俺もそう思っているんだ、この頃村上春樹は立ち位置を左に急旋回しているとは
 思わんか、いや彼の書籍じゃなくて思想的に」
「聞きかじりですが、なぜか彼はここのところ左に急旋回しているような発言が多いですね、
 ノーベル賞と関係あるのでしょうか」

「それはわからんが、急旋回の左派より発言は読者をびっくりさせるだろうな」

「たしか、最近かれは南京虐殺は40万人だか、慰安婦問題は相手がいいというまで
 謝罪し続けるのが正しいとか私なんかとは真逆なコメントにびっくりしています」

「それどころか、俺も受け売りだけど、
 彼は日本人論で「日本人は共通して自己責任の回避がある」と発言している、
 それも福島第一原発事故と大東亜戦争を同列に並べて日本人は責任を回避し
 誰も責任を取らない国民だとも言っていますね」

「そう、終戦後は日本人は誰も悪くない、悪いのは軍閥で天皇もいいように利用されていた
 国民はみんな騙された酷い目にあったとか日本人は自らが被害者犠牲者になりすましたとか・・」

「そこだな、日本人には加害者であったという発想が基本的に希薄だと彼は言っている、
 そしてその傾向はますます強くなるとか、そんなコメントも見た事がある」

「私が思うに、福島第一原発の事故と先の大戦の結末を同列にならべるのは無理があると
 思うのです、原発事故は原因が地震と津波だから誰にも責任が無いといい、敗戦も
 日本人は被害者であって何の責任も無いという傾向が強くなっている、それでは中国や
 韓国の人は怒るだろうとこう言っていますね、私とは相容れません」

「俺は〇君よりも一回り以上年上だから戦争の事もその後の日本人の忍耐も、政府が
 なけなしの金を工面して賠償金を支払い、内閣が変わるたびに謝罪、謝罪をくりかえして
 来た歴史も実際に見ている、村上春樹氏のいう日本人は謝罪しないとか被害者面をしている
 という指摘は全く当たらないよ、日本人ほど敗戦責任を謝罪し続けた国民国家は世界に
 存在しないよ、隣国からの口汚い罵倒にもじっと耐えて焦土の中で生きてきたのが
 日本人だよ、俺は誇りに思う、日本人が責任を取らないという大上段の決め付けはやはり
 何か目的があっての左旋回じゃないかと思うんだ」

「そういえば、大江健三郎氏も左派でしたね」

「裕次郎か、感謝の限りだよ、俺達に夢と青春の息吹を与えてくれた最大のスターだよ」
「ところで、奥様も山口県のご出身だとか、お嬢さんに伺いましたが」

「〇君、銀座の場末で出会った俺達だが、家内は偶然にも山口県の田舎の高校の2年下の
 女性だよ、貧しい農家で当時の栄養不良で父君は早く亡くなり母親も後を追うように
 彼女は一人ぼっちで神戸、大阪、東京と一人で必死で生きてきたんだ」

「そうでしたか、奥様が田舎の出身にはとても見えませんけど横浜の貴婦人って感じですよ」
「最後まで苦労をかけ続けて俺は死ぬんだ、何という無責任な生き方だったかと
 悔やんでも悔やみきれんのだよ」

「相談役、私の人生も人に自慢できるものは何もありません、どうかご自分を責めないで
 下さい、お体にさわりますから」

「ところで相談役は裕次郎の歌では何が好きですか」
「そうだな、初期の頃の淋しさがある彼の歌が好きだったな、ちょうど井上揚水のような
 寂寥感が溢れる初期の裕次郎が俺のマスコットだったよ、
 初期の頃の歌は全部何でも好きだよ、俺は待ってるぜから紅いハンカチまで
 凄い勢いで想い出が溢れてくるよ、悔しいなあ年を取るって事は」

「♪君も覚えているだろう

  別れ口笛 わかれ船

  ふたりの幸福を 祈って旅に出た

  やさしい兄貴が 呼ぶような

  ああ 口笛が聞こえる 港町」

「♪二度と泣いたりしないね

  君がなくときゃ 俺も泣く

  ふたつの影法師を 一つに重ねたら

  月夜の潮路の 向うから

  ああ 口笛が聞こえる 港町」

「♪涙こらえて ふりむく

  君の笑窪の いじらしさ

  想い出桟橋の 夜霧に濡れながら

  兄貴の噂を するたびに

  ああ 口笛が聞こえる 港町」

相談役は声にならない声でこの歌を口ずさんでいたようだった、口笛が聞こえる港町、
何か想い出があるのだろうな。

「〇君はどうだ?」

「私はある想い出があって、一人ぼっちの青春、これ一本槍です」

「女性か?」

「いいえ、私と同年代のある男がいつもこれを歌っていました、
 いつしか私もこの歌を歌うようになりました、想い出は死んだ友人です」

港に陽が落ちてきた、鴎の影が黒く見える、

病院を後にしながら、「あの人が亡くなったらどうしよう」

そんな思い一杯で坂道を下って地下鉄の入り口に向う、
振り返ると中華街がけばけばしく雑踏の賑わいを見せている、

私はまだ中華街には入った事は無い、嫌いでもないけど、興味は全く無かった。

相談役と奥様が山口県の岩徳線という田舎で知り合っていたとは、
まるで推理小説に出会ったような気がした、

帰りの列車の背もたれを倒してビールを一気に飲んだ、窓に街の灯が飛んで行く、

すがる切ない瞳のような 星が飛ぶ飛ぶ 哀愁列車か・・淋しいないつも帰りは。
 

三四郎外伝「泣かせるぜ」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 3月18日(土)21時58分1秒
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  人には誰でも華の時代がある、誰にでも滾る青春の日々がある、
呼んでも帰らぬ遠い日々を泣いても泣いても人生は山から谷に落ちて行く。

天寿を全うできる人はそれはそれで幸せだろうが、秀吉の例を見るまでも無く
人は遣り残した事を一杯抱えたままで寝たきりになり骨になる。

若き日々を思うことは自然な事だ、何も未練や後悔だけでは無い、
人が最も美しくしなやかであった一時期を思うのは自然な事だ。

暖かかった昨日、
相談役を見舞いにうららかな横浜の街を歩いた、見舞いの果物籠を手に下げて
いつもの道を病院へ坂道を登って行く、

高校三年生の時代から新入社員だった時代まで私は他のみんなと平等に青春の
空気を一杯に吸って誰でもが通る同じ道を歩いて来た、

いま見る横浜の港も神戸の港も同じ潮の匂いを持って私の心を洗ってくれる、
海の匂いがいつも私をしなやかな時代に誘ってくれる。

疎遠になった数々の友、
いまどうしているだろうか、成功して幸せな家庭と孫に囲まれている人もいるだろう、
反対に経済的に苦しんでいる人も、病気を抱えて苦しんでいる人も、

みんなスタートは同じだった、
人の幸不幸はちょっとした線路の切り違えだ、大きな差異は無い、

人の良かった友、脇の甘かった人、転んで人生を短く生きた人、
みんな間違いなく同じ条件の下でスタートを切った、ひとつひとつを私が確かに
目撃している。

病院の白い建物が見えてきた、
相談役の回復は難しいかも知れない、人は寝込んだらほぼそれきりになる
例が多い。

もし相談役に何かがあったら、私はどうしようか、
早紀子と離婚してふるさとに帰ろうか。

帰ってもなあ、
昔なじみの友はみんな老いて先に旅立ったものも多い、
私はもう故郷の町では異邦人に過ぎない、故郷の根っ子がもう無いのだ。

「♪はなさない もうはなさない

  すがりつく あの娘の

  長い睫毛が 濡れている

  それほどまでに 愛してくれる

  初心なあの娘の 純情が

  ああ 俺を泣かせるぜ」

「♪貴方だけ ただ貴方だけ

  なにもかも 貴方に

  云って恥らう 白い顔

  夜更けの星が 見つめていても

  抱いてやりたい いじらしさ

  ああ 俺を泣かせるぜ」

病院の坂道を上がりながらお見舞いの果物籠を重いと感じる私の体、
若いカップルにどんどん追い越されていく、

見上げる病院の白さが浜風を受けて悲しい、

白鳥は悲しくないか と問いかけた白鳥の先生の歌声が耳に残っている、
海の藍にも 空の青にも 染まず漂ふ・・

つまらぬ感傷を振り払って自動ドアの中に入って
見舞いの記帳をすませる。

数台のエレベーターが遇数階と奇数階に交互にずーっと並んでいる、
いろんな色のナース服を着た若い声が弾むように廊下を行きかう、

あんな娘と何回恋をして、何年季節を走りすぎたのか、

やっぱり「泣かせるぜ」と勢いよく歩を進める、ひと時のバックトウザパーストだ、

病室に入ったら嫁いだ娘さんと奥様が慌てて立ち上がって私に一礼された、
「突然お邪魔して申し訳ございません、どうしても相談役のお顔を拝見したくて
 思いつきで来てしまいました」

「いいえ、こちらこそ〇さんのお気持ちは痛いほどわかります、
 有り難い事だと主人ともいつも〇さんの事を話しております、本当にありがとうございます」

二人は遠慮して席を外そうとした、
「いいえ、奥様、お嬢様、どうぞこのままで、この果物を剥いてお父様に食べさせて
 上げてください、奥様どうぞお掛け下さい」

相談役が私に気がついて「おう、来てくれたのか」と振り向いて笑顔を向けられた、
奥様が気をきかせて窓のカーテンを広く開けてくださった。

「もう春ですよ、まもなく桜が咲きます、会社の前のお堀の桜ももうちらほら
 咲き始めています、靖国の桜もまもなくでしょう」

「うん、そうだな、桜はいいな、日本人を意識するよ、
 今年が桜も見納めかも知れんがな」

「気の弱い事を言わないで下さい、奥様を京都に同伴されると約束して
 くれましたよね、男は約束を守らなくちゃ、今年行けなくても来年の春の京都には
 どうぞお二人の旅を、信じてください」

「この病室から見える景色にも飽きたよ」

「そんな事言わないで下さい、この場所は高台でいい場所です、
 横浜のシンボルがほら真っ直ぐ見えるじゃないですか」

「ありがとうな、〇君」

「♪帰さない もう帰さない

  いつまでも このまま

  胸に抱かれて いたいのに

  無情の風が 別れの時刻を

  告げるせつない 夜の道

  ああ 俺を泣かせるぜ」


別れなんか、あってたまるか、私は相談役の顔をじっと見つめた、

この歌が流れていた頃は私も相談役も年は違っても
お互いの道で肩で風を切っていた。

そしてこの日に奥様から相談役の命はあと数ヶ月だろうと担当医師から告げられた事を
私の耳に涙ながらに打ち明けられた。

私は黙って奥様の震える肩を見ながら涙がみるみる溢れて自分の膝に落ちるのを
止められなかった、言葉は出なかった。

「ああ俺を 泣かせるぜ」
 

三四郎外伝「湖愁の思い出」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 3月16日(木)20時58分57秒
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  私はその頃まだ小学生だった、
ラジオから「湖愁」という歌が流れていた。

当時は裕次郎の全盛時代で「湖愁」はそれほど記憶に残ってはいなかった、
10年たって私は柳行李一つを担いで四国から連絡線に乗り淡路島経由で
大阪行きと神戸行きとに分かれていた船をなぜか神戸行きに乗りかえた、

東京には鈍行で一昼夜かけて着いた、下宿も決まっていない、
学生課で紹介されて流れ着いたのが東京は市ヶ谷だった、新宿区という住所に
私は少しながら興奮気味だったのを覚えている。

大学にはアルバイトで生活と学費の捻出が忙しくて滅多に顔を出さなかった、
体育と英語は出欠をとられて卒業単位に響くので無理をして出席した、

その頃、社長の倉庫が改装の為にに仕事が出来なくなった、
学生課を通じて新宿のデパートの梱包と包装のアルバイトが見付かった。

授業の合間を縫って、
私は約一ヶ月の間新宿のかなり巨大なデパートの広い一室の中でベテランの
女店員に教わりながら荷物を担ぎ上げ仕向け先別にくたくたになるまで閉鎖された
一室で働いた、その時には20人くらいの学生アルバイトがいた、

私はいつも一人だった、
食事も一人で隅に坐って食べた、他のみんなはそれぞれが仲良くわいわい
若者らしくはしゃいでいた、中には女店員と仲良くなったものもいた。

私はタバコは高校2年生から吸っていた、3年生の頃は教室の中で先生が来るまで
平気でタバコを吹かしていた、通学時にも学校の門を出る時からタバコをくわえて
がしゃがしゃとボロ自転車をこいでいた。

デパートのアルバイトは10日ばかり経った食事が済んで隅に坐って私はタバコを
吹かしていた、いつも一番安かった「いこい」という茶色のパッケージに入った両切りの
タバコしか吸ったことは無かった。

一人の年上に見える学生が私に近づいてきて「君、君はまだ未成年じゃないのか」
と言って笑った。私は「はあ」と言ってその男を見上げた、彼は「いいか」と聞いて
私の側に坐った、

みんなが東京弁を話すのに彼は強い関西、大阪に近い関西弁を使っていた、
大学は私の大学とはいつも野球で敵対していた有名校だった、彼は「4回生」だと
名乗った、私は自分も関西弁に近い田舎言葉だったので親近感を覚えて、

「今年入りました新入生です、名前は〇と言います」と頭を下げた、

「まあ、こんなところで先輩も後輩もあらへん、楽に付き合ってや」
そう言って、彼は私に取っては高級品だった「ハイライト」を薦めてくれた、

彼はジャズが好きで大学の軽音楽部に入っていると言った、
「あの、自分はずっとアルバイトで部活はしてません」と正直に言ったら、
「まあええがな、俺もな、二親がおらんよって、殆んどバイト暮らしや、
 一回下宿に遊びにこいや」3つ年上の彼とはバイト期間を通じて仲良くしてもらった。

一二度彼の下宿に遊びに行った、ウイスキーを出されて手っ取り早く酔っ払った、

その男は歌も上手かったしギターも上手かった、私が彼のギターを弾くと、
「うまいやんか、ええ筋しとうで、本格的に練習したらええんちゃうか」

そう褒められた、

彼は良く一人で口笛を吹く人だった、とても澄み切ったいい口笛だった、
ポールアンカの曲とか、それから10年以上前に流行った松島アキラの「湖愁」
という歌を何かする時には決まってその曲を口笛で吹いていた。

月日は早く流れて、彼は卒業してある小さな食品会社に就職が決まった、
私達はまだ時々あっては笑いあっていろいろな事や夢を教えて貰った。

私が大学の3回生の時に母の容態が悪くなった、
私は急遽田舎に帰ろうと仕度をして母と姉に宛てて電報を打った、

お金が無かったので夜行の準急の切符を買った、
やはり神戸から四国へ連絡船で帰ろうと社長の許可を貰った、

その頃にはもう2回生の時の叔父の家の事件やその前の三四郎兄さんに対する
無謀な輸血もあった、私は死線をくぐりぬけて東京で少しは大人への階段を上っていた、

帰る3-4日前にあの口笛の先輩から電話あった、
彼は会社を辞めて故郷の姫路に帰ることになったので今晩会わないかと電話口で言った。

私は「私も会いたいです、実は母が容態が悪くて」と4日後の準急で帰る旨伝えた、
「そうか、じゃ俺もおんなじ準急にしよう、一緒に帰ろうや」そう言った。

その夜、彼に誘われて屋台で飲んで、小さなスナックに連れて行ってくれた、
彼はその店で「湖愁」を歌った、歌手のように上手かった。

「どうしてこの歌が好きなんですか」
「何でやろうな、いろんな事があったさかいな」ぼつんと彼が言った。

準急に二人並んでトリスウイスキーを飲みながら弁当を買い、のんびりした速度の
列車で一路東京から関西へそして列車は九州へ向う、

「♪悲しい恋の なきがらは

  そっと流そう 泣かないで

  かわいあの娘よ さようなら

  たそがれ迫る 湖の

  水に浮かべる 木の葉舟」

「♪ひとりの旅の 淋しさは

  知っていたのさ 始めから

  はぐれ小鳩か 白樺の

  梢に一羽 ほろほろと

  泣いて涙で 誰を呼ぶ」

「♪夕星ひとつ またひとつ

  ぬれた瞳を しのばせる

  想いだすまい 嘆くまい

  東京は遠い あの峰を

  越えてはるかな 空のはて」

「先輩、なんで会社を辞めて帰るのですか」
「お父がな、いらんことに手ーだして、わしが土方でもやって
 稼がんと母親代わりに育ててくれた叔母の手にゃ負えんのじゃ、まあしゃーないが」

「そうでしたか」
「〇君、一回姫路に来たらええんや、東京ばっかりがええとこちゃうで」
「そうですね、私も学校も卒業できるかどうかもわからんですよ」

翌朝姫路に着いた、彼はナップザックを担いで「ほなな、上を向いて歩けよ、ええな、
一回姫路に来たらええんや、きっとやで」

彼は手帳を破って電話番号を書いて私にくれた、
「東京が遠くなりましたね」
「そや、俺の子供の頃から東京は遠いところやった、これからは
 大学で学んだことなんか、なーんも役にたたへん、気張れよ」

彼は列車の棚にあった彼の愛用のギターを取って、ケースごと背負って
一度背を向けて、また引き返してきた。

「このギター、もろうてくれや、大事にしてや」
「こんな大事なもの先輩が持っていってください」

「ええんや、ギターはまた買えるがな、〇君はここにおる一人だけやしな
 どっちが大事か、君や」

姫路は5分停車だった、
彼はずっとホームに立っていた、逞しくて男だなあと思うような魅力があった。

停車中に彼は弁当とお茶を買ってきてくれた、例の歌の口笛を吹きながら、

これが別れだった。

私が神戸に赴任して純子に聞きながら姫路を訪ねたことがあった、

お母さんのような人が出てきた、彼の言った母親代わりの叔母であろう。

「猛はな、いろいろあってな、もうここにはおらへんのよ、かわいそうな子や」
「どこに行ったのですか」
「うちらにもわからへんのや、そんな子やなかったのに、堅気やない仕事に入りよった」

「会いたいのですが、どこにおられるのか解りませんか」
「さあな、うちらにはもう手ーが届かんのや、悪いなあ、兄ちゃん、
 良かったら名前だけでも聞いてええやろうか」

私は姓名と電話番号と住所を書いて疲れたような女性に渡した、「もし連絡がついたら
電話を欲しいと言って下さい、昔お世話になったものです」

引き返しかけて、あの人の生活が苦しそうに見えたので、
私の持っていた有り金と純子にも持ちがね全部借りて、封筒を買ってそれに入れて
走った。

「猛さんのお母さんと呼ばしてもらいます、これ、猛さんに借りてたものです、申し訳ありませんが、
 連絡がついたらこれを、お母さんが何かの足しにしてもらってもいいです」

お母さんは小さな家の玄関外に出て、頭の手ぬぐいを外して私にずっと頭を
下げていた。

それからの私は何か作業をする時には
いつも「湖愁」の曲を口笛で吹く癖がついた。

人の人生って短すぎる、
今日は映画俳優の渡瀬恒彦さんが死去されたというニュースをTVで知った、

あの姫路の彼と面影や雰囲気が似ている渡瀬さんは好きだった俳優だ、
まだ72歳という、どうなっているんだ、この世の中は、

もうあの名作「仁義無き戦い」に出ていた人たちは櫛の歯がかけるように
みんな旅立っていかれた。

「仁義無き戦い」の第三作、代理戦争の中で偶然にも「猛」という役名で
渡瀬恒彦さんが出ていた事を思いだした。

極道になると決めた日に広能組長(菅原文太)に頭を殴られ、

「挨拶して送らんかい」と怒鳴られて、

慌てて道路に出て、立ち去り行く老いた母親と学校の教師に向って、

「母ちゃんよい」と呼びかけ、深々と頭を下げ、向うで母親が泣き崩れるシーンが
あった、被さるようにテーマ曲の乾いた曲が流れた、印象的なシーンだった。

地球の上で塵のような人間の一生、時間が無情にも早く過ぎる、
たった72歳で死亡するような一生ならどうやって上を向いて頑張ればいいのか。

想い出は遠く、夕星ひとつも遠い。







 

三四郎外伝「ごめんね」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 2月28日(火)21時02分27秒
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  人間は晩節になると心が柔かくなるようだ、
振り返っては若き日々を思い胸の中で手を合わせて
「ごめんね」という言葉がこみ上げてくる。

目蓋を過る女の涙と優しさにただ「ごめんね」を繰り返すだけの
私をまた空っ風が揺さぶる。

薄い茶色のセーターで片方に傾くような小走りで私の降りるタクシーに駆け寄って来た人、
困ったことがあると半泣きの顔を傾けて私を見上げた人。

「ごめんね」

競馬に連れて行ったら女子トイレに買ったばかりの財布を忘れたと
泣きじゃくった人、

動物園でグルグル速いスピードで水中を泳ぐかわうそに
餌と一緒にハンドバックも投げてしまって泣いた人。

「♪ごめんね ごめんね

  幸福あげずに

  ごめんね ごめんね

  君を泣かせて

  俺も 俺も 生命を賭けてはいるけど

  花は咲かない 花は咲かない

  ほんとうに ごめんね」

「♪馬鹿だな 馬鹿だな

  俺は生まれつき

  馬鹿だよ 馬鹿だよ

  夢をこわして

  嘘が 嘘が 云えずに遠まわりして

  苦労かけるね 苦労かけるね

  ほんとうに ごめんね」

お金が無くて、背中を丸めてネクタイの仕上げや箸を袋に入れる内職を
黙って黙って続けていた人。

田舎に帰る私に弁当をつめながら後ろ向きで肩を震わせて
泣いていた人。

年を取ると楽しかった事よりも反省と後悔が多くなる
って本当なのかな、何かの本で読んだ事がある。

今日もまた入院中の相談役を見舞った、

「お元気そうですね、今日は風が強いですがそろそろ春の
 感じですよ」

「そうか、君の方はどうなんだ、会社は」

「横ばいですね、もう10年私が若かったらドライブかけるのですが」

「人はみんなそう思いながら年を取って行くもんだよ、
 ああ、こないだね、君のところのS君とここでしばらく話したよ」

「どうですか、彼は」

「君のあの頃のような迫ってくる迫力は無いな、真面目そうだけど
 面白みは無い、会社さえ順調なら彼は守りは信用できるかも知れんが」

「社長になれそうですか」

「彼に運があるかどうかだが、そこまでは解らん」

「まあ、私の頃と比べるとハングリーじゃ無いし、世代が違うから
 そう感じられるのだと思いますよ」

「君は彼の事を気に入っているのか」

「嫌いじゃありませんが、正直言って後釜がいないのです」

「君は淋しくないか、現役を去るのは」

「淋しいですよ、会社も人生も現役を去るのは」

「俺もなあ」

「ん? 何ですか?」

「病気を抱えてこの年だよ、遣り残した事が一杯ある」

「どうしました?」

「いや、女房の事だよ、旅行一つつれて行った事が無い、
 毎晩帰宅が遅くて度々外泊した、仕事人間そのものだった」

「これから奥様孝行したら、いいじゃありませんか」

「女房を粗末にしたよ、俺は間違っていた。あの時代に
 一人ぼっちでさぞ淋しい思いをさせたろうと、今更ながら泣けてくる」

「奥様はどこかのお嬢様でしょう」

「いいや、その正反対だよ、高卒で俺が飲んだくれた行きつけのバーで
 出会った女だよ」

「・・・」

「女房は何一つ愚痴一つこぼさずに、小さな社宅でじっと毎晩俺の帰りを
 待っていた、日曜は決まってゴルフに出かけた、新婚旅行も行ってないんだよ」

「まさか、物産のエリートが、そんな事信じられませんよ」

「いや、本当の話だ、これまで君には黙っていたが、俺は女房に苦労ばかりしか
 プレゼントしていないんだよ」

「でも金銭的には何もご苦労は無かったのじゃないですか」

「それが、違うんだ、俺は仕事が好きだった、会社が好きだった、
 退職金も担保にしてギャンブルにつぎ込んだ男のなれの果てがこの俺だよ」

「ギャンブル?相談役が」

「海外でカジノだよ、君には言わなかったが、良く首にならなかったもんだよ」

「まさか、想像できませんね、私ならともかく、相談役が」

「本当の話だ、俺は決して褒められた男じゃないよ、女房も年取って
 こないだ、女房が帰った後で俺は泣いたよ、迷惑をかけた、子供とのふれあいも
 少なくて、俺は間違っていた」

「相談役、男はみんな同じ台詞を吐くものですね、私もストーリーは違っても
 いつも心の中でごめんねと言っていますよ」

「男は大なり小なり女を悲しませるものかも知れんな、決まり文句の言い訳だがな」

「相談役、退院なさったら奥様とご一緒に少し豪華な旅行でもなさったらいかがですか、
 会社にも相談役の株式配当金を預かっておりますので」

「退院できるかなあ」

「何を仰るのですか、それこそ奥様を泣かせることになりますよ、退院できると
 信じて下さい、この間奥様にお会いした時なんだかとても淋しそうな様子でした、
 ご病気は本当のところはどうなのですか、私が先生に聞いてもよろしいですか」

「いや、頼むから医師には聞かないでくれ、俺も知りたくないのだ」

「冗談じゃないですよ、もしもの事があったら、私もどうすればいいのですか」

「いや、君が来てくれるので俺も力がつくよ、君の顔を見るだけで俺の若い頃を
 思い出す、女房も君を若い頃から知っているから懐かしいのだろうな、病状は聞かないと
 約束してくれ」

「・・・」

「♪ごめんね ごめんね

  君の寝顔に

  ごめんね ごめんね

  君の心に

  夜の 夜の 酒場でつらいだろうな

  酒にやつれて 酒にやつれて

  ほんとうに ごめんね」

そうか、人生に物語ありだなあ、知らなかった、一流会社のエリートの相談役が
酒場の女性と一緒になっていたのか、何だか自分の影を踏んだような気がした。

横浜から東京へ帰る列車の中で、小さな声で歌った、

「♪ごめんね ごめんね

  君の寝顔に

  ごめんね ごめんね

  君の心に・・・」








 

三四郎外伝「三味線マドロス」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 2月17日(金)18時10分44秒
返信・引用 編集済
  先日松方弘樹さんの対談を某BS放送で偶然見かけた、
司会者のアナウンサーが一人と松方さんの二人で一時間くらいの
対談だった。

松方さんは対談中もひっきりなしに水割りのようなものを口にしていた、
収録が2015年の11月としてあったので、ちょうど亡くなる一年前の
収録だったが、信じられないくらいにお元気ではちきれるような精気がみなぎる
いつもの松方さんだった。

殺陣のやり方や刀の振りかたを身振り手振りで話ながら次第に時代劇東映が
任侠ものから実録路線に切り替わっていく時代の流れを淡々と話ていた。

松竹から菅原文太が移籍しくる、日活から小林旭が移籍してくる、
その間に古参の悪役連中、ビラニア軍団と呼ばれた面々との話や、
仁義なき戦いの撮影中は監督以下が毎晩のように京都の町に飲みに繰り出した話、

司会者が最後に「これからの抱負と目標は何でしょうか」と話を向けると、
松方氏はちょっと上を見るような目つきで、「そうですね」と間をおいて、

「健康です、健康が一番です、趣味の釣りも続けたいし、
 役柄としたら年齢的に忠臣蔵を例に取るともう大石力や大石内蔵助はできませんので
 吉良上野介の役をやってみたいですね、身体には気をつけています、
 今、人間ドックを終えたばかりですが、まだ結果は出ていませんが」

と快活に笑っていた。

その翌年の2月に例の病気が発見され即座に入院、梅宮辰夫さんの話によると
5月、7月、9月と見舞いに行った、5月には私と話をして早く良くなってくれと
分かれたが、9月にはもう私を認識できなくなっていたと話された。

収録のちょうと1年後だ、2016年の12月に松方弘樹さんは逝去された
74歳だったそうだ。

今日の朝のニュースで作曲家の船村徹氏が心不全の為に亡くなったと報じている、
84歳だと報道された。

人間の寿命ってやはり75歳くらいから84歳くらいで終わるのかとつくづく思った、
確かにそれ以上長生きをしても寝たきりでは人間的な活動は難しいだろう。

先週から今週にかけて知人の葬儀で九州に行っていた、
人は死ぬんだとまた思い知らされた、広々として太陽の燦燦と当たる九州の
南国の土地がなぜか私にはとても思い出深いものに感じられた、

男が先に逝くほうがいい、連れ合いの妻に先立たれると男はもう何歳でも
精神的に崩壊する、女性は一人で生きていくが男性は妻が旅立つとすぐに後を
追うように力が尽きる生き物だ。

船村徹氏は若くして頭角を現し、20代後半にはもう大御所として扱われる
ようなヒットメーカーだった、育てた歌手も数知れない、

良く引き合いに出される遠藤実氏と船村氏は持ち味が違う、2人とも人間味に厚い
ほのぼのとした人だけど、曲自体のムードがどこか違う、

誰かの言葉だが「良い歌は昭和時代にみんな出尽くした、才能のある歌手も
       みんな日本中のエキスが全部出尽くした感がある」と述べておられる。

船村氏の原点は親友の高野公男氏との友情と、高野氏の書いた歌詞に曲をつける
というところから出発している、

「別れの一本杉」「あの娘の泣いている波止場」「男の友情」など、
そして隠れた名曲にやはり高野公男作詞、船村徹作曲の「三味線マドロス」がある。

現代の曲からすると間違いなくオールデイズに分類されるが、何か懐かしい曲だ、

私がいつもyoutubeなどで拝聴する当時の歌謡曲と特に女性歌手が何と美しい声と
美しい顔をしているのかと感動的にすら思える。

園マリも歌も顔も愛くるしかった、キャンデーズもピンクレデイも綺麗だった、
松尾和子の色っぽさも、伊東ゆかりの抜群の音感も、小柳ルミ子の宝塚で鍛えた
全身から溢れるムードも、今の時代のみんな同じ顔をしたタレントさんよりも
ずっとみんな個性的だった。

真野尚子という歌手もいた、松尾和子の後を次いでマヒナスターズのボーカルに
入った人だが、この人はシャンソン出身らしいが、歌は上手くて色っぽい、

不思議に思うのは、現代の人気俳優の男性も女性も突出した爆発性が感じられない
事だ、それに比べてあの時代の映画俳優はそこら中を圧倒するオーラがあった、

石原裕次郎、吉永小百合、菅原文太、高倉健、鶴田浩二、女はどこまでも可憐で、
男はどこまでも男らしかった、日本が戦争を体験した国だったからはっきりと男女の役割が
分かれて、男と女の線引きが余韻で続いていたからだろうか。

アメリカの俳優を見ると、ちょうど日本の最盛期の映画スターと同じように男性は
どこまでも男らしく、女性はどこまでも妖艶で魅力的だ、

今の日本のスターは、道ですれ違ってもよほどのフアンで無い限り気がつかないだろう、
そんな平凡な男女がスターと呼ばれている、

これを考えると、やっぱり軍隊がある事が男女の線引きをしてくれているような気もする、
英国、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアの男性俳優はオーラと男らしさの
エキスが溢れている、引き換え女はどこまでも圧倒的に女である、

日本も軍隊を持つべきだとここからも感じる、余談だが。

「♪波の小唄に 三味線ひけば

  しゃれた奴だと 仲間が笑う

  陸が恋しさに ついつい負けて

  呼べば未練が 呼べば未練が

  エーエー、 夜霧にとけたよ」

「♪青い月夜にゃ 涙で弾いた

  破れ三味線 あの娘の形見

  情けあったなら 男の胸を

  かえる鴎よ かえる鴎よ

  エーエー 伝えておくれよ」

旧社長の会社の合成樹脂部門を引き継いで私は奮闘していた、
次第に事業も大きくなり部屋が手狭になったので

三つ上の階の大分大きな部屋を借りて引っ越した、
社員も少しずつ増えて私も多忙になって来た、

その頃秘書を募集した、

5人ほど応募があった、その内の一人が知恵子、もう一人が早紀子だった。

私は早紀子が一番いい、仕事が出来ると直感した、
彼女の履歴書を見るとその年の新卒で東大卒であった、卒業証明書と
学業証明書が添えてあった。

面接はお堀の見える私の小さな部屋で行なった、
「あのー、こんな小さな会社ですけど、どうして貴女のような経歴の方が
 応募してくださったのですか」

「どうしてって、この会社が募集されていたからです」
「いや、それはそうでしょうけど、貴女なら銀行でも大商社でもどこでも
 学校の推薦だけで通るでしょう、どうしてですか」

「卒業してから働くつもりはなくて、母の手伝い、家事手伝いをしていました、
 今度、少し退屈になったので、新聞を見ていましたら、割と大きなスペースで
 この会社が募集されていました、若い会社です、若さだけが取り得の会社です
 という広告が正直そうだと思わず笑いました、それで・・」

「はあ、そうですか、実は私が社長なんですけど、よろしいでしょうか」
「あら、随分お若いのですね、まだ30歳前でしょう」

「ええ、27歳ですが、もうすぐおっさんになります」
「面白い方ね、それで秘書って何をすればいいのですか」

「第一に私の公私を含めた書類処理と、大きなお客さまには一緒に行って
 いただいて、フォローをして欲しいのです、相手の人にも秘書がいて
 こちらも秘書がいないと細かい事がわからないので、それで探しております」

「社長さん」
「えっ?」
「失礼ですけど、ご結婚はなさっていますか」

「いいえ、まだですけどそれが何か」
「危なくないかしら」
「随分失礼ですね貴女は」
「そうですか、そうは思いませんけど」

「とにかく、こんな会社です、社員はみんな私と同年代と一人だけ技術に
 40代の人がいます、あなたは経理や英語での手紙やテレックスは大丈夫ですか」
「テレックスは経験ありませんけど、基本はタイプでしょう、大丈夫だと思います」

「私としては貴女に来ていただきたいのですが、いかがでしょうか、給料のご相談も
 したいのですが、週休二日で社会保険は完備しております」

彼女はそれには何の反応も示さなかった、

「一応、家で母にも相談して見ます、社長さんのお名刺をいただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、これが名刺です、電話番号は代表と私への直通が書いてあります」

「それでは失礼致します」
「あのー、何か質問は無いのですか」
「別にありません」
「それでいつ頃お返事をいただけるでしょうか」
「あ、それはすぐにお返事申し上げます」

こうして別れたが、一週間経っても二週間になっても何の返事もなかった、
しびれを切らして、私が彼女の実家に電話してみた。

電話に出たのは母親のようだった、馬鹿丁寧な言葉遣いで、
「さようでこざいますか、それはご迷惑をおかけいたしました、生憎早紀子は
 お友達と出かけておりますので、帰りましたら伝えておきます、お名前をもう一度
 お願い申します」

「あ、私は〇と申します、先週お嬢さんに面接に来ていただいた会社のものです、
 電話番号はxxxです、ご連絡をお待ちしております」
「まあそうでございますか、大変なご迷惑をかけて、あの子は何を考えているのでしょうね」

「いえ、迷惑という事ではありませんが、ちょっと急ぎますのでよろしくお願いします」

ふー、驚いた、大変な上流家庭だ、もううちの面接なんか忘れているんじゃないだろうな、

そんな時に知恵子が面接に来た、この女性も東大卒だった、
この子は即決でOKした、私がしつこくいろいろ聞いたら、

「実は大手の電機メーカーに就職が内定しているののですが、大きなところは面倒くさいので
 このような小型会社の方が気楽かなと思いました、私は御社さえ良ければこちらで
 働かせていただきたいと思います、ただお給料は〇〇円以上をお願いします」

早紀子は依然として音信普通だ、私は経理という名目で知恵子を採用した、

そうして、F君が商社を辞めて私に合流してくれる事が決まった、

物産の課長代理が正課長に、そして事業部長に昇進していった、Dさんは部長から
取締役に、会社は香港とシンガポールに最初の海外拠点を設けた、

私の海外への出張が増えた、

そうして会社は波に乗って大きな利益を出し始めた、

私は紙袋に出来るだけのお金を入れて、デパートの前の通りで三四郎兄さんに会った、
車の窓が下がり、「〇、どうした、何の話じゃ」

「ちょっと車に乗ってもいいですか」

「入れ」

若い士がさっと降りてドアをあけてくれた、私は三四郎兄さんの横に坐って、
「兄さん、あの会社でやっと利益が出ました、これは少ないですが、前の社長と
 兄さんに後押ししていただいたお陰です、どうか気持ちとして受け取って下さい」

三四郎兄さんは紙袋の覆いを取ってチラッと中を見た、

「大層あるじゃないか、〇、よう気張ったな、気持ちだけは貰っておく、
 これは会社の何かに使え、持って帰れ」

「何でですか、何で受け取ってくれんのですか」

「〇よ、おめえ、わしとの関係まで金で買おうと思ってるのか、
 おめえ自分が今わしに向って何をやっているのか解っているのか」

「何の意味ですか」

「これをやったらおめえの会社はフロントになる、いずれ目をつけられる、
 フロントと認定されたらいろんな許可とか認定が全部取り消されるぞ、

 おめえには堅気で生きろとわしが言うたが、おめえには解ってねえようだな」

「でもこれは不正な金じゃありませんので」

「フロント認定は金の出所は関係ねえんだ、わしの言うた通りするかせんか、
 おめえ、そんな腰の弱い事でどうするんじゃ、馬鹿もんが」

「解りました」

「おう、解ったら今日は帰れ、ええか、何かトラブルがあったら言うて来い、
 鉄か昇にでも捌きをさせる、ええな、気張れよ、ケツ割るんじゃねえぞ
 金はおめえが貯めろ」

こうして私は将来への夢を膨らましていった、

早紀子がひょっこりやってきた、「考えて見ました、こちらでお願いします」

「♪なれぬ手つきで しみじみ聞かしゃ

  荒れたこころも ほろりと泣ける

  無事か達者でか 淋しいえくぼ

  つらい思いも つらい思いも

  エーエー しばしのことだよ」

 

三四郎外伝「蛍籠」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 2月 9日(木)01時18分39秒
返信・引用 編集済
  皆さんは蛍籠というものをご存知でしょうか、

イ草で編んだ虫籠です、

私達の田舎ではこれと言った遊びも玩具も無かったので
幼い頃から虫篭、蛍籠を自分で編んで、

蛍を入れて夜通し蚊帳の中からじーっと淡い光を見つめていたものです、
きっと東京や大阪の都会の子供はご存じないと思いますが。

先の「お祭りの夜」でお話した私の初恋の女子生徒ですが、
卒業式の日に向うから私に「あ、あのー、私と付き合ってください」と
下駄箱の前で真っ赤になって打ち明けられた、この話も前に書きました。

あれっきりあの女子生徒は京都の大学へ、私は別の目的で東京へ、
ずっと逢わずずっと便りも聞かずに、いいおっさんになった時の同窓会で
出会いました、もうお子さんが二人もあると聞きました。

私達の学校は近くに海軍の基地があった影響でしょうか、
卒業式の日には帽子を投げ、胸の学生服のボタンをひとつちぎって好きな女子生徒に
手渡すという習慣がありました、

私の学生服はボタンが全部揃ったままでした、ちぎって渡す相手がいなかったのです、

それから神戸で純子に逢い、女とはこんな身体をしたこんな生き物だと教えられました、

高校時代には母の仕事の手伝いで女性と触れ合う事も無く、女とはどんなものなのか、
全く知りませんでした、中学生の頃までは教室で一緒にいるだけで子供が生まれるものだと
本気で信じていました、

その後、薄ぼんやりと男と女の行為がある事を知りました、だけど女の体があのように
なっていて、そこに自分のものを挿入する等は全く想像すらも出来ませんでした、

同じ高校でも、裕福で発達家の男子や女子は一人前に付き合って、
性の行為をしていると、教室で誰かに聞きました、

私は一端の悪で通っていましたので、友達はみんな私には女なんか山ほど経験が
あるのだろうと、そんな風に思われていました、私も皮肉な笑いで、「まあな・・」と
格好をつけていましたが、

純子に手取り足取り、ここがこうなっているんや、ここにこうして貴方のこれを入れるんやで・・、
そや、入れみ、そーっとやで、そこはお尻、その上のここや、

こんな風になビシャビシャに濡れている
のはな、女が興奮して男を受け入れる用意が出来たって事や、わかったな。、

汚い事なんかあらへんのよ、そうや、そこを舐めんのや、そうや、上手いで・・

うちもあんたのものを舐めたげる、眼ー瞑ってじっとしてや、ええか、ほら、
目を開けてうちの口を見てみー、ほらこないな事をするんや、

両方が濡れてきたらな、ほれこうして入れるんや、アカン、もうイってしもうたんか!
もう一回や、ええか、男はな、女がイクまでイッたらアカンのや、よう覚えとき。

そうや、今度はうちが上に乗るで、下から突いて、そやそや、ええ気持ちや、
あんたもええか、ええ気持ちか、男と女はな、こないして愛し合うんや、

よう見てみー、うちのここを、ここが、xxここがxx、そうや、ここを舐めるんや、
うちがあんたを一人前の男に仕込んだるさかい、

今日からは自分でしごいたらアカンで、わかったな、どんだけ出るか、
うちが毎回調べるさかい、浮気したらすぐわかるんや、浮気したらほんまに殺すで、ええな。

こうして私は女の体を知った、
当時はビニ本もまだ無くてビデオも無い、パソコンも無い、どこにも
そんな教材は売っていなかった。

神戸を離れて東京へ、そして社長に拾われて、社長が対立する誰かに殺られて、
いろんな事があって、私は千雪を知り、昇さんと物凄く親しくなった。

この前「シーマ」の話をしましたが、
ちょうど、昇さんがY組系で一家を構え、xx企画という看板の事務所を出した頃だった。、

ある日、私は昇さんの「シーマ」を運転して三四郎さんの本部へ向った、
外で待つように言われて、車の運転席で煙草をくわえてぼんやりしていた、
退屈だからラジオをかけた。

昇さんが出てきて、若い士を二人連れて後ろの座席に坐った、

「どこへ車を向けますか」
「鉄っちゃんのところへやってくれ」

後ろの席で若い士の一人が鼻歌を歌った、

それが「ほたる籠」といういい歌だった、

私は必死で新宿のレコード店を回ってこの曲を探した、
やがてその曲は志賀勝という東映のヤクザ映画の名脇役の人が歌って
レコードを出した、

私は何回も何回もこの歌を繰り返して聴いた、
その曲の中には高校時代の初恋の浴衣の女子生徒がいた、そして神戸の純子も
この歌の中に浮かんできた。

「♪あれは十八 縁日で

  お前が買った 蛍籠

  我が身こがして 夏を乞う

  哀れにそっと 解き放ち

  一つ放せば するすると

  二つ放せば お前の頬を

  かすめて光る 恋だった

  ああ 恋だった」

「♪おれが二十才か あの頃は

  かすかに光る 蛍籠

  浴衣のお前 抱き寄せて

  別れをそっと 打ちあけた

  一つ放せば するすると

  二つ放せば お前の頬を

  涙がつたう 恋だった

  ああ 恋だった」

失恋した高校時代の小柳ルミ子似の女子生徒の浴衣姿をこの歌に重ねて
思い切り歌った、

なんだか私がものにした女を捨てるような妙な気分だったが、この歌は好きだった、
そしてもう一人、神戸の純子がこの歌の中にいた。

新幹線で私が東京に発つ時に、純子は新大阪駅のホームで号泣した、
ホームに立ったままで純子は涙を拭きもせずに

声の聞こえない窓の外から
何か必死に私に向って口を動かしていた。

デッキに立って後ろを振り向いたがほんの一瞬純子が坐りこんだ姿が見えた、
それが永遠の別れだった。

二人とも蛍だったのだ、私に取っての蛍は女だった。

「♪お前どうして いるだろか

  遠くに見える 蛍籠

  時のたつまま 流されて

  故郷すらも 帰れない

  一つ放せば するすると

  二つ放せば お前の頬を

  かすめて光る 恋だった

  ああ 恋だった」

私は昇さんのシーマを運転しながら、この歌を良く歌った、

昇さんが「〇ちゃん、それ何の歌だ、何か寂しくねえか?」

そう言ってタバコに火をつけた。

「ほたる籠」っていう歌です、昇さんの田舎では蛍籠を作りませんでしたか」

「蛍籠か、俺は鑑別所をぐるぐる廻されたからな、蛍なんぞ見た事もねえよ
 つまんねえ、青春だったぜ、〇ちゃんは蛍籠を持ってどっかの女といい事でも
 したのか、それでその歌ばっかし歌うのか?」

「そういう訳でもありませんが、好きなのです、田舎を思い出して」

「そうかい、田舎を思って歌っているようには見えねえがよ、女を歌ってるような
 顔つきだぜ、図星だろうが」

「そう見えますか、女なんていませんよ」

「この野郎、陰でこそこそ付き合うなよ、俺がいい女かどうか見極めてやるからよ
 女が出来たら教えろよ」

「昇さんは女はどうなんですか」

「女か、俺らはな、女ってのはシノギの最初の道具よ」

「女がシノギですか」

「まあな」

「可哀想に」

「この野郎、ちゃんと前向いて運転しろ、何が可哀想なんだ、女ってのはそういう
 生き物なんだよ」

「そうですか」

「野郎、てめえ、俺の言ってる事に反対しているだろう、違うか」

「いいえ、私は田舎者ですから」

「ちぇ、めそめそすんなよ、その角を右に曲がれ」

「はい」

こうして私の心の中には「お祭りの夜」と「蛍籠」が交錯しながら二人の女を
思い出していた、

その習慣は千雪が出来て、それから高校時代の禁欲生活がどっと放たれるように
女遍歴が始まるまで続いた、

いま引退を考える年になって、相談役にも会った帰り道、

私はまた「蛍籠」と「お祭りの夜」の昔にするすると飛んでいた。
 

三四郎外伝「お祭りの夜」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 2月 7日(火)21時27分16秒
返信・引用 編集済
  バブルの到来はまだちょっと先だった、
中森明菜、安全地帯、チェッカーズが断突で抜けていた、

井上揚水は自身も歌ったし、明菜の歌も沢山作った、
60年代、70年代から一気にJポップスというジャンルに突入していった、

車は「シーマ」という日参の車が飛ぶように売れた、
何という事もない車だったが、売れた原因は価格が国産車の中で突出して
高かったからだ、人々は価格の高いもの高いものへと雪崩を打って札束を
切った。

アジアの香港やシンガポール等でも日本の勢いはそこら中のビルを丸ごと
ホテルを丸ごと買い取り、香港では古くからあった大丸が家主との関係で
撤退の動きを見せる中、そごうが目抜きのコーズウエイベイに自社保有の
ビルにSOGOの看板を掲げた。

香港、シンガポールでは日本のデパートは三越、伊勢丹、松坂屋、そしてSOGO、老舗の大丸、
そこら中が日本の資本で溢れていた。

第一勧銀も富士銀行も現地銀行を傘下に治め勢いを増していた、
それに引き換え関西系の銀行の住友、大和、三和はそれほど奮わなかった、

財閥系の住友と第一勧銀、興銀、これらが後のバブルの主役になるのだが、そのさきがけは
東京で土地バブルを生み、不動産は値下がりしないものという神話に変わり、内需振興という
お題目の元に土地と地上げに大手銀行そのものが絡み、後にダミーの住専がたけのこのように
出没し日本勢はアメリカのロックフェラービルまで手を伸ばすほどの金が湧いてくるという
神話の神話を誰もが信じていた。

だが真っ先に大和が頓挫し銀行から消えた、財閥系では無いが芙蓉グループの主力銀行の富士も
お堅い第一勧銀、興銀もパンクした、土地は暴落し、第一勧銀、興銀が消えて富士も失墜し
2兆円とも言われる政府のお金が銀行再編に向けて投入された。

香港、シンガポールでもバタバタと日本資本の撤退が始まり、SOGOは一等地で相当の成績を
上げているにもかかわらず日本の不況で簡単に手を放した、現在でも現地資本が悠々とSOGOの
名前を残して隆盛を続けている、

日航ホテルも台湾系にわたりまたどこかに転売されて現在では日航という名前も削除され
コンチネンタルに名前も変わっている。

第一勧銀は香港市内の支店物件を借りるのでは無くて最初から自前の所有物件として香港中に
根を張っていたが、これも超優良な資産を日本の不祥事の為にあっさりと手放した。

日本国内でも関西の資本はどっと東京に本社を移したが、生き残ったのは住友銀行くらいで
関西系は殆んど姿を消した、
プラザ合意の時に360円であった円は中森明菜の歌が流れる最盛期には150円を切り
最終的には70円まで進む大円高に振れて行った、

ここにバブルははじけた。累々たる不良資産と行方不明者を出してたった10年ほどの狂乱は
嘘のように飛び去った、日本はこの後失われた10年、20年という長い不況に突入した、

だが私には相変わらず縁無き大騒ぎだった為にバブルの恩恵も知らないし、その代わりに
バブルの大波も受けなかった。

私が利巧だったからバブルに乗らなかったのでは無い、単にそのような行動が自分の性格と
履歴から遠かっただけだった、バブルの内容を正確に理解してそれを避けた人は相談役くらい
だ、旧社長が存命だったらどれほどの大事になったろうか、何が幸いするかわからないのが
この世の中と悟った。

古い演歌の世界の中だけにいた私は、人々とかけ離れた歌を口ずさみながら、
アジアを走りまわっていた、エアコンを入れるとエンストする中古の車で
40度のシンガポールの町を走った、

その頃、シンガポールではテレサテンの歌がラジオから流れ、
一方日本の歌手は香港でもシンガポールでも特に安全地帯の歌が現地の人気歌手のバイブルに
なって現地語で今でも歌われている。

明菜という名前は「美人」という代名詞に広くアジアで使われた、

そんな事を考えながら、相談役の病室をノックした、

「奥さん、こんにちは今日は相談役の様子はいかがですか」
「あら、〇さん、お見舞いありがとうございます、いつもお土産を下さって
 今度から何も持たずに来て下さいよ」
「はあ、ささやかな物ばかりですので、どうぞお気になさらないで下さい、
 今はお目覚めでしょうか」

私は相談役のベッドの側に坐った、
「おう〇君か、いつもお見舞いありがとうね、今日はなんだか気分が良くて
 君が来てくれるのじゃないかとそんな気がしていたよ」

「私はちょっとお買い物に行ってきます」奥様が気をきかせて病室を出て行った。

「相談役、実はあの人たちとも話をしました、私に任せると言われました、
 それで・・・やっぱり私は賞味期限切れという理由で一線を引こうと決心をしました」

「そうか、じゃ私が退院しても帰るオフイスはない訳だな」
「とんでもない、相談役は終生相談役です、私の去就とは無関係に是非
 あの部屋にお戻りくださることを願っています」
「君がいないオフイスにか?」

「私がお逢いしに参ります、どうか心配しないで下さい」
「じゃ、頑張ってもう一度オフイスの空気に触れたいものだ」

「おや、相談役、そのCDとラジカセは奥様の差し入れですか、どんな歌を聴かれている
 のですか、三橋美智也ですか、美空ひばりですか」

私が窓際に積み上げてあるCDを一枚一枚見てみた、

小柳ルミ子のCDが複数あった、「おやー?相談役小柳ルミ子さんがお好きなんですか」
「いや、そ、そういう訳じゃないけど、女房が買ってきたんだよ」

「相談役、実は私もこのタイプの女性が大好きなのです、明菜よりは松田聖子、
 他の狐顔よりは狸顔の女性が私の傾向なんです、小柳ルミ子は私の高校時代に似た
 女の子がいました、その関係で小柳ルミ子の歌は限られた曲に集中しますが、
 好きですよ」

「これです、私の好きな小柳ルミ子の歌は」一枚のCDを取り上げて、歌詞をじっと見た。

「君の好きな小柳ルミ子の歌をかけてくれ、聞いてみたい」

「お祭りの夜という曲なんですが」

「♪泣かない約束を

  したばかりなのに もう涙

  ひとりで お祭りの人ごみに逃れて

  紅い鼻緒がなぜか うらめしくて

  あの人 あの町に行っちゃうなんて

  今日 はじめて聞かされた

  遠い 笛太鼓」

「これか〇君のふるさとを揺さぶる歌は」「そうです」

「♪恋人同士なんて

  まだ言えない 二人だけど

  いつしか心に 決めてた人だった

  線香花火が なぜか 目に浮かぶの

  あの人 あの町で 働くなんて

  祭りの歌が 手拍子が

  胸につきささる」

「相談役、実は私の高校時代にこの小柳ルミ子に似た女子生徒がいたのです、
 実らぬ初恋でしたが、母の手伝いの為、貧乏がその時間を持てなかったのです
 本当に小柳ルミ子を見るとその頃を思い出します」

「♪泣かない約束を

  したばかりなのに もう涙

  やさしい母さんにも 見られたくないから

  家の垣根の そばを通りすぎて

  あの人 この町を出て行くなんて

  まだ 信じられない

  森の鎮守さま」

「思い出すとちょっとジーンと来ますね、年を取った事も思い知らされます、
 こんなお祭りが私の故郷では8月に行なわれていました、紅い鼻緒の塗り下駄、
 女子生徒もそんな下駄と浴衣ですぐ私の前を歩いていた、

 彼女は一人で時々立ち止まりながら後ろの私を振り返っては歩調を合わせるように
 ゆっくりと私の前を歩いていました、祭りの笛と太鼓が聞こえて花火の大きな音が聞こえて

 私はすぐ前を歩く彼女にこんばんはも言えずにじっと後ろから見つめていた、
 意気地なしでした、

 結局何の話も出来なかった苦い初恋の思い出です」

「いいなあ、〇君、俺は東京の生まれなので君のような森の鎮守さまでの
 胸ときめかした経験は無いんだよ、田舎のある君が羨ましいよ」

「相談役、それは時間が経って、物語のようにお聞きになるから美しいのですよ
 私は自分の身なりが貧しいのでそれもあって恥ずかしくて綺麗な浴衣の女の子に
 向かい合えませんでしたよ、東京の高校生とは違います」

「うん、そうかな、でも同じ、17歳、18歳だろう」

「同じじゃないんです、東京の17歳、18歳と田舎の高校生はずっと幼かったです、
 その頃は東京と田舎とは外国のように何もかも違っていました」

「君は正直者だな、ウン、それがいいんだよ」

「♪あの人 あの町に 行っちゃうなんて

  今日 はじめて聞かされたの

  遠い 笛 太鼓・・・」

帰りたいなあ、あの日に、

「相談役、来週でもS君に一人でこちらの病院に来てもらいます、
 良く言い聞かせていただけませんか」

「わかった、君の思いは受け止めた」

また波止場でドーナッツでも食べて神戸を思いながら雑踏の東京に帰るか、

「遠い 笛 太鼓 だなあ・・」

その女子生徒とは前回同窓会で始めて口を利いた、過ぎ去った苦い、苦い、青春だった。
波止場を見ながら私もやっと引退を決意した、

まるで仁義無き戦いのラストの広能昌三のような心境が蘇る、

引退、年齢に勝てない人の世の無常だ。
 

三四郎外伝「Mary Jane]

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 1月31日(火)19時53分5秒
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  もう長い間親しまれて歌われている曲がある、
1970年初頭にリリースされた「Mary Jane]という珍しい英語名の曲がある。

作曲はつのだひろ氏、作詞はChiristopher Lynとなっている、
だがつのだ氏はもちろんCristpher Lyn氏も日本人である。

当時はこの曲が面白おかしく替え歌されてクラブなんかで
盛んに歌われていた、

曲自体が素晴らしいものだから80年代、90年代、バブル全盛時にも
大いに歌われた。

私は自分で歌った事は無いが、
耳にタコが出来るほどこの歌は聴かされたそれも時に卑猥なときにコミックな
替え歌が多かった。

作詞のCristopher Lyn さんは男性であるか、女性であるか、
もしもChiris と省略すれば男性でも女性でも両方考えられる、

女性の場合はChiristinaとなるが、この場合は男性であろう。

歌詞の意味を巡っても今でも多くの説が飛び交っている、

「Mary Janeという名前をスペイン語に直すと Mari Juanna つまり
発音はマリファナとなる事から恋人を思った歌では無く、薬が欲しいという
意味だという怪説まで飛び交っている。

他には女性用の先の丸い紐付きの靴が同じ名前だとかとにかくこの歌には
諸説がある、ただこの作詞には英語の文法的な明らかな誤り部分があるので
ネイテイブじゃないだろうという話は当時のクラブでも何回か聞いた。

そんな事はどうでも良い、

このつのだ氏の曲は素晴らしい曲だ、海外でもプラターズなどが歌っている、
誰でもが歌いたくなる日本版バラードの名作であると言われている。

「♪Mary Jane on my mind

  I cry my eyes out over you

  Long long and lonely night

  Ever since you're gone

   Mary Jane on my mind

   My one and only love

  Wondering if you were still mine

  Oh how I miss you my dea・・・」

バブル時代にかけてこの歌は全盛を迎えた、

私はまだ底辺を這っている小僧だったが
いろんな人々を実際に見た。

虎の皮を一頭分すっぽりと頭から被った人、実業家を称する人だったが、
ポンと100万の札をチップに放り投げたり、

イタリアのスポーツカーの最高級車をあっさりその夜出会ったばかりの
女性に、これもポンとプレゼントした人、

家中が金色で、実は本物の純金であると聞かされた人、
上から下まで数千万円の衣装と貴金属を身に纏った人、

その中で「Mary Jane」が歌われた、クラブの中でチップが飛び交った、

私は呆然とその狂乱を眺めていた、
どうしてその人たちにはそれほどのお金が集まるのだろうか、

私の会社は依然として苦しく小さな売り上げをアップダウンしていた、
社員の中にもバブルに毒されて私の会社の小さな給料では不満だと
飛び出した社員もいた、私は呆然と眺めるだけだった。

こんな狂乱に銀行も飛びつき、そして黒い勢力も頭を突っ込んで来た、
まさにこんなチャンスを見逃した奴は馬鹿だという風潮が日本中に蔓延していた、

私はそんな馬鹿の一人だった、
どうやったらそんな金が手に入るのか全くわからなかった、

そんな人たちに何回もご馳走になった、飲ましてもらった
仕事上の付き合いだったが、私が行こうという場所は彼らは首を横に振り、
大阪から京都へ、東京から横浜にタクシーを飛ばし、

帰りはそのままタクシーで温泉郷に、いくら金がかかるのか私が心配しても
彼らはまだ使い足りないというケロっとした顔で豪遊を繰り返した。

もう一人いた、その人は鰐一匹分を使ったロングブーツを履き、
雪豹の皮を帽子とコートに仕立てた人がいた。

寿司屋でも勘定書きが20万円以下だったら突然怒り出し、
50万円にしろと店主に迫り、チップを50万積んで合計100万円を
三人くらいの食事に支払いたがる不思議な光景を目撃した。

あれから何十年か、
みんな行方がわからない、金のシャチホコのお城の形の天守閣を持つ玄関に
ヒグマと白熊の剥製を置き、床の間に巨大な象の牙を飾り、
ダイヤモンドを散りばめたスリッパを来客用に置いてあった人も
今はどこへ消えたのかバブルの終焉と共に天守閣は落城した。

その頃、まだバブルの始まらない頃だったが、
山本リンダの「どうにも止まらない」という歌が流行った、

70年初頭の少し暗い世相に抵抗するように「どうにも止まらない」は
そろそろ始まるバブルの予告のような歌だった。

山本リンダは「困っちゃうな」という歌一本で経営不振のミノルホンレコードを
立ち直らせた、ミノルホンとはコロムビアから独立した遠藤実氏の会社であった。

「♪うわさを信じちゃ いけないよ

  私の心は うぶなのさ

  いつでも楽しい 夢を見て

  生きているのが 好きなのさ

  今夜は真っ赤なバラを抱き

  きりょうのよい子と 踊ろうか

  ああ 蝶になる 花になる

  ああ 今夜だけ ああ 今夜だけ

  もうどうにも止まらない」

私は世相に関係なく 地味な演歌の歌詞どおりの世界にいた
熱燗屋で下手な歌を歌って 嫌な事もみんな忘れて一日だけを
生きていた。

私自身は自分で持った事は無いが、取引先の大会社はみんなタクシーのチケットを
束にして持っていた、

私にも押し付けるようにタクシーチケットをくれた、
大会社の社員は交際費を使い放題、女の子を連れて二次会三次会、
一人ずつはるか遠くの住まいまで平気で送り届けてチケットに金額を記入する。

それがまかり通っていた時代が日本にあった、
だが現在でも私の周囲にいる人々はみんなバブルとは無縁の人たちだった、

世の中の二極化の中で結局生き残った人たちはバブルって何だと聞くような人
ばかりだった、そんな人たちが生き残った。

相談役も課長代理の時代に交際費を湯水のように使う世相に反して
あの人は高級クラブには行かずに銀座の裏町の小さなパブ専門だった、

陰のあるママと三人の学生バイト女性
のいる店でカラオケを歌うだけの人だった。

私は彼を心から尊敬していた、今でもずっと尊敬している、
変わらない人の生き方って素晴らしいものだと思う、

明日は午前中に相談役を見舞ってまた波止場の陽だまりで短かった青春でも
振り返ろうか、潮の匂いは日本の心の故郷、変わらぬ人は波止場の風景と同じだ、

しかし人生早すぎる、
これもしたい、あれもしたい、思いは沢山あるが、人生って短すぎる、

有名人が次々に逝去される、先日も松方弘樹さんの訃報がテレビで報道された、
74歳で突然他界する人生で何をやり遂げて満足できるというのだろうか。

不条理だと思う、

いい奴ばかりが先に逝く、どうでもいいのが残される。

 

三四郎外伝「青春の門」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 1月23日(月)14時50分58秒
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  私は歌が好きだ、自分でもギターを弾くし下手な歌をうたって
自分を癒す習慣がある。

時々思うことがある、
日本の素晴らしい歌謡曲は演歌、ポップスを含めて昭和時代に全てのエキスが
出尽くした、そんな気がする。

演歌とは演説をする、つまり自分の思いを他人へ訴える事から演歌と名付けられたと
聞いている。

だから昭和時代の歌謡曲はまず歌詞が最初にあり、それに曲をつける
歌詞が曲に優先されているところに特徴がある。

泣ける歌、ハッピーになれる歌、心を揺さぶる歌、その根源は言葉、歌詞である、
それに相応しい曲をつける作曲も編曲も重要な歌のエッセンスだが、良い歌詞なくして
名曲は生まれない、歌う人もこの歌のどこに自分に重ねているのか、歌詞こそ歌謡曲の
中心的な存在だから。

昭和時代の歌が優れているのは、現在と違って社会が混沌とし打ち砕かれてまた立ち上がり、
多くの人が泣き、苦しみ、多くの人がもっともっと上を目指せると希望を持てた
時代だ。

泣ける歌の代表的なものは、
山崎ハコの歌った「織江の唄」だろう。

この唄は五木寛之氏の書いた大河小説「青春の門」の映画主題歌だ。
五木氏は終戦を朝鮮で迎えた、中学生だった。
福岡に帰国後、早稲田大学に進み、同じ早稲田の先輩であった尾崎士郎氏の
「人生劇場」に感銘を受け、人生劇場をなぞるように青春の門を書き上げた。

私もこの本を読んだが、最初の筑豊、立志、の章までは一気に読めたが
だんだんとダレテ来た、根気が続かなかった。

ここが尾崎士郎氏の「人生劇場」に比べると冗長に過ぎると感じた、難解な言い回しの
連続が作者自身の迷いを見たような気がした。

大戦中の飯塚、筑豊の炭鉱地帯のどろどろした暴力と任侠と
そしてその下の下に喘いでいた極貧の一般大衆の群れがあった、彼はそこの焦点を当てた。

主人公の伊吹信介と幼馴染の牧織江、そして信介の父の伊吹重蔵と後妻の美人でしっかり
ものの義母タエとの関係がベースになっている。

信介の成長に従って幼い性に目覚める過程がかなり詳細に描かれている
幼馴染の織江が小用を足す様子を覗き見して女を始めて意識し、
中学時代に信介は堪えきれずに織江に覆いかぶさるが興奮しすぎて果ててしまう、

義母のタエは炭鉱で働きながら重蔵の忘れ形見の信介をわが子同様に可愛がり心配し、
二人は本当の親子のように心を通い合う、信介は中学時代から行商をし家計を助けるが
隣町のヤクザ龍と父の助けた朝鮮人金子にも助けられながら信介は男になっていく、

「馬鹿も利巧も命は一つったい」重蔵の口癖をタエは信介にも繰り返す、

タエは生活の無理がたたって肺の病気に、過って重蔵の抗争相手だった龍と呼ばれるヤクザの助けで
田川から飯塚に引っ越す、同じ長屋にいた織江は泣きながら信介の乗るトラックを追いかけ
二人はここで離れ離れになる、侠客であった父の重蔵が炭鉱事故の朝鮮人の徴用工数十人を
身を捨てて助ける、信介親子を影から支える朝鮮人の金子との縁にもつながる。

全ては重蔵の強さと大きさとタエの優しさ、信介、織江の二人の周囲で時代は戦後になるが、
依然として炭鉱の町は前にも増して貧乏な吹き溜まりだった。

織江は身を売ることで家族を支えざるを得なくなり、その前に一目だけでも
幼馴染の信介に逢いたいと遠く峠を越えて徒歩で信介を訪ねてくる、

山崎ハコの唄はこのシーンを歌っている、

映画化は東宝と東映で筑豊編、立志編が映画化された、特に東映は深作欽二監督で
重蔵に菅原文太、信介と織江は幼少期、中学生、高校生、そして成人した信介と沢山の俳優が
成長期を追っている、「織江の唄」が泣かせるのは、

山崎ハコの歌唱力と九州弁の訴える力だ、織江の一途な女の情念が悲しく泣かせる。

「♪遠賀川 土手の向うに ボタ山の

  三つ並んで 見えとらす

  信ちゃん、信介しゃん

  うちはあんたに逢いとうて

  カラス峠ば 超えてきた

  そやけん

  逢うてくれんね 信介しゃん

  すぐに田川に 帰るけん・・」

情感の溢れる九州弁で歌い上げるこの唄は普通の、覚えのある男ならきっと泣く、
こんな一途な女を捨てた自分があったなら、その人はきっと泣く、流れる涙で
この歌をうたう事など、普通の男なら出来はしない。

多くの人が、自身の過去、自身が泣かせた女を思い出して書き込んでいる、

「俺に力が無かったばかりにお前を不幸にさせた、もう俺もこんな年になったよ
 子供も30歳を超えた、不幸にさせたお前を思い出す、許してくれ・・」

こんなコメントを「織江の唄」に重ねている。

極貧の炭鉱の街、男は暴力に、貧しい女が生きていくには身を売るしか生きる道が
無かった、夜の町に身を沈める前に、

「信介しゃん、うちを抱いてくれんね 汚れる前に・・」と語りかける、

「織江の唄」は昭和時代だからこそ出来た唄だ。

私もいつの間にかこの唄に自分を重ねてしまう時がある、信介に自分を重ねて
「こら、信介なんで織江を助けてやらんのだ」と怒っている自分がいる、
必死に生きる織江はひたすらに信介を慕っているのに、私はいつの間にか自分の事を
忘れて映画の中の信介に怒っている、織江が可哀想で、気がつけば自分の側にも織江がいたのに。

福岡県田川郡は日本中どこの田舎にもある、田川から女の足で峠を越えて、
信介に逢いに来る織江の姿は涙腺が緩んでまともに見てられない。

そんな事を考えながら車を運転していた、
三四郎兄さんはWさんを通じて「会社の事は〇の思い通りにさせろ、だがな、会社の株だけは
〇の財産として持っていろ、赤の他人に譲るなんて事は俺は不賛成だ、〇が引退するというなら
俺らがしゃしゃり出る事は無いだろう、〇に決めさせろ、だが〇が血の汗を流した会社を
株ごと赤の他人に譲るのは不賛成だ」

こんな伝言が来た、「有り難い事だ、三四郎兄さんはそこまで私の事を思ってくれている」
私は自分なりの激動の小さな人生劇場を思い出しながら、そうだな・・と三四郎兄さんの
言葉の意味を噛み締めた。

私が走った昭和50年代、
だが唄も物語りも私のちっぽけな人生とは関係なく
昭和30年代から脈々とあの時代を形勢していたのだ、

「ザ・ピーナッツ」という双子の歌手がいた、
アメリカにも招待されたほどの素晴らしいアーテイストだ。

皆さんも一度yootubeでザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を実際に見て聞いてみて下さい、
圧倒的なハーモニーと指の一本一本まで揃った動きとリズム感、グレートアーテイストだと
思っている。

最初この歌を聴いた人はアメリカのポップスの日本版だと思ったそうだ、
それほど日本の伝統的な曲を破ったリズムはザ・ピーナッツなくしては成り立たなかった、

岩谷時子氏の作詞、宮川泰さんの曲、そして歌うのは「ザ・ピーナッツ」
こんな大スターはもうこれからは出てこないだろう。

「♪ため息のでるような

  あなたのくちづけに

  甘い恋を夢みる

  乙女ごころよ

  金色に輝く 熱い砂の上で

  裸で恋をしよう 人魚のように

  陽にやけた ほほよせて

  ささやいた約束は 二人だけの秘め事

  ああ、恋のよろこびに

  ・・・・

  はじめてあなたを見た 恋のバカンス」

会社はS君を社長にしよう、自分にはもう車の運転と同じようにそろそろ耐用年数が
切れかけてきた、S君に十分な待遇をし満足な人生を歩いて欲しい、
明日は、相談役を見舞い方々、この報告をして肩の荷を降ろそう。

昭和時代を驚かせたのは突然のJポップスの登場だ、
ロカビリーの熱狂から、平尾昌明氏が変名で作曲し、読売新聞の芸能記者が
変名で作詞したJポップスのさきがけとも言える思い出深い曲だ。

「♪星は何でも知っている

  ゆうべあの娘が泣いたのも

  かわいいあの娘の つぶらな

  その眼に光る 露のあと

  生まれて初めての 甘いキッスに

  胸がふるえて 泣いたのも」

「♪星は何でも 知っている

  今夜あの娘の 見る夢も

  やさしいナイトがあらわれて

  二人でかける 雲の上

  木彫りの人形 にぎって眠る

  若いあの娘の 見るゆめも」

思い出す、学生服の自分の姿を遠い昭和の日々に、

青春の門は誰でも一度は通る門だ、たった一度だけの門が青春の門だった。

同じ極貧の生活を母と送った私は青春の門に心を揺さぶられる。

だから寝る前にはザ・ピーナッツの恋のバカンスと平尾昌明の星は何でも知っているを
聞いて涙を拭って笑顔で寝る方がいい。


 

三四郎外伝「ニコライの鐘」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 1月20日(金)18時43分35秒
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  昭和50年代の貧しい学生に愛された神田川、
お茶の水には多くの大学が密集している、

私の所属した学校は一回生、二回生の時は東横線の日吉に、
三回生からは港区の三田に通った、と言えば人聞きがいいが私は殆んどの時間を
土方労働に費やしてただ詐欺師の叔父を探し出して・・暗い眼で四年間を過ごしただけだった。、

そんな中にも安らぎはあった、お堀りを眺めること、市ヶ谷橋から水面を見つめること、
その頃に「川は流れる」という仲宗根美樹の歌が私の心を揺すぶった、この曲が私の
青春時代からずっと心の支えになった。

「♪思い出の 橋のたもとに 錆び付いた 夢の数々・・・」

この歌詞ほど私を揺さぶったものは無かった、事実自分の事が歌われているような
気がしていた。

「思い出の橋のたもと」はどこの橋だろうか、長いこと私は知らなかった、

あるきっかけで、この橋は御茶ノ水の橋、多分聖橋を歌ったものじゃないかという
書物を立ち読みした、そうか神田明神を背後に向うは御茶ノ水の大学地帯、

そうだろうな・・青春の夢溢れる大学生や田舎から出てきた
集団就職の若者たちはこの橋に立って、叶わなかった夢と錆び付いた思い出の数々を
神田川の橋に見たのだろう。

私は当時社長の言いつけで御茶ノ水にあった漢方薬の店に何回か通っていた、
聖橋を背にして御茶ノ水駅を出て駿河台の方向に向う、

その時私は始めてニコライ堂を目撃した、

何だろう、これは教会なのだろうか、ニコライってロシア的な名前だが何だろうと
いつも考えながら、緑青のどっしりした建物を見上げていた、

それから社長の用事で訪れた漢方薬の店の女性からニコライ堂がお好きなの?と聞かれた、
私が頷くと、彼女は一緒に行きましょうと言って重い漢方薬の包みを持った私の前を小走りに
少し緩やかな坂を振り返りながら、時々立ち止まっては、ニコッと笑って、また小走りに
ニコライ堂の前まで私を連れて来てくれた。

「ここはね、私も書物で知ったのですが、
 明治27年ごろに建造された全ての宗派のイエスキリストを差別無く奉った教会なのよ

 関東大震災にも崩れずに、東京大空襲にも生き残ったそうよ、

 空襲のあった時はそこら中の死んだ人を置く場所が無くてこのニコライ堂に山積みに
 したそうよ、

 怖いお話だけど、死んだ方の燐が夜になると光って、みんな怖がったと書いてあったわ」

「このニコライ堂、大きな鐘はロシア製、小さな鐘はポーランド製だそうよ、明治政府
 も戦争中の日本政府もこの教会を破壊するほどの小さな心じゃなかった、
 私はそれだけが日本人としての誇りよ、ね、綺麗でしょう」

私はそれからは御茶ノ水に来るたびにニコライ堂の前に長いこと佇んで緑青の美しい建物を
眺めて、聖橋の上で煙草を吸って、小銭しか入っていないズボンのポケットを探りながら
市ヶ谷に帰っていった。

社長が亡くなってしばらくは御茶ノ水に行かなかった、

ある時、ふらっと入った食堂で、ニコライの鐘という歌を聴いた、

「♪青い空さえ 小さな谷間

  日暮れはこぼれる 涙の夕陽・・」

その頃の私は昇さんとしょっちゅう一緒にいた、社長の遺産であった合成樹脂の製造販売の
会社を三四郎さん達の承諾を得て私は再建を志した、

中古のスチール製の机を三つくっつけて、

5坪ほどの雑居ビルの一室で会社の名前を英文表示に変えて社名変更、その他の必要な
手続きをして登記を完了した、

社長が設立した合成樹脂製品の製造工場が長野県にあった、私は中古のパブリカを運転して
長野県に通った、この車はしょっちゅうエンストを起こした、

しばらくボンネットをあけて水を補給し、エンジンをなだめながらのろのろと走って
工場と事務所を往復した、

工場にはインジェクション成型機が三台と金型工場が併設されていたが、
成型機は全部リースだ、国産の確か長野県に本社のあった会社の製造だと記憶している、

35オンス、18オンスが二台、全部で三台の機械があった、
問題は仕事が無い事だった、

私は旧社長の行動を真似た、社長が生前言っていた、工具入れやヘルメットなどの
工具問屋経由で販売ができるものを手がけようと思った、

金型に一番多くの資金がかかる、手作りのサンプルを作らせてそれを顧客に持ち歩く、
当時は建設ブームで工具関係の問屋は興味を示してくれた、材料は衝撃に強いABS樹脂を
選定し、注文が取れたら、金型代は注文主に負担して貰い、それを商品の数で償却して
行くという、元手要らずの方法でのろのろと這い始めた、

一つ、二つと注文が取れ始め、マシンも遊ばせないで稼動させることが出来始めた、
ABS樹脂は東レという繊維系の会社が現在のカーボン樹脂に続く東レの先見の明だった。

三井系の縁で、物産や蝶理という大きな商社との縁も出来てきた、

同系の電気化学工業もスチロールやABSを手がけていた、私は三井系を辿って
ビジネスの幅を広げて行った、

ニコライ堂の緑青の屋根が私を励ましてくれる様な気がした、
始めて開拓した工具問屋の120日手形が二枚、物産の口利きで三井系の銀行で
割引が出来た、つまり期日以前に金利を引かれた残りの現金が始めて口座に入金された。

私は小さな贈り物をデパートで買って、社長の存命中に通っていた漢方薬屋を訪ねた、
あの女性が白い上っ張りを着て奥にいた、

「あら、しばらくですね、今日はどうなさいました」
「はい、仕事がやっと動き出しましたので、貴女にお礼をと思って」

「お礼? 私が何かして上げたかしら」

「はい、ニコライ堂に連れて行って下さいました、あの日から私は勇気が出ました、
 関東大震災にも大空襲にもめげずに立ち続けたニコライ堂は私を後ろから押してくれました」

「あら、そうでしたの、でもそれは私には関係なく、貴方とニコライ堂の関係でしょう、
 お礼ならニコライ堂にお礼を」

「いえ、貴女からあの物語を聞かなかったら私は立ち上がれずに下に下に落ちていた
 そんな気がします、ニコライ堂と聖橋、私の住んでいる市ヶ谷橋これが全部私を
 後押しして励ましてくれました」

「面白い方ね、お礼はお気持ちだけで結構ですよ」

「これ受け取って下さいませんか」

私は女性が使うスカーフを贈り物に包んで貰っていた、
色はニコライ堂と同じ緑青のシックなものだった。

「何かしら」

彼女は戸惑った感じで私の贈り物をじっと見ていた」

「あけてみてください」

「あら、素敵なショールね」

私はスカーフだと思っていたが、彼女はショールと言った、でも彼女は
「ありがとう、素敵な贈り物、貴方の会社はどこにあるのですか」

「市ヶ谷です」私は名刺を差し出した、

「あら、〇さんとおっしゃるのね、それに社長さんなの、その若さで・・」
「いえ、私と事務員二人きりの会社です」

「偉いわ、応援します、また来て下さい、〇さん、私はxx瑛子、貴方よりも
 ずっと年上ですけど」

「じゃ、またお訪ねいたします」

「♪きのう花咲き 今日散る落ち葉

  川面に映して 流れる月日

  思い出しても かえらぬ人の

  胸もゆするか 雁啼く空に

  ああ、ニコライの 鐘がなる」

「♪誰が読んだか 悲しい詩集

  ページを開けば 出てきた手紙

  恋に破れた 乙女は今宵

  何を祈るか 暮れ行く空に

  ああ、ニコライの 鐘がなる」

私は靴紐が擦り切れ、
色の違う紐で靴をしばって一回もクリーニングもした事の無い
垢のついた背広とアイロンも当ててない皺だらけのシャツで飛び込みで工具関係の
問屋を一軒、一軒と足を棒にして頭を下げ回った。

一つ、また一つ、仕事が出来てきた、
前の社長の縁で物産の化学品課の課長代理との付き合いも深まった、

前の商社時代には総代理店の物産を通して三井系の合成樹脂の代理店として
かなりのボリュームの商売が確立していたのに、

社長が亡くなり、担保の問題で代理店は取り上げられていた、

ある日、物産の課長代理がポツリと言った、

「〇君、君は良く真面目に頑張っているね、うちの会社の若い奴等にも
 君のことを見せたいくらいだよ、どうだ、廻し手形という条件で少しずつ
 前のような樹脂販売の仕事をやってみるか、利益は多くは取れないが、
 塵も積もればという言葉どおりだ、まずは商売のボリュームだ」

私は帰りの電車の中で小さく歌った、

「ああ、ニコライの 鐘がなる・・」
 

三四郎外伝「雨の赤坂」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 1月16日(月)21時31分59秒
返信・引用
  会社の社長交代について、
旧社長のルーツであった戦後の荒廃を生き抜いてきた、
グループとの接触が必要になった。

もう既に代も替わり、
集団の名前も何回かの離合集散の結果別の名前になってはいるが、

現在はその伝統を三四郎さんが大きくし昔に比べて本丸は紳士的になっている、
旧社長が所属していた頃は群雄割拠の時代で出来ては解散、解散しては周辺を吸収しながら
旧社長の時代とは変わっている、

主として活動をしているのはフロントと呼ばれる、私も殆んど知らない顔と名前の
多くは企業形式を取った白と黒の境目がおぼろな見た目では解らない正常な企業が
本丸を支える大木の根であった、根は四方八方に伸びそれぞれが芽をふき別の森を
形作っていた。

私が知っているのは創世記のまだ戦後の混乱が残る時代の一本の木であった、
その木の枝と葉っぱに、Wさんがいて、Yさんがいて、昇さんがいて、鉄さんがいた、
隣の木にはMさんが根を繋ぎながらこれから大きくなろうとしていた時代だった。

現在の全体像はまるでわからないしまともな企業活動を続けているフロントも
沢山あった、私のところだけが、旧社長の独立性の為にどことも関らずに大木の
根とも繫がらずに、フロント活動は全くしてこなかったしこれからもあり得ないだろう。

それ故に物産を退社した今の相談役が何の抵抗も無く私の会社に来てくれたし、
一部上場企業のDさんのところも正規なビジネスを通して私の会社と交流がある。

だがこの会社の創立者は旧社長である、旧社長は三四郎さんの上に位置し現在の大木の
幹であった。その為にこの会社の株式は私の名義になってはいるが、

創立から私が打ちたてた会社では無い、旧社長の株式は全て私名義に変わっているが、
私自身もこの会社は屋根を借りた借家だと意識している。

法的には私が全権を持ってこの会社をどうしようとどこからも正式な文句は出てこないだろう、
だが、私のどん底時代を支えてくれた、旧社長、三四郎さん、Yさん、Wさん、昇さんたち
がこの会社に何の権益も無いとは言い切れない。

旧社長は不幸にも私が25歳の頃だった冬の寒い夜に亡くなられた、
その後始末は三四郎さんと私がと思ったが、結局はWさんの勢力が犠牲を払って
旧社長の無念を晴らした、その後も三四郎さん、Yさん、Wさん、果てはMさん、彼らの
間接的な助けがあった、ただ一つ、彼らは私の会社に何一つ要求もしなかったし
何一つ口を出す事は無かった、三四郎さんの強い私への線引きがあったからだ。

だが、それに甘えて彼らを無視する事は私には出来ない、
相談役も私に「君の後援者の方々のご意向はどうなんだ」と政権移譲について
発言された、私には痛いほどその意味は解っていた、

事前にYさん経由で連絡を取り、要件を伝えて三四郎さんの予定を取ってもらった、
Yさんによると三四郎さんは「〇が、そんな事を言ってきたのか、今更な」と
ポツンと呟いてその後は何も言わなかったそうだ。

日取りを決めて、
私は大木の立つ山に向った、タクシーを降りて私のできるだけの個人の口座から
引き出したものをきちんと包んで玄関の若い士に取次ぎを頼んだ、

昇さんが出てきた、

「おう、〇ちゃん、久しいな、どうしている」
「今日はちょっと会長にお眼にかかりたくて来ました」

「そうかい、会長は関西へ行って留守だぜ」
「えっ、Yさんから約束の時間も決めてもらいましたが」

ちょうど本部にいたWさんに面会を取り付けた。

「おう、〇か、久しいな、会長とYは昨日から関西だ、
 俺が代わりに要件を聞こうか」

「そうですか、実は今の会社の件なんですが」
「おう、何かあったのか」

「実は私は引退を考えています、もう若い世代に社長を譲りたいと
 思って、一応の承諾を戴きたくて参りました」

「〇ちゃんの会社だろう、好きにしたらいいじゃないか」
「そうはいきませんよ、前の社長が創立者だし、繫がりから会長さんに
 黙って会社をどうこう出来ませんよ」

「そうかい、会長は何も言わねえと思うがな、違うか」
「そうであってもお眼にかかってはっきりしておきたいのです」

「相変わらず律儀だな、〇ちゃんよ、話は俺から会長に話はしておく、
 帰りに四国に行くらしいから今週は帰って来ねえんじゃないか」

「飛行機ですか」
「俺等はどこに行くにも車だよ、のこのこ人目のある乗り物には乗らないのが
 決まりごとだよ」

「だって、前にMさんところのTさんに新幹線の中で会いましたよ」
「人それぞれだろうよ、用事は会社の社長を引退したい、これだけだな」

「まあ、短く言えば」
「まだ何かあんのか」

「いや、お逢いしたい気持ちもありました、
 それから、これは小さな金ですが、私が会社で稼がせていただいた
 ほんの気持ちです、会長に手渡してくださいませんか」

「預かっておこう、今日は俺も義理で出かける、
 落ち着いたら、一杯飲まんか、おう」

「ありがとうございます、今日は鉄さんは」
「鉄はちょっとあってな、今入院している」
「どうしたんですか」

「まあ、いいやな」
「会長が帰ったら俺から〇ちゃんに電話する、今日の事は
 夜にでも会長とYには伝えておく」

表に出ると、雨が降っていた、
昇さんはいなかった、挨拶してくれる若い士もみんな私の子供か孫のような
若いものばっかりだ、昔の自分を見るようだった。

雨でタクシーがつかまらない、

そのまま雨が激しくなったので地下鉄に逃げ込み何の目的も無いまま
赤坂見付けで降りた、

外に出ると雨はさらに激しくなっていた、傘は持っていない、
面倒だから、背広がびしょ濡れになったままで歩いた、

昔良くこの辺りにも来たなあ、周囲は何もかも懐かしかった、
私は時を懐かしんで匂いを嗅ぎながら若い自分をどこかで探しているような
気がした、きっとそうだ、若い男女の闊達な歩きを見ながら当てもなく随分歩いた、

少し寒くなって来た、

「♪別れた人に会った 別れた渋谷で会った

  別れたときとおんなじ 雨の夜だった

  傘もささずに原宿 思い出拾って赤坂

  恋人同志にかえって グラスかたむけた

  やっぱり 忘れられない

  変わらぬやさしい言葉で

  私を包んでしまう だめよ弱いから

  別れても 好きな人

  別れても 好きな人」

「♪歩きたいのよ高輪 灯がゆれてるタワー

  思いがけない一夜の 恋のいたずらね

  ちょっぴり寂しい乃木坂 いつもの一ツ木通り

  ここでさよならするわ 雨の夜だから

  変わらぬやさしい言葉で

  私をつつんでしまう だめよ弱いから

  別れても 好きな人

  別れても 好きな人」

あの顔、この顔、溶け込む風景、

引退を覚悟した老いた私が若い街を歩く、「諦めの悪い奴だ」と自嘲する。




 

三四郎外伝「旅の終りに」

 投稿者:彗星  投稿日:2017年 1月 7日(土)22時11分29秒
返信・引用 編集済
  営業部長のS君を連れて横浜に入院中の相談役を見舞う事にした、
途中で少し早い昼飯を銀座で取った。

「S君、ちょっと悪いけど、寄る所があるんだ付き合ってくれないか」

「はい、この近くですか?」

「そう、四丁目の楽器店だ」

「何か楽器を買われるのでしょうか、社長の得意のギターですか」

「違うよ、落語のCDを買おうと思ってね」

「落語お好きなんですか」

「うん、毎晩寝るときはベッドの横で落語をかけて眠る、すぐ眠るから
 一つの落語CDが一ヶ月は持つんだ」

「そうなんですか、じゃ行きましょうか」

私は相談役の為に志ん生と小さんの落語CDのセットを三つ四つ選んだ。

「お好きなんですか、志ん生が」

「大好きだな、火焔太鼓とか寝床なんて大好きだよ、何回聴いても飽きないね」

「へえーそうなんですか」

私は店員に綺麗に包装してもらって贈り物のリボンをつけてもらった。

ついでに、隣の歌謡曲の棚をしばらく眺めた、

私は演歌一筋だ、演歌には私の青春が詰まっている、日本が詰まっている、
じっとあれこれと見ていると、私の肩越しに荒い息遣いで同じコーナーを
覗き込んでいるお年寄りがいた。

荒い息は私の耳元でまるで大型犬が横にいるような息が私の肩越しに激しい、

ふと振り返ると白髪の杖をついたお年寄りが少しよろめくように私の肩に片手を
かけて「あ、すみません」としわがれ声で私に言った。

「大丈夫ですよ、どうぞ肩につかまってください、何をお探しですか、
 私がお取りしましょうか」

「ありがとうございます、高田浩吉の白鷺三味線という歌があるかどうか
 探していたのですが、無いでしょうね、随分昔のものですから」

S君が「社長、お時間に遅れますけど」と私に囁いた。

「ちょっと待ってろ」

私は別の棚の昭和戦後の歌謡曲というCDを5-6枚取り出して、裏の曲名を探した、
3枚、4枚、5枚めの下に白鷺三味線 高田浩吉という表示があった。

「あの、これですね」

お年寄りは鞄から拡大鏡を取り出して私の指指すところをじっと見ていた、
「そ、そうです、ありましたね、随分探したのです、ありがとうございました
 値段はお幾らと書いてありますか?」

私はちらっと値段を見ると、3千円と書いてあった、
「あの、私もこの落語のCDを買いますので、それに私はここの会員ですので
 ポイントで殆んど無料で買えますので、買ってからお譲りいたします」

「そ、それは見知らぬ方に、いけません、いけません」

お年寄りはよろめくように言った、前歯が抜けているので発音がはっきりしないが、
私は「本当です、無料で手に入りますのであちらでお待ち下さい」

私はS君に言いつけて、お年寄りを通路の角で人の邪魔にならないように支えてあげるように
頼んで、私の落語とお年寄りの探し物のCDを別々に包んで貰って、全部で2万円くらいの
支払いをした。

「さあ、すみましたよ、このCDに高田浩吉の歌が二曲入っていますよ、
 白鷺三味線と伊豆の佐太郎とか書いてありました、後は戦後のいろんな歌が入っています

 どうぞ、これをお持ち下さい」

「いけません、いけません、見ず知らずの方にそんな・・」

「これは会員資格で無料で手に入れたものです、どうかご遠慮なさらないで下さい、
 私も知っていますよ、白鷺三味線とか大江戸出世小唄とか」

「ありがとうございます、いま孫が二階に上がっていますので、お礼を言わせますので
 お待ちくださいませんか」

「すみません、私達はこれから横浜に行かなければなりませんので、
 またいつの日かここでお逢いいたしましょう、どうかお元気でお逢いできる事を
 楽しみにしております」

表に出て、タクシーに手を上げて「東京駅」と告げた

S君が、「社長、あの店の会員なのですか、私も欲しい曲があるのですが、
     タダで手に入るのですか」

「バカだなあ、嘘だよ、あの人がそういわないとCDを受け取ってくださらないと思って
 無料だと言っただけだよ、いいじゃないか、あの方の青春時代にあの歌を聴かれたのだろう、
 きっと辛い戦争時代を経験された人だと思うよ、白鷺三味線が好きだなんて粋な人だなあ」

「なーんだ、そうだったのですか」

「さあ、S君、あそこで横浜までの乗車券二枚とグリーン券二枚の往復を買ってきてくれ」

私は彼に1万円渡して改札口で待った。

二人で東海道線の5号車の二階席に上がって「どうだ」と缶ビールを勧めた。

「社長、優しいのですね」

「からかうなよ」

横浜から地下鉄に乗って、病院のロビーについた、予め奥様に電話してあったので
着物姿で奥様が私達を待っていてくださった、

「奥様、すみません、ちょっとお時間に遅れました、相談役のご気分はいかがですか」

「ありがとうございます、今日は〇さんがお見えになると言って朝からとっても張り切って
 おります、本当に〇さんは病院のお薬よりも良く効くみたいですよ、主人には」

笑いながら、上の階の個室に向った、

日差しが緩やかなとても爽やかな冬晴れだ。コートを脱いで手に持ち、
奥様の後について部屋に入った、

良かった、今日の相談役は血色も良くて椅子に座っていらっしゃる、

「相談役、時間に遅れました、すみませんでした、ここにいますのが、
 この間話をしました、営業部長のS君です」

「そうか、わしは始めて逢うような気がするが、中々若いいい顔をしているな」

「相談役、S君はもう46歳ですよ、男盛りで働き盛りですよ、若造ではありませんよ」

「そうか、わしにはとっても若く見える、彼の姿が羨ましいよ」

「相談役、そりゃ、我々二人のようなスーパー老人から見るとS君は若いですが、
 いまの時代は下手したら50歳で肩たたきをされる若返り時代ですよ」

「そうか、まあ、掛けなさい」

「その前に相談役、これは途中で買ってきたのですが、落語のCDです、
 三枚づつセットになっています、お休みになる時にお聞きになれば爽快に
 眠れますよ、お試し下さい、笑いながら寝るって素敵な事ですよ、お体にもいいと
 思いますよ」

「ありがとう、ありがとう、夜は淋しくってな、何よりの贈り物だ」

そこでかなり長い間、相談役は現役時代のような顔に戻ってS君に対して
いろいろと聞いていた。

相談役がS君に言った

「S君、わしは〇君の生涯の同志のつもりでいる、君は〇社長に忠誠を誓えるか、
 古い言い方ですまんが、裏切りはいかんぞ、忠誠を誓ってくれるか〇社長に」

「相談役、もちろんです、私は今日こちらに伺う前に社長と楽器店に入りました、
 そのCDを社長がお買いになったのですが、そこで見も知らぬお年寄りの探し物を
 社長が探して、ここの会員だから無料なんですと嘘まで言われて、その人にCDを
 プレゼントされたのです、私は感激しました、社長の人情に打たれました」

「そうか、そんな事があったのか、〇君のいいところはそれだけじゃないぞ、
 話せば涙になるような思い出がわしと〇君の間には沢山あるんだ、覚えておいてくれ」

「相談役、もしもS君を受け入れてくださるのでしたら、私は引退をと考えています」

「〇君、株式はどうする、君の前の社長に繫がる人たちは承知するのかい」

「私が真心を尽くしてひれ伏してでも説得いたします」

「S君、わしらが今話している事は誰を指しているのか解るか」

「いいえ、解りません」

「〇君、S君にわからせろ、全てがわかってからだ、君の引退とS君の社長継承は」

「そういたします」

「〇君も引退か、淋しいぞ」

「私が毎日でもここに参ります、相談役こそ元気になってください」

「おいおい、俺はもう相談役じゃないぞ」

「いいえ、会社ではまだ相談役待遇でちゃんと役員手当ても出ています、奥様はご存知

 無いのでしょうか」

「♪流れ流れて さすらう旅は

  きょうは函館 あしたは釧路

  希望も恋も 忘れた俺の

  肩につめたい 夜の雨」

「♪春にそむいて 世間にすねて

  ひとり行くのも 男のこころ

  誰にわかって ほしくはないが

  なぜかさみしい 秋もある」

なぜか相談役の縁なしの眼鏡の奥が濡れているように見えた、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は生涯で三人の父親と一人の兄があった、

四歳の時に他界した帝国陸軍の戦闘機隊を愛して愛して愛して死んだ、父親がいた、

「隼」「飛燕」いつも「エンジンの音轟々と」「暁に祈る」を大声で歌っていた、

私を肩車しながら。

最後まで大日本帝国の敗戦を信じない父親だったが、50歳の時に私を産んで

あっという間に部隊長たちの待つ空の上に、戦友の元へエンジンを響かせて旅立った。

二人目の父親は私を拾って広い東京で育ててくれた、母の奪われた父の遺産を取り戻して

くれた、旧社長がそうだ、乱暴で粗野で堅気な人じゃ無かったが、私にはとっても暖かい

実の父親以上に恋しい人だった。

そして三人目の父親が物産現役時代から、私を叱責しときには私を支えてくれた

ここにいる、相談役が三人目の父親だ。

この東京ジャングルの中でもう一人の肉親が三四郎兄さんだ、

私の身体中の血液を搾り出して二人で生死の境を彷徨った、

私と三四郎兄さんには輸血を通じて同じ血が通った。

その事件以来三四郎兄さんは誰に対しても私を実の弟と公言して私を庇い私を
殴り、そして最後は必ず私の頭を強い力で抱いてくれた、私が19歳のまだ学生労働者
の時だった。生死の境を彷徨った時に私は浴衣を着た父親の姿を病室に見た、あれがお迎えという
奴なのか、今もそう思っている。

それから、経営とは何か、どうすれば一流会社ときちんと付き合えるか、叩き込んでくれた

この病室の相談役、私には全部で愛する三人の父親がいた、

相談役に語りかける、どうか私を置いて旅立ったりしないで欲しい、
私の父が次々に他界する悲しさにもう私は耐え切れないだろう。

幼い頃から母と姉の女家族で育った私には頼れる男の匂いが欲しかった、
いつも私が仰ぎ見る男性が恋しかった、

三四郎兄さんを本当の兄だと信じている、

日本刀を持って追いかけられた事もあった、腕を切り落すと座布団に突き刺された
事もあった、

でも、三四郎兄さんも同じように暖かくて涙を滲ませて私を抱きしめてくれた兄だ。

S君にはここを説明しないと、私の事は解って貰えないだろう、
だが私にも引退の時期が来たのだ、悲しいけれど今目の前で最後の父親の相談役は
一進一退の病床にある。

「♪旅の終りに みつけた夢は

  北の港の ちいさな酒場

  暗い火影に 肩寄せ合って

  歌う故郷の 子守唄」

S君と帰りの東海道線に並んで坐った、町の灯はとっぷり暮れて重い暗闇に

星のような家々の灯が窓の外を飛んでいく。

あのお年寄りは今頃白鷺三味線を聴いているだろうか、

「S君、どうだ、新橋で降りて、ちょっと飲んで行こうか、今日はなんだか

 淋しいんだ」

「お供いたします」

「ありがとう」

旅の終りに・・・


 

三四郎外伝「波止場だよ父つぁん」」

 投稿者:彗星  投稿日:2016年12月31日(土)15時13分56秒
返信・引用 編集済
  会社の経営を若いS君に譲ることを決意して、
入院中の相談役を訪ねた。

「いかがですか、お加減は」

「ああ、〇君か、良く来てくれた、今日は気分もいいようだし
 外は綺麗なお天気だな」

「はい、富士山がはっきり見えます、とてもいい冬の暮れです」

「会社のほうはどうかね」

「実はその事で伺ったのですが」

「ウン、何かあったのかね」

「いいえ、私ももう60代の半ば、人生の後期です、
 それで、いつまでも若いつもりで頑張ってみても、そうですね
 自動車の運転免許と同じように心と体は別物だと最近考えるようになりました」

「馬鹿を言っちゃいかんよ、自動車の免許の方は70歳以上の人だろう、
 君はまだ60代だ、比べ物にはならんよ」

「いいえ、自動車免許は例えでしたが、人間にも賞味期限があるものだと
 なんだか坂道を坂道と感じるようになってはじめて気がつきました」

「坂道って?」

「はい、私が以前住んでいた、あの市ヶ谷の坂道です、フジTVに続く道の事です」

「ああそうか、その坂道がどうかしたのかね」

「先日あるご婦人と偶然道を聞かれてご一緒しました、その時、あの坂道を
 上る速度がその女性と私とでは違うと気がついたのです、彼女は普通に坂道を
 上っていましたが、私が少しずつ遅れていく、その時にここは坂道だったのだと
 はじめて気がつきました、

 20代からこの道を何千回、何万回と走って上り降りして来ましたが、
 その時にやっと自分にも定年が来たって感じたのです」

「そうか・・人生は未練ばっかり残して過ぎて行くものだなあ」

「そうですね、特に相談役がご病気になられて以来、私は一人で話し相手も無く、
 会社の社員はみんな若く、20代、30代、40代までです、その中で改めて
 自分の年を感じました、

 映画館でシニア席一枚と窓口で言いましたら、60歳になったばかりの頃は
 身分証明書を拝見しますと言われたものを、最近では何も聞かれずにシニアの
 切符が出てきます、それだけ5歳の差が大きな老いを人に感じさせるのだろうと」

「ウン、わしも覚えがある、〇君、君とは若い頃から波乱万丈な人生を見てきたな、
 君が20代の始めだった。私とはじめて君の先代の社長の事務所で引き合わされた時を
 今でもはっきりと覚えている、体の動きのしなやかな目の澄んだ若者だと印象があった」

「あの頃、相談役は化学品二課のたしか課長代理さんでしたね、まだ白髪も無くって
 豪快にお酒を飲まれる、でも最初にお逢いしたのはその前ですよ

 私が商社にいて、先代の社長の会社を担当をしていた頃に、確か相談役は係長で三人くらいで
 事務所にお見えになりました、

 私が立ち上がって係長のお名刺を両手で戴いた姿勢がおかしい
 ってお笑いになったでしょう、ですからもう40年も前にお逢いしていたのですよ」

「おお、そうだったな、そうだった、俺が30代、若かったが、君はもっと若かった、
 とうとう65歳になったのか、感無量だな」

「相談役、今日はご相談があってお見舞いがてら寄せていただきました」

「わしに、何かアドバイスできるような事があるのかい」

「ええ、実はこの度、私も賞味期限が切れかけてきましたので、会社をS営業部長に
 譲ろうと考えています、世代交代ですよ」

「S営業部長? わしは逢ったことが無いな」

「いいえ、相談役は二度ほどお部屋でお逢いになっておりますよ、私とF君が一緒でした」

「そうか、わしは記憶に無いが、あのF君じゃいけないのかい」

「F君は一生の友だと思って当然、次は彼にと考えておりました、
 一時期、会社の経営が上手くいかない時期がありました、7-8年前ですが、

 その時にF君は会社を離れて行きました、きっと奥様の希望もあったのじゃないかと
 思いました、残念ですが、それで、私とは終わっています」

「あのF君が・・辞めたのは知っていたが、そんな事情で辞めたのか・・・、
 男らしくない奴だ」

「仕方ありません」

「君から随分な手当てが出ていただろう、家を買ったり、その他の諸々の
 諸手当の名目で、君は自分のポケットマネーまで彼に出したりしていたな、
 早紀子君から聞いてそれは知っている」

「そうでしたか、でも終わったことです」

「それでS君には君の後を引き継いであれだけの君の人脈をちゃんとやっていけるのか」

「それは解りません、その時はその時です、
 私がもう10歳若ければ、事情は違っていたでしょうが、この年です、
 あっという間に70歳にそれからは免許証の返納を迫られ、男の機能も失って
 人生終わりますよ」

「おいおい、捨て鉢なことを言うな、先代の社長が泣くぞ」

「すみません、つい愚痴が、それで相談役にもう一度S君に逢っていただきたいのです、
 ご都合の良い時に連れて参りますので」

「是非、そうしてくれ、本当はわしが会社に行って実業の彼を見てから決めるのが
 筋だが、ご覧の通りだ、ここに来てもらえるか、会社は先代の社長や君の後ろ盾の
 人々や、このわしにも愛着のある場所だ、いい加減な禅譲はいかんよ」

「よく解りました、一応、私の意思を相談役にご理解いただく為に今日は参りました」

「それは理解したが、あの会社は、君の会社だ、君がいなければ・・」

「相談役、また来ます」

「これからどこかへ行くのかね」

「いいえ、お天気もいいですし、この病院は横浜ですので、暫くぶりに
 横浜を散策して帰りたいと思っています」

「君の好きな波止場にでも行くのかい」

「多分、海を見に行くと思います、私には沢山の思い出が詰まっていますので」

「海にか?」

「はい、神戸の海、神戸の波止場です、横浜は神戸にそっくりですから」

「そうかい、今日は家内がいなくて何のおもてなしもできなかったが、また来てくれ」

「はい、相談役、これはお体の為にと思って、お好きな漢方薬と果物の詰め合わせ籠です、
 奥様に剥いていただいてください、くれぐれもお元気で」

「この通りのざまだ、送れないよ、勘弁してくれ」

「どうぞ、お休みください、また来ます、今度は奥様の携帯に電話を入れて
 お体のよろしい時に参ります」

病院を出た。

私はミナトみらい線に乗り、元町、中華街で降りた。

中華街には興味が無い、元町方面、山下公園方面へ歩く、清々しい冬の陽が一杯だ。

波止場が見えてきた、

「♪古い錨が 捨てられて

  ホラ 雨に泣いてる 波止場だよ・・」

懐かしい歌が心に浮かんでくる、

大きな貨物船が二隻、横付けになっていた、遠くを走る外国航路の船も見える、
海上保安庁の巡視船が三隻見える、丘の上はきっとミナトの見える丘公園だろう、

メリケン波止場はあれだろうか、海の潮風が心地よい、

私の脳裏には神戸、震災前の神戸の港がはっきりと蘇ってきた、

メリケン波止場は神戸にもあった、メリケンとはアメリカの事だろう、
日本は戦前から生糸とセルロイドの玩具を大量にアメリカに買ってもらって
戦前の資金と戦後の復興に頼った、

私が最初に赴任した神戸でも生糸の輸出と外国の船会社の名前が常に目の前に
あった、スワイヤー、ドッドウエル、懐かしい。

「♪岬まわった あの船の

  ホラ 遠い汽笛が聞こえるね

  今日もアタイに手を引かれ

  通う港のの 三本マスト

  見たい 見たい 見たいだろうね

  ネエ、お父つぁん」

「♪白髪めっきり 増えたけど

 ホラ 縞のジャケツが まだ似合う

 せめてアタイが 男なら

 親子二代の マドロスなのに

 泣けて 泣けて 泣けてきちゃった

 ねえ お父つぁん」

この道をこう行けば、馬車道から関内、伊勢崎町か、でも私は長いこと
波止場のベンチに腰をかけていた。

東京に比べて格段に人の密度が少ない、
東京の雑踏の中にいると横浜はまるで地方都市に来たような錯角さえ覚える、

「♪白髪めっきり 増えたけど

  ホラ 縞のジャケツがまだ似合う」

この曲は船村徹氏の作曲だ、彼の曲にはギターの伴奏がとても良く似合う、
そして曲のイントロがとても情緒的で淋しい、

「♪海が 海が 海が恋しい

  ネエ お父つぁん」

なんだか私の心境を歌っているような気がして一人で口ずさんでいた、

引退って淋しいものだ、

仕事からの引退、人生からの引退、強がっている人もいるが、

駄目だ、なんと早い人の一生は駆け足で駆け抜けて行くだけだ、

むしろ過去の記憶などが無いほうがいいと思ったりする、未練だなあ。

 

三四郎外伝「ラブユー東京」

 投稿者:彗星  投稿日:2016年12月26日(月)15時32分25秒
返信・引用 編集済
  有馬記念で打ちのめされてオケラ街道を西船橋まで
田圃の中を歩いた。

その頃はまだ今のようなマンション群は無く一面の田圃と細い無舗装の道路が
くねくねと続いていた。

中山競馬場はその先に突然現れる大きな建物だ、
現在では都心のデパートにも劣らない綺麗な素晴らしい客席と施設、
多くのレストランがある、観客の1/3は女性客だが当時は女性の影はまるで
無かった、

殺伐とした男どもの血走った目が行きかう競馬場の全体、床には足の踏み場も
無い程の外れ馬券や新聞の投げ捨て、煙草の煙と吸殻の山、弁当の空箱の山、

トイレの中で首を吊った男がいるという話も聞いた、誰もそれに興味も示さなかった、
競馬のパドック解説も当時は小型のラジオが無く、大型のカセットラジオを誰かが
大きな音でかけている、その周りで競馬新聞と首っ引きで馬の状態の解説を聞き、
忙しくパドックへ走り、競馬新聞に印をつけ、

また走って建物内の馬券売り場に向う、
「あと約5分で発売を締め切ります」というアナウンスが流れる、

当時は100円券、500円券、特券と呼んでいた1000円券、の窓口が
金額ごとに分かれていた、中にはパートの主婦らしい販売員がお金と引き換えに
薄いパンチングしてある馬券を手渡してくれる。

大量に買う人にはトイレットペーパーのようにロールされた馬券が手渡される、

それが次は100円、500円、1000円と同じ窓口で現在のような大きさの
切符のような形になった。

まだ自動販売機は無く、払い戻しも馬券売り場も全て人手を経て行なわれた、
競馬場の大きさは現在と変わらないが、当時の芝コースは冬場には枯れて
茶色の芝コースだった、それが現在は真冬でも青々とした洋芝に取り替えられている。

競馬場からオケラ街道と呼ばれていた西船橋駅、京成中山駅へ続く道には
デンスケ賭博と呼ばれていた簡易博打屋が競馬帰りの人を待ち構えていた、

四角な小さな戸板を首からかけて、その上で小さなサイコロのようなものを振る、
時々「デンスケ」という掛け声をかける、私には何の意味か解らなかったし
興味も無かった。

群集の向うに警官の帽子のカバーの白い色が四つ、五つ、見え隠れする、
塗炭にデンスケ屋は客のかけ金を鷲づかみにしてさっと店仕舞い、遁走する、

これが中山競馬の名物だった。

今はその田圃と付近の野原にマンションが林立して人々が住んでいる、
一帯は西船橋を含めて競馬開催の時だけは店が出る、人が出るが、

競馬が東京(府中)や他競馬場に移ると中山一帯は閑散とし荒涼とした無人の地に
変わる、競馬場付近に住んでいる人は交通不便と生活不便が付き纏うだろうが、
結構人が住んでいる、きっと競馬好きな人なんだろうなと思って通り過ぎている。

ちょうどその頃、
ある事情があって一時失職した。

何とか探し出した食い扶持は酒屋を回ってワインのアクセサリーや珍しい形をした
栓抜きを行商する仕事だった、

荷物はバイクの後ろに積んで一日200キロは走る、目に付いた酒屋、酒の卸問屋に
飛び込み、ノベルテイと呼ばれる雑貨を見せて買ってくださいと頼む、

20軒に1軒くらいの割合で話を聞いてくれる店主がいた、
そして数千円から多くて1万円くらいの栓抜きなどを買ってくれる、

私のその売り上げの30%を報酬として得た、
あての無い道のりとあての無い商売だった、1日中走り回って知らない町に来て、
何にも売れなかったこともある。

草むらに坐って、コッペパンをかじりコーラを飲んで食事を済まし、
またどこへ続くか解らない道を走り続けた、

小林旭の「さすらい」という歌が自然に口をついて出る、
計画も何も無い、あての無い小さな商売を数ヶ月続けた、ポケットにはいつも
小銭しかなかった。

母からの手紙にも返事をする気がせず、疲れてただ眠った、
東京を離れて西へ東へ、当時はナビゲーターも無い、道も解らない、ただ真っ直ぐに走った、

泥だらけの顔で酒屋を訪ねると、それだけで追い返されることもあった、
将来に対する夢も何も無かった、ただ悪い事だけはしてはいけないと気持ちを励ました、

一ヶ月走り回って、ガソリン代をかけて、バイクの修理代をかけて、
収入は大卒の給料が10万円を超えた時代に、一ヶ月やっと3万円くらいしか稼げなかった、

当時はヘルメットも何も法的な強制は無かった、私は冬は毛糸の帽子を被って
毛糸の手袋で毎日仕入れ元からバイクの向く方向へただ走った、

夜遅くに東京に帰り着くとほっとした、ネオンと華やかな道路が周辺都市とはまるで
違っていた、

私はその仕事を数ヶ月で止めた、

次に新聞広告で探し当てた会社はカーテンとかカメラのレンズとか、何でも
近隣諸国に輸出をする社員は社長を入れて三人の会社だった、

給料は月末に現金で茶封筒に入れて渡された、
梱包などが私の最初の仕事だった、私の上司は20代始めの女性だった、

社長は流暢な英語を話した、どこと話しているんだろう、
小さいながらこれだけの人間が何とか食っている、その会社は東京の果てにあった、

通勤に当時、2時間はかかった、
交通費は半分だけ支給された、夜はいつまでも社長が帰ろうと言うまでは
延々と残業が続いた、残業代は出なかった。

健康保険も、何も無かった、

そして私は半年たってその会社を辞めた。

同じような会社を彷徨いながら私は田舎へ帰ろうかと考え始めていた、

商社を首になって、小さな会社を彷徨い続けて、私は東京に見切りをつけた、
「もう田舎に帰ろう」

荷物は田舎を出たときの柳行李と少しだけ増えた衣類と書物だけ、
夜通しガタンゴトンと音を立てながら、私は部屋を片付け、荷物の整理を終わった、

翌朝、大家さんに残りのお金を払って、忘れ物は無いか、部屋を調べて、
側で泣いている千雪に「ごめんな、もう泣くなよ、田舎に呼んでやるから」
必死で涙を拭いてやっていたら、

突然、社長が乱暴に部屋に入ってきた、

「〇、何をやってるんだ」社長は私に平手打ちを二回、大声で怒鳴った、

「社長、私は田舎に帰って農業をやります、ご挨拶に伺おうと思っていたところです」

「〇、お前がそこまで苦しんでいるとは知らなんだ、商社を辞めてから1年ちょっとの
 間、お前の事を気にかけてなかった、俺が悪かった、〇、苦労したんだな」

社長は私の頭を抱えて胸に押し当ててくれた、

「〇、何で俺に言ってこなかったんだ、水臭いじゃないか、三四郎も〇はどうしたって
 何度も俺に電話があったぞ」

「・・・」

「〇、おめえは水臭い奴だ、俺が忙しくっておめえの事をかまってやれなかった、
 すまん、お前、飯はちゃんと食っているのか、どうしたこの荷物は?」

「・・・」

「〇、荷物を解け、そこのあんたは昨日の姉ちゃんだな、〇の友達か、そうか、
 荷物を解くのを手伝ってやってくれ、

「俺が大家にかけあってこの部屋を押える、
 〇、俺のところへ来い、今日からだ、三四郎も表まで来ている、いいか」

私は涙を拭って頷いた。

千雪は喜んで大泣きに泣いた、私は部屋の片づけを千雪に頼んで、
社長と一緒にアパートを出た、表に二台大型な黒い車が止まっていた、

三四郎兄さんがYさんを連れて降りてきた、
「〇、馬鹿野郎、黙って東京を出ようなんぞ、俺が許さん、てめえは水臭い奴だなあ、
 兄貴も俺も知らなんだ、お前がそこまで苦労してるって、〇許してくれ」

三四郎兄さんとYさんが私を折れるほど抱きしめてくれた、

「二度と黙って消えようなんぞ思うんじゃねえぞ」
 〇、こっちへ来い」

車の後部座席に呼ばれて、「坐れ」

三四郎兄さんが私のボロ背広のポケットに分厚い札束を捻じ込んだ、
「こ、こんな大金」

「いいから、俺の侘びのしるしだ、美味いものを食え、おふくろさんに
 仕送りをしてやれ、いいか明日からは兄貴の側で、離れるんじゃねえぞ」

Yさんが「〇ちゃん、わしらを捨ててどこへ行くんだ、何で昇にも何にも言わなかったんだ、
     わしらが悪かった、もう逃げ出すな、わしも昇も淋しくなるじゃねえか」

そしてこの日から私は改めて東京の街で活き活きと走り回った、

一度は出ようと思った東京の灯が、いまの私にはふるさとに思えた。

「♪七色の虹が 消えてしまったの

  シャボン玉のような あたしの涙

  あなただけが

  生き甲斐なの 忘れられない

  ラブユー ラブユー 涙の東京」

「♪いつまでもあたし めそめぞしないわ

  シャボン玉のような 明るい涙

  明日からは

  あなたなしで 生きてゆくのね

  ラブユー ラブユー 涙の東京」

「〇、おめえ、何だそのナリは、ほれこれで普通の男の背広を買え、靴も買え」

社長が辞退する私に無理にお金を握らせて、「今から服と靴とシャツを買って来い」

私は千雪を連れて、新宿へ出た、

「千雪、今日は丸井じゃないよ、別の店で買おう、
 このお金俺一人じゃ多すぎる、お前のものも買おう、今日はお祝いに
 美味いものを食おう」

千雪は黙って滲む涙を拭いている、「もう田舎に帰らないでいいのね、一緒だよね」

「うん、驚いた、社長や三四郎兄さんが、どうして知ったのだろうか」

「うちが、社長さんに話したのよ」

「えっお前が」

「ごめんね、出すぎて、だって〇ちゃんが可哀想過ぎて、社長さんを訪ねて行ったのよ」

「そうだったのか」

「♪幸せの星を きっとみつけるの

  シャボン玉のような 夢見る涙

  お馬鹿さんね

  あなただけを 信じたあたし

  ラブユー ラブユー 涙の東京

  涙の東京」

「おはようございます!」

私は社長の会社の事務所のドアを勢い良く開けた、

みんな一斉に立ち上がって迎えてくれた、

東京、私の故郷はここだ、頑張るぞ。


 

三四郎外伝「いっぽんどっこの唄」

 投稿者:彗星  投稿日:2016年12月19日(月)00時23分12秒
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  カラオケバーを阿呆な潰し方をして行方をくらましたRさんから
私に電話があった。

公衆電話からのようだ、チーンという音がした、

「おう、〇ちゃんか、しばらくだったな元気か?」

「元気かじゃないでしょう、Mさんがカンカンに怒っていますよ、
 早く話をつけないと大変な事になりますよ」

「それで相談なんだけどよ、〇ちゃん、そっちの社長にでも話して
 金都合してくんないか、2千万でいいからよ」

「何を言っているのですか、何で私に電話してくるんですか、
 私は社長の使い走りですよ、2万円だって出来やしませんよ、
 そんな呑気なことを言っていると危ないですよ、Rさん」

「うーん、解ちゃいるんだけどな、他に頼るものがいないんだ、頼むよ誰か
 いねえか、助けてくれ」

「私には2千万円なんて見当もつかない金額です、
 お宅のTさんに頼んだらどうなんですか、私はお宅とは関係ないですから」

「関係ねえだと、あるだろうが」

「何の事ですか」

「京子のことでよ、この件は俺と〇ちゃんの共同事業なんだからよ」

「あほらしい、そう思うんならMさんにそう言えばいいじゃ無いですか、
 何でTさんを頼らないのですか、お宅の次の頭候補でしょう、それしか
 Mさんとの話はつきませんよ」

「いや、ちょっとTの兄貴には不義理があってな、敷居が高いんだ」

「知りませんねそんな事、もうかけてこないで下さい、向うで社長がこっちを
 見ています、ばれたら今度は三四郎さんからも追われますよ」

「な、〇ちゃん、恩に着る、半分でも引っ張れないか?」

「止めて下さい、私を何だと思っているんですか、そこらの小僧ですよ
 何も力なんかありませんよ」

「俺も詰んだ、頼む助けてくれ」

「悪いけど、せっかく上手く行ってる店を潰したのはRさんでしょう、
 それに金の出所がMさんの金融会社の金を内緒で引いたんでしょう、Mさんが
 そう言っていましたよ」」

「なあ、〇ちゃん、あんた池袋のSって男と入魂だろう、あっちに頼んでくれねえか」

「ちょっと忙しいので、今から社長の車を出しますから切りますよ」

この頃の私は一年中同じ服で襟は汚れて靴は黒い革靴が汗で白く筋が入っていた、
ボロを着て薄い煎餅布団で母を思いながら疲れて眠るだけのどん底の生活だった。

社長が良く言っていた、
「〇、おめえ、服装(ナリ)には気を配れよ、みっともねえじゃないか、
 俺がやってる小遣いは何に使っているんだ」

「母に仕送りしています」

「そうか、それは感心だな、だけどよ、男が世に立とうとするからには
 服装は大事だ、ナリで人は相手を判断するものだ」

「みっとも無いですか、私の格好は」

「みっともねえな、ボロは着てても心は錦って訳にはいかねえぞ」

「♪ボロは着てても 心の錦

  どんな花より きれいだぜ

  若い時きゃ  二度無い

  どんとやれ 男なら

  人のやれない ことをやれ」

「♪涙かくして 男が笑う

  それがあの娘にゃ わからない

  恋だなんて そんなもの

  いいじゃないか 男なら

  なげた笑顔を みておくれ」

私は地を這うように我慢をつづけて生きてきた、
20代の私は同年代の人並みのお洒落も楽しみも何も無かった。

昇さんと知り合って、彼の口癖の吉良の仁吉のように生きたいという
意味が少しは解ってきた、

人生劇場の吉良常はそれこそボロは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ、
男の筋の通った生き方を描いた人生劇場には私は深く共感を覚えていた。

鏡で自分の姿を見る、
この頃の私は髪はのび放題、服装は汚く、センス無く、年頃の男の子のような
お洒落は縁が無かった、はじめておそるおそる使った化粧品がバイタリスという
整髪用の化粧品だった、本当のところは千雪からのプレゼントだったのだけど。

私は小説人生劇場を繰り返して読んだ、吉良常の青成瓢太郎とその息子の瓢吉に対する
律儀で忠実で一本道の生き方、彼が吉良の港で飛車角に波止場を指差して

「あそこだ、あの場所から俺の先祖の仁吉は
船で荒神山へ、俺も生きたいと願っている、仁吉のような侠客の人生を」

昇さんは吉良の仁吉に憧れていると私に言った、
だが私は仁吉よりも人生劇場の中の吉良常の生き方にもっと共感を覚えていた、

ボロを着てても何が恥かしいものか、

Yさんがいつだったか、酒の席で配下のものにこう言った、

「俺たちゃやな、ボロは着てても心は錦ってわけにゃいかねえんだ、
 服装(ナリ)で相手を呑む、これも俺等が男を張る基本だ、よーく覚えておけ」

私はその酒の席に社長のお供という事でずっと離れた隅に同席をさせてもらっていた、

「違うと思う」私は心の中でそっと呟いた、

「♪何はなくても 根性だけは

  俺の自慢の ひとつだぜ

  春が来りゃ 夢の木に

  花が咲く 男なら

  行くぜこの道 どこまでも」


心の中にはいつも人生劇場の吉良常がいた。

私は昭和枯れすすきのような関係の千雪と小さな幸せの関係を深めて行った。

「ボロは着てても 心の錦 どんな花より きれいだぜ」

吉良常に憧れる、貧乏で孤独な存在が私だった。

千雪はその頃良く歌っていた、

「マコ甘えてばかりで ごめんね ミコはもっと生きたかったの」

「悲しい歌ばっかり歌うなよ、俺達は似たもの同士、2人ともボロは着てても
 心は錦って思って生きようぜ」

「〇ちゃん」

「何?」

「私を捨てないでね」

「捨てるなんて俺はそんなプレイボーイじゃないよ、もてもしないし、
 このボロ格好を見ろよ」

「うちは不安なのよ、〇ちゃんがだんだんと東京の人になって行くのが解るから」

「そんな事ないよ、俺は商社を首になって社長に拾われて使い走りをして母と奨学金の返金に
 あてている、女性と遊ぶほどの心の余裕もないよ、千雪が一人だけこんな田舎者の俺を
 まともに扱ってくれた」

「うちはね、今のままの〇ちゃんが一番好きよ、変わっていく〇ちゃんは恐いのよ」

「千雪、俺は強がって生きなきゃならない環境で育ったんだ、それが千雪には俺が東京慣れして
 変わっていくように見えるだけさ」

「本当?うちらずっと仲良く出来るわね」

「ずっとさ、さっきの歌、何であんな悲しい歌を歌ったんだ?お前はその丸い顔で
 見上げるように笑う顔が一番素敵だよ、すぐ泣くけど、心まで悲しくなるなよ」

「〇ちゃん、うちね、今度お給料が上がるのよ、そしたらね、〇ちゃんに背広を買ってあげるよ、
 丸井だけどね、着てくれるでしょう」

「千雪、気持ちだけでいいよ、お前は女の子だ、俺のことよりも自分のバッグとか自分の化粧品とか
 そんなものを買えよ、そして少しづつでも貯金しろ」

「ボロは着てても 心の錦 どんな花よりきれいだぜ」二人で笑いながら歌った。






 

三四郎外伝「おひまなら来てよネ」

 投稿者:彗星  投稿日:2016年12月14日(水)17時17分10秒
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  何時のころだったか、
私がまだ使い走りで遊んでいた頃の事だった。

当時エイトトラックのテープと歌本でカラオケの走りが
始まった、人間は本来酔うと歌を歌いたくなる本能があるようだ。

M組のある人間に誘われて私が小さなカラオケの店に関わったことがあった、
まだ後の頭のT氏は別の市の支部におり東京ではMさんは金融業に忙しく、

下の若い士たちはシノギに四苦八苦していた、馬の呑み屋は林立している、
マージャンもお風呂もそう簡単ではない、きちんと場所割りが決まっていた。

カラオケだけは新しい娯楽だけにまだ殆どのものが手をつけていなかった、
在ったとしてもピアノの伴奏で女の子が側に立って客に歌わせるか、

或いはプロの歌手がフロアーで歌う程度の段階で、素人の客が気楽に歌える
場所はまず無かった。

ある男、Rが私に持ちかけた、
「どうだ、○ちゃん、あんたはケンや昇さん等といつも一緒だが、一つわしらと
 組まねえか」

「組むってどういう意味ですか?」

「俺と一緒に商売しねえかって意味だよ、これが必ず当たると見当つけてるんだ」
「私は銭もないし、時間も倉庫の仕事で取れないし、第一私がRさんと組むなんて
 釣り合いが取れませんよ、ほかの人に当たってみたらどうです」

「それがな、身内じゃ動きにくいのよ、○ちゃんは枠の外にいるから
 人目にも立たねえし、いけると思うんだがよ」

「何をやるんですか」
「スナックよ」
「そんな水商売は素人には出来ませんよ、第一、場所割りですぐにどこかが
 守り代をせびりに来るでしょう、RさんがM組だと知れたら、三四郎一家やYさんが
 黙ってないでしょう」

「だからよ、ちょいと宿を離れてよ、静かにやるのよ」
「静かにやったんじゃ、客も来ないでしょう」
「ところがな、これを新橋のサラリーマンのど真ん中でやろうと思うのよ、
 客は大手のサラリーマンだ、筋はいいし、安い金で歌えると知ったらどかどか
 大入りだぜ」

「そんな上手く行くもんですか」
「行くんだよ、で、○ちゃんに頼みがあるんだが」
「何ですか」

「○ちゃんは市谷の弾き語りの店に良く行くだろう」
「何で知ってるんですか」
「ケンに聞いたんだ」
「それじゃあ、三四郎一家に筒抜けじゃないですか」
「いや、ケンは何の話かわかってねえようだから心配するな」

「で、何すればいいんですか」
「あの店のホールに京子って女がいるだろう」
「ええ」
「○ちゃん結構親しいだろう」
「親しいって、飯を頼んでちょこっと話をする程度ですよ」

「要するに知っているってこったな」
「知ってはいますよ」

「今度開くスナックのママにって○ちゃんから口説いてもらえねえか、
 俺ら表に出られねえから」
「自分で話せばいいじゃないですか」

「いや、○ちゃんが話した方が相手が安心するからな」
「面倒に巻き込まれるのは嫌ですよ」

「迷惑はかけねえ」
「迷惑はかけねえって、裏で糸を引くならそれがあの人には迷惑じゃないですか」

「な、頼むよ」
「資金はあるんですか」

「知らねえのか、うちの親父は金貸しだ、そっから引っ張る」
「そんな高利の金を引っ張ってサラリーマン相手のカラオケで利益が
 出ますか、無理ですよ」

「後は心配いらねえから、看板はあの京子だ、あいつは素人受けする
 いい女だし、あいつがママをやればきっと客は来る、居ぬきで場所はもう
 見当をつけてある、ちょいと改装して、ヘルプのジャリ娘を四五人募集すれば
 金もかからねえし、飲み物はハイボールだ、それも安物ウイスキーで」

「まあ、一応聞いては見ますが」
「頼むわ」

それから二週間ばかり経って私は弾き語りの店に寄った、
由が側に来た、相変わらず長い足を面倒くさそうに太ももも露に大きく組んで。

そのうち、由の出番が来て舞台のほうへ衣装かえに消えた、私は京子を探したが
見当たらない、だいぶたってから、「こんばんは」と京子が側に来た、

「焼き飯を頼むよ、それからビールもう一本、ああ、それからちょっと待って」
「何」
「ちょっと座ってくれる」
「駄目よ、私たちはテーブルには座れないの、何なの話って」

「・・・こういう話があるんだけど、興味ないかい」
「無いわ」
「ちょっと考えてよ」
「ありません、ご注文はピラフとビールですね」
「・・・」

R氏に「駄目です、京子は興味ないって言っています」
「○ちゃん、そりゃねえぜ、俺はもう相当突っ込んでるんだ、いまさら駄目はねえだろう」
「だって相手が興味ないっていうから仕方ないでしょう」

「そうはいかねえんだ、俺が腹割って頼んだ話だ、子供の使いじゃねえだろう、
 くどき落とせ、もう引けねえんだよ」

「私には無理です、ケンさんに頼んだら」
「そりゃ駄目だ、Y組に漏れたら締められる」
「私には無理です」
「無理って言葉はねえんだよ、一念岩をも砕くっつうだろう、砕いて来い」

「冗談じゃないですよ、Rさんが勝手に私と京子と決めて勝手に動いて、
 何で私が砕いて来なきゃいけないんですか」

「俺の男が立たねえんだよ」

「立つか立たないか、私には関係ありませんよ、私はあの社長のところの使い走り
 ですから、何で私をつっつくのですか」

「なあ、俺が頭を下げて頼んでるんだ、な、この通り」
「止めてくださいよ、第一私はあの京子とは親しくもなんとも無いのですから」
「それじゃ何かい、俺に下手売らせて、自分だけいい子になろうって算段かい」

「Rさん、何を言ってるんですか、下手を売るも、男が立つとか立たないとか
 私に何の責任があるんですか」

「○ちゃんよ、まあそういきり立つな、俺も○ちゃんを男と見込んでの
 たっての頼みだ、ここは曲げて俺を男にしてくれ」

「男にしろ、女にしろって、私のような下っ端に何が出来るんですか、お宅の
あのTさんに頼めば金だって何だって出来るでしょう」

「余計なことを言うな、これはな、俺の茶碗だ、Tの兄貴にゃ関係ねえことだ」
「それなら、私にはますます関係の無いはなしじゃないですか」
「おめえ、俺の話を聞いただろう」
「Rさんが喋ったから聞きましたよ」

「話を聞いた以上、黙ってそうですかって訳にはいかねえんだよ」
「Rさん、頭大丈夫ですか、勝手に喋って勝手に京子って決めて、勝手に店の
 手付けを打って、全部自分ひとりでやったことじゃないですか」

「○ちゃんよ、俺もここまで来てへい左様でございますかと腰を曲げたんじゃあ
 明日から大手を振って表を歩けねえことになるんだよ」
「そんな事が私と何の関係があるんですか、腰なんか曲げてもらわなくてもいいですよ、
 私はこの妙な話は降ります、いいですね」

「それじゃあ、行くところまでいくしかなくなるが、腹を括っての返事だろうな」
「何を訳のわからんことを言っているですか、私からTさんにでも話をしてあげますよ、
 それとも、Yさんに手伝ってもらう様に頼んであげますよ、私には重過ぎます」

「待て、○ちゃん、今のは冗談、冗談なんだよ、何だよ○ちゃんカッカ来て、
 落ち着けよ」
「落ち着いていますよ」

「じゃあ、こうしよう、京子は諦めて、ママは俺が都合する、○ちゃんは
 マネージャーって事で店を仕切ってくれ」

「あほらしい、そんな事したら三四郎さんにぶっ飛ばされますよ、私は降ります」

それから半月ほどしてRさんが新橋にカラオケスナックをオープンした、
中にいる女の子の一人から聞いた話だが、

あの京子をどうやって口説いたのかママにして店は大盛況だそうだ、

「♪おひまなら来てよネ 私淋しいの

  知らない意地悪

  本当に一人よ 一人で待ってんの

  酒場の花でも 浮気なんかいやよ

  来てね、来てね、本当に来てよネ」


「♪おひまなら来てよネ 私せつないの

  知らない 意地悪

  女は惚れたら 何にもいらないの

  私の負けなの みんなあんたに上げる

  来てね、来てね、 本当に来てよネ」

仕事帰りのサラリーマンで店は押すな押すなの大盛況、それに京子の女ぷりが
評判でRさんは大成功に見えた。

その店の同じ子を食事に誘って内情を聞いてみた、
「私辞めるわ、あんな店」

「どうしたんだ」

「お店は流行っているのよ、お給料も沢山もらえるし、
 だけどね、誰なのあのRさんって人は、毎晩店に蝶ネクタイで出勤して
 お客さんと私たちが盛り上がっているところに、必ず挨拶に来ては座るの」

「へえー」

「お客さんはしらけて一人帰り、一人帰り、
 あんなお店には歌を歌って女の子と騒ぎたいからお客さんが来るのよ、
 そこにあんな変な奴がぷんぷん香水の匂いをさせてお客さんのボトルを
 がぶ飲みするの、お客さんは怒って喧嘩になったわ」

「それでどうした」

「そしたらね、そのRさんって人がお客さんの胸倉をつかんで血だらけになるまで
 殴り続けたの、警察は来るわ、もう店はめちゃくちゃよ、あんな馬鹿親父どこの
 何者なの、京子ママもあきれて辞めちゃわ」

「そうかい、何でRさんって人はお店に出たんだろう、裏にいるべき人が」
「そこが馬鹿なのよ、お客さんは恐がって歌どころじゃないわ、それが毎晩
 へべれけに酔っては店に来て、いらっしゃいませってお客様のテーブルに
 座り込むの」

「そりゃ、どんな店でも駄目だな、おっさんが客の席に座ったんじゃ、
 ぶち壊しだよ」

「○さん、貴方、あのRさんって知っているの」
「知らないよ、いま君がRさんって言ったから」

「冗談は顔だけよ、本当に」

「♪おひまなら来てよネ 私淋しいの

  知らない 意地悪

  電話じゃいえない 大事な話なの

  死ぬほど好きなの これが本当の恋よ

  来てね、来てね、 本当に来てよネ」

それから暫くしてRさんがふけたという話が新宿界隈に流れた、
Mさんはかんかんになって怒っていた、

「○、おめえ知らねえか、今度のいきさつをよ」
「さあ、知りませんよ、私はお宅の方とはあんまり接触がありませんので」

「このくそガキ、わしんところから引っ張った銭で内緒でシノギかけやがって」
「大変ですね」

Mさんが黒電話をガチャーんと壁にぶち投げた、

「来てね、来てね、本当に来てよネ」

  
 

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